2009年10月25日

本日は捕鯨問題からちょっぴり離れてオタクな話題・・・

お断り:以下の作品に対する評価は筆者の独断偏見に基づくものであり、作者の方々の捕鯨問題等に関するスタンスとは無関係です。捕鯨を直接ネタにした文芸作品については、下掲の捕鯨カルチャーDBをご参照。
 

『獣の奏者』(上橋菜穂子)

■講談社BOOKクラブ
http://shop.kodansha.jp/bc/books/topics/kemono/index.html
■NHKアニメワールド
http://www3.nhk.or.jp/anime/erin/

 NHK教育でアニメも放映中の、日本人作家による王道的ファンタジー。
 闘蛇/王獣は、物理的・生態学的にみると設定にかなり無理がある一方、養蜂など自然に関する他の描写はリアルなため、そのギャップに少々違和感があるものの、ファンタジーとしての完成度は高い作品。
 主人公の少女エリンと王獣リランの関係を見て、ドイツや日本の動物園でのシロクマ保育を頭に浮かべる方もいるかもしれません。が、筆者はジョンストン海峡のシャチ・ルナとカナダ市民との交流に近い印象を受けました。野生動物の「自由」を尊重しようとするエリンの姿勢から。
 ウヨガキ君たちであれば、王獣やその中の特定の一個体であるリランをヒイキするのは「けしからん差別だ」と拳を振り上げ、「平等に殺せ」「自由を奪え」と喚きたてるかもしれません。逆にいえば、こうした優れた作品を読み感性を磨いて育ったこどもたちは、きっとやウヨガキウイルストンデモ食害ウイルスに冒されないだけの免疫力を備えてくれるでありましょう・・・

 

『鋼の錬金術師』(荒川弘)

■ハガレン公式サイト
http://www.hagaren.jp/

 「等価交換」などの設定も面白いのだけど(エントロピー無視とはいえ・・)、この作品を気に入っているのには別の理由があります。「一度失われた命は二度と取り戻すことができない」という重い真実を核心テーマに据え、軸足をブレさせることなく描ききっていること。高いエンターテイメント性があればこそできることですが。
 サブカルチャーは基本的に娯楽作品であって、エンターテイメント性が第一義。社会的・道徳的なメッセージ性に富む作品は、しばしば鑑賞者の興を削ぎ、つまらないものになってしまいがち。勢い、非日常性やインモラルな作品が好まれるようになり、飽きた読者がさらなる刺激を求め、あるいは売上至上主義のメディア自らが読者の要求を先読みし、ますます過激な表現を許す方向へとエスカレートしていきます。低年齢層向け作品でも敷居が確実に低くなった視覚的な残虐シーンや性表現、薄っぺらな定型化した人格、そして何より安易な死と復活──。
 しかし、それで本当にいいのでしょうか? 選挙前に盛り上がったローゼン元首相の〈アニメの殿堂〉じゃないけど、世界に発信する日本の価値とはその程度のものなんでしょうか? 安易な市場迎合・商業主義に起因する無節操な表現のエスカレートは、正統派文化からはみ出たサブカルチャーの原動力ともいえる、いわゆるロックの精神のような反社会性──体制にびずに社会の有り様を問いかける姿勢とも明らかに一線を画するものです。その一方で、リアルな世界の枠の中で苦心してアイディアを練り、想像性を発揮させようとする努力は放棄され、すっかり“タガが外れた”作品ばかりが溢れ返り、しかもそれらがあまりにあっさりと受け入れられすぎてはいないでしょうか?
 漫画・アニメのキャラクターたちがあっさり死んでホイホイ生き返るようになったのは、必ずしも今に限った話ではないでしょう。しかし、例えば手塚治虫作品のように「命」を正面に見据えたオリジナリティあふれる作品とは異なり、最近の漫画・アニメの多くは命の扱いがあまりに軽くなり、それこそ吹けば飛ぶ程度の重さになってしまった感は否めません。まるでいくらでも補充の利く“アイテム”の一種と化したかのよう・・。「ニンゲンはあっけなく死ぬ」といった事実を意識したレベルならまだいいのですが、「この辺でこいつを殺しておこう」とか、「そろそろ生き返らせよう」とか、もはや物語のアクセントにすぎなくなった趣すらあります。
 以前、「死んだ人は生き返ることがあると思うか?」という問いに対し、4分の1のこどもが「そう思う」と答えたというアンケート結果の話を聞いて、筆者は大変なショックを受けました。
 リアルな自然と接したり、あるいは動物と一緒に暮らすことで必然的に直面することになる“真実そのもの”と向き合う機会は減る一方。そして、現実をベースにしてそこから生み出された二次的派生物でしかないフィクションの性質を十分理解しないうちに、多量の情報に浸潤され、《自然=現実》《他人の作り話の中の設定・世界観》を混同したり、優位性が逆転してしまう現象が起こっていることが、その背景にあるように思います。
 判ると思うけど一応断っておくと、これはいわゆるゲーム脳とは無関係。サブカルチャーに限らない問題でもあり、さらにいえば、願望を反映しただけのフィクションにすぎない宗教(実際、新興宗教はサブカルを巧みに利用していますが)の方が、責任はもっと重いといえるかもしれません。
 表現の自由は基本的人権の中でもとりわけ大切なものの一つであり、その保障は最優先されるべきだと筆者は思っています。しかし、商業作品である以上、制作者はとくにこどもたちに与える社会的影響について、「他人に口うるさく言われるから」とかではなしに、しっかりとした倫理観を持ったうえで作品を作るべきだとも思っています。イラクを舞台にしたコンバットアクションゲームの企画などは、モラル(他者の痛みを共有する感覚)がクリエーター業界に欠如してしまったことを示す端的な事例といえるかもしれません。
 命を軽視する作品が別にあってもいいんだけど、そういった“ガラクタ”はまともに相手にされず、当然売れないから市場がないというのが、“健全な社会”というものでしょう。まあ、昇華の効用という側面も否定はできませんが、現実の世界に対する誤ったイメージをこどもたちに植え付けることなく、面白くて独創的な作品を追求する道はいくらでもあるはず。社会的なメッセージと創造性の両立という難題にあえて挑戦するクリエーターたちだって、もっと出てきてもいいはず。
 いまの日本の社会があまりにもお先真っ暗で、若者たちが絶望して投げやりになっているのであれば、筆者は作り手にも受け手にも多くを求めすぎていることになるかもしれません。ただし、もしそうであるなら、世界にせっせと“ガラクタ”輸出するのは考えものです。
 とはいえ、日本はそこまで堕ちてはいないと信じたい気持ちもあります。サブカル先進国とされながら、売れっ子は労基法無視の殺人的労働環境に置かれ、それ以外のクリエーターは冷遇され、下請け会社はアジアとの競争や受注先の無理な要求の前に息絶え絶え・・という、創り手・紡ぎ手に殺生な社会にも大きな問題があるけれど・・
 というわけで、原作はそろそろクライマックスに近づきつつあるハガレンを応援するんだニャ〜。ちなみに、筆者はエドとアルどちら派かといえばアル派だニャ。

