2015年04月03日

乱獲も密漁もなかった!? 捕鯨ニッポンのぶっとんだ歴史修正主義

 先日NOAA(米国海洋大気庁)からとある発表がありました。
 私が見つけたときはNOAAのアカウントがツイってから5日経ってましたが、まだ数件しかRTなし。けど、クジラ/捕鯨問題ウォッチャーにとっては重要な内容。
 旧ソ連の衝撃的な違法捕鯨による申告漏れ分を可能な範囲で補正した、20世紀の全期間にわたるクジラの捕獲統計です。

-New Report Estimates Extent of 20th Century Industrial Whaling 
http://www.st.nmfs.noaa.gov/feature-news/3-million-whales 

-First Estimate of Number of Whales Killed During Industrial Whaling 1900-1999 
http://www.afsc.noaa.gov/news/soviet_whaling.htm 

-Emptying the Oceans: A Summary of Industrial Whaling Catches in the 20th Century
http://spo.nmfs.noaa.gov/mfr764/mfr7643.pdf

 殺しも殺したり、その数たるや2,894,094頭
 悲壮なタイトルが示すとおりの、人類の業と罪。

 そのうち、北大西洋が276,442頭、北太平洋が563,696頭、合わせて北半球分が840,138頭
 そして、南半球分が2,053,956頭。北半球の約2.5倍。もっとも、主犯は北半球の国々ですが……。

 NOAAのレポートには国別捕獲統計がなく、正確に同期の取れた数字ではありませんが、前世紀に最も多くクジラを殺した国はノルウェーで約23%、次いで日本が約20%、ロシア(旧ソ連)が発覚した違法捕獲分でイギリスを抜いて3位の約18%、イギリスが約15%
 上位4カ国で、実に全体の3/4以上を占めています。
 日本は百年かけた捕鯨オリンピックで見事銀メダルに輝いたわけです。21世紀に入っても、日本とノルウェーの2ヵ国が引き続き金をめぐって争っているという状況……。

 この1世紀で一番多く殺された鯨種はナガスクジラ(874,068頭)。2番目に殺されたのがマッコウクジラ(761,523頭)。
 この2種だけで、全体の半数以上(56.5%)を占めています。
 以下、3位シロナガスクジラ(379,185頭)、4位イワシクジラ(291,540頭)、5位ミンククジラ(283,905頭)と続きます。
 ※注 ミンクはクロミンクとの合計。イワシクジラには同定される以前のニタリクジラの捕獲が含まれているとみられます。

 ではここで、同レポートの日本に関する言及部分をいくつか抜き出してみましょう。
 まずは、旧ソ連より先に暴露された日本の沿岸捕鯨スキャンダルについて。(背景色引用)

The Japanese were catching many undersized whales in their coastal fishery and falsifying their reports in order to conform to IWC regulations (Kasuya, 1999; Kasuya and Brownell, 1999, 2001; Kondo and Kasuya, 2002).
日本は沿岸捕鯨で(捕獲が禁止されている)体長制限以下の小さなクジラを捕獲していたうえに、IWCに対して虚偽の申告を行ってきた。
(中略)
Finally, it is important to note that some catch totals for the North Pacific are likely to be incorrect to an unknown degree.
The IWC database still contains data from the Japanese coastal fishery that are known to be falsified, notably for sperm whales (Kasuya, 1999); furthermore, analyses of sperm whale length data have raised suspicions about the reliability of the pelagic Japanese catch statistics for this species (Cooke et al., 1983).

 日本の不正な捕鯨と虚偽申告の所為で、このレポートの数字には不確実な部分が残っています。たぶん、金メダルを取れるほどではないでしょうけど……。
 続く記述では、南氷洋捕鯨時代のパナマ船籍の捕鯨船オリンピック・チャレンジャー号のずさんな操業についても触れています。ペナルティに鯨油差し押さえを食らい、売りに出された同号を買い取ったのが、日本の極洋。
 その後、他の大手捕鯨会社もこぞって外国捕鯨母船の枠付購入に走り出します。
 それは、南氷洋の荒廃を決定づけた日本の役割を象徴する出来事でした。(後述)

When this vote was taken in 1982, there were 10 countries still in the business of whaling. Iceland, Norway, Spain, Portugal, and Korea were whaling in the north, while Brazil, Peru, Chile, and the USSR were operating in
the south. Only Japan still had operations in both hemispheres.
(1982年以降)南北両半球で捕鯨を行っている国は日本のみである。

 これこそ、捕鯨国の中で日本がとくに£@かれる理由のひとつ。
 「なぜ日本は南半球でまで捕鯨を続けるのか?」という世界の問いに、日本は誠実に答えた試しがありません。

The following year whaling operations attributed to the Philippines were initiated.
Research into this endeavor has indicated that Japanese nationals owned and operated all facets of this business, which was terminated in 1986.

 商業捕鯨禁止が決まった翌年、マルコス政権下にあったフィリピンが突然商業捕鯨参入を言い出して世界をびっくりさせます。
 案の定、裏で糸を引いていたのは日本の水産貿易会社でした。
 この一件で、「日本は常に規制の裏を掻く国だ」と世界に強く印象付けることになったわけです。

Japan initially objected to the moratorium but withdrew this objection under U.S. threat of fi sheries sanctions
and thereafter exploited Article VIII of the Convention, which permits member states to issue permits
to kill whales for scientifi c research (so-called “scientific whaling,” see Clapham, 2014).

 日本の調査捕鯨は、世界にはもはや、「いわゆるカガク捕鯨」という皮肉な但し書きなしには見られないわけです。
 大方の日本国民も、そういう見方しかしてないでしょうけど……。

Once the moratorium took effect with the 1985–86 Antarctic whaling season, all nations, other than Norway,
Japan, and the USSR ceased industrial commercial whaling.
Japan, Norway, and the USSR all lodged objections to the ban (under the Convention, an objection lodged within 90 days means that the objecting nation is not bound by any decision of the IWC, and this includes the moratorium).

 いわば悪の御三家的な位置づけですね。この後ソ連が抜けて、代わりにアイスランドが加わるという形ですが。
 あるいは、核(潜在的開発能力)保有国に相当する位置づけといえばいいでしょうか。
 もっとも、商業的にペイする公海/南極海母船式捕鯨に関する限り、その能力を有する国は日本も含めてもはやゼロ。
 それは、名乗りを上げる企業が存在しないことと合わせ、足かけ30年にわたる調査捕鯨という名の社会的実験=i自然科学ではなく)によって日本が自ら証明したこと。
 21世紀に成立し得る捕鯨のスタイルは、聖なる食文化≠ニいう大仰な建前のもと、莫大な税金を投入することによって可能になる官製捕鯨のみ。

After 1966, another 87 blue whales were killed by ships registered in Denmark, South Africa, Australia, Chile, Japan, and Spain (Allison, 2012).
Two of the ships registered in Spain, the Sierra and the Tonna, were actually pirate whaling ships that were not registered with an IWC nation but whose operations were linked to Japan (Clapham and Baker, 2008).

 かの悪名高き海賊捕鯨船、シエラ号トンナ号
 1世紀分の捕鯨について記された報告書にわざわざその名が刻まれるほど、重みのある2隻の船の名。
 その裏で蠢いていたのも、やはり捕鯨ニッポンだったのです。
 えっ!? あのシエラ号の名を知らない??
 世界では捕鯨産業の暗黒史として必ず登場するキーワードなのに。
 「聞いたことはあるけど、海賊シーシェパード(SSCS)に船沈められた被害者だろ」とおっしゃる?
 おやおや・・・なぁんにもご存じないんですねぇ・・・・。
 産経のパクリ記者・・もとい、SSCSバッシング本でウハウハ・・じゃなかった、SSCS評論家であらせられる佐々木正明記者に聞いてみてごらんなさい。
 え? 彼は「クジラはごちそうかカリスマか問題」にしか興味がなさそう? そんな、マツコのローカルネタじゃないんだから(汗)
 まあ、しょせん食い物にしてるだけの評論家だからしょうがないか。。。

 SSCSを過激派たらしめたものこそ、日本の大手捕鯨会社と鯨肉市場をバックに悪行の限りを尽くし、国際規制を有名無実たらしめた海賊捕鯨にほかなりません。
 まあ、SSCSなんて、元代表が海賊ぶってるだけのマニアみたいなもんで、妨害の非人道性でもいま辺野古で海保がやってることに比べりゃかわいいもんですけどね・・・

−最も成功した歴史修正主義|3500-13-12-2-1
−やる夫で学ぶ近代捕鯨史−番外編−その3:戦後繰り返された悪質な規制違反

 フィリピン捕鯨参入の件も合わせ、海賊捕鯨とぐるみ違反に関するさらに詳しい情報は『ザ・クジラ』(原剛著、文眞堂)をご参照。

 捕鯨オリンピックによって大型種から順に壊滅させていった南氷洋捕鯨の歴史については「やる夫で学ぶ近代捕鯨史−番外編−」で勉強してもらうことにして、ここで国毎の捕獲統計に基づくグラフをもとに、日本が乱獲に果たした責任の重さについて、改めて検証してみることにしましょう。

catchfin.png

 捕獲量ランキング1位と4位のナガスクジラ、イワシクジラについては、『南氷洋捕鯨史』(中公新書)の著者で捕鯨賛成派の板橋守邦氏も、資源収奪の責任が日本にあると指摘しています。
 ナガスクジラの捕獲量をみると、日本はノルウェー、イギリスに続いて銅メダルの3位、全体のおよそ2割というところ。数字だけでいえば、ノルウェーの方がトータルで倍近く捕っていることになります。
 しかし、年間捕獲量の記録で言えば、チャンピオンはやはり日本でした(13,060頭、1962)。2位のノルウェーも僅差とはいえ(12,974頭、1954)。
 さらに、資源状態の悪化の様相が濃くなる後期になればなるほど、トータルの捕獲量に占める日本の割合がどんどん高くなっていきます。
 日本の捕獲量は、1950年代に入った頃は1割だったものが、最盛期の1960年代半ばには5割超にまでに膨れ上がります。
 グラフを見れば一目瞭然。そして、これはほぼすべての対象種についていえることでした。

catchsei.png

 こちらがイワシクジラの捕獲数に占める日本の割合。
 規制がやや厳しくなってから主要なターゲットになった鯨種ですが、このイワシクジラの捕獲比率に関しては、日本がダントツの1位で5割に達します。
 ニタリクジラも同じく日本の比率が圧倒的に高く、5割弱。ミンクとマッコウは、旧ソ連と日本で1位、2位を分け合う格好。
 まさしく、乱獲の総仕上げ、息も絶え絶えの状態にあるクジラたちにトドメを刺す役割を果たしたのが、後発国の日本と旧ソ連だったのです。
 もっとも、大洋漁業ソ連事業部≠ニ揶揄された同国の鯨肉も日本市場向け。
 マグロやウナギと同じく、世界中の乱獲を支えてきたのが日本人の胃袋だったわけです。

 では、日本が主役の座を奪う前に、すでに追い詰められていたシロナガスとザトウについてはどうでしょうか。

catchblue.png

 日本の貢献≠ヘおよそ1割。シロナガスに関する限り、絶滅寸前に追いやった主要な責任がノルウェーと英国にあるのは否定できません。
 しかし……グラフを見て、皆さんはあることに気付きませんか?
 日本の捕獲の比率は、戦前の一時期に急激に膨れ上がります。ちょうど太平洋戦争が始まる1941年、日本は3280頭のシロナガスを殺してノルウェーから首位の座を奪い、束の間の栄光に輝きます。
 そう……第二次大戦と戦後の中断さえなければ、この順位も入れ替わっていたかもしれません。
 シロナガスクジラは、その大きさ故にナガスクジラより先に狙われたため、日本が参入した時点で先攻組に壊滅的なダメージを被っていたわけです。
 もし、南氷洋進出の西洋捕鯨国とのギャップがもっと短ければ、あるいは戦争のタイミングがずれていたら、ナガスと同じく最終的に引導を渡す役割を果たした捕鯨国が日本だったことは、想像に難くありません。
 付け加えれば、捕獲禁止後にシエラ号が密漁したシロナガスやナガスの鯨肉の行き先も、日本にほかなりませんでした。

 これらのグラフから示される日本の捕鯨のもうひとつの際立った特徴、それは多くの鯨種でトータルや他の捕鯨国に比べて捕獲数のピークが後ろにずれていること。特に顕著なのがナガスクジラですが。
 日本がもし、持続的水産業の模範国であったなら、対象資源の危機を素早く察知し、警報が鳴る前に自ら捕獲数を絞ることができていたはず。
 実際に日本がやったことといえば、国際機関の規制にとことん抵抗することばかりでした。
 まさに持続的利用の落第生であったことを、近代捕鯨史は如実に示しているのです。
 残念ながら、その悪しき伝統は、今日の日本の水産業に広く受け継がれてしまったのが実情です。マグロ、ウナギからホッケに至るまで。漁業問題ウォッチャーが正しく認識しているように。

 このように、密漁に関しても、乱獲に関しても、捕鯨ニッポンの責任はきわめて重大なのです。

    ◇ ◇ ◇

「油目当てにクジラを乱獲したのは西洋人だ! 日本の捕鯨は伝統で乱獲なんてするはずがない! もちろん、密漁なんてするわけない!」
 ネット上ではしばらく前から、そうした100%事実に反する誤った歴史認識が横行しています。
 ごく一握りの狂信的な反反捕鯨論者が叫んでいるだけだったら、まだ無視してもいいでしょう。
 しかし、国を代表する立場にある安倍首相の発言を聞くと、不安を覚えざるをえません。少なくとも、「海洋哺乳類を冷酷に乱獲していた」のは厳然たる事実なのですが……

安倍首相は9日、海洋哺乳類を冷酷に乱獲しているとの海外の認識とは違い、捕鯨を行っている地域は漁の期間が終わる時には必ず鎮魂の儀式を行い捕獲の対象を敬っていると説明した。「このような日本の文化が理解されないことは残念だ」(ガーディアン)

−商業捕鯨再開を安倍首相が示唆 “日本文化”を理由に、国際判決に背くのか?海外メディア反発 (NewSphere,'14/6/10)

 自民党をはじめとする各党の捕鯨族議員らが、ICJ判決直後に鯨肉パーティーを盛大に開いて気勢を上げたときも、彼らがあまりにも素朴な捕鯨ニッポン性善説に毒されているようにしか見えませんでしたし。
 捏造された歴史に酔いしれる日本人が急増しているとしたら、それはとても由々しき事態です。

 いま、ヒトラーを髣髴とさせるウルトラナショナリズム首相の威勢のよい啖呵に呼応するかの如く、アジア諸国への侵略行為を中心に、この国の負の歴史を書き換えようとする動きが、これまでになく活発になっています。
 南京大虐殺、従軍慰安婦、沖縄集団自決、etc.etc...
 そんな日本の歴史修正主義に対しては、隣国の韓国・中国のみならず、欧州や同盟国である米国でも、眉をひそめる見方が少なくありません。
 負の歴史から目を逸らし、過去の過ちを正当化しようとすれば、日本は国際的信用を失うだけです。
 反省なしの未来志向などありえません。
「うるせえな、昔のことでグチグチ言うんじゃねえよ。そんなことより前行こうぜ、前」
 国のトップがそんな態度を示せば、むしろ、国際社会から強い疑念を呼び招いて当然でしょう。再び過ちを繰り返さない保証はどこにもないのですから。

