2013年09月22日

ダイマッコウ考/「予告犯」の正しい読み方

※ 本日の記事はネタバレ注意です!
◇ダイマッコウ考

■鯨の王 藤崎慎吾・著|文芸春秋
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163260006
■感想サイト
http://www.webdoku.jp/shinkan/0708/t_5.htm
http://blog.livedoor.jp/sintamanegi/archives/51240016.html
http://www.asahi-net.or.jp/~wf9r-tngc/kujiranoou.html

 日本発の本格的な海洋SFとして、SFファンにはぜひ手に取っていただきたい作品です。

 海という環境において、ヒトという陸棲哺乳類の種族は、完全にアウェイの立場にあるわけです。
 もっとも、現代を生きるヒトには、その認識すらないのかもしれません。
 「ほかの誰かが暮らしている世界なのだ」という自覚さえあれば、少しは遠慮が働いたというものでしょう。ここまで荒らし放題、汚し放題、壊し放題ということにはならなかったでしょう。
 その最たるものが、核のゴミ捨て場としての利用。そして軍事利用。

 この作品は、ヒトが海という自然とどのように向き合うべきか、今の付き合い方で本当にいいのか──という問題を、私たちに改めて気づかせてくれます。
 米海軍の潜水艦をも翻弄するダイマッコウという存在を介することで。
 この作品で筆者がとくに気に入っている点は、ニンゲンの知性と武力さえも上回る存在でありながら、ダイマッコウがあくまで野生動物らしさを失っていないこと。興醒めしがちな異なる知性≠ナはなく、クジラ(亜)目(下位の分類群は現存しないけど)の動物の一種としてすんなり受け入れることができたところ。
 放射性廃棄物を含む有害廃棄物の投棄、音響妨害のような問題にも、きっちりボリュームが割かれ、読者に考えさせる機会を与えてくれています。
 ハードSFとしての緻密な設定、海洋生物の描き方、コンタクトものとしての切り口の面でも、ドイツの作家の手になる「深海のイール」よりも、筆者としてはポイントが高かったです。

 きちんと読んだのは、実はつい先日(汗)
 これまでなかなか食指が動かなかったのは、主人公の無頼なアル中鯨類学者・須藤秀弘のモデルが、最近御用色が濃くなってしまった加藤氏だからなんですが(汗々) 名前も一字違いだし、どうしてもあの個性的なヒゲ面が思い浮かんじゃうんだよね(--;;
 それから、正直、テーマやSFネタの一部に拙作と被る部分もあり、筆者としてはかなり悔しい思いをしました(^^;;
 続編で気嚢ネタを出したのが、すっかり二番煎じになっちゃったし。。
 このままじゃ癪だし、筆者はハードSFファンなので、いくつかツッコミを入れたいと思います。藤崎先生のファンの皆様、ゴメンチャイm(_ _)m

 まずは気嚢ネタについて。
 今までダイマッコウが発見されなかった大きな理由は、呼吸のために海面に上がる必要がなかったから。そのために気嚢の特徴、アザラシでの事例をもとに水中仕様の肺≠ニいうアイディアを作者は考案されたわけです。筆者も読者の皆さん同様唸らされたのですが、実はひとつ大きな問題が。
 それは、進化史的な説明が(ほぼ)不可能だという点。
 動物がそれまでの水中生活から陸上生活へ移行するにあたって、酸素をどうやって取り込むかはとても大きなハードルでした。
 実際にどうやったかというと、浮き袋という元来別の機能を果たすための器官に、空気中の酸素も取り込める追加仕様≠加え、水中では鰓、陸上(乾燥期や水場間の移動)では肺という、両棲タイプの動物へとまず進化したわけです。その後淘汰圧が働き、フロンティアの陸上に生活の比重が移る過程で、呼吸のための器官もメインとサブが入れ替わることになったわけです。これが進化における呼吸器官スイッチの流れ。進化は常に、境界領域で起こり、一種のひらめきにも似た想定外の活用=A不可欠な機能に至る前のバックアップ的な活用≠フ過程が入るわけです。ID論者であればここは省けるんですけどね・・
 ダイマッコウの場合、肺という単一の器官を空中仕様から水中仕様へといっぺんに切り替える形になるため、進化の過程を考えるとやはり苦しいのかな、と。
 徐々に潜水時間を引き延ばす方向へ淘汰圧がかかったとして、いまは発声器官として使われている鼻道の気嚢に近い構造を水中の酸素を一時的に取り込む器官として発達した、という説明なら可能かもしれません。マッコウは鼻道に低温の海水を取り込み、脳油の比重を下げることで大深度への急速潜行を可能にしているという仮説があります。その前庭気嚢がやがて音響用から水中呼吸用への器官へとシフトしたとの説明はつくかも。ただ、それだとソナーや音響通信の性能は低下しちゃうかもしれないけど・・
 あと、マッコウより大きい強力な社会性の捕食者という位置づけを考えると、そこまでして深海に適応する必要性は高くなかったでしょう。餌の生産性、あるいはメガロドンのような天敵への対処にしても。ヒゲクジラの場合は高緯度に逃げることで対処し、それが長距離回遊の由来だと考えられています。メガロドンに逃げるために潜水時間を徐々に延ばすよりは、寒い海に逃げるか、大型化で対抗したほうが手っ取り早いだろうし、やはり深海への適応はコストがかかりすぎる気がします。
 余談ながら、気嚢は鳥類の大きな特徴のひとつといえる器官で、恐竜から続く進化の観点でも注目されてきたのだから、動物学者なら畑違いでも名前と概略的な機能は知っていていいこと。対談を見る限り、やっぱり加藤氏は動物<食文化学者だね。。。 
 もうひとつ、その須藤氏(加藤氏)の解説の間違い。
 「生きた化石」は形態・形質が祖先種とほぼ変わっていない原生種に対して用いる用語。ヒゲクジラもハクジラもダイマッコウも、ムカシクジラを共通祖先に抱く関係という意味では同じで、直系の子孫には違いありません。
 むしろ、マッコウとダイマッコウは、別の系統でありながら深海に適応したために、よく似た形態を有するようになった相似の典型といえるので、その辺の解説が欲しかったところ。
 それと、これだけのサイズで分布も広範に及んでいたなら、化石の形でやっぱり残ってしまうでしょうね。だから、分岐年代がそこまで遡っていたとしたら、やっぱり現代に未知の新種として発見されるのはちょっと苦しいかも。
 