 

『ガウガウわー太2』(梅川和実)

■一迅社HP
http://www.shop.ichijinsha.co.jp/book/booksearch/booksearch_detail.php?i=75806166

 高人気にも関わらず連載途中で打ち切られ、その後別誌に移行して連載続行、今年めでたく完結。9月にコミックス最終刊が刊行されました。
 野生動物からペットまで、網羅的に日本の動物問題の現状を描ききった動物漫画の最高峰といっていい作品。中途半端な知識をひけらかすだけの無責任なウンチク漫画や、うちのDBでも掲載している某愛誤獣医漫画とは対照的。ひととおり読めば、動物福祉分野におけるこの国の後進性が手にとるようにわかります。
 ここまで委細漏らさず描けるのは、作者が獣医大出で免許を持っていることもあるでしょう。漫画家兼獣医という2つのエキスパート・スキルを持ち合わせているだけでも驚異的だけど・・。ですが、皆さんご承知のように、一口に獣医といってもピンからキリまでいます。悪徳業者とつるんだり、金儲けに走ったり、医療過誤を誤魔化したり、気楽に安楽死を薦めたり、ネオコン政治家として捕鯨推進に熱を入れたり・・。その中で、いまの本業は漫画家とはいえ、作者は「この先生なら間違いなく信頼してこどもを預けられる」というタイプの獣医。
 取り上げられたテーマには、安楽死問題やズーノーシス(人畜共通感染症)問題なども含まれていますが、下手に扱えば誤解を招きやすい内容を実に丹念に描いているところに、何より好感が持てました。個々の問題に関するスタンスが筆者と結構近いということもあるけれど・・。それをうまい具合に物語に組み入れる構成力も見事。
 例えば、3巻29話はストーリーと絡めつつまるまるズーノーシスについて割かれており、事細かな説明を省くことなく、なおかつ未成年でもわかりやすいよう図解を駆使して丁寧に解説されています。本からの生かじりの知識をひけらかし、正しい知識と対処法を示さないままリスクだけを吹聴、下手すれば低年齢層の読者が早合点して保健所に連れて行きかねないような某少年誌のウンチク漫画とは大違い。
 一応結論をここで述べておくと、きちんと健康管理されている“家族”とのスキンシップには100%何の問題もありません。感染症のリスクが桁違いに高いのは、当全のことながらヒト−ヒト間。こうした問題の所在自体、まともな健康管理ができなければ一種の虐待とみなされ、そもそも犬猫と暮らすことが許されないのが欧米等の先進国。まともな知識・スキルがないままいとも簡単に衝動買いができてしまう一方、事実無根の風評被害もしっかり根を下ろす後進国ニッポンとの間に横たわる、深刻な溝の存在を物語っているわけですが・・。
 欲を言えば、メッセージ性が高いだけに、エンターテイメント性とのバランスにもう少し配慮して、ラブコメのパートをベタ全開でいいから引っ張って若い世代の読者を取り込み、もっと息長く続けて欲しかったなあと思います。
 巷では一番人気らしい尾田島委員長ファンには、終盤の展開は不満だったみたいですが、ラストのわー太のシーンは泣けます。ここだけ許せる唯一のファンタジー。あとがきを読むと、クライマックスシーンは作者の頭の中に最初から描かれていたことがわかります。ネタバレだから、後は自分で読んでくだされ。必ず新刊を注文するニャ〜。
 残念ながら、今の日本で一般に動物好きといわれる人々の多くは、“現実”をあまりに知らなすぎるのが現状。それだけに、動物好きの方にも読んでもらうだけの価値アリ。
 作者の梅川氏、すでに他誌で次の連載に取り組んでおられる模様。漫画家も獣医に負けずハードな職業で、とりわけこうした栄養価の高い作品を手がけるのは大変なエネルギーを消耗するもんですが、しばらく充電したらまた新たな動物モノにも挑戦してほしいところ。
 筆者はみさととまいちゃんと委員長の誰派かって? それはもちろん、クロちゃん派だニャ〜(^^;;;;


参考リンク:
−捕鯨カルチャーDB (拙HP)
http://www.kkneko.com/culturedb.htm
−芸術性と人間性 (拙ブログ)
http://kkneko.sblo.jp/article/13986763.html
−手塚治虫氏と雁屋哲氏 (〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/26550741.html

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2008年10月28日

日曜動物系TV番組評(10/26版)

■騒動・餌やり禁止条例|噂の東京マガジン (10/26,TBS)
http://www.tbs.co.jp/uwasa/20081026/genba.html (リンク切れ)