 繰り返しになりますが、乱獲においても、密漁においても、日本が世界で最も悪質な捕鯨国のひとつだったことは否定の余地がありません。
 国際司法裁判所(ICJ)にはっきりと違法認定を受けたにも関わらず、水産庁長官の国会発言(「刺身にすると美味いミンク鯨肉の安定供給のため」)もスルーして、反省と検証ひとつなく、再度看板をすげ替えただけの密漁捕鯨を繰り返そうとしているのだから、過去形とすら呼べません。現在進行形

 以前は国際会議の場において、河野談話・村山談話に相当する「乱獲への真摯な反省」を代表団も口にしていたものです。
 そのころはまだ、「調査捕鯨はかつて乱獲を招いた商業捕鯨とはまったく違うんだ」と世界を納得させるために、世界に対して二度と過去の過ちを繰り返さないと表明することが最低限必要不可欠だと、担当者も理解していたということかもしれません。
 残念ながら、最近ではそうした表向きの反省の言葉さえ、滅多に聞かれなくなりましたけど……。
 ある意味で、日本の商業捕鯨と調査捕鯨は、旧日本軍と自衛隊の関係の相似形ともいえました。
 二度とあのような戦禍を引き起こさないという約束が、自衛隊の存在を内外に認めさせるうえで、絶対に必要なものだということは、日本国民であれば誰しもうなずくはずです。
 調査捕鯨の方は、ICJ判決が示すとおり、化けの皮が剥がれてみれば、ほぼ商業捕鯨と変わらなかったわけですが。
 その調査捕鯨同様、自衛隊が再び侵略戦争への道を開く実質的な軍隊とイコールでないことを、一国民としては祈るばかりです。
 つい先日、安倍首相が「わが軍」と口走っちゃったばかりですけど……。
 本川長官が国会で「ミンクは刺身にすると美味い!」と言っちゃったように………。
 
 確かに、西洋の捕鯨国も過ちを犯しました。
 乱獲の悲劇を起こした責任を、彼らは負わなければなりません。
 二つの大戦・ファシズムによって、あまりにも多くの人命を犠牲にした責任から、彼らが決して逃れられないように。
 しかし、それは日本の捕鯨が招いた乱獲や悪質な密漁に対する免罪符には、一切なりえません。
 日本が、自らのファシズム・アジアの国々に対する侵略戦争の加害責任を否定することが、断じて許されないように。
 「いや、その2つはまったく違う。西洋の捕鯨は悪≠セが、日本の捕鯨は善≠ネんだ」という主張は、八紘一宇ではないけれど「西洋の戦争・全体主義は悪≠セが、日本がやったのは正義≠フ戦争であり、侵略もファシズムもなかったんだ」という主張とそっくりそのまま重なります。
  
 私たち日本人は、日本人であるが故に、戦争責任の否定とまったく同じ流れで流布される根拠のない日本の捕鯨性善説≠全力で打ち消さなければなりません。それは世界の恥です。
 自らの犯した罪と真正面から向き合うことをしない限り、本当の未来は決して手に届かないのですから。
posted by カメクジラネコ at 01:43| Comment(5) | TrackBack(0) | 社会科学系

2015年03月07日

To sympathizers for Japan

Let's travel to Japan after it withdraw whaling on the high seas! 
Let's enjoy "Washoku" after Japan cease to impose its values on Southern Ocean! 
Let's buy Japanese brands after Japan plead guilty to the charge of illegal whaling concluded by the ICJ and apologize to the world!

ツイッターでも「『ねえ、俺のいいとこどこ?』って女子に聞いてる奴みたいでキモイ」と卓見を述べていた方がいらっしゃいましたが、ともかく世界から褒めそやしてもらわないと気がすまなくなってしまった今の日本。
ゴールデンタイムのTV番組は、各局こぞって「日本バンザイ!」「日本イチバン!」の大合唱。まるで、手近にいる大人たちのもとに次々と駆け寄っては、不安げにその顔を見上げる幼児。もし、「よくできたわね〜」「えらいわね〜」と頭をなでてくれなければ、「自分がこの世から消されちゃう!」と信じているかのよう・・・
そもそももてなし≠チて相手の立場を汲み取り、気を配ることのハズなのに、これもやっぱり『ねえねえ、俺のオモテナシ気持ちよかっただろ!? 気持ちよかったよな!?』と、自分はテクニシャンだと勝手に思い込みつつ確認せずにはいられないイタイ奴そのもの。カノジョとしては、内心では思いっきり冷めていても、曖昧に返事するほかないでしょうけどね。。目をギラギラさせて、オモテナシのスバラシサに対するコメントを求めるレポーターに辟易する外国人たちには、心から同情するばかりです・・
大多数の国民は、「穴があったら入りたいほど恥ずかしい」のが本音ではないでしょうか?
クールジャパン症候群の病因は至ってシンプル。
マスコミはスポンサーの大企業のため。大企業は投資家のため。そして、投資家は金儲けのため。
国の資産、通貨の価値がいくら下がっても、富がどんどん流出していこうが、投資家たちに向けて当座の利益をもたらすことをPRできさえすればかまわない。
それがアベノミクスの病理
今日も一時1ドル122円台にまで値下がりましたが、円〜日本ブランドの割安感が長続きするわけもなく、消費増税と合わせて国民の大多数を痛めつけながら、日本売り≠ェ進行していくことになるでしょうね。
海外投資家たちにすれば、円は常に基軸通貨ドルの都合のいい一時退避先でしかなく、日本の持続的成長を本気であてにしているはずもなし。
5年後に予定される国を挙げてのお祭り騒ぎが、本当に滞りなく無事に済むとも思えないのですが、一過性のイベント頼みで、その後深刻な飢餓感に陥るであろうことは、誰でも容易に想像がつくはずです。
国の基盤である財政・社会保障のシステムは、将来世代のための痛みを伴う改革を敢行するどころか、格差の恩恵を享受してきた世代の刹那の享楽のために阻まれ、虫の息。どれほどの楽観主義者が見ても、もはや破綻は不可避。
進む侵蝕。
そして、ますます大きくなる軍靴の響き。
破滅──日本終了≠フ予感。
終わらせないための唯一の方法は、背伸びをせず、正直に、真実に向き合うことだけ。
現実から目を背け、空疎な夢を追いかけるのをやめること。
コマーシャリズムに誘導され、他者から奪い取るジユウ≠、本物の自由だと勘違いするのをやめること。
311で、それに気付けてよかったはずなのに。
逆バネが働き、目の前の崖も目に入らず、虚構のミライ<w突き進む道を選んでしまった哀しい国。
いま、日本ブランドに「Amasing!」と喝采を送っている若い外国人たちは、そんなうわべばかり飾り立てた、実在しない幻の異国のイメージに憧れ、惹きつけられているにすぎません。
「Under Control」真っ赤な嘘が象徴する、虚飾の日本。

日本ファンの皆さん。
今、あなた方が賞賛を浴びせることは、私たち日本人、この国にとって、まったくためになりません。
本当に日本が好きなら、闇に蝕まれ、息も絶え絶えにあえいでいる、この国の真の姿を、目を逸らさずに正視してください。
在日外国人や先住民アイヌの人たちに向けられるヘイトスピーチ。
沖縄。
豊カサ≠フ代償として消えていく本物の伝統文化と自然。
追い詰められる野生動物と、虐げられる動物たち。
あなた方が本物の日本ファンなら、きっと思うはずです。
「ここを直したら、もっと日本を好きになれるのに……」と。
遠慮する必要など一切ありません。
バッシングすると逆ギレしないかって?
心配無用。むしろ、一大イベントを控えてマイナスイメージに神経を尖らせ、「また世界にパッシングされやしないか」と不安に怯え、評価に飢えているいまこそ、襟を正すよう促す絶好のチャンスです。捕鯨問題に限らず。
はっきりと、大声で、メッセージを伝えましょう。
(でないと、聞こえないフリをする人たちもたくさんいますから・・)
posted by カメクジラネコ at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会科学系

2015年02月03日

命の線引き

この日は朝から、なじみの場所へ、子供たちと一緒に、鳥たちを見に行っていました。
いつも絶妙のタイミングで姿を見せてくれるサービス精神旺盛な子や、滅多に訪れることのない珍客の登場に、心躍らせながら、充実した時を過ごしました。
姿と声、滑らかな動きで魅了してくれた鳥たちに、「写真たくさん撮れたよ」とはにかみながらカメラを見せてくれた子供たちに、同じ現実の世界で起こっている数々の血生臭い出来事を、忘れさせてもらいました。
ほんの一時だけ。

出かける前にニュースをチェックしなかったのは、不安があったから・・ではなく、最近能力に疑問符が付くことが多いといっても、天下御免の日本政府が人質1人を殺されたうえに、二人目まで見殺しにするほどの大失態を犯すはずはないと、信じていた部分があったからです。
国民がこの国の舵取りを委ねた、最も優秀なはずの人たちが、そこまで無能なはずはありませんから。
結果、見事に裏切られました。
日本政府が無能だったから、愚鈍だったから──だとすれば、当然その責任を負わせるべきでしょう──ではなく、《人の命は二の次》という価値観のもとで事態の処理に当たっていたからです。

人(ヒト、ないし、命という意味では等価の身近な存在)の死は、それが唐突に報された訃報であっても、人の心を著しくかき乱します。
ましてや、事件や事故に巻き込まれ、瀬戸際に立たされた人の命が、「助かってほしい」という祈りの声もむなしく、断たれてしまったとき、人は打ちのめされ、どん底に突き落とされ、多量のエネルギーを奪われます。
赤の他人だとしても。近しい人であればなおのこと。
それでも前を向いて生きていこうと、人は懸命にあがきます。
しかし、喪い、奪われたことの悲しみ、圧倒的な喪失感を埋め合わせるには、それを上回るだけの、圧倒的に大きく、強い心の支えが必要です。
残念ながら、今の社会では、喪った人たちに対する十分なサポートを提供する仕組みは出来ていません。世界中のどこでも。
十分な支えのない人に、「自分で立ち直れ」と強要したところで、意味はありません。できないものはできないのです。
そこで、人は、ぽっかり明いた心の穴を埋めるものが他に何かないか、探し求めます。前を向いて生きていくことをやめた人以外は。
そして、この21世紀にあっても、心の支えの代替品として最も普及しているのが、怒りであり、憎しみであり、復讐心に他なりません。
ISISはまさに、世界の警察を気取る大国とそのパートナーが引き起こした大義なき戦争≠ノよって、罪のない家族を奪われた大勢の人たちの怨嗟が具現化したバケモノです。
しかし、そこにいるのは間違いなくニンゲンです。私たちと変わりない。

後藤氏の遺族は、後藤氏自身の生き様に則り、憎しみに走るのではない、もう一つの道をはっきりと提示されました。
救出を願った世界中の多くの市民も、悲しみをともにしつつも、その願いを共有しているはずでしょう。
テロリストと同じ論理に乗っかり、大義≠命に優先することを、潔しとする人はしないでしょう。
「目には目を!」とばかり報復を誓ったり、憎悪の火を焚きつける人はいないでしょう。
それこそは、故人の遺志に反し、「テロリズムに屈すること」だからです。

逆にもし、人々の無力感・虚脱感を別の方向へと誘導し、戦争への扉をまた一つ押し開こうとする者がいるとすれば、テロに屈しないどころか、テロ組織をも利用するテロリスト以上のバケモノに違いありません。
バケモノであっても中身はしょせんヒトであり、そこまでエゴを肥大化させてしまった何らかの要因があるはずですが・・

最悪の結末を迎えてしまった以上、辛くはあっても、検証しなければなりません。
なぜ2人の命が失われてしまったのか。

安倍首相も菅官房長官も、二人の人質が殺害される前後で変わりなく、記者会見や国会答弁で一貫して使用し続けてきた言葉があります。

「リスクを恐れず」

彼らの言うリスク≠ニは何でしょうか?
彼らは決して具体的に述べようとはしませんが、文脈から考えれば、次のとおりにしか受け取れません。

   リスク = 湯川氏、後藤氏の命

すなわち、

   リスク = 国民1人や2人の命

語弊があるとおっしゃる? じゃあ、少し言い換えましょうか・・

   リスク = (自己責任のある)国民1人や2人の命

付け加えるなら、リスクという用語は将来生起し得る可能性≠フ文脈で使われますが、今回のそれは「時間内に要求に応じなければ殺害する」という大変シビアなものでした。
そして、人質の1人湯川氏は、要求に従わなかったペナルティとして殺害を実行するというテロリストの意思を明示する形で、実際に殺害されました。
つまり、特に後藤氏の場合は、日本側が引き延ばしのための交渉のテーブルにさえ着かなかったのであれば、ほぼ100%回避不能なリスクだったということです。
リスクという言葉を使うこと自体過ちといえるほど。
安倍首相らの言葉が意味するのは、ほぼ確定的に失われることになる国民もとい(自己責任のある)国民の尊い人命より、もっともっともーーーっと優先すべきことが国にはあるんだ──ということです。
国民もとい(自己責任のある)国民の1人2人の命が失われるというリスクを捨てて、択るべきベネフィット、実≠ェあるのだ──というのが、日本政府の立場というわけです。
その、二人の命を救わず、見捨てることによって得られるベネフィットとは、一体何なのでしょうか?