 環境問題に関する部分で指摘しておきたいのは、核廃棄物に関して。
 超臨界二酸化炭素を用いた化学分解技術は実際に応用されていますが、ウランから酸素などの不純物を除去するためで、放射能の問題を解決するわけではありません。登場した多国籍企業がどれだけ悪質かって話だけど。
 原潜と海底基地の原子炉も、あのままでは確実に汚染源。海の原潜・核事故は、ロシアの原潜、タイコンデロガの水爆搭載艦載機をはじめ、実際起きているわけですが。
 近未来の設定といえる海底基地ですが、電力供給を原子炉でやるのは、燃料棒の交換などを考えるとかなり無茶かも。やっぱり温度差か波力が現実的かしら。核の問題を訴える意味であえてそういう設定にされたのだと思うけど。

 有人宇宙ステーションは極低重力という特有の実験環境が必要性につながっていますが、有人深海底基地のほうは、優れた潜水艇があったり、高圧実験環境が陸上で作れることもあり、コストに見合う必要性が見出せないかも。現状の洋上の母船で十分だから。
 ある意味で、科学性が恐ろしく低いのに税金をバカスカ拠出する調査捕鯨に近い存在といえちゃうかもしれません・・・

 工学では超音波兵器ネタ。
 基地や船内への攻撃は、水中・金属隔壁・内部の空気というインピーダンスの差が非常に大きい三層構造だと、反射・吸収による減耗がかなり大きくなるように思います。直角に当てると自分に跳ね返って危険だし、角度を付けると余計入射しないし。
 位置を探るエコロケーション用ソナーの方は、当然攻撃用ソナーより出力を絞らなければいけませんが、低周波は指向性が低く精度が粗くなります。船内のニンゲンの器官に照準を定めるのはやっぱり厳しいんじゃないかしら。
 逆に、ニンゲン側も、体表の斑紋・傷の位置や形状、数などを主な指標とする個体識別は、基本的に視覚に頼るため、音響ソナーの分解能・反射映像でそれをやろうとするのはちょっと無理かなあと。
 低い出力でより効果を上げる方法の一つは、隔壁に頭部を接触させる方法。それと、小説内でも使われていた複数個体で焦点を合わせるやり方。まさに知能・コミュニケーション能力の発達したダイマッコウならではの協調攻撃ですね。後は、ブリンの「ガイア」にあった(こっちは重力波だけど)周波数を対象の固有振動に合わせる方法。音を吸収するゴムのような素材を過負荷にして発火させる手などもありそう。
 なんて、これじゃまるでニンゲンよりダイマッコウを応援してるみたいだけど。。。
 ちなみに、拙作に登場するネオシャチ・ネオマッコウらが使う超音波レーザーなんか、昔のロボットアニメの必殺技のレベルだからニャ〜(汗) 大体、レーザーって原子のエネルギー遷移を利用して発生させる位相の揃った単色の光(電磁波)のことですもんね。。
 ごまかしの利くファンタジーしか描けない筆者としては、これ以上のツッコミはやっぱりできませんね(^^;;


 8月末には『深海大戦』が刊行。藤崎先生の今後の作品にぜひ注目していきたいと思います。


参考リンク:
−深海大戦|角川書店
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=201103000949



◇リンチ殺人テロを賞賛する凶悪反反捕鯨漫画「予告犯」の正しい読み方


■予告犯|ジャンプ改Web
http://jumpx.jp/w/yokoku/special.html
■予告犯|ウィキペディアJP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%91%8A%E7%8A%AF