評価:×

 ときどき"動物の敵"になる森本軍団、今回はいつにも増してひどかったですね。よもや地域猫まで悪者にされようとは・・・・
 外猫を全部収容しろ!? 好きな奴が勝手に飼え!? 積極的に時間もカネも割いているヒトは、自分の家だって誰も手一杯。頭のいいニンゲンサマならちょっと考えりゃすぐわかることでしょうに。
 経済的・物理的制約ももちろんありますが、自由を奪うという大きな代償を伴い、ストレスを軽減するための様々な配慮が必要となる室内飼いが推奨されるのは、外の方が危険だからという消極的理由から。虐待犯罪に巻き込まれたり、交通事故に遭ったり、毒餌にあたったり……どれもこれもニンゲンサマの仕業。完全室内であれば、多頭飼育における制約が飛躍的に高まることも、出演者の誰一人理解されていなかったのが残念です。
 朝起きて窓を開けたときに野鳥の声が耳に届かない、街中をいくら歩いても犬や猫の姿が影も形も見えない──そんな街は明らかに異常です。アジアであれヨーロッパであれ、街に命の気配が感じられるのは当たり前のこと。そういう国でだって、当然ながらどの動物も排泄します。中には行政が回収しているところもありますが、別に庭にウンコを垂れられたからといって、ブータラ文句を言う一握りのオッサンオバサンがいても、偏屈老人として相手にされないだけでしょう。今や肥料としてリサイクルされることもなく、大層な設備と多大なエネルギーを投じて、それでも最終的には海や川に過剰な負荷を押し付け、富栄養化などの問題を招いているニンゲンのウンコに比べれば、地球にとっての負担は微々たるもの
 ちょうどうちの庭にゴーヤを植え付けたとき、新しい土を入れたもんで「こりゃ具合がいい」と判断したのか、"お土産"を残していかれたニャンコさんがいらっしゃいました。苗も掘っくり返されちゃいましたが、そういうときは苗から離れた場所にトイレ向きのスペースを設けるなど、ちょっと手を凝らせばいくらでも回避できます。よそさまに迷惑をかけるより──それで保健所に来られて殺されるより──むしろうちを公衆トイレに使って欲しいくらいです。
 野鳥たちはうちを食堂代わりにして果実やらパン屑やら虫やらを食べにやってきて、敷地を好き勝手に出入りしてますし、ウンコだって垂れまくりですよ。それでも、「もうすぐ雨が来るよー」と鳴いたりして、天気や時刻を教えてくれますから、決してタダ飯食いとはいえません。姿を見せてくれるだけでも癒しを与えてくれる、とてもありがたい存在ですが。
 そもそも、土地なんてものはニンゲンが勝手に地面の上に線を引いて、「この線の内側は自分の持ちモンだ」と内輪で宣言し合っているだけのこと。別に、地球に了承をもらっているわけでも何でもありません。そもそもは"縄張り意識"という動物性に出自を求めることができるわけですが、どのみちニンゲン同士の取り決めであって、ニンゲン以外の動物にとってはまったく預かり知らぬ話です。
 台風と野生動物の食害の比較じゃありませんが、騒音にしても悪臭にしても、基地や飛行場、高速道路、あるいは化学工場や養豚場(うちの近郊一帯も度々猛烈な悪臭に悩まされます)に比べりゃ、実にかわいいもんでしょう戦うのは、力の弱い者が相手の時だけですか? なんと卑屈な動物なんでしょうね、ニンゲンてのは。
 回避する知恵と工夫を働かせることも何もせず、「面倒臭いから駆除(殺)してしまえ」という安直な結論に飛びつくのが、一体万物の霊長とやらのやることなのでしょうか? ヒト以外の生きものをともかくバッチイものとみなし、潔癖神経症の如く徹底的に排斥するなんて、日本という国はどこまで荒んでいるのでしょう?
 そんな国だから、「こどもの声がうるさい」といって、公園の噴水まで止めてしまうようなことが罷りとおるのではないですか? 特定の病気の人たちを施設に閉じ込めて断種まで行い、公害病に苦しむヒトへの差別が地域に根深く浸透し、精神病院や養護施設の建設にも目クジラを立てる風潮とも、ある意味通じるものがあるのかもしれません。そのうち、普通の小学校や幼稚園でさえ煙たがられそうですね。既に現在進行形? というより過去形ですか?
 だとすれば、徘徊老人の命を救った半野良ワンコの方が、どれだけ気高い存在といえるでしょう?
 番組中では、猫好きの意見は"敵対反応"にあって聞けなかったなどと言うとりましたが、"動物嫌い"の"敵対反応"に遭わなかったとすれば、番組制作側の取材姿勢に偏りがあったとしか考えられません。リポーターやスタッフは、猫に不測の事態が起こることを案じる"猫の味方"の人たちに対して、どれだけ真摯な姿勢で取材に臨んだのでしょうか? 兎にも角にも動物を毛嫌いする"猫の敵"のヒトたちとの間で、どれだけ公平に取材時間を割き、意見を聞いたのでしょうか? このような内容では、そもそもの制作意図自体に疑問符が付くのも当然でしょう。
 ニンゲンは紛れもなく動物の一種、自然の一部であって、それはこの先いかに科学技術が進歩しようと、文明が進もうと、変わりようがありません。自らの出自を理解せずに、いびつな種社会をエスカレートさせるようなら、いずれ"進化の袋小路"にはまって絶滅への道を辿るのは時間の問題でしょう。
 犬や猫はニンゲンの文明を支えてくれた、ニンゲンにとっては計り知れない恩義のある動物です。現代においてもあまりに多くの点で、ニンゲンの社会は動物たちに支えられています。介助犬や警察犬などは経済効果も含めてわかりやすい例ですが、ただの犬猫、家庭や、あるいは街中で遭遇する犬猫だって、こどもたちに対する十分大きな"教育効果"が見込めます。
 というよりも、犬猫たちを街中から追い払うことのリスクの高さのほうが、はるかに深刻な問題になるでしょう。ネットやゲームが単純にこどもたちに教育上の悪影響をもたらすとは、筆者は考えません。が、もし発育期にリアルな自然や動物との接触体験を欠いたまま、虚妄の情報のみ大量に浴びせ続けることになれば、間違いなく甚大な結果を招くことになるでしょう。健全な社会性と感性が育まれず、人間関係に支障を来たしたり、現実と非現実との区別がつかなくなり、いずれ大人になったときに、こどもを「うるさい」といって除け者にしたり、2chに入り浸って差別発言を書き込んだりする、さらには先日の秋葉原で悲惨な事件を起こしたような若者の予備軍を、わざわざ送り出すことになるでしょう。
 一体、「恩に対して仇で報いる」のが日本という国固有の文化なのでしょうか? そうではないはずです。なかったはずです。ひなびた漁村では、いまでも心優しい漁師さんが採れた魚のあまりをたんまり与え、狭い石畳の路地裏を行けば必ず猫たちの歓迎を受ける、そんな豊かな時間の流れる地域が今だって残っています。それはかけがえのない日本の情緒ある光景の一つに他なりません。
 それとも、自分たちニンゲンだってウンコをする動物だということを都合よくきれいさっぱり忘れ、ベランダの鳥のフンや庭の片隅の猫のおしっこにキレて「殺せ」と息巻く、そんな殺伐とした、息の詰まる社会を目指すことが、あなた方の願いなのですか?
 まあ、都内で逮捕されたおっさんのやり方については、確かにあまりに杜撰だったし、「カラスは関係ねえ」ってのもあんまりな言い方ではありますが。
 猫だけでも地域猫や不妊去勢手術に関することなど、言いたいことは山ほどあって、一日じゃとても書ききれないのですが、カラスについても一言。カラスはスカベンジャータイプの何でも屋として、生態系の中ではとりわけ重要な緩衝・調整役を務めてくれるありがたい存在です。そのため、ヒトの手であまりにいびつで貧弱な姿に変えられてしまった都市生態系でも、しぶとく生き残ってることが裏目に出て、"カラス質"をとる卑怯なやり方で大量に殺されているわけですが・・・
 こちらの記事もご参照。
−愛くるしい上野の障害カラスたち
http://kkneko.sblo.jp/article/14177281.html