「人道支援」

日本はこれまで、中東をはじめ世界各国に人道支援を行ってきた実績があります。
軍事介入と一線を画す人道支援に徹してきたこと(NGOの果たしてきた役割も含め)こそ、過去に海外の日本人がこうした人質のターゲットとならずに済んできた大きな理由であることは、各所で指摘されているとおり。

−イスラム国による日本人人質事件 今私たちができること、考えるべきこと
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150131-00042568/

3人の人質を無事解放できた事件と、それがかなわなかった事件。
何がその差を決定付けたのでしょうか。
2つの事例を対比し、検証することで、「命を損ねない外交のノウハウ」を確立することは十分可能なはずです。
霞ヶ関の賢い賢いエリート外務官僚さんであればなおさら。

さらに、ISISと交渉で人質解放に成功しているフランスやスペインなどの国は、「(国民の命が失われる)リスクを恐れて人道支援をしない」国なのでしょうか?
難民受け入れの実績で日本の200倍以上あるフランスも、日本に比べりゃ人道を追及していないと恥じ入らなければならないのでしょうか?(下掲)

−難民認定者数6人 過去最低水準 〜1997年以来の一桁認定〜
http://www.refugee.or.jp/jar/release/2014/03/20-2000.shtml
−<解説> 問題の根源・日本の難民制度・難民政策
http://www.kt.rim.or.jp/~pinktri/afghan/japanrefugee.html

人道支援にはさまざまな形があります。
NGOや国連機関を通じた支援も、立派な人道支援に他なりません。
もちろん、日本には日本に向いた、日本のやり方もあるでしょう。
「安倍政権の人道支援」は、過去の日本の人道支援や、人質返還交渉に成功している他国による人道支援より、はるかに優れたもので、それ故に「(自己責任のある)国民の1人2人の命を犠牲にするだけの価値がある」というのでしょうか?
ひとつ、はっきりしているのは、テロリストを刺激しない、国民の人命が損なわれない人道支援のあり方を模索することなく、「国民1人2人の人命より優先されるべき人道支援≠ェあるのだ」という考えを、安倍政権が国民にはっきりと提示したということです。
では、その1人、2人の国民の命を顧みなくていい、安倍政権ならではの人道支援とは、どのようなものだったのでしょうか?
ちょっと過去の日本による人道支援≠フ事例を引っ張り出してみましょう。

−スーダン・ダルフール地域における人道支援に対する緊急無償資金協力について|外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/18/rls_0622i.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_0606.html
−小泉総理によるアフリカ政策演説 アフリカ − 自助努力の発生地へ(仮訳)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/ekoi_0501.html

平和の定着について日本は、その過程において人間の安全保障が重要概念であることを強調してきており、この観点から、2月にここアディスアベバで発表したイニシアティブに加えて、ダルフールで続く深刻な人道状況へのAUの取り組みを引き続き支援していきます。アブジャで行われていた和平交渉の最終期限が48時間延長されました。全ての関係者が和平合意締結に向けて最大限の努力を払うことを期待しています。また、小型武器対策やテロ対策でも、アフリカ自身の取り組みを後押ししていく考えです。(引用)

ちょうど第一次安倍内閣前の小泉内閣時代の話(外相は麻生氏)。
金額は1億ドル(当時)。民族対立が発端となり「世界最悪の紛争危機」と謳われた同国の内戦では、ISISを彷彿とさせる深刻な人権侵害が報告されていたわけです。ついでにいえば、米対中ロの対立構造も持ち込まれていました。
しかし、外務省の説明も、「スーダンのダルフール地域における人道状況の改善のため」とあるのみ。
引用したのは、小泉元首相の2005年5月アフリカ訪問時のスピーチ。どうせ官僚が書いたんでしょうけど、「(中国が肩入れしている)政府系民兵組織と戦う周辺地域に1億ドル」なんて、勇ましい挑発の表現はもちろんありません。
官僚が用意した原稿に自分で余計な文言を付け加えないだけ、元首相はまだ賢かったといえそうですね・・

日本政府による人道支援が、「余計な一言」など一切加えることなく可能なのは、誰の目にも明らかです。

−安倍首相の中東訪問 ばら撒き850億円超の中身
http://hunter-investigate.jp/news/2015/01/28-abe.html

人道支援というと、私たち庶民はつい、NGOを通じた医療、福祉、教育分野を中心とする草の根の援助をイメージしがちです。
しかし、全体で25億ドルの規模に上る中東地域への今回の支援策の中で、ISISがかみついたのは2億ドル。
その名目は、私たち国民が思い描く人道支援≠ニはややニュアンスが異なっています。

「日本のISIL対策でのエジプトの国境管理能力強化のための50万ドルを含む、総額2億ドル規模の新規支援」

装備等を含むエジプトの軍・警察組織による監視体制の強化への支援という意味で受け止められるのは、ごく自然なことでしょう。これでは、純粋な人道目的なのか、軍事的要素が含まれているのか、私たち日本国民の目で見てさえ区別がつきません。

加えて、サウジ紙でも取り上げられたという、ゼネコン、銀行、商社、軍事関連企業のトップの面々を引き連れてのイスラエルに対するトップセールス

これが、日本企業の中東地域駐在員がテロ対象になることを避けるのに貢献してきた、これまでの日本の人道支援との、あるいは、人質をうまく取り戻した他の援助国との違い──安倍政権が謳う《(自己責任のある)国民1人、2人の命より重い人道支援》の中身ということになります。

複数の人質がいる非常にセンシティブな状況にあることを把握していたのであれば、「さまざまな状況を勘案したうえで」、あえて援助を実施するに当たって付ける必要がまったくない、「ISIL対策」という文言を省いたうえで、イラクで発生している難民救済とのみ謳うことは、十分可能だったはずです。
イスラエルに売り込みに行くのは、人質問題が解決してからでも遅くはなかったはずです。

それでは、これまでの、あるいはよその不十分な人道支援と同じで、安倍カラーが打ち出せない?
威勢のいい文句をぶち上げるのは、国民1人、2人の命より大事なことなのでしょうか?
ODA大綱を改定して軍事/非軍事の境界線を曖昧にし、軍事転用へのハードルも下げたうえで、イスラエルとのビジネスを急いで取り付けることが、国民1人、2人の命より優先すべきことだったのでしょうか?

そして、同じく安倍首相や菅官房長官がこの間連発していたのが「テロに屈しない」という言葉。政府を代表する立場のみならず、NHK、産経から朝日に至るまで、マスコミの論調もほぼ同じでしたが。

はたして、「テロに屈しない」とは、どういう意味でしょうか?
身代金や人質交換等の要求に単に応じないばかりか、交渉さえまともに行う努力を払わない形で、人質を殺させるという最悪の結果をもたらすことが、「テロに屈しない」ことを意味するのでしょうか?
人質解放に成功したフランスやスペイン、トルコなどの国はすでにテロに屈しており、一方、英米等人質を殺された国はテロに屈しておらず、日本はこれまでテロに屈していた国だったが、安倍政権のおかげで今回ようやく「テロに屈しない」国の仲間入りを果たせた、ということでしょうか?

今回、人質を見殺しにする形となった日本政府の対応によって、もたらされた重大な帰結は明らかです。
ISISは、「お前の国民はどこにいたとしても、殺されることになる。日本にとっての悪夢を始めよう」と宣言しました。もはや日本国民であるというだけで、私たちはテロリストから標的とみなされるようになってしまったのです。
すでに、国民の預かり知らないところで、日本は勝手にISISと戦う有志連合の一員に加えられてしまっています。


日本は軍事行動には参加していないが、米国務省のサイトに出ている対イスラム国「有志連合国」のリストに載っている(引用)

もっとも、安倍首相は今日(2日)の国会答弁で、今のところ°爆に参加せず、後方支援もしないと明言しています。
軍事行動に参加したわけでも、これから参加するわけでもないのに、空爆をしている有志と同列扱いされてしまったのです。
長年人道支援に徹することで、中東の人々に一定の理解を得ることに成功し(ビジネスが目的の面もあったとはいえ)、軍事援助が疑われる援助を自らに厳しく戒めてきた日本が、なぜ?

今回の中東訪問で安倍首相が虚栄を張ったから──という以外に考えられないでしょう。

もちろん、外務省は「米国に寄り添うことが日本にとって最大の国益になる」との信条のもと、イスラエルを支援する米国の立場に合わせるよう、少しずつ日本の外交方針を調整してきました。それは、沖縄からTPPまで、一連の対米交渉の経緯を見ても明らか。
しかし、用意周到な外務官僚が、今回のように情勢への配慮も抜きに、いきなり一気に3段も5段も階段を駆け上るような真似するでしょうか?

−安倍首相中東訪問 外務省は時期悪いと指摘も首相の反応は逆
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150126-00000007-pseven-soci

「総理は『フランスのテロ事件でイスラム国がクローズアップされている時に、ちょうど中東に行けるのだからオレはツイている』とうれしそうに語っていた。『世界が安倍を頼りにしているということじゃないか』ともいっていた」(引用)

脱官僚・霞ヶ関改革を掲げた民主党・鳩山政権のときは、内閣の首長として絶大な権力をふるう総理大臣を言葉巧みに説き伏せ、誘導し、あきらめさせるべく辣腕を振るったであろう官僚のトップたちといえど、居丈高なウルトラナショナリストの言いなりになり、手綱なり鈴を付けたがる者ももはや誰もいなくなった──というのが今の官邸の実情なのでしょう。

安倍首相と、彼におもねるマスコミや大企業の幹部たちにとって、「テロに屈しない」とは、いかなる手段を講じてでもテロを起こさせない、あらゆる抑制策を講じる、という意味ではありませんでした。
テロは予告どおり決行され、かけがえのない2人の命が失われました。日本政府は実質、指をくわえて眺める以上の働きをしなかったも同然でした。
現実的な合理主義者の観点から見ても、海外在住邦人、現地日本法人はもちろんのこと、すべての国民がテロに巻き込まれるリスクが突然跳ね上がったのです。
結果としては、米国と一蓮托生で軍事作戦に参加するといった、大きな政策転換が図られたわけではないにもかかわらず。
身代金を払うことで味をしめて邦人誘拐が繰り返される可能性については議論もありますが、誘拐から殺害、破壊の対象に切り替わることをプラスだと考える人間はいないでしょう。

−平成26年5月15日 安倍内閣総理大臣記者会見
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0515kaiken.html

  昨年11月、カンボジアの平和のため活動中に命を落とした中田厚仁さん、そして高田晴行警視の慰霊碑に手を合わせました。あの悲しい出来事から20年余りがたち、現在、アジアで、アフリカで、たくさんの若者たちがボランティアなどの形で地域の平和や発展のために活動をしています。この若者のように医療活動に従事をしている人たちもいますし、近くで協力してPKO活動をしている国連のPKO要員もいると思います。しかし、彼らが突然武装集団に襲われたとしても、この地域やこの国において活動している日本の自衛隊は彼らを救うことができません。一緒に平和構築のために汗を流している、自衛隊とともに汗を流している他国の部隊から救助してもらいたいと連絡を受けても、日本の自衛隊は彼らを見捨てるしかないのです。これが現実なのです。
  皆さんが、あるいは皆さんのお子さんやお孫さんたちがその場所にいるかもしれない。その命を守るべき責任を負っている私や日本政府は、本当に何もできないということでいいのでしょうか。内閣総理大臣である私は、いかなる事態にあっても、国民の命を守る責任があるはずです。そして、人々の幸せを願ってつくられた日本国憲法が、こうした事態にあって国民の命を守る責任を放棄せよと言っているとは私にはどうしても考えられません。(引用、強調筆者)

紛争地の現実を伝えるジャーナリストの仕事も、地域の平和のために立派に貢献する活動のはず。オバマ米大統領をはじめ、世界中からメッセージが寄せられたとおり。安倍首相にはそうした認識がないのでしょうか?
それとも、想定しなかった事態、ということでしょうか? 自分の声明がどのような結果を招くか、想像も出来ない人物なら、仕方ないことかもしれませんが・・。
2人を救えなかったのは、「集団的自衛権の名の下に、自衛隊を米軍とは独自に動かすことができなかったから」なのでしょうか? それが唯一の理由なのでしょうか?
自衛隊による作戦行動以外の解決法は、何一つ存在しなかったのでしょうか?

有志連合を束ねる米国と英国も、軍事作戦によるISISからの人質の奪還には成功していません。
過去に軍事的手法でそれに成功した事例といえば、1976年のイスラエル軍によるウガンダのエンテベ空港奇襲作戦くらい。40年近くも前の話で、それもイスラエル軍が空港の図面を持っていたなど特殊な条件が重なってのことで、突入部隊からも人質からも犠牲者が出ています。
旧フセイン政権の残党からなる軍事プロ集団から、今の自衛隊が隊員も人質も無傷なまま救出を敢行できるなどと考えているとすれば、「平和ボケ」「脳内お花畑」の謗りは免れないでしょう。
一方で、武力に頼らず人質解放に成功した事例はちゃんとあるのです。
過去の日本も含め、「『テロに屈しないぞ!』と表明することで保たれる国家の面子」よりも、人の命を優先する国では。

繰り返しになりますが、安倍政権は先例に倣って人質を救出する手段を模索しようとはしませんでした。
ただ、「自衛隊の海外派遣を認めさえすれば、人質は救われたんだ」とこじつけるばかりで。
人質を救出できないばかりか、犠牲者をさらに増やすだけの結果になる可能性の方がはるかに高いにもかかわらず。
「くだらないこと」にこだわるのをやめさえすれば、確実に助ける手立てはあったはずなのに。

国民の命を守る責任を負っているはずの安倍首相は、子供がその場所にいてまさに死の瀬戸際に立たされた母親の面会に応じることを拒みました。
エグザイルやモモクロに会って記念写真を撮る労は厭わなくても。
人権侵害という意味では等価のはずの北朝鮮拉致被害関係者への対応に比べても、その冷淡さには驚愕を覚える他ありません。

必要もない飾り文句を付け、拳を振り上げずにはいられない、よその国で起きた悲劇に対しても「ツイてる」とほくそ笑むことしかできない、尊い命が失われてさえ故人の遺志を無視して「許さない」「償わせてやる」と吠えることしかしない、国の舵取りを任せるに最も相応しくない人物を首相の座に就けてしまったのは、この国にとって最大の不幸ではないのでしょうか?

−−−

私たちは命のどこに線を引くべきでしょうか?
それは、捕鯨を中心に環境と動物の問題に関わり続けてきた身として、筆者にとっては避けて通れない命題でした。
それは、同じひとつの命でありながら、今の私たちの社会において、等しく扱われているとは決して言えない、ヒトの命の取扱に関しても同じです。
答えを押し付けるつもりはありません。
ただ、思うに、誰もがいま、自分の立ち位置を改めて確認する必要があるのではないでしょうか?

以下は、《命の線引き》の可視化の試みです。
senbiki1.png

安倍首相が大義=i人道支援の表明に際してわざわざ挑発の文句を入れたり、イスラエルと商談すること)を優先することで示した基準は、以下のとおり。

senbiki2.png


違うとおっしゃる? じゃあ、「リスク」とは、「テロに屈しない」とはどういうことなのか、国民にもっと具体的にわかりやすく説明してくださいよ、総理大臣殿。
いずれにしろ、日本が今回仲間入りを果たしたと世界中から見られている、英米等「テロに屈しない」と勇ましく吠える国々にとっては、赤と青を分ける命のラインは明瞭です。
国内でも、ネットでの反応を見る限りでは、同じ命に対する赤と青のダブスタをすんなり受け入れている人が相当数いるものと理解していいでしょう。
責任を感じ、幼子と妻を置いて、知人を助けられるわずかなチャンスに賭けようとした人に向かって、自決を迫るイカレた人たちと同調するネトウヨ層の存在が示すとおり。
自己責任論を突き詰めれば、きっと冬山に無理に挑んで吹雪に見舞われた登山者のためにヘリを飛ばしたり、台風の日に海に出た向こう見ずなサーファーを助けに船を出すのも、「税金がバカバカしいからやめろ」という話になっていくのでしょうね。
健康管理を怠った末の成人病も、保険制度に頼るなと。(むしろこっちは考え直すべきだという気もするけど・・)
今回自己責任だからという理由で2人を見捨てることをよしとする、平等なはずのヒトの命に対する二重基準と、どこが違うのか、正直筆者には理解できません・・
「より生かすほうへ」ではなく、「より殺すほうへ」と向かう社会。

一方、「大義」なんかより人質解放を優先する国は、こちらに近いでしょう。
英米でも日本でも、「人の命は人の命。自己責任≠ゥどうかなんて、そんなつまらないことで両者の間に線を引き、見殺しにするなんてありえない」と考える市民も、少なからずいるはずですが。

senbiki3.png

「テロに屈しない」国々による命の線引きは、彼らの空爆の巻き添えとなって命を奪われる罪のない住民をも、青い側に……「大義」の前では顧みるに値しないもの≠ニして扱われます。
そもそも、米国が仕掛けた大義なき戦争による空爆が、家族を奪われた人々のやり場のない怒り・憎しみを呼び、テロ組織をここまで増長させる結果を招いたというのに──

憎悪の拡大連鎖を回避する道筋を示してくれたのは、亡くなった後藤氏でした。
近しい人々が発信していることですが、紛争地に暮らす人々の日常──笑顔も、悲しみも、苦しみも、ありのままを伝えることがジャーナリストの使命だと考え、それが彼自身の活動につながっていたことが、著作や講演からも読み取れます。
醜悪さも、高潔さも、正負両方の側面を抱えたのが、ありのままのニンゲン。
そのうちの一方を切り取り、憎悪の連鎖をもたらした米国とそれを支持した日本の責任に一切触れることなく、検証することなく、間違いなくニンゲンから成るはずのテロ組織の非人間性ばかりに焦点を当て、「殺し返す」ことを正当化するのは、はたして彼の遺志を継ぐことだといえるのでしょうか?
かけがえのない人の死が、21世紀の大政翼賛会に利用されないよう、命の重み、そこに線を引くことの是非を、私たちは絶えず問い直し続ける必要があるのではないでしょうか──?