■Tsunami|シー・シェパード(SSCS)元代表ポール・ワトソン氏のフェイスブック
https://www.facebook.com/captpaulwatson/posts/10150154562665932
■石原都知事  天罰発言|ユーチューブ
http://www.youtube.com/watch?v=-0yM309YxKk
■石原都知事「アニメエキスポ震災で全部パーになった。ざまあみろ。」 |〃
http://www.youtube.com/watch?v=jYjiR4DnICY
■石原知事「津波は天罰、我欲を洗い落とす必要」 ('11/3/14,読売)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110314-OYT1T00740.htm
■石原"不謹"慎太郎の「津波は天罰」という妄言を批判する|松永英明氏 ('11/3/15,BLOGOS)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110314-OYT1T00740.htm
■よみがえる「天譴論」〜石原天罰発言の超克|Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2569


東京都の石原慎太郎知事(78)は14日、東日本巨大地震に関連し、「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」などと述べた。(引用〜読売)
しかし、こちらの解釈を行なうならば、石原都知事はポピュリズムや我欲批判をするのに「天罰」というような被災者感情を無視した言葉を発すること自体が不要であったはずだ。被災者感情(あるいは被災地に親族や友人知人がいる人たちの思い、あるいはあの被災の映像を見て一人でも多く助かってほしいという願い)を踏みにじる言葉であることは言うまでもない。村井嘉浩・宮城県知事も「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、おもんぱかった発言をして頂きたい」と発言したと報じられている。
「津波で我欲を洗い流せ」と言ったら、津波の被災者は洗い流された「我欲」という連想が働いて当然である。そういうことに思いが至らない石原の言葉づかいにはまったく賛同できる余地がない。
そこでもう一つの読解が可能である。石原は本当に天罰だと思っている、と。
古い考え方では「為政者が悪政をするから災害が起こる」という考え方、大正の関東大震災の際には「民衆が堕落したから災害が起こった」という考え方が流行したという。つまり、ノアの大洪水のように、大災害が起こったのは堕落した人類を懲らしめるためだという思想である。
石原の場合、民主党ではなく日本人への天罰だと言い切っているので、関東大震災後の民衆堕落批判としての「天譴論」に当てはまるといえよう。
こう言い換えればわかりやすいだろうか。石原慎太郎は「煩悩にまみれた日本人へのカルマ落としとしてこの大震災が起こったのだ。だから日本人は悔い改め、石原慎太郎を支持しなければならない」と主張したのである。
(引用〜BLOGOS)


 以前のブログでボロクソにけなしたら、この作品を擁護するクレームをいただきました。。
 ので、さらに詳細なツッコミを入れておきたいと思います。

 まず、集英社・筒井氏によってほぼ特定される形で、具体的にパロディにされた元ネタのSSCS・ワトソン氏の詩について。
 最初に、筆者はSSCSのやり方を支持しておらず、ワトソン氏も個人的に嫌いなタイプだとお断りおきましょう。もうひとつ、私の作品でも環境保護団体・(一部の)反捕鯨運動に対するかなり痛烈な風刺を取り入れています。
 作品中のシー・ガーディアンなる団体の代表はボブ・パーカー。スペル一字違いのボブ・バーカーは実際のSSCSの船名であり、同団体の大口スポンサーである著名なTV司会者の実名。日本のSSCSたたき動画では「バ」ではなく「パ」の誤表記も多く見られます。
 筒井氏が勘違いでニコ動を真に受け「パ」にしたのか、狙って一字変えたのかは定かでありませんが・・
 さて、リンクのワトソンのフェイスブック、詩の原文そのものを見ればわかるとおり、彼の詩には「天罰だ」とも「ざまあみろ」とも一字も書かれてはいません。
 日本、東北等固有の地名も含まれてません。ま、311に書いた以上、特定の津波にインスピレーションを受けて書いた詩であることはまず間違いないでしょうけど。
 詩の中にはポセイドンという単語が一度使われるだけ。
 天罰というのは、もし発言者が字義通りの意味をこめているとすれば、その人物の宗教観・信教・道徳観の反映であるはずです。
 ワトソン氏は伝え聞く限り、プロテスタントでもカトリックでもありません。どうやら日本の八百万信仰や先住民族のアニミズムに共感しているようですね。
 仮に隠れキリスト教徒だとすれば、ポセイドンなんて異教の神の名前が出てくるわけありません。といって、ギリシャ神話の世界を真に受け、ゼウスやポセイドンを信仰しているわけでも当然ありますまい・・
 ギリシア神話に慣れ親しんだヒトであれば、これは比ゆ的表現としてあり得るでしょう。実際、メジャーなギリシャ神話のメジャーな登場人(神)物なんですから。
 確かに、古代の人々、信仰心の厚いヒトは、普通に津波や地震、噴火を神の天罰だと思い込むでしょう。「思うこと」を他人が否定しても意味はないわけです。それは、相手の信仰や信条、価値観の否定でしかありません。
 ワトソンが日本に悪意を抱いているかどうか、災害に見舞われたことで「ざまあみろ」と思っているのかどうか──それは他人には決してわかりようがないことですが──いずれにしても、それは本