 

■オオアリクイのラブ&ピース生活|ダーウィンが来た!生きもの新伝説 (NHK)
http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program122.html

評価:△

 オオアリクイの低代謝型の生態の特徴を、児童を含めた視聴者にうまく伝えたい、という意図はわからなくはないのですが、「ラブ&ピース」ってのはやりすぎですね・・。他の動物と比較されかねないところで、ニンゲンの社会において通常使われる社会的概念を用いるのは、動物の社会学・生態学の概念とは離れた正しくない比喩となり、やはり"愛誤"といわざるをえません。1年以上背中にしがみついてるからって、母子の"絆の深さ"を他種と比べたって意味ないでしょ。
 ラストシーンの"平和共存"の演出も、縄張りの形成過程に関する説明をまったく抜きに、あっさりまとめてしまうのは乱暴。シロアリの塔の分布密度など、そもそも他の動物と環境条件自体が違うのですから。「それぞれの動物が、生息する自然に見合った形で、それぞれ適応している」ということを、こどもたちにうまく伝えるのが、公共放送の教育番組の使命のはず。愛も平和もへったくれもなし。
 すぐ覆される可能性もある、一部の研究者の新しい仮説を断定的に論じるのも大いに問題アリ(前々からだけど・・)。


 

■知床特集3|どうぶつ奇想天外! (TBS)
http://www.tbs.co.jp/doubutsu/

評価:×

 よりによって世界遺産の知床特集で、「高級食材」だの「資源」だのという単語を連呼・・。諸外国の環境教育系ドキュメンタリーの制作者、視聴者が聞いたら、誰もが耳を疑うことでしょう。なんかまるでケンカ売られてるみたいだニャ。。もはや自然環境・野生動物の啓蒙番組ではありませんね。グルメ動物愛誤という最もミスマッチなテーマを無理やりくっつけたヘンな番組。最悪。

 


■ギアナ高地|地球大好き!エコ大紀行 (NHKhi/BS2)
http://www.nhk.or.jp/eco-journey/

評価:

 エンジェルフォールも圧巻だったけど、キャッサバのどでかいパンケーキをついばみにやってきた野鳥(種不明)が最強にかわいかった!!
 エコガイド見習いの現地の先住民の若い兄ちゃんが、日本語わかんなくてもしきりに頷いてせっかく一所懸命調子合わせてくれたんだから、もう少しいろいろ聞けばよかったのに。

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2008年09月28日

カマキリピンチ

 昨日は路上で3匹のカマキリと遭遇。1匹はちっさいコカマの雄でしたが、残りの2匹はハラビロの立派な雌。
 大体、交通事故に遭いやすいのがでっかい芋虫・毛虫とカマキリなんですよね。終齢幼虫のイモたちは食草とは別の蛹になるための木を、そしてカマキリの場合は産卵場所を探すべく(早い時期は単に日向ぼっこのこともありますが・・)、新天地を目指してアスファルトの上を横断中に、運悪く車等に出くわしてご臨終というケースが多いようで・・。発見できさえすれば、レスキュー活動(といっても草っ原に戻すだけだけど)に入れるんですが。コカマキリなどは、よくよく見ないとただの枝切れと全然見分けがつかないし(--;
 ハラビロの1匹はかなり大きなお腹を抱えておりましたが、もう1匹は既に産卵後だった模様。猛暑だったのが突然涼しくなった所為でしょうか。ところで、その2匹目のハラビロのほうは、右目の複眼が大きく損壊しており、非常に痛々しい有様でした。何かに食われた、あるいは既に人為的な事故にあったというより、どうもウィルスか何かによる病気のように思えます。適当にググってみたら引っかかるのは"カマキリの黒焼き"とか要らん情報ばっかだし(汗)、詳しいことまではわかりませんが。ここ数年同じような状態の子を何匹か拾っていて、しかも年々増えているような気がして心配になります。ご存知のとおり、カマキリさんは"害虫"を食べてくれる"益虫"で(両方ニンゲンの都合に合わせた呼び名ですが・・)、除草剤や殺虫剤の影響をそれだけ強く受けやすいのですから、人工的な環境変化と何らかの関連がないとも限りません。
 カマキリといえば、生きたまま獲物を丸かじりする捕食シーンや、雌による雄の共食いや(交尾の効率が上がるという話もあるけど、特にメリットがないとの説も。どのみち進んで食べられたがるはずもなし)、ハリガネムシの話とか、少々グロテスクなイメージがつきまといますが、筆者は昆虫の中ではかなり好きなほうです。手の上に載せるのが一番簡単ですし、フォルムもかっこいいし、愛嬌あるし・・強さと儚さの両方を体現する存在とでも申しましょうか。見ていて飽きないんですよね。ついでに、うちにわんさかいるヨコバイ軍団を、ジョロウグモたちと協同して食べてくんないかと期待を寄せてるんですが、どうも食指が動かないみたいで・・。やっぱり不味イんだろニャ〜。いかにも不味そうだしニャ〜。。
 この日は紀州犬の血が入っていると思われる白ワンコにも遭遇。行きずりに同じ子に2回。知らないオッサンに撫でられても、吠えるでもおちゃらけるでもなく、じっとしたまま静かに尻尾を揺する大変賢い子でありました。
 筆者自身は草食だけど、他の動物で相性がよく高感度も高いのは何故か肉食のほうが多いんだよね。。サルの仲間はやっぱり草食のほうが似合ってると思うけど。。。


参考リンク: 