参考リンク:
−後藤健二さん「憎むは人の業にあらず...」 紛争地の人々に寄り添い続けた日々
http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/31/goto-kenji-the-journalist_n_6587580.html
−日本人人質事件を引き起こしただけでなく救出に失敗した責任を取り安倍首相は辞任すべきだ
http://blogos.com/article/104753/
−日本人拘束 安倍首相のバラマキ中東歴訪が招いた最悪事態
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/156580

posted by カメクジラネコ at 04:22| Comment(2) | TrackBack(0) | クジラ以外

2014年11月08日

倭人にねじ伏せられたアイヌの豊かなクジラ文化

 今回はアイヌの捕鯨について徹底的に検証してみたいと思います。といっても、現在もなお続いている太地や南極海での捕鯨と異なる視点で。主なソースは以下。
@アイヌ民族クジラ利用文化の足跡をたどる(岩崎,'02)|北海学園大学人文論集21
http://hokuga.hgu.jp/dspace/handle/123456789/1351
Aアイヌの捕鯨文化(児島,'10)|神奈川大学
http://icfcs.kanagawa-u.ac.jp/publication/ovubsq00000012h5-att/report_02_008.pdf
Bアイヌの鯨類認識と捕獲鯨種(宇仁,'12)|北海道民族学#8
http://www.h6.dion.ne.jp/~unisan/files/ainu_whaling.pdf

 北海学園大学の文化人類学者・岩崎・グッドマン・まさみ氏は、以前当ブログで取り上げたNHKのトンデモ番組に登場した秋道氏との共著や、鯨研通信への寄稿もあったり、沿岸捕鯨の文化の側面を強調する仕事をなさってきた、立ち位置としては捕鯨推進側の方。一方、児島恭子氏は札幌学院大学のアイヌ研究者の方。宇仁氏は東京農大の博物館学芸員の方。
 今回の視点で検証する分には、岩崎氏のも含め、ニュートラルな資料と受け止めることができるでしょう。(以下、引用は@ABとします。強調は筆者)
 これらの文献からは、アイヌやニヴフの人々を含むオホーツク圏の先住民が、海獣と非常に豊かな関わりを持っていたことがわかります。
 トリカブトの毒を用いた噴火湾での捕鯨は有名ですが、離頭銛のほか弓矢も使われたようですし、地域によって利用の形態にも幅がありました。

 しかし、上掲の文献にも示されているとおり、アイヌの捕鯨に関する史料は曖昧で断片的なものしかありません。
 伝統文化が口承で受け継がれたこともありますが、もうひとつ、大きな理由があります。
 それは言うまでもなく倭人(和人)の影響
 江戸時代の松前藩による搾取と抑圧、明治に入ってからの同化圧力(まさに文化と価値観の押し付け!)。そして倭人の近代捕鯨会社による資源の収奪。
 倭人に妨げられることなく残ってさえいたら、今私たちがそれを目にすることが出来たはずですからね。
 アラスカのイヌイットや、ロシアのチュコト族、デンマークの自治領グリーンランドの先住民の生存捕鯨が、国際社会に受け入れられているように。(ちなみに、グリーンランド捕鯨に関してIWCで揉めてるのは、流通形態が他の地域とさして変わらなくなった一方でザトウの捕獲枠増を求めていることが理由)
 倭人に虐げられ、衰退させられたが故に、伝統産業そのものに加え、それを受け継ぐために必要な言葉までも奪われたが故に、現在(いま)の所作として語り継ぐのではなく、過去形の形で一部の年配者の記憶の片隅に留められるにすぎなくなってしまったのです。

 具体的にどのようにしてアイヌの捕鯨が倭人の手で潰されていったか、それは上掲の資料からもつぶさに読み取れます。

クジラが松前藩の重要な産物として流通するようになると、寄りクジラの権利を規制する掟が布達され、アイヌの人々は寄りクジラを発見した場合に待ち奉行所に報告する義務が課せられるようになったと記されている。つまりこれまでのようにアイヌの人々がクジラを利用することは処罰の対象となり、アイヌ民族のクジラ利用は幕府に管理されるようになっていくのである。(〜@P119)

さらにこの地域の場所請負制度はアイヌの労働力搾取に大きく偏り、その結果アイヌの人々は生業を失い、漁労や狩猟の自主性を失っていくこととなった。(〜@P120)

クジラは解体後にその3分の1は上納され、発見者であるアイヌには3分の1が渡されると記録されている。(〜@P120)
↑つまり3分の2は倭人に取られるってこと・・。これは安政4年(1857年)の紋別の2頭の寄りクジラの例。

アイヌ捕鯨の終わりを決定的にしたのは明治4年(1871年)の毒を用いた狩猟の禁止である。この禁止令によりクマ猟やシカ猟と同様に、アイヌの人々が巨大なクジラを得るために、最も効果的な方法であったトリカブト毒を失った。(〜@P120)
↑実は、明治初期にガンガン乱獲してあっという間にエゾシカを絶滅寸前に追いやったのも入植した倭人。そのために敷かれた保護措置でアイヌが割を食ったわけです。ただ、おそらく被支配民に抵抗のための厄介なツールを与えないという裏の動機もあったでしょうね・・

この当時すでにアイヌは寄りクジラを利用する権利を失っており、クジラが浜に上がると、その地域の漁業権を持っている漁業者が優先的にクジラを得る権利を主張し、伝統的なアイヌの権利は認められなかった。(〜@P125)

 このとおり、アイヌの人々のかけがえのない伝統文化を強圧的に、強引に変質させたのは、倭人に他なりません。
 そのこと自体は、白人とイヌイット、アボリジニ、マオリ、ハワイ先住民など多くの少数民族との関係についてもいえることでしょう。
 ただし、先進各国の中でも、少数民族を抑圧した加害の歴史を正しく教えることをせず、権利回復の動きが遅れているのが、世界に捕鯨文化を声高に叫び、人種差別の被害者だとことあるごとに訴える捕鯨ニッポンだといわざるを得ません。
 何しろ、「アイヌなんていない」妄想に憑かれたトンデモなヒトが札幌で市議を務めてしまえるという、惨憺たる有様ですからね・・。

 反反捕鯨論者が口を開く度に唱える「日本の捕鯨9千年!」(中国4千年じゃないけど・・)の代名詞。
 しかし、縄文時代の海獣類の利用とつながり得るのはアイヌの捕鯨(例の秋道氏も述べているとおり)。倭人の捕鯨ではありません。
 化石での大量出土といっても、例えば能登の真脇遺跡から出土した小型鯨類の骨は、集落が存続した4千年の期間で3百体弱程度。縄文時代のそれが、偶発的・散発的な寄りクジラの利用であったことは疑いの余地がありません。石器等での捕獲があったとしても、岸に近づいたものを仕留める、文字どおり寄りクジラ+αの利用。
 寄りクジラで利用できるのは集落で年数頭、10頭も上がれば“大漁”。
 つまり、その形態は後世のアイヌの捕鯨にこそ連なるものであれ、技術革新を重ね、組織的に鯨組単位で年間数十ないし数百頭も捕獲し、莫大な収益を上げて藩の財政にも大きく貢献した、銅鉱に匹敵する一大産業と呼ばれるほどきわめて商業的色彩の濃かった倭人の捕鯨とは、超えがたい断絶があるのです。
 ついでにいえば、古式捕鯨に用いられた技術は中国をルーツにするという説もあり。
 積極的か消極的かという点は主観的、相対的な指標にすぎませんが、アイヌの捕鯨は古今東西の人類によるクジラの利用の中でも、きわめて抑制の効いた、最もクジラに対して優しい(というよりフェアな)捕鯨だったということができるでしょう。
 何より大きな違いは、文化としての継承性、連続性です。
 そして捕鯨の性格。つまり、文化の本質そのもの。

この頃(昭和の終りから平成)のアイヌの人々の記憶には、積極的に海に出て行く捕鯨の話は出てこない。しかし寄りクジラを利用した数々の体験が記録されている。(〜@P113)

(「雄武町の歴史」の)著者はアイヌの先人たちの捕鯨と寄りクジラに関して、非常な危険を伴う捕鯨は地形的に恵まれた地域でのみ行われたと考えるのが自然であろうと述べている。(〜@P114)

寄り鯨は以前に比べて少なくなったことが書かれているが、減産は困るからといって積極的に捕鯨をしたという記録は今のところ見つからない。(〜AP116)
↑そう・・アイヌはまさに太地とは正反対だったわけです。自然に対する向き合い方が。

 児島氏は以下のように指摘しています。

人間の行為としては与えられた鯨の利用と捕りに行くことは別のことである。(〜AP117)

 ここで、倭人とアイヌの捕鯨に関する、非常に象徴的な、そしてあまりにも対照的な記述を紹介しましょう。

(安房で捕鯨を始めた「関東における捕鯨の祖」醍醐家7代目定継が北海道で捕鯨業開始を試みた記録)
蝦夷人の突棒捕鯨の幼稚さに比べて、ずっと進歩した洋式捕鯨の実施を見る日があれば、この地においてのこの事業は驚くほどの成果をえるものと、定継は自ら心を励ました。(〜@P121)

北海道の海にはクジラが多いがアイヌはカムイと呼んでそれを捕獲しないが、シャチなどに追われたクジラが浜にあがると、それを食料としたり、油をとった(『蝦夷土産』安政4年)(〜@P121)

クジラをまず捕るという気で捕るということはあまりない。(白老、アイヌ古老)
沖ではレプンカムイは獲物を横取りされたと思っているのか知れないけどキーキーと泣いて海上をポンポン跳ねていた(寄りクジラの状況 白老、アイヌ古老)(〜@P124)

(クジラ送りの様子)
祈りの言葉はレプンカムイに対して大しては大きなフンベをくれた事の感謝の後、このように祝って送るのでまた来てくれることを願う祈りをする。ハシナウカムイにはフンベの魂が無事に帰ることができるように祈る。(〜@P133)

 フロンティアのつもりでやってきて、目がこぉんな具合(¥v¥)になった倭人と、何世代もそこで暮らしてきたアイヌの人々のクジラ観の差が、如実に表れているといえるでしょう。西洋の捕鯨の収奪的性格を、文明の進歩≠ニいう感覚でうらやむ目でしか見ていなかったことも。
 《カムイ》でもある動物と目線が等しいアイヌに対し、当時から動物を《カネになる資源》としか考えていなかった倭人の、なんという途方もない差。
 アイヌの人々にとって、森の生態系の頂点シマフクロウとヒグマ、そして海の生態系の頂点シャチは、特別なカムイとして一目置かれていますが、表現が微笑ましいですよね・・。クジラ送りではシャチとクジラだけでなくキツネの神(ハシナウカムイ)にも祈りを捧げます。「海の幸は他の動物たちと分け合うものだ」という感覚があればこそでしょう。@P138の「寄りクジラの踊り」には、スカベンジャーとして自然界に欠かせない役割を果たしているカラスも登場します。

 ちなみに、ノコルフンベはアイヌ語でミンククジラを指す呼称。実は和名のコイワシクジラは近代に入って命名されたもので、古式捕鯨時代の倭人はこの種を認識できていませんでした。クジラに限らず花鳥風月の感覚で自然・野生動物を大雑把にしか把握せず、クジラの尾鰭の縦横も判然としないヘタレ絵を描いてたくらいですから・・
 また、アイヌ語にはミンクを指すと見られる呼称が複数あり模様(B)。捕獲時の体長や体色等の違いを反映したのでしょうが、年齢や体色の個体差だけでなく、JとOの区別もついてたかも? あるいはひょっとしたら、明治期に激増した倭人のノルウェー式捕鯨船の乱獲の所為で現在は絶滅してしまった亜種・個体群があったのかもしれませんね・・
 AP119では、「シマフクロウが人間のためにシャチに寄りクジラを頼む神謡」が紹介されています。

シャチが鯨を送り届けてこそ人間が得られるのであって、人間が直接鯨を獲るのが常態であればこれらの口承の物語の内容は成り立たない。(〜AP119)
つまり、鯨を人間に恵むのはシャチであり、シャチへの崇拝が捕鯨文化に作用しているのである。(〜AP120)

 古老の口で語られた「キーキー泣くレプンカムイ」の表現には、彼らの価値観が明瞭に表されています。
 クジラは「まず第一にシャチの獲物」であり、ニンゲンはその「お裾分け」をいただいているにすぎない──
 獲物が減ってもなお自分の獲り分を強引に確保しようとすれば、気高きレプンカムイが飢えることになります。アイヌの人々は、それを自らに許すことなど認めなかったに違いありません。
 それこそは、野生動物と対等に向き合ってきた先住民の知恵にして哲学、自らの存立を支えてきた基盤となる自然の真の持続的利用=サステイナブル・ユースの手本といえるのではないでしょうか。

 補足すると、直接的な規制による抑圧のみならず、横取りする形で奪ったのも倭人といえます。
 鯨種のうちでも北海道方面のアイヌの利用が多かったのはミンククジラとみられます。江戸時代以前には、種名がないことからもわかるように、本州以南の倭人の捕鯨の対象ではありませんでした。古式捕鯨の主要な対象鯨種であるセミやザトウに比べ、泳速が速く、餌場が近かった北海道ほど岸に寄らず、噴気も見分けがつきにくかったのが理由でしょう。ゼロではなかったでしょうが・・
 ただし、ノルウェー式捕鯨が導入されてからは、ミンク船と呼ばれる小型捕鯨船によって日本海を中心に大量に捕獲されるようになりました。
 西洋から押し寄せていた帆船捕鯨は、主要なターゲットがマッコウで、セミもボチボチ獲りましたが、鯨油も乏しくすばしこいミンクは当然対象外。競合の形でアイヌの捕鯨を衰退させたのも、やはり倭人の捕鯨だったことは間違いありません。