■カマキリの共食い:伝説の検証|とある昆虫研究者のメモ
http://ghop.exblog.jp/4098779

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2008年09月02日

シナリオ通りのつなぎ首相辞任

 福田首相の電撃辞意表明、ほとんどの方が「え〜っ!?」と驚きの声をあげ、数秒後には「ちっ、またかよ・・」と苦々しげに舌打ちしたでしょうね。。1年未満で続けて突然辞任となれば、最悪のタイミングで「お腹痛っ!」と政権を放り投げた前総理よりマシ・・ともいえなくなるでしょう。
 が・・よくよく考えてみると、これは周到にタイミングを計った辞任劇だといえそうです。既にマスコミで識者のコメントとして紹介されていますが。
 自民党としては、衆院で自公が2/3を占める絶対安定多数をおいそれと手放したがるはずもないでしょう。小泉郵政劇場の再来があり得ない以上、選挙をやればたとえ勝っても議席が減るのは100%確実。低空飛行を続ける福田政権の下で解散総選挙は考えられません。引き伸ばせるに越したことはないけど、任期切れを待つのも危険。議席減を最小に食い止めるためにも、支持率がピークになるタイミングを見計らう必要があります。といって、郵政で幻滅を味あわせ、もう懲りた国民に有効な処方箋になる人気取り政策もなく、非現実的な超バラマキでもしなきゃもう関心はつなぎ止められそうにありません。とすれば、後はもう「総裁選を派手にやる」くらいしか打つ手がないわけですね。。。
 本命ローゼン殿下と女性、若手を競わせて盛り上げ、古い小沢が無風再選予定の民主と違いを際立たせたところで、召集した臨時国会冒頭で解散宣言というシナリオでしょうか。消費者庁設置や補正予算成立を経て臨時国会終了後、あるいは定率減税という餌を撒いた後の1月に解散という見方もあるようですが、それなら何とか福田で持たせようとするでしょう。もっとも直接的な理由は、公明が降りたことで給油継続法案の再可決が不可能になったことなんでしょうが。そうでなければ、改造をせずにサミット花道解散を選んでいたでしょうから。
 高齢者医療の逆風が弱まり、五輪も終わって、世の中がいちばん落ち着いた時期、政治的にも政局に結び付けられない空白の時期(ということは結局政局絡みに他ならないということだけど・・)、しかも民主党は"小泉型"劇場効果をかもし出すにはおあつらえ向きのプッツン小沢無風再選。まさしく絶好のタイミング。つなぎ役の福田退陣はシナリオ通り。
 抵抗勢力もあったでしょうし、薬剤肝炎対策や道路財源の一般財源化など、タイミングが遅すぎて演出があまりに下手だったために、支持率にまったく結び付かなかったのは同情できなくもないのですが(小泉や石原に倣えば同じ結果でも10%以上違ったはず・・)、結局福田氏は「国民のため」ではなく「自民党のため」にしか働けなかった人という印象が拭えません。その自民党内には、本当の味方なんかいなかったのでは・・・。
 折込済みの辞任、選挙、解散ということになれば、市場はむしろ好感するでしょうね。総裁選パフォーマンスが国民にどれだけ受けるかでまた変わってくるでしょうが、にわかに慌しくなりそうな日本の政界。でも、ローゼン首相だけは勘弁してほしいニャ。。。。
 
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2008年08月25日

五輪閉幕とクジラ

 チベットに始まりグルジアで幕を閉じた感のある北京五輪。「政治に絡めるのはよくない」というけれど、都合よく政治に利用したのは各国の政治家たちの方だったのでは。民族問題の封じ込めも((五輪前なら欧米も文句を言いにくかろう))、軍事介入も((期間中ならメディアも取り上げにくいし横槍も入るまい))、絶好のタイミングを提供したのは、むしろ五輪だったのでは。
 夫が軍にいるグルジアの女性射撃選手の声がTVで取り上げられていましたが、ともにメダルをとったロシア選手と交わした握手、素朴で抽象的な「平和のメッセージ」は、筆者には"演出"としか受け取れませんでした「夫を殺さないでくれ」「軍事介入をやめないならメダルは返上する」といったストレートな心の底からの言葉を伝える舞台とはなりませんでした。
 五輪で一番政治的に得をしたのは、もちろん中国。台湾やチベットに圧倒的な政治力を見せつけ、メダルの数と比例するかの如く、国民に熱狂的愛国心を植え付け、根を下ろさせることができたと、きっと中央政府はホクホクでしょう。五輪需要で腐敗地方官僚とつるんだ企業もたんまり儲けたでしょうが、一方で土地の強制徴用や公害で割を食わされたのは、専ら貧しい人たちでした。棄権したハードル選手を袋叩きにして、"民度"の低さも顕になりましたが。

 "民度"といえば、都民の税金で息子の絵を買ったどっかの都知事さんも、選手をまるで国家の部品とみなすような発言をしてましたねぇ。有名タレントを動員したTVコマーシャルが今から流されていますが、税金の使い道なら他にいくらでもあるでしょうに。長野冬季五輪では、山をごっそり削って豊かな自然を台無しにした挙句、地元自治体に巨額の借金を残しただけでした。そもそもIOCは国連の機関でも何でもない、世界の大企業がスポンサーについた営利組織です。かつてはカリスマとして君臨した元会長サマランチ氏の"サロン"と呼ばれていたわけですが。
 なるほど、選手たちが一生懸命頑張って栄光を勝ち取る姿は、子供たちに感動を与えるかもしれません。しかし、TVに映るのはドラマチックなBGMとともに流される編集され演出された"シーン"にすぎません。「友情(連帯〜愛国)」「努力」「勝利」という少年漫画誌のコンセプトを地でいくような、まるで作られたキャラクターのような印象を受けるのは筆者だけでしょうか? 補欠の選手、あるいは、選考にも残らなかった選手も大勢いるはずですが、彼ら彼女らがスポットライトを浴びることはありません。結果は運も含めた実力であって、決して努力や根性の点で出場選手より劣っていたわけではないはずです。
 「より努力したほうが勝つ」と、勝者がひけらかすなら負けた選手に対して失礼であり、負けた側が自分を責め苛むのもおかしな話でしょう。「メダルに届かなかった」「色が違った」と落胆し、あるいは涙を流す選手を大写しにし、同情を誘うマスメディアや社会風潮にも疑問を感じます。中国の袋叩きよりはマシといえ・・。
 金を取ると宣言して4位に終わった野球は、確かにみっともなかったけれど。「相手が弱小なら勝ち上がれる可能性がある」と組み合わせに一喜一憂し、相手のミスや故障にほくそ笑む。その一方で、負ければ「高得点のあげ方を心得ていた」などとやっかむ。それって、スポーツマンシップフェアプレー精神とはずいぶん違和感がありませんか? 歯の浮く文句が延々だらだらと続く単調なNHKのテーマソングも、なんだか新興宗教のお経のようでした。