 ひとつはっきり言えることがあります。アイヌの捕鯨は、たかだか2、3百年ぽっちの間にめまぐるしく様態を変え、そのたびに収奪的性格を濃くしていった倭人の捕鯨とは、根底から異なるのです。
 対照的な倭人の捕鯨にまつわる伝承をここで再度紹介しましょう。(詳細解説は下掲リンク)

−長崎県の民話・第三話:くじら長者(西彼杵郡)
http://www2.ocn.ne.jp/~i-talk/minwa3-3.htm

 ある日のこと、クモの巣に一匹のこがね虫がかかった様子を見た与五郎。
 「これじゃ、クジラを網(あみ)で捕るのじゃ」と、さっそく大きくて、じょうぶな網を作りました。
 くじらを網で捕る方法は大成功。 毎年、数百頭のクジラが生け捕られました。 与五郎はたちまち日本の長者番付にのるほどの大金持ちになり、りっぱな鯨御殿(くじらごてん)を建てました。
 それから後のある夜、一頭の親くじらが与五郎のまくらもとに現われて、
  「与五郎どの、わたしは子もちのクジラです。 かわいい子を生むために、どうかお助けください」と、涙ながらに頼みました。
 しかしよく日、与五郎は、子もちのクジラを捕らない様に伝えるのをうっかり忘れてしまいました。
 夕方、子もちクジラと子鯨が浜にあげられました。 それを見て昨夜の夢を思い出した与五郎はたいそう悲しみました。
 それからというもの、プッツリと鯨が捕れなくなり、浜はすっかりさびれてしまいました。 あれほど栄えた鯨御殿も荒れはてて、与五郎は六十歳でこの世を去りました。
 そして、子孫(しそん)に不幸が続いたそうです。(引用)

 古式捕鯨の商業的性格の詳細については、下掲の秋道氏主演のNHK捕鯨擁護プロパガンダ番組の批判記事をご参照。
 アイヌ捕鯨と古式捕鯨との間には、かくも埋めがたい差がありました。
 しかし、その江戸期の古式捕鯨も、明治期以降の事業家によるノルウェー式捕鯨の乱獲体質とは比べ物になりません。
 古式捕鯨に引導を渡したのも、さらに桁違いに捕獲数を急増させて資源枯渇を招いた近代捕鯨そのもの。
 北海道や全国各地に棲む陸上の野生動物も、サステイナブル・ユースの感覚とは無縁な倭人の所為で、同時期に憂き目にあったわけですが・・
 それはクジラ観の違いにも明白に見て取れます。
 まずこれが、曲がりなりにも人間らしさを保っていた古式捕鯨時代。

嘗て鯨をとりしが子鯨、母鯨にそうて上となり下となりて其の情態甚だ親しく、既に母鯨の斃る頃も、頑是なき児の母の死骸にとり付きて、乳を飲む様にも見えたり、よって屡々これを取除かんとすれども遂に離れず、拠無く子・母共殺すに至る。いかなるものもその様を見てはその肉を食うに忍びず、此処に葬りて墓を建て供養せり、定めてこの墓の鯨もザトウなるべし。(引用)

−鯨文化:鯨を弔った鯨墓・鯨塚など
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/kujirahaka.html

 古式捕鯨時代はまだ、命を奪うことへの畏れ、疚しさを完全には失っていなかったということですね・・。自民党の族議員のセンセイは、世界に供養の話を広めたいとかおっしゃってましたが、ご自身がまず日本人のクジラ観の多様さを一から勉強し直す必要がありそうです。。
 続いて、大手捕鯨会社による戦後南氷洋捕鯨の大乱獲期。監督官を務めた日本の鯨類学の第一人者の体験談。

※ 乳腺にミルクがあり、泌乳していたことを示す。しかし、この場合は、乳腺は退縮中で、泌乳活動を終えつつあるとみなして、仔連れ鯨捕獲の違反の疑いがあるのを目こぼしした。このようなことは日本の捕鯨では普通のことであり、会社や行政からも目こぼしを期待されたが、研究者にとっては耐えがたいことでもあったので、後には研究者は監督官を兼任しないケースが増えた。(補注)
(中略)大きな白の二頭連だと思ったら、小さい三分の二位のが小さい息をまぜて居る。船の連中は、あれは長須が混って居るので、子連れでは無いと言ふ。雌の肥り方。噴気。背鰭。背色等長須の様でもあり、子供の様でもある。しかし、私より実際に目の肥えた連中であり、しかも、監督官の面前で禁令を破って見せる様な事もあるまいと、その侭追尾させる。始めは小さいのが後からついて泳いで居たが、敵(捕鯨船)に追ひかけられたと気がついてからは、小さいのを前にして大きな白が後から揃って泳いで行く。そして、大体の場合♂が敵に近い方に居て♀を守ってやって居る。此の前第三文丸に乗った時は二頭連(夫婦)は一回も見なかったのだが、今日はどうも二頭連ばかりでその中の一頭をやっつけるのは可哀そうだ。しかし可哀想がってばかり居ては漁は出来ないし、当方が可哀想になる、早く帰れる為に犠牲になってくれよと祈ってやまぬ。そして今日の親子(?)の愛情又は夫婦の愛情を見せられては、それを打ち壊して自分の利益にのみ汲々として居る人間達。捕鯨業が嫌になった。母船では感ぜられない嫌な気分だ。遂に追尾成功。♂鯨はあへない最後をとげてしまった。それは大きな、♂にしては全く稀な程大きな85,6 feetもある奴ではあったが、それをやっつけた時、そして私に自らの功を話に来た時の、砲手の喜色満面ニタリとして残忍な笑ひを忘れる事は出来ない。私が、それと全く反対の気持ちで居るのも知らないで。それでもまあ♂で良かった。あれが♀であり、あの小さいのが、長須では無くて、子供だったら。小さいのは育たないかも知れない。此の点が国際協定のやかましく言ふ所であり、鯨を如何に可愛がるかと言ふ点だ。♂が自分が倒れても♀と子を守らうと言ふ精神、次代に示す♂の愛情は生物界いづれも変わらないだらう。犠牲になった♂の冥福を祈り、その犠牲によってのがれ得た♀の、そして小さき者の幸福を祈るや切。引用〜『南極行の記』(北泉社)

 ・・・そして行き着くところまで行き着いた、非人間的な調査捕鯨がこれ。。。

注5.「親子」と豪州政府が報道した鯨は、実際には単に捕獲された2個体の体長に差があっただけである。(〜鯨研プレスリリース)

 スリップウェイを挙がる未成熟と成熟個体の写真が報道され、国際的な非難を浴びるや、当の鯨研は涼しい顔でこんなことを言ってのけました。古の鯨捕りが耳にしたら、伝統の後継者を名乗る子孫の仏の罰を恐れぬ所業に、悲嘆のあまり卒倒したことでしょうね・・
 実際のところ、調査捕鯨の捕獲対象の半数は未成熟個体だったのですが。
 江戸時代の鯨捕りの抱えた激しい内心の葛藤など、もはやどこ吹く風。

 アイヌの捕鯨、江戸時代の古式捕鯨、明治期に輸入されたノルウェー式近代捕鯨、そして現代の、科学の美名を騙りながら「美味いミンク刺身の安定供給のため」(〜本川水産庁長官)に行われている調査捕鯨を、同じ捕鯨文化としてひとくくりにすることは、絶対に許されることではありません。

 アイヌの人々にとって、クジラはレプンカムイ(シャチ)からの授かりものでした。
 大陸渡来人の血とともに、アイヌ・琉球と同じ縄文人の血も引く倭人も、自然の恵みに対する感謝の気持ちはあったでしょう。
 しかし、現代人の口にする「感謝」や「供養」は、もはや正当化のための空々しい言い訳以外の何物でもありません。
 昔は、水害から救ってもらったお礼にウナギを口にするのを戒める、そんな地方もありました。
 いまや、絶滅危惧種に指定されてさえ、乱獲に、欲望にまともに歯止めをかけることすらできない有様。
 便利さや潔癖症の感覚と引き換えに、世界の食料援助の総量を上回る膨大な食糧を捨てている、人口当りで最悪の飽食大国。
 水産庁の担当者は「国産」と平気で嘯きますが、南極産鯨肉は、日本人が自然から授かった恵みではありません。
 地球の裏側の自然から強奪してきたものです。
 ICJ(国際司法裁判所)できっぱり認定されたとおり、捕鯨ニッポンは盗人国家なのです。
 大量の重油を燃やして地球の反対側にまで押しかけ、奪ってきているのです。
 公海・南極海とEEZ内という違いだけで、中国の宝石サンゴ密漁船と何ら違いはありません。
 しかも公海といっても、日本が批准を拒み続けているボン条約の観点からは、渡り鳥と同様に国際的に保護されるべき対象なのです。
 そして、当事者には罪を犯した自覚が欠片もなく、国際社会に対して懺悔し、ペナルティを引き受けるどころか、国庫補助金を増額させ、ますます手厚い庇護に浴するばかり。零細沿岸漁業者の苦境も差し置いて。

 アイヌに対する倭人による差別の構造は、今に至るまで引き継がれています。
 アイヌの人々は、和人(アイヌ以外の日本人)によって土地も言葉も奪われ、ずっと迫害の対象となってきました。現在でも、国はアイヌを先住民族として公式に認めていません。2008年には、前年に国連で先住民族の権利に関する宣言が採択されたのを踏まえ、アイヌを先住民族とみなすよう求める国会決議がなされましたが、日本政府自身は先住民という言葉の定義の問題に終始して明言を避けています。
 さらに、2014年には自民党所属札幌市議(当時)の金子快之氏が「アイヌはもういない」と宣言して物議を醸しました。これはもはや、食文化どころかアイデンティティとしての文化そのものを否定する発言にほかなりません。
 この元議員のみならず、日本人全般に他の民族、他の国の文化に対して無頓着なところが果たしてないといえるでしょうか? 半世紀前にアジア諸国の人々を同化≠オようとしたことも未だに反省していない人が大勢います。それなのに、南極の野生を貪ることを世界に向かって文化≠セと大声で叫んでいるのは、何とも奇異に感じられます。
 そして、そのサベツ意識がきわめて露骨な形で現れているのが、捕鯨問題に他なりません。

「我々はいつも首尾一貫しているとは言えない。誰でも全ての点で完全であることは出来ない。それがたまたまアイヌの問題でそれが起こったのだ。」(森下氏のコメント)

−米国紙がみた調査捕鯨とアイヌ|無党派日本人の本音
http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/e/a863ac35990df463fce164c7633863d5
−Japan's whaling logic doesn't cut two ways (LATimes,2007/11/24)
 現IWC日本政府代表・国際水産資源研究所所長・森下丈二氏が、海外メディアの質問に対して正直に言い放った超無神経発言
 捕鯨でのみ奇妙奇天烈なジゾクテキリヨウ原理主義の完全適用を世界に要求する森下氏は、日本でのアイヌに対するダブスタをして「たまたま起こった」の一言で済ませているわけです。
 なるほど、これが自民党の族議員に「基礎」(?)をレクチャーし、外野の反反捕鯨層にも「ネ申」と奉られるMr.捕鯨問題の国際感覚、人権感覚というわけです。
 NHKニュースウォッチ9での英国とガボンに対する「トロイの木馬」発言といい・・。
 政府代表の立場でクジラ食害都市伝説を否定したのは、彼の唯一評価できる面でしたが、肝腎の族議員に「基礎」を教えないんじゃ話にならないよね(--;;
 「調査捕鯨はオゾンホール発見に匹敵する科学的偉業」だとか抜かすくらいは、まだ“お笑い鯨人”のレベルで済むでしょう。
 しかし、この発言は笑い事で済まされるものではありません。
 他の先進国だったら、“国の恥”と認識されて、国際交渉担当から外されて当然でしょう。
 レプンカムイやコタンコロカムイに比べ、なんと情けないネ申≠烽「たものです・・・・

 仮にもし、アイヌの捕鯨がIWCで申請されたら?
 公海母船式捕鯨を護る盾として使われる、黒に近いグレーとしか認識されていない倭人の捕鯨会社の沿岸捕鯨と違い、反捕鯨国も異を唱えることなどしないでしょう。
 米国のイヌイットやオーストラリアのトレス海峡諸島民と、日本の先住民アイヌとの間に線を引く理由は、彼らには何一つないのですから。
 唯一警戒されるとすれば、「倭人の捕鯨のカモフラージュにならないか?」の一点だけでしょうね。

 従来から表明しているとおり、筆者はアイヌをはじめとする先住民の捕鯨・狩猟・漁労に反対するつもりはありません。
 一番大きな理由は、筆者自身が、彼らから多くの者を奪ってきた加害者である倭人の一員だからです。
 およそあらゆる動物・自然搾取産業にとって効果的な防波堤の機能を提供してきた反反捕鯨プロパガンダのご神体、日本の公海調査捕鯨に終止符が打たれたとき、環境保護・動物愛護/福祉の市民運動のうちクジラに(相当無駄に!)注がれてきたエネルギーは、それを必要としている方面に振り向けられるべきですし、そうなることでしょう。
 倭人や白人の動物や自然に対する振る舞いを、その知恵を引き継いできた先住民の人たちに恥じないレベルにまで導くことに。

参考:
−「縄文からの関わり」の裏◆文化的不連続と持続性のなさ(拙ブログ)
http://kkneko.sblo.jp/article/72247285.html
−太地の捕鯨は中国産!? 捕鯨史の真相(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/18025105.html
−民話が語る古式捕鯨の真実(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/33259698.html
−NHK、久々に捕鯨擁護色全開のプロパガンダ番組を流す(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/31093158.html
−鯨塚の真相(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/71443019.html
−捕鯨の町・太地は原発推進電力会社にそっくり(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/78450287.html
−二人の鯨類学者/西脇氏(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/18205506.html
−驚き呆れる捕鯨官僚の超問題発言(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/30322511.html
−捕鯨問題総ざらい!!! 16. 伝統のアイヌ捕鯨は別だよ!(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/29976279.html
−非科学的な動物"愛誤"団体──その名は「鯨研」 〜仔クジラ殺しを伏せる鯨研発プレスリリースの読み方〜
http://www.kkneko.com/icr.htm
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2014年10月20日

トンデモエセエフ漫画「テラフォーマーズ」──集英社は反中出版社でいいの?

◇トンデモエセエフ漫画「テラフォーマーズ」──集英社は反中出版社でいいの?

 筆者は年に数回、不定期に、主に漫画を中心にリサーチをしており、結果を下掲のDBにまとめています。

−捕鯨カルチャーDB|拙HP
http://www.kkneko.com/culturedb.htm

 反反捕鯨作品はケッチョンケッチョンにこき下ろしますし、逆であればヨイショします。
 解説中でも「口当たりはいいけど後に何も残らないジャンクフード」VS「心の成長を支える栄養価の高いスローフード」に準えましたが、大ヒットグルメ漫画の先例に倣って押し付けがましく露骨な表現を出版社が許容している前者に対し、後者はクジラの味方といってもやはり控えめで婉曲的な表現が多いんですよね。大衆への即効的な影響力の点で比較するなら、まさにジャンクフード対スローフードの如く、正面切っての戦いでは勝負になりません。まあ、だからこそDB化して批判検証する作業が必要だと考えたわけですが。
 皆さんも「この作品(の第何話、何ページ等)にこんな表現があった」といった情報がありましたら、ぜひお寄せくださいm(_ _)m
 で、今回の調査では特に収穫がなかったのですが・・その代わり、捕鯨問題とは無関係に、筆者が非常に強い不快感≠覚えたベストセラー漫画がありましたので、今回詳細にツッコんでみたいと思います。
 問題の作品はこれ↓

■テラフォーマーズ特設ページ - 週刊ヤングジャンプ公式サイト
http://youngjump.jp/terraformars/
■ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA

 2013年版『このマンガがすごい!』オトコ編で1位、『全国書店員が選んだおすすめコミック2013』で2位を獲得した。2014年2月18日にテレビアニメ&OVA化が発表された(引用〜Wiki)

 原作者:貴家悠氏、作画:橘賢一氏、 連載はヤングジャンプ(発行:集英社)。
 奇しくも、以前詳細に批判した「予告犯」と同じく集英社のジャンプ系列。
 別に筆者が頭から集英社なりジャンプ系列のすべての漫画作品を毛嫌いしているわけではないのですよ(汗) ご承知のとおり、週刊少年ジャンプは海外のファンも多い日本最多部数を誇る由緒ある漫画雑誌。また、このヤンジャン、ジャンプSQ、「予告犯」が掲載されたジャンプ改(今月で休刊)等、既存作家を活用してターゲットを絞り、ジャンプを卒業≠オた成年層向けスピンオフ誌を生み出してきたわけです。
 筆者自身、同誌輩出で好きな作家・作品も少なくありません。なんたって読みやすい、ハマりやすいですからね。それだけに、こどもたち、社会への影響力も絶大。
 アニメ化に合わせた広報でか、つい最近少年誌のジャンプ誌上でも同作品の短編が掲載されています。

 では、さっそくツッコミに入りましょう。最大の問題点については最後に。
 この作品、ジャンルは何でしょうか? 成年向バトル漫画として見るなら、ツッコむ余地はないです(ていうか、筆者は興味ないのでその方面の方々にお任せします・・)
 しかし、SF作品として見るなら、まさに粗だらけ。
 一言で言えば、まったくSFの体をなしていません。SFファンには読むに耐えない代物。
 確かに、SF風味のファンタジーというのもジャンルとしてはあり。ですが、この作品は劇画タッチで成年層を対象とした宇宙・(遠)未来・生物SFとして、多くの文字数を駆使してウンチクを披露しており、体裁だけはハードSFっぽさ≠売りにしているわけです。
 まず、作品を成り立たせる基本設定がダメダメ。

1.テラフォーミングについて
 テラフォーミングの順序≠ェ根本的に間違っています。
 最初に気温と気圧を上げ、ある程度放射線・紫外線をカット→植物を導入して酸素を供給→人間の住める環境へ、というのがセオリー。
 気温を上げ、地球の凍土に似た状態で地中に閉じ込められていると考えられる水と二酸化炭素を放出させ、温室効果を働かせるというのは、火星改造モノのSFでは常套的なアイディアですが、冬半球の極で凝結するので効率はよくないでしょうね。
 もし、アルベドを変えるのであれば、墨を撒いておしまいです。コストとリスクを考えても、それ以上余計なことする必要一切なし。 
 そこでゴキブリが出てくる余地はゼロです。ゼロ。
 まず、ゴキブリが黒っぽいのはなぜかといえば、主に夜行性で、林床など暗いところに適応したからです。
 仮に火星の環境に順応したとしても、昼間は岩場の陰に隠れるでしょ。
 それに、地球から黒く見えるほど火星表面を覆うまで増殖したら、どうなると思います?
 苔が食い尽くされます。共食い&餌不足。ゴキブリが死滅。おしまい。
 地球上でバイオマスでも個体数でも圧倒的に多い動物としてシロアリとアリが挙げられますが、仮にシロアリの体色が白じゃなく黒だったって、地球の気温を上げるのは無理だよね・・。
 第一、ゴキブリが太陽光を吸収したら、一体どうなると思います?
 ゴキブリが日光浴で温まれば、代謝が上がり、その生命活動に消費されます。
 日光浴だけで、代謝で消費しきれないほど体を温めるのは火星ではやっぱり無理でしょうが。そもそも先に濃い大気がない以上、赤外放射で熱奪われて終わりだよね。
 結局、地表の温度は上がりません。
 墨もしくは黒っぽい苔 >>>>>>>>>>>> ゴキブリ(その他の黒っぽい動物)
 ついでに、導入したというストロマトライトは苔ではなく、分類学上まったく別系統のシアノバクテリア(藍藻)。現生しているのは塩分の濃い浅瀬。たぶん「苔を改良」の方が現実的。
 いずれにしろ、ゴキブリを火星に送るのはまっっったく無意味。

2.ウィルス??
 地球で火星から持ち込んだウィルスが猛威をふるって人類の生存を脅かす、という設定なのですが・・
 その一方で、培養できない、「増殖しない」とか、とんでもない説明が(火星に行く理由付けのためだけど)。
 地球のウィルスとはかなり違う? 
 NO。それ、定義からしてまったくウィルスじゃないから。
 歯ブラシを靴だと言ってるのと一緒。
 増殖しない? じゃあ、感染しません。できません。
 増殖しないという性質を強調したいのであれば、多少まともなSF作家なら、「ウィルスとも細菌とも異なる未知の病原体」という言葉を用いますよ、最初から。
 SF考証の点では、「なんで1ヶ月もかけずに火星に救助艦が行けるんだ?」とか、他にもツッコミどころ満載ですが、宇宙工学の観点からの説明はほとんどすっ飛ばされていますし・・。

3.ニンゲン大昆虫設定
 ここにもきわめて重要な落ち度が。
 「昆虫の体長を人間大に引き伸ばしたら、諸々の身体能力も掛け算で向上するよね? だから、ゴキブリの瞬発力に人間が勝てるわきゃないっっ!」というのが、この作品の大前提。
 スケールに対し、筋力は2乗(筋繊維の断面積)、体重は3乗に比例します。
 物理の基本。
 もうひとつ。大きな仕事をするには燃料が要ります。それだけ大量の酸素を消費します。
 昆虫は気門から採り入れた酸素の拡散に頼っています(一部の種は一種の気嚢を持っているものも)。それで済むのは、サイズが小さいから。
 石炭紀に昆虫が巨大化できたのは、当時の酸素分圧が今よりかなり高かったため。
 細い外骨格の脚を、ほぼ水平に広げた体勢で、空気中で自重を支えることができるのも、やはり昆虫があのサイズだから、です。
 外骨格の構造自体が、スケールに合わせて重量がどんどん増え、それを動かすための筋肉量が必要になります。しかも筋肉が伸張するスペースも限定されてしまいます。
 ゴキブリがニンゲン大になったら? 胴体を持ち上げることさえ無理に決まってます。動くことも、酸素を十分取り入れることもできず、すぐにお陀仏だわな。
 力学的に最初っから無理すぎる設定。
 このゴキブリたちは肺と内骨格を供えている、ということなんでしょうが、それじゃちっとも面白みないよね・・。第一、ニンゲンとたいした差がなくなるってことですし。
 上記に絡んで補足。「最強動物対戦!」とくれば、確かにこどもたちの興味、読者の関心を引くでしょう。ライオンVSトラ、ホオジロザメVSシャチという感じで。この作品では、様々な動物(一部植物)の遺伝子を導入する特殊な改造手術を施されたニンゲンVSそれを真似たスーパーゴキブリという形で「異種♀i闘技」「最強生物決定戦」を模擬的に実現しており、おそらくそこがこの作品の見せ場、読者の人気につながっている、といえるのでしょう。
 しかし、中高生や大人の読者層にしてみれば、生物界の王者決定戦に当たって、いかに公平なリングを用意するか、またどのような条件だとどの種に有利かといった、細かいシチュエーションへのこだわりの程度が、作品の質に関わってくるはずです。
 その点、この作品は非っ常に中途半端で、意外性や、決着に関して読者がなるほどと頷ける要素に欠けているように感じます。
 一番大きいのは、上掲したように最初の前提がメチャクチャ非科学的だから、なんですが・・。

4.600年後の未来描写
 ここもSFとしては致命的な欠陥。
 舞台は西暦2600年代。SFで分類するなら遠未来モノに該当。
 通常の未来SF小説は、いかにその時代らしさを醸し出すかに工夫を凝らすもの。政治を含む社会の描写から、進歩した科学技術とその時間的な距離感、生活面のディティール、新しい文化や流行、人々の心理。そこがSFの魅力であり、ファンの大きな楽しみのひとつ。
 この作品にはその要素がまっったくといっていいほどありません。
 絵まで、地球上の場面では現代日本との差異が感じられないのです
 この作品は、最近の成年誌漫画ではごくありふれたものになっている、人があっさりと、スプラッタに、ボコボコ死にまくる作品です。
 で、「死んじゃった彼彼女にもこんな人生があったよ」と走馬灯的な、ありがちな回想シーンを挟み、読者の感情を揺さぶるという、そういうパターンがずーーっと繰り返されていきます。
 フィクションのワイドショー。死の娯楽的な消費。
 別にいいんですよ。所詮漫画ですし。筆者は嫌いですが。つまんないし。
 ただ、それらの心理描写、人間関係の描写に、遠未来観がおよそ感じられないのです。
 現代のトピックをうまく消化したうえで、きちんと未来の時代設定に合わせてうまくアレンジする工夫すらも見られないのです。
 地方から上京した青年の苦労話やら、難病の近親者やら(ぶっ飛んだ遺伝子操作技術をネタに使ってるのに!)、不慮の事件事故etc.etc. およそどの漫画にも転がっていそうなエピソード。
 そこを変えると読者(の多数)の感情移入が見込めないという判断はあるでしょう。
 しかし、SFとしては違和感バリバリ

5.ステレオタイプの善玉%米同盟VS悪玉£国
 そう・・ここがこの作品への批判の最大のポイント。
 SFとしていかにずさんで粗雑であろうと、別にかまいやしません。
 例えば、やはり大人気漫画の「進撃の巨人」。筆者には、都市の設定がとても持続的とは思えず、伏線も最初からモロバレな感じで、正直なんだかなあという感じでした。。この作品といろいろ似ている部分もありますが。
 しかし、「テラフォーマーズ」の設定には看過できない重大な問題点があります。
 国家間の交戦・殺し合いを描きながら、国の実名を使っているのです。その必要がまったくないはずの、宇宙・遠未来を舞台にしたフィクションで。
 ちょっと順を追って検証してみましょう。
 この作品では、2600年代の国際的な宇宙事業に参加している、地球を代表する6つの国として、米国・日本・ドイツ・ローマ連邦・ロシア・中国を挙げています。
 ローマ連邦って命名のセンスも首をかしげますが、4.の未来観を唯一打ち出しているのはこの国名くらいだったり・・。
 まず、2600年代、今から20数世代もの先の未来の話なのに、現代の国家というシステムがそのまんま生き残っているとの前提に立っているのが、SFとしてはひたすらザンネンという他ありません。
 もし、その時代まで国境や国家という化石じみたシステムに固執し続けているとすれば、人類はとっくに滅びてるでしょうな・・。
 ここで仮に、舞台設定をもーっと近づけて50年後くらいにしてみましょうか。
 この時期ならまだ、今とさほど変わらない国家のシステムは一応活きてるでしょう。けど、世界を代表する国を6つ挙げるとしたら、ランクインするのはどこだと思います?
 順当に考えれば、インド、インドネシア、ナイジェリア、ブラジルかアルゼンチン辺りが入ってるでしょうね。アフリカからもう1国くらいかな?
 日本の名がそこにあるわけないじゃないですか。
 地域格差、所得格差、不健全極まりない財政、人口構造・・国の将来を左右する課題にメスを入れられないどころか、女性が安心して子供を産める環境づくりなど、他の先進国が率先して行っている取り組みさえ見習おうとしない国が、一等国≠ナいられるはずがありません。
 一日本人としては、「日本? そんな国どこにあるの?」って世界の人々に言われようと、平和な国として存続できてさえいれば御の字だと思いますし、そうあるべきだと思いますが。
 それはさておき、さらに驚くべきなのは、6つの国家体制が600年後も旧態依然としているどころか、現代の同名の国らしさも人名くらいでしか感じられないことです。
 この作品中では、日本が人類の公益(?)を最優先する善良な国家として描かれ、米、ドイツ&ローマ連邦、ロシア、中国の順に覇権主義の度合が強まっています。
 日米はまるで親友・恋人のごとく緊密な、互いに価値観をがっちり共有する同盟国の間柄。キャラクターも主役級の数が日本人、次いで米国人で、読者の好感度を上げるように書かれています。テキサス親父じゃないけど、サムライ&女カウボーイのタッグみたいな。。
 一方、中国人の悪役の中には、人の命を何とも思わないロボットじみた軍人キャラも。
 紋切り型の善(日米)対、同じく紋切り型の悪(中国)。
 正直、のけ反りました。「予告犯」と同じで、善悪の相対化がほとんど出来ていません。中国側の将軍のキャラの立て方も、国と大義に尽くす軍人≠ヌまり。
 まるで昔の西部劇のよう。もっとひどい。ひたすら滑稽です。
 これ、国を実名にする必要、全っっっ然ないでしょ。
 あるいは、この先尖閣に引っ掛けるネタでも用意してるのかしら? まあ、600年経っても棚上げして仲直りの握手ができないようでは、どっちも国としてはそれ以前に滅びていておかしくないとは思うけど・・

 日本の漫画界の巨匠・手塚治虫の「火の鳥・未来編」には、核大国を髣髴とさせる描写があります。こどもの読者でも、これはあの合衆国だな、あの(旧)連邦だな、とすぐ思い当たることでしょう。
 誰かを傷つけることを企図するでも、読者が憎んだり嘲笑うよう仕向けているわけでもない、小気味よい風刺。
 実在する特定の国々に対する、フィクションでしかあり得ない定番的な悪≠フイメージを読者に押し付けんとする現代の若手作家の作品と、なんと対照的なことでしょう。
 中国人の方(在日の方を含む)にこの作品を読ませたら、相当数の方が強い不快感を覚えるでしょう。ロシア人、ドイツ人、イタリア人も。場合によってはアメリカ人も。逆のこと考えたら、誰だってわかるよね?
 集英社としては、メディアミックスの話は受けても、海外語翻訳版を発行する気はまさかないのでしょうね。
 しかし、このネット時代に、中国を含む海外の大勢の日本製サブカルファンの方の目に止まらない、情報が伝わらないはずはありません。
 口をへの字に曲げるくらいの反応かもしれませんが、悲しむ方、幻滅する方もきっと少なくないでしょう。
 さて、集英社殿及びその株主殿。このような表現を平気で使う作品に力≠入れるのは、貴社の文化ということでよろしいのですか?
 「この番組はフィクションであり、登場する人物、団体、場所、事件等は実在のものとは一切関係ありません」の一言で済みます? そういや、「登場する国家」は入ってないけど。。
 ひょっとして、「国内で保守色の非常に強い政権とその支持者に媚びていればいい、14億の中国市場など眼中にない」というお考えなのでしょうか?
 中国でも「ワンピース」は人気を博し、電子サイトとの提携なども進めているとのこと。PTAやら各種業界のクレームに対し異常なほど神経を配り「お灸を据える」という慣用句は、鍼灸師からクレームがきかねないから使っちゃダメ!)、厳し〜い自主規制を行っているんですよね・・。そんな行き過ぎに感じるほどの自主規制ができる貴社が、あからさまに相手国のイメージを貶める作品を梃子入れしていると知ったら、一党独裁国家が規制を敷くのを待つまでもなく、中国の消費者はそっぽを向くんじゃありませんか? それでいいんですか?