 奇麗事で塗り固められた、非現実的な一大アミューズメントイベント──それが五輪だったのでは。
 五輪が"フィクション"にすぎないをもっとも象徴したのが、例の口パク少女騒動でした。歌った方の少女は、自分の名前がついに一度も出てこなかったため、ずっと部屋にふさぎこんで腕を歯形が残るほど噛んでいたという話もありましたが(これもややガセネタっぽいけど・・)、年端もいかないいたいけな少女がそんなふうに"利用"されれば、傷つかないはずはないでしょう。国家行事の添え物扱いされたことで、才能の目を潰したんじゃないかと気がかりです。何にも知らない観客たちが一番きれいだったと褒めちぎっていた、開会式の花火もフェイク。ドーピングも結局根絶できず。
 「世界は一つ」というテーマの、現実からの遊離感がどこまでも付きまとう、そんな北京五輪でした。そういえば、経済界が見込んでいた地デジ買い替えによる景気梃入れも当てが外れたようですね・・・
 
 メダルの数を競う代わりに捕獲数を競った捕鯨オリンピックも、フェアプレイの精神とは程遠いものでした。中でも日本は、他国の捕獲枠を次々に買い取ったり、便宜置籍船を使って規制逃れを図ったりと、「金メダルのためならなりふりかまわず」という姿勢の目立つ捕鯨国でした。
 
五輪そのものがとっくに幕を閉じたにもかかわらず、日本は調査捕鯨という形で南極海のクジラを殺し続け、この20年間でさらに1万頭をトータルの捕獲数に上乗せしました。「銅を銀に、銀を金に」という空しい夢を、一体いつまで追い続けるつもりなのでしょうか?
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2008年05月26日

ハレムじゃないよ・・

■オットセイ・ハレムの真実|ダーウィンが来た! (5/25,NHK)
http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program103.html
 
 前回のオウサマペンギンに続く南極サウスジョージア特集、今回はミナミオットセイ。
 「一夫多妻のハレム社会で、その主となったオスが圧倒的に強く、メスはひたすら服従するとの"定説"を覆す、したたかに力強く生きる、メスの"新伝説"」とありますが……野生動物の社会関係に関する認識がどうも根本から間違っているようです(--;; まあ、ハレムなんて呼称を付けたのがそもそもの過ちだったのですが・・・
 夫婦ハレムも、ニンゲンによる後天的な文化です。アザラシにしろ他の鳥や獣にしろ、恋人という社会的概念≠ヘありません。当然、法律の縛りもありません。野生動物の繁殖行動には、種/個体によって保守的か気まぐれかという傾向の違いがある、というだけの話なのです。
 ミナミオットセイに関する最新の研究成果が示す事実は、従来繁殖オスを中心にした交配のための集団≠セと考えられていたものが、実はテリトリー・繁殖のための場所・資源を確保する便宜に基づく集団≠セったということです。雌雄の利害が対立する場合は、オスは確保したメスが他のオスとつがうのを阻止する行動をとるように、選択圧が働くはずです。よそのハレムからメスがやってくるのを迎えればいいのですから、オスがメスの浮気に口を挟まず放っておくのは、動物行動学の見地からは理に適っているのです。要するに、(ニンゲンと同じ意味での)浮気などではないのです。メスがしたたかなわけでもないのです。一見、自分とつがわないメスのために他のオスとの闘争のエネルギーを割くのは理屈に合わない気がしますが、遺伝子を共有する血縁個体であれば(遺伝子にとって)有利に働く、という解釈なのです。
 野生動物の社会集団は、細かい差異はあっても、近親交配を避けるために必ず父系ないし母系のいずれかのタイプに分けられます。ミナミオットセイの場合、父系/母系どちらとも判別つきかねますが、非常に巧妙な仕組みに出来上がっており、興味をそそられます。
 もっとも、この社会のシステムがどの程度自然に成立したものなのか、疑問の余地もあります。というのも、番組中でも解説されましたが、ミナミオットセイは南極海捕鯨が盛んだった頃に乱獲され、一時島で50頭のレベルにまで個体数が落ち込んでしまったのです。下手人は西洋の捕鯨業者ですが、意識レベルはアホウドリを乱獲した日本人と何ら変わるところはありません。結果を予期できなかった、自然の生態系のシステムを理解できなかったニンゲンの仕業なのです。
 ハレム(に代わる呼称を早く考えたほうがいいケド・・)のおかげで、400万頭のオーダーに回復できたとされていますが、むしろシロナガスなどの大型鯨類の激減による南極海生態系の乱調の結果とみるべきでしょう。捕鯨推進派のロンリに従えば、オットセイたちを殺して間引かないのは"不合理な差別"ということになりますね...
 ちなみに、オオフルマカモメに襲われた仔アザラシを成熟個体が救うシーンがありましたが、撮影スタッフが実の母親≠ニきちんと確認したのかは疑わしく思えます。目玉をつつかれたりするのは、ニンゲンの目には残酷に映るかもしれませんが、これが自然の摂理というもの。フルマカモメたちもそうやって命をつないでいるのですから、"悪者扱い"はやめて欲しいですね。ペンギンやオットセイやクジラたちにとって、真の"悪者"は、南極海生態系にまったく場違いなニンゲンという殺戮者だけなのですから。
 どうも公共放送NHKは、以前に比べ野生動物の捕食関係を情緒的に解説する傾向が強まっているみたいですね。。なんとかしてもらわなければ。あと、返ってわかりづらいだけの無駄なCGに割く予算があるなら、取材費に回してもらいたいところ。。
 
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2008年05月25日

粘菌のはなし

■不思議生物 粘菌の力をいかせ|サイエンスZERO (5/24,NHK)
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp210.html
 