 今日の朝日新聞1面及び3面で、出版業界の将来をめぐるアンケート調査の結果が報じられています。主要大手10社のうちの7社、うち1社が漫画に強い集英社(他の6社はトップ面談、集英社のみ書面回答)。

■大手出版各社、電子書籍急伸に期待 「紙の25%に」(10/19,朝日)
http://www.asahi.com/articles/ASGBC5F2QGBCUCVL008.html

 最近では、国内最大のマンガ雑誌である「週刊少年ジャンプ」が電子化されるなど、作品が充実しつつある。(引用)

 これは電子化へのシフトの話で、「マンガ好調」と本当に言えるのかどうか、筆者は正直疑問に思います。ジャンルとしては、業績としては、今のところ「堅調」なのでしょうけれど。
 ここ最近、絵にしてもストーリーにしても、全体の水準が急激に落ちてきたのではないか──筆者にはどうもそうした印象が拭えません。
 それは、311直後の「変わらなくちゃいけない」「変われるかもしれない」というムードが崩れ、はけ口を隣国に向けながら、ないものを貪欲に欲し求める方向に政治が突っ走ってしまったのと期を一にするように、書き手の意思とも読み手の意思ともズレた、市場を強く意識したものに変質していった結果というふうに映るのです。読み手と書き手との緊張を孕んだ相互作用、切磋琢磨とはどこか異質な、市場≠ヨの同調。あたかも、庶民の意識と大きく乖離しているように感じられる、政権の安定を支えるためにマスコミが形成し誘導していく世論と同じような。
 あるいは、これまでの出版戦略の延長にすぎず、プロモーションの手法が新しいメディアに適合する形で成熟し、消費者の側も業界にとって非常に都合のよい勝手連的宣伝媒体に育ってくれたという、それだけのことなのかもしれません。
 筆者の杞憂に過ぎないのであれば、それに越したことはないのですが。
 皆さんはどう思われますか? ただ漠然と、世間がそう評価しているから・・というのでなく、その世界にのめり込める漫画って、昔より増えたと思いますか? 減ったと思いますか?

 従来から表明していることの繰り返しになりますが、筆者は表現規制には強く反対する立場です。
 ジャンプ誌上屈指の名作といえる「はだしのゲン」や、「アンネの日記」を図書館から排除するなんて、冗談じゃありません。
 たとえ「美味しんぼ」が陰謀論を唱えるだけの反反捕鯨漫画、放射脳漫画だろうと、それを理由に出版社が自主規制し、急遽連載を打ち切るなどということはあってはなりません。
 社会への影響については、筆者は一切ないとも、マイナス面だけとも、プラス面(ex.代償のもたらす犯罪の抑止効果)だけとも思いません。たぶん、両方合わせてプラマイゼロという感じでしょうけど。現実と空想の区別のつきにくい人にはマイナス面が強く作用し、そうでない人にはむしろプラス面の方が作用するでしょうから。
 しかし、現実社会の問題については、表現に責任を負いかぶせたりせずとも、現実のシステムで対応していけばいい話。やれることはいくらでもあるはず。ヘイトスピーチ(これは表現ではなく人種差別そのもの)に対して、他の先進国並に厳重に取締るといった具合に。
 そして、体制による言論・表現の自由の統制と、批判≠ニはまったく別。付け加えれば、自主規制≠煖K制とは似て非なるものですが。
 健全な批判なしに、健全な表現、健全なクリエーター、健全なサブカル市場は決して育たちません。
 駄作は駄作、問題作は問題作と、私たちは思ったとおりに、感じたとおりに、憚ることなく伝えるべきなのです。
 エログロナンセンス大いに結構。むしろちっとはないと、逆に社会は荒むでしょうし、ね・・。
 「テラフォーマーズ」「予告犯」の連載やコミックス販売をやめよなどというつもりは毛頭ありません。
 筆者個人がきわめて悪質な駄作だと感じ、「これはクソ漫画だ!」と吠えているだけですから。悪質さの程度で言えば、凶悪テロ行為を賛美しきった「予告犯」の方が「テラフォーマーズ」を上回りますが。
 反中漫画? 反日漫画? 「殺せ」「レイプしろ」といった一線を明確に越える差別表現・凶悪犯罪を扇動する表現を使わなければ、いいんじゃないですか。
 好きに書いてください。好きに発表してください。好きに売ってください。売りたいなら。
 ただ……《健全な批評精神の育っている社会》であるならば、ボロクソに叩かれて、そうした劣悪な漫画は市場≠ノ決して振り向かれないでしょう。
 きわめてニッチな需要はあるかもしれませんが・・商業的には成立しないでしょうね。
 そして、商売にならなくたって、表現の自由は守れます。
 しかし、「このマンガがすごい!」などと高く評価されたり、書店業界が絶賛し(ヘイト本礼賛POPなんてのもあったけど・・)、持てはやしたりするようであれば、話は別です。
 何故と言って、日本の社会が健全さを失い、ヤバイ域≠ノ達していることの表れだと受け取れるからです。

オマケ1 口直し・・
 ツイッターで話題になったエシカルンテ、絵柄が雰囲気にマッチしてとっても素敵。シマフクロウが凛々しくてよいのです。
 ひとつ個人的に残念なのは、「日本人はー」連呼原作付漫画と同じ雑誌に同居なのがなあ(--; 間口が広いといっても。。

オマケ2 ワンピース批判
 海外も含めた集英社一番の稼ぎ頭について。もちろん、チェックしてますよ。
 クジラ関係はカルチャーDBをご参照。
 例の韓国による日章旗批判は、確かにバカげた話。とはいえ、影響力が絶大なだけに、気になる表現があります。
 出てくる社会の体制があまりにも王政に偏りすぎてるんですよね。すでに言い古されてるだろうと思いますが。
 そのうえ、高潔な人格・人徳を備えた善き王とその血族による「善い専制主義」、見方によっては「共和制の仮面を被った専制主義」を讃えている側面を強く感じるのです。悪い専制君主も出てきますが、善良な王≠フ歯の浮くような美化のされ方と対照的な、非人間的な内面で共通してるし・・。
 現実の日本社会(+近隣の専制国家)の実態と照らし合わせたとき、それが一種のえぐみ≠ニなって舌に残る感じなのです・・。
 どちらにしたって、現実の世界においては、そんなものはメディアがこしらえた幻想にすぎないのですが。
 善人だろうと人徳者だろうと、悪人だろうと、ニンゲンの間に線を引くのはやっていいこっちゃありません。
 漫画の中の世界と同じく、現実の世界も過渡期にあり、人類の文明の歴史は未だ野蛮な時代を脱け出せていないという一語に尽きるわけですが。

参考:
−ダイマッコウ考/「予告犯」の正しい読み方|当ブログ過去記事
http://kkneko.sblo.jp/article/76286901.html
−集英社自主規制問題|拙ツイート
http://twilog.org/kamekujiraneko/date-140908
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2014年09月19日

捕鯨礼賛大本営放送NHKがニュージーランドに宣戦布告!?

◇捕鯨礼賛大本営放送NHKがニュージーランドに宣戦布告!?


 ツイッターでの反応はこちらに。
■NHK、ニュージーランドにケンカを売る
http://togetter.com/li/720977

 スロベニアで開かれているIWC(国際捕鯨委員会)総会を取り上げた、9/17のNHK「ニュースウォッチ9」の特集の中で、度肝を抜く解説が。
 視聴者の目に飛び込んできたのは、画面いっぱいにまでデカデカと書かれた「ニュージーランド真のねらい 日本の国際イメージ悪化」のキャプション──。
 さて、同じ太平洋の島国として、報道の自由度をはじめ民主主義の各種指標で高く評価され、非核の道を貫き、地震の痛みをともに分かち合う、かけがえのない友好国であるはずのNZと同国市民に、思いっきり拳を振り上げてケンカをふっかけたNHKの真意は何なのでしょう??

 まず、背景を説明しておきましょう。
 この間、NHKをはじめとする日本のメディアは、同国提出の決議を「先延ばし」を狙ったものだと盛んに報じてきました。大本営の指示どおりに。しかし、実際にはその内容は、単なる先延ばしを目的としたものではありません。調査捕鯨の計画審査にあたり、その妥当性について、科学委員会(IWC-SC)の上位組織となるIWC総会にチェックさせる機能を求めるもの。
 なにしろ、ニュージーランド(NZ)はオーストラリア(AUS)とともに、この3月末ICJ(国際司法裁判所)によって日本敗訴の判決が下された調査捕鯨裁判の当事者なのです。皆さんとっくにご承知のはず。
 調査に名を借りた日本の違法な捕鯨を食い止めることのできなかったIWC-SCに対し、ICJの判断を踏まえてより厳格な運用を求めることは当然のことでしょう。もう一方の当事者に反省の姿勢が微塵も見られないのであれば、なおのこと。

 NHKの主張は、きわめて合理性に欠けるものです。
 友好国を攻撃的に貶めるのであれば、吉田調書や慰安婦証言以上に徹底した精査が求められて当然でしょうに。
 NZの決議に賛成した国は35カ国。一番の“お友達”である米国、AUS、EU諸国、南米諸国をはじめ多数の国々が、NHKいわく日本を貶めようとしているNZに同調したことになります。
 一体、彼らはみな、NZの“悪意”を見抜けなかったのでしょうか? あるいは、彼らもまた、日本の失墜させようと企んでいるのでしょうか?
 その中で、NHKがNZのみをことさらにあげつらったのは一体なぜでしょう? NZの日本に対する悪意が中でも飛びぬけていたから??
 ていうか、NZ、米・AUS・EU・南米諸国等がこぞって、日本に対するイメージを悪くさせようと働きかけている“世界”って、どこなの?? 中国や韓国? ロシア? このやり方で効果ある? それらの国に対して、これ以上日本の評価を貶める意味あるの????
 それを言うなら、国連から勧告を受けたヘイトスピーチや、(否定された一部以外の)慰安婦問題への対応、海外メディアで報じられている極右と政府関係者のリレーションのほうが、よっぽど日本のイメージダウンにつながっているよね・・少なくとも、報道の扱い方を見る限り、NHKはNZの陰謀≠ノ比べれば瑣末なことと思っているらしいけど・・

 第一、日本が決議を遵守さえすれば、国際ルールを守る姿勢を見せさえすれば、国際的イメージの悪化を防ぐことは簡単に避けられます。
 今回のNZの決議以前に、これまで日本の調査捕鯨に対してはIWCで何度も非難決議が採択されてきたわけです。
 捕鯨に伴う「国際的イメージの悪化」は、賛成反対双方がずっと指摘してきました。それを招いたのが、NZの陰謀などではなく、南極海調査捕鯨に固執する日本の姿勢そのものであることも含めて。
 そして、「国際的イメージの悪化」を懸念する声が、霞ヶ関の中からさえも聞こえていたわけです。
 米国・AUS・NZはじめ価値観を共にするハズの友好国に対するイメージを悪化させる、国際協調のつまづきの石としての負の側面と、捕鯨サークルの業界益ないし森下政府代表の言うところの「政治的ニーズ」という、二つの国益を斟酌し、「大きな国益の方を優先するほうが賢明なのではないか?」という声が挙がっていたわけです。
 今年NZが決議を出す以前から。日本国内で。例えばこれ。

−メディアが伝えぬ日本捕鯨の内幕 税を投じて友人をなくす|WEDGE

 今回最初に社説を出した毎日新聞も、「南極海での捕鯨に固執して参加国の反発を招き、沿岸での捕獲枠設定まで否定されるという負の連鎖からは脱却する必要がある」(引用)と指摘しています。
 その点に関していえば、NZは日本の沿岸小型捕鯨再開要求に対し、「南極海での捕鯨をやめるなら検討の余地がある」と日本に対する理解ある見解をはっきりと述べているのです。
 もちろん、日本はやっぱり国際法規を遵守する、敬意を払うに値する国だったのだな、と世界から賞賛を浴びる機会はありました。そう、ICJ判決の直後に。
 ところが、日本は国際的イメージを大幅にアップさせるまたとない機会を、自ら棒に振ってしまったのです。
 商業捕鯨モラトリアム決議から30年以上、「国際的イメージ悪化」などどこ吹く風という態度で、聞く耳を持たなかった捕鯨ニッポン。
 いまさら「国際的イメージ悪化」を気にしてどうするのでしょう?
 公共放送を通じてあからさまに他国の責任に転嫁する真似をしているようでは、その「国際的イメージの悪化」に拍車がかかるばかりに違いありません。
 何より、日本の恥を世界に晒したのは、国際裁判の判決文の形で後世にまで汚名を刻み込まれることとなった、本川水産庁長官の国会答弁・「刺身にすると美味いミンククジラ鯨肉の安定供給のため」にこそ、日本は南極海での調査捕鯨にこだわっているのだ──という、身も蓋もない本音の吐露に他なりません。

 NHKはニュージーランドという国、その国民の皆さんを侮辱しました。その侮辱を通じ、受信料の納付者、国民の信頼を裏切りました。
 中立・公正・公平とは程遠い、朝日吉田調書報道と比べても悪質さと外交への影響の点で比べ物にならない、北朝鮮国営TVもびっくり顔負けの偏向報道の責任を、NHKにはきっちり取らせるべきです。
 ニュージーランド政府はNHKと日本政府に対し、公式かつ厳重に抗議すべき。BPO(放送倫理・番組向上機構)にも審理を申し立てるべきです。
 番組の制作過程に徹底的にメスを入れたうえ、ニュースウォッチ9は打ち切り、ディレクターとトップも引責辞任を。

参考リンク:
−ICJ敗訴の決め手は水産庁長官の自爆発言──国際裁判史上に汚名を刻み込まれた捕鯨ニッポン
−クローズアップ2014:IWC「調査」先延ばし可決 日本の捕鯨、岐路に(9/19,毎日)


◇追記:森下代表、ガボンとイギリスにケンカを売る

 NZに対する陰湿な誹謗中傷に負けずひどかったのが、ガボンに対する解説。
 中でも看過できないのは、森下代表の「トロイの木馬」発言。
 英国がガボンに戦争を仕掛けている。ガボンを乗っ取ろうとしている──そう受け止められても仕方のない発言です。
 では、実際の経緯を見てみましょう。
 ガボンは2002年にIWCに加盟。期を合わせるように、2003、04年と立て続けにランバレネ零細漁民センター整備計画の名目で水産ODAが供与されています。そして、2009年にはリーブルビル零細漁業支援センター建設計画の名目で11億円を超える水産ODAが供与されています。
 実は、ガボンは石油が採れることもあり、アフリカの発展途上国の中では所得が高く比較的恵まれた国。そうすると、援助要件が変わってくるわけです。ところが・・政治優先の水産無償は、それらの条件を無視して貸付ではなく贈与の形で供与が可能。水産無償はガボン宛の累積援助総額の実に9割を占めていました。詳細は下掲リンクの拙水産ODA問題解説をご参照。
 破格の厚遇があればこそ、「ヨロシク」の一言が利いてくるのです。
 今回、多くの発言で存在感を示したドミニカ同様、援助とセットで押し付けられた日本の身勝手極まる価値観の呪縛から解放されたのが真実。
 今もなお、日本の用意した甘い汁に惑わされ、片棒を担がされている国々が多くあるわけですが・・。
 公正・公平が大原則であるべきODAを、「美味い刺身」という我欲のために捻じ曲げ、アフリカをはじめとする地域の主権国家の尊厳を踏みにじり、国際会議の場で道具≠ニして利用しているのは、一体どこの国なのでしょう?
 ガボン政府と英国政府もまた、NHKと日本政府に強く抗議するべき。
 森下丈二氏には、日本の外交を担う資格はありません。まさに国の恥。コミッショナーを解任すべき。

 
参考リンク:
−国別プロジェクト概要 ガボン共和国
−捕鯨推進は日本の外交プライオリティbP!?──IWC票買い援助外交、その驚愕の実態


◇追記:BPOに意見を送ろう!