  なんだかわけのわからん単細胞生物をプロトゾアとしてひとくくりにしていた四半世紀前に比べると、系統分類学上の位置付けが最も大きく変化した生物群(界からして別組になったものも多い・・)。今は専らクジラにかかずらってる筆者ですが、小学生くらいのころは原生動物フリークでした...
 今回の番組は、経路選択などの電算用に使えるのではないかという応用生物学の話題。多くの種の美麗な子実体の映像などを期待していた身としては、少々物足りない感はありましたが、それでも興味深い内容でした。生物の走光性の原理などは、もはや分子レベルで解明できる時代になったのだなあとつくづく感じます。また、佐倉統氏の指摘されたとおり、生命現象に働く根源的な原理というかルールがあって、それは粘菌の行動特性からヒトの神経回路・意識や感情、知性の"メカニズム"に至るまで共通なのだと、筆者も思います。デイヴィッド・ブリンのSF小説『ガイア』に、「ニューロン・ネットワークの発達の仕組みは神経細胞同士の競争と共存の原理として理解できる」というくだりがありましたが、粘菌にしろ脳細胞にしろ、やはりルーツを等しくする生物なのだなあと改めて思った次第です。
 このほか、宮崎駿のナウシカと南方熊楠のエピソードも紹介。粘菌は単細胞としては巨大で活発ですが、表面からATP消費用の酸素をじかに吸収しているので、いまの地球大気の酸素分圧では数ミリ程度のサイズが限界だったりします。あんなバカデカイ人食いアメーバは設定にムリがありすぎなんですけどね。。ナウシカは生態学的にはかなりつっこみどころの多いファンタジー。映画はわりと好きだったのですが・・。今夏の金魚姫(?)も・・淡水魚のデザインで海の人魚(?)はどうかと思いました・・。どうでもいいネタですけど。
 南方熊楠は、日の当らなかった日本のナチュラリストして、最近脚光を浴びるようになった人物。「活力に満ちた変形体を蔑み、死を控えた子実体にばかり目を向けるニンゲンこそ自然界の異端である」という、独特の発想は、まさしく彼ならでは。ちなみに、筆者の師匠は"ベジ界の熊楠"と呼ばれる歩くオールジャンル生物図鑑です。
 
 今日はクジラと関係なかったけど・・粘菌ならぬ年金とクジラの関係はこちら・・・(強引)

■年金記録問題、原発の耐震性、そして薬害肝炎からクジラへ──
http://www.kkneko.com/kagaku.htm#2


◇追記
 
 四川大地震、有名な臥竜のパンダ保護センターはほぼ壊滅したとの情報が。マスコミの情報はやっぱりあてにできません。。野生のパンダたちも、竹開花や豪雪以上のダメージを被っていそう。上野行どころではないでしょう。
 ヒトも死者5万人以上、5百万人が家を失い難民と化している状態で、五輪どころじゃないんじゃないの。。
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2008年05月16日

下総史跡めぐり

 本日は1日取材、モヤシベジ中年にはかなり強行軍でありました。。方向音痴なのに自転車で行こうとするからこーゆー目に遭うんだけど。。
 主な訪問先は栄の龍角寺、印旛沼、印旛吉高の大桜と松虫寺(こっちは春にも来たけど)、本埜の龍腹寺。ついでに今日は猫日和でもありました。5匹と遭遇。キジとも(撃たれませんように・・)。後日アルバムをアップするニャ〜。次回作は絵が鍵なのですが、絵心がないと辛い(--; セミプロの絵描きでも雇えれば、苦労はしないんですけどねぇ。。
 そゆわけで、しばらく本業のほうにかかりきるのでHPとブログの更新ボリュームと頻度を下げますm(_ _)m サンチアゴ会合を前にそろそろ"クジラの季節"ではありますが、指示で動いてくれるエージェントも結局つかまらず、やはり発言力を上げないことにはなかなかキビシイので・・・
 
 中国もミャンマーも大変なことになっていますね。よりによって、両方とも民主化度の低い国。犠牲になるのはいつも弱者。地球というのはやはり無慈悲なものです。災害に見舞われた方々も無論心配ですが、災害のときにいつも気にかかるのは被災動物たち。四川省のパンダ保護センターは一応無事とのことですが・・・

 
◇調査鯨肉横領事件

 量がハンパじゃないので、需給調整の一助にしようと"上"がやらせた疑いもあるのでは。それにしてもGP、またアブナイ橋を・・(--; マスメディアが捕鯨教の洗礼を受けている国で、欧米豪流のやり方は通用しません。慎重にやらないと足元をすくわれかねないのですが・・。まあ、下手な対応をすれば外交問題に発展するのは、日本側も同じですけどねえ。
 アルバム
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2008年05月09日

ニンゲンの天敵・・

 ここ数日、急に気温が上がったせいか、おそらく日本最強の野生動物の一つであろう動物と鉢合わせしました。オオスズメバチ・・・
 毛虫からクモからヘビから、ヒトに嫌われがちなたいていの動物はへっちゃらなのですが、筆者が唯一かな〜り苦手なのがスズメバチ系。。あの低い羽音を聞くだけで、全身が凍りついてしまいます。これはもう本能的な恐怖というやつですね。サルになる以前から、あの体色と羽音に対する警戒反応が刷り込まれてるんじゃないかという気がします。。
 山や森に入ると、決まって一度や二度は追っかけられる羽目に(--; 筆者は方向音痴のアンラッキーマンなので、沢で滑ったり雨に降られることも多いですが、やはりハチ・アブに付きまとわれる頻度がいちばん高いです・・。一方、ムササビやシカに出会う幸運の方には、なかなか恵まれません。幸い、まだスズメバチには刺された経験はないけど、ハチに好かれるのだけはごめんこうむりたいもの。世の中には、スズメバチを手の上で歩かせたなどと自慢する輩もいるようですが、これはもう動物好きというよりただのアホのレベル。外国人のハイカーたちも、母国に住む温厚なハチたちとは比較にならない、日本の凶暴なキラービーの存在には驚くという話。
 ツキノワグマやヒグマの被害は、ここ数年環境の変化で増えているとはいえ、年間通しても数えるほど。ニュースにはならなくても、スズメバチに刺されて死亡する人は年間50人を下らないのです。しかも、最近は都市の住宅地の軒下などに平気で巣を作るようになり、被害も急増しています。かくいう筆者の現住所も首都近郊。春から秋にかけては、フツーに住宅街を歩いていて、フツーにキイロやオオスズメに遭遇します。雑食性だけに、ニンゲンの産み出した貧弱な生態系に適合する一握りの生物に含まれてしまったのでしょう。ある意味ニンゲンの上に立つ、まさに生態系の頂点。
 生物の進化市場でいま"買い"なのは、やはりなんといっても社会性昆虫でしょう。ニンゲンはもう"売り"。最安銘柄。クジラも残念ながら"売り"・・。
 地球環境の今後の変化次第では、石炭紀頃の濃い大気と高い酸素分圧のもとで生息した巨大なヤンマのように、また昆虫が巨大化していくかもしれません。全長50センチを越える超巨大スズメバチなんかが登場する時代が来るかも。そんな世界にニンゲンがいたら、きっと見つかり次第あっというまに肉団子(T_T) けど、その頃には人類は愚か、哺乳類もネズミを除いてほぼ絶滅しているでしょうね・・。