 NZ、ガボン、英国の人たちと仲良くしたいと思うみなさん(そう思わない人なんていないはず!)、BPO(放送倫理・番組向上機構)に意見を送りましょう!
 宛先と文例はこちら↓ 

posted by カメクジラネコ at 04:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会科学系

2014年09月04日

嘘つきデタラメ捕鯨協会

◇嘘つきデタラメ捕鯨協会──それでもあなたは捕鯨に賛成ですか?

 IWC総会を控え、我らが日本捕鯨協会さんが、またしてもとんでもないキャンペーンを張った模様(--;;
 リンクを示すのもアホらしい限りなのですが。。。

■「それでもあなたは、クジラを食べることに反対ですか?」
http://youtu.be/vO__n5uhFyM

 捕鯨サークル発の都市伝説の総集編という感じでしょうか。。。
 ま、よく出来てますよね。さすがという他ありません。
 その手の都市伝説が大好きな巷の反反捕鯨ネトウヨ君たちや、「美味いミンク刺身」(〜本川水産庁長官談)を料亭でつつくことにしか頭のない、トホホな永田町の族議員たちには、大いにウケそうです。
 腕利きのクリエーターに有償で委託したんでしょうけど。
 トップの重大な失言のせいで国際裁判でボロ負けしたのに、責任を一切取らないまま、大幅に増額された予算も、こういう具合に国民を騙す広報に使われていくんでしょうねぇ。。
 復興予算流用への批判もどこ吹く風。

 筆者にはプロに頼んで対抗動画を投稿する余裕などないのですが、とりあえず絵を1枚作ってみました。


Pyramid.png
pyramide.png

  ◆数十万種に及ぶ海洋生物のうち、人間が商業的に利用している(食べられ、かつカネになる)のはごく一部。
  ◆日本でTACが設定されたり、国際機関の管理対象になっているのは、合わせてわずか数十種。
  ◆国際管理は失敗続き。一握りのTAC設定種以外は「議論に着手したばかり」というお寒いありさま。
  ◆乱獲し放題できたウナギについてさえ、生態についてはわからないことだらけ。
  ◆利用してない(する気のない)海の生物のことはほとんど何も知らず、利用している魚のことさえろくに知らない。
  ◆わからないまま乱獲しまくり、いつのまにか資源枯渇・・の繰り返し。それが捕鯨ニッポン。

 これのどこがアンダーコントロール???
 科学的管理なんて、ぜーんぜんまっったく出来てないわけです。
 海の生態系をぜーんぶ丸ごと、万遍なく管理するなんて、できるはずも、また、しようもありません。

 以下の資料もご参照。
 
−漁業 日本のTACはなぜ7魚種しかない? 「科学的知見が十分でない」というのは本当か|WEDGE
−TAC認定対象魚種について
−全漁獲量の8割を占める魚種数の比較|水産庁

現在のTAC魚種以外にカタクチイワシ、マダラ、ホッケ、ブリ、ウルメイワシといった魚種が新たな追加魚種として挙げられているものの「生物的知見が少ない」、「精度の高い資源量の推定や将来予測は難しい」という理由で採用されていません。(引用〜WEDGE記事)

 こういう具合で、よそで出来てることすらやろうとしない、日本の水産業の悲惨な実態について、あるいは海洋環境・野生動物保護の問題についてある程度リテラシーのある方であれば、上の絵1枚だけでもわかってくれると思いますけど・・

 上記はJWAの主張に対する反論のごく一部であり、そのうちの今まであまり取り上げていなかった論点を述べただけにすぎません。捕鯨サークル発のトンデモ鯨食害論、間引き論については、猫玉さん、Adarchismさん、flagburnerさん、化学者さんはじめ市民ブロガーの皆さん、国内のNGO、そして何より、今もIWC日本政府代表の立場にあるハズの当の国際水産資源研究所所長・森下氏の口からさえも明快に否定されています。
 詳細は以下の市民ニュース記事、拙ブログコーナーのリンク先(2)をご参照。

−捕鯨問題総ざらい 2.トンデモ鯨食害論を斬る!
−「クジラが魚食べて漁獲減」説を政府が撤回──国際捕鯨委員会で森下・政府代表代理が「修正」発言

参考:
新しい提案|ika-net日記
posted by カメクジラネコ at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然科学系

2014年08月22日

クジラたちの海・ケータイ版

『クジラたちの海』と続編『クジラたちの海─the next age─』、スマホ等携帯端末でも見やすいよう文字数を調整(32字×14行、16pt)したPDFファイルを用意しました。

■クジラたちの海 〈上巻〉 (全739ページ)
■クジラたちの海 〈下巻〉 (全759ページ)
http://www.kkneko.com/nvl/whalesocean_b_k.pdf
■クジラたちの海 ─the next age─ 〈上巻〉 (全686ページ)
■クジラたちの海 ─the next age─ 〈下巻〉 (全747ページ)
■新旧上下巻4ファイルセット (LZH形式、12.3MB)

作品の概要はこちら。
■クジラ・ジュゴン・イルカたちが問う南極、オキナワ、タイジ、そしてフクシマ
■クジラたちの海─the next age─☆オマケイラスト

動物文学、SF、ファンタジーがお好きな方、読みごたえのある長編小説をお求めの方、ぜひ手にとってみてくださいm(_ _)m
タダです(^^;
夏休みは残り少なくなっちゃったけど、通勤・通学のおともに。。

ご意見・ご感想は当ブログのコメント、拙ホームページのフォームメール、拙ツイッターアカウントDMまで。

posted by カメクジラネコ at 23:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 特設リンク

2014年08月07日

クジラたちの海─the next age─☆オマケイラスト

挿絵3枚UPしました。
1作目は全章にイラストを付けたのですが、今作はもう息切れでこの辺が限界。。
どのシーンかは読んでみてください・・
ご感想お待ちしてますニャ〜m(_ _)m

posted by カメクジラネコ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会科学系

2014年08月01日

クジラ・ジュゴン・イルカたちが問う南極、オキナワ、タイジ、そしてフクシマ

本日は宣伝ですm(_ _)m

一部残っていた誤字を修正、イラストを加え、再アップしました。


『クジラたちの海─the next age─』
snext_cover1a.pngsnext_cover2a.png

http://www.kkneko.com/
http://www.kkneko.com/nvl/nmokuji.htm
http://www.kkneko.com/nvl/nmokuji2.htm


『クジラたちの海─the next age─』は、'95年に評論社より刊行された『クジラたちの海』の公式の続編・完結編です。


前作『クジラたちの海』は、ズバリ《クジラ版ウォーターシップダウン》。

ジャンルでいうなら、『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』(リチャード・アダムズ/評論社)、『テイル・チェイサーの歌』(タッド・ウィリアムズ/早川書房)、『ジェニー』(ポール・ギャリコ/大和書房)に代表される動物ファンタジー。

日本国内で該当する作品は『ガンバと仲間たち』のタイトルでアニメ化された『冒険者たち』(斎藤惇夫/講談社)くらいでほとんど見当たらない中、海外の優れた動物文学に負けないだけの作品であると、作者自身は自負しております。

前作の見所は、ウォーターシップダウンに出てくるエル・アライラー、同じくテイルチェイサーのミアスラーに当たるクジラたちの神メた・セティにまつわる話中話。それらは他の作品に類を見ない生態学の物語≠ネのです。筆者のお気に入りは世界でただ一頭の醜い生きものクラークにまつわるスカベンジャーの物語。
個性豊かな4頭の旅の仲間が、読者を大海原の冒険へといざないます。そこで読者は登場鯨物たちとともに、公海漁業、核実験、タンカー事故といった海の環境問題に直面することになります。メインのテーマはもちろん捕鯨、そして米軍による核事故。うわべをなぞるだけで終わることなく、さりとて冒険の味わいを損ねることなく、クジラたちの海≠ナいま何が起きているか、読者は身をもって体感することになるでしょう。

続編『クジラたちの海─the next age─』は、いくつかの点で前作よりさらにパワーアップ。
前作はジュヴナイルながら読みにくさ、とっつきにくさが難点でしたが(『指輪』ほどじゃないけど・・)、新作は対象年齢を少し引き上げつつも、文章は前作よりずっと読みやすくなっているハズ・・。
本作の売りは3つ。

100%動物目線の本格動物ファンタジー
現代社会の闇に限界スレスレまで肉迫する社会派小説
時空を超えた圧倒的スケールで展開するSFスペクタクル

相容れないかに見える3つの要素を、ひとつの小説に全部、本気でブッ込んでます・・

まず動物文学の部分について。
前作は異種混成ながら、登場鯨物はほぼクジラメインでしたが、今作ではジュゴン2頭がメインキャラとして大活躍します。そのうち1頭はリュウキュウのザンの郡最後の子=Bこの2頭は、作者が作品中で一番好きなキャラでもあります。
最後の子<Cオの生い立ち、ヘノコの海の危機、そして、南の海から彼を救いにきた長老ヨナや、無邪気なスナメリの子ハナとの交流は、この物語の核でもあり、筆者としてもありったけの思いを筆(キー)に込めました。
ジュゴンが主役級のファンタジーというだけでも、動物文学ファンなら一読の価値ありです。
また、後半では、オキゴンドウのレオやマダライルカのシーベル、カマイルカのファウナなど、たくさんのイルカたちが登場します。出番はやや短めですが、彼らも豊かな個性で物語を引き立てます。中のマゴンドウの賭博師ダイは、ガンバに登場するイカサマがモデル。
物語の見せ場のひとつが、巨大ツナミの脅威に、クジラ・ジュゴン・イルカたちが、それぞれの個性を活かしつつ立ち向かうシーン。
イルカ視点のツナミの描写も、もちろんオリジナル。
今作では、敵方のネオシャチ特攻隊の5頭の将校らも、一癖も二癖もある曲者ぞろい。
主鯨公夫婦だけでなく、懐かしい前作のキャラも登場します。

次に、社会派小説の要素。
本作はクジラ章≠ニ3頭の《毛なしのアザラシ》を主人公とするアザラシ章≠ェ交互に進む展開。
このうち、アザラシパートについては、複数のNGO関係者のほか、官僚、科学者、海保職員、元捕鯨会社社員など、さまざまなキャラが登場します。某船長とか、どっかで団体の誰かに似てない?とか思う方もおられるかもしれませんが、もちろん関係ないです・・
とはいえ、各団体や各キャラ等は、現実の映し鏡となるよう、複数の属性を兼ね備えた、事件≠説明するのに最適な理想化された存在として、役柄を与えられています。現実のニンゲンをモデルにしても、やっぱり面白くないですし、ね・・
本作で描かれるテーマは、南極海捕鯨、米軍基地問題、イルカ猟、そして原発。本作ではサスペンスの要素も盛りだくさん。
いま何かと話題の脱法ドラッグ(名称変わったけど)の問題にも触れています。
実際に起こった事件とは異なりますが、話中で起きる鯨肉絡みの事件は、現実の捕鯨問題の核心に迫ります。
捕鯨とイルカ猟の町、太井地では狂信的な極右団体、その名も在得会≠ェ暗躍。イラストはそのワンシーン。
zaitoku.png
そして、大詰めでは、某NGOの所有船爆破事件を越える、日本史上空前のテロが。
公開中の映画ゴジラの新作についてはいろいろ論評されていますが、311に文字どおり真っ正面から取り組んだ作品として、本作はゴジラにも全然負けてないつもりです。

最後に、SFの要素。筆者としてはあえてハードといいたいところ。
クジラの主鯨公の妻、メルの予言と、アザラシの主人公の一人、紗樹の夢が交差するとき、物語はほのぼのとした動物ファンタジー、現代社会を舞台にした社会派小説から、一気に壮大なスケールのSFへと移行します。
前作でもシャチVSシャチ、マッコウVSマッコウの戦闘シーンがクライマックスを飾りましたが、今作でも息を切らせぬ戦いが複数の組み合わせで展開されます。
原発事故現場で繰り広げられるミュータントVSミュータントの死闘、精鋭ネオシャチ軍団VSC&S<Rンビの戦闘シーンもイラストにするつもりだったのですが、紙がなくなっちったのでまた次回に・・
終盤になると、幾何級数的に物語のスケールが拡がっていきます。

『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』、『テイル・チェイサーの歌』、『スフィア』(マイクル・クライトン/早川)、『海底牧場』(アーサー・C・クラーク/早川)、『スタータイド・ライジング』(デイヴィッド・ブリン/早川)を読んで面白かった方。
ファンタジー、SF、社会派小説が守備範囲の方。既存の小説に物足りなさを感じている方。
あなたを(前作と合わせて)2万+5千マイルの冒険の旅にお連れします。
ぜひ手にとってみてください。
前作(改訂版)、新作ともにいまなら無料で読めます(PDF版+HTML版)。


 ◇ ◇ ◇

筆者としては、ニセヤブじみた自画自賛は本意ではないのですが、翻訳と同時に進めていたエージェントとの交渉がポシャッてしまったため、当面小説の売込を優先せざるを得ない次第(--;
前作が筆者の未熟さに加え、前後左右から鉄砲を撃ちまくられたおかげで、興業的に啼かず飛ばずで終わったため、続編発行の道も閉ざされてしまったわけですが。。
引き続き、海外出版社との交渉協力者を募集中m(_ _)m
有償、条件等応相談。詳細はHPのフォームメールまで。
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