参考書籍:『フューチャー・イズ・ワイルド』(ドゥーガル・ディクソン著、ダイヤモンド社)
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0104121521
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2008年05月07日

ダーウィンのファンとして

■熱血天才アカデミー・ダーウィン進化論 (5/6,NHK)
http://spider.art.coocan.jp/biology2/evolution080506.htm
 
 番組はバラエティ色が強すぎたので、興味のある方はぜひ上野の科博ダーウィン展(6/22まで)に足を運んでほしいと思います。ついでにかわいいカラスたちにも会ってきてくださいニャ〜。

■ダーウィン展|国立科学博物館
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2008/darwin/index.html

■愛しいカラスたち (拙過去記事)
http://kkneko.sblo.jp/archives/20080419-1.html


 以前にも述べましたが、筆者はダーウィンのファンの一人です。在学時代、進化論はまさに論理学・演繹的推論のお手本でしたし、『種の起源』は"バイブル"でした。本物のいわゆる聖書の方は、"ファンタジーとしては"優れたものだとは思うのですが・・。もっとも、大学にも、彼が20年をかけて積み上げた精巧で隙のない論理を否定する教員(生物畑とは縁遠い文系だったけど)がいたりして、正直筆者はそちらの方に驚きを覚えたものです。
 実は、筆者がダーウィンに寄せる共感には、科学的業績とは直接関係のない彼の個人的体験、そして、その体験と切っても切り離せない一種の信念に通じる部分もあります。彼は最愛の娘の一人を幼くして病で喪くしました。ありのままの自然、命に等しく訪れる無慈悲な死という"真実"を目の当たりにしたことが、旧い時代の価値観を打ち壊す生物の進化という"真理"を徹底的に突き詰めるに至る、強固なモチベーションになっていたのです。種は違えど、哺乳類として血筋を同じくするこどもたちの死を腕の中で看取ってきた私には、彼の気持ちが痛いほどよくわかるのです。
 著名な進化行動学者のリチャード・ドーキンスも述べていますが、「信じる者は救われる」というのは、かなりえげつない自己存続のためのキャッチコピーでしかありません。ダーウィンは、神を愛することはし(でき)なくても、娘を愛することにかけては人後に落ちるところなど決してありませんでした。彼自身、誰がなんと言おうとも、その一点において微塵も揺らぐところはなかったはずです。「信じないから不幸になる」というのが神の摂理ならば、彼は娘への愛、娘の命の尊さを証明するためにこそ、まさに全力で神に戦いを挑まなければならなかったわけです。
 ダーウィンは確かに勝ちました。自然科学者としての達成感とは裏腹に、家族を失った悲しみがそれで癒されるものでないことは、彼自身も自覚していたでしょうが・・。その後の歴史を通じても、ダーウィンの進化論の科学的・論理的な正しさは証明され、今も補強され続けています。亡くなる前、もう少し早い時代にメンデル、あるいはワトソン・クリックの発見を知ることができたなら、彼もさぞかし喜んだことでしょう。真実から目を背ける人たちに対しては、現代の精緻なネオ・ダーウィニズムも効力を持たないけれど・・。
 もし、自然・命が、誰かによって創られたのであれば──しかも、その誰かが、動物の一種にすぎないニンゲンと同じ姿の、要するにニンゲンがこしらえた"フィクションのキャラクター"だとすれば──すなわちそれは、ニンゲンが"二次的フィクション"に他ならないことを意味します。まるでコミケで売られる同人誌。命は、そんな薄っぺらなものではありません。
 いま、日本のこどもたちは、一度死んだ人間が生き返ると思っていたり、天国や生まれ変わりを"本気"で信じる子が、冗談ごとでないほど増えているといいます。マンガやアニメ〜願望を反映しただけのファンタジーの世界を、フィクションと知りつつ「こんな魔法が使えたら便利でいいよね」という具合に楽しむならかまわないのですが、そうではなく、フィクションの方が子供たちの現実を侵食し始めてしまったのです。米国のバカげた進化論争を、対岸の火事とながめている場合ではないかもしれません・・・
 家族を病気や事故や事件によって早くに失った方に、「真実から目を背けるな」と告げるのは、ある意味残酷なことで、抵抗もあるでしょう。しかし、大人はやはりこどもたちに対してを言ってはいけないのです。

 
 すべての命は、世界にたった一つしか存在しません。生は、たった一度きりのものでしかありません。一度失われれば、本当に二度と、決して取り返しがつかなないのです。だからこそ、だからこそ、本当に命は尊いのです。
 

 いうまでもなく、筆者はバリバリの無神論者ですが、もちろん捕鯨の賛否と宗教観は無関係です。信教の自由も否定するつもりはありません(胸の内で銘々勝手に祈るだけ、というのが"正しいあり方"だとは思うけど・・)。その点は誤解なきよう。
 ご存知のように、反捕鯨国の市民にはキリスト教徒が多いのも事実です。「聖書を引き合いに捕鯨に反対している」などとトンチンカンなことを言い出すネット右翼の連中以上に、たぶん筆者はファンダメンタリストとは反りが合わないでしょう。まあ、捕鯨ニッポン9千年の歴史」とか「捕鯨ニッポンの乱獲はなかった」「余すところなく利用してきた」という嘘八百も、「地球が7日で出来た」ってのと同レベルだから、両方同じくらい嫌いっちゃ嫌いなんだけど・・・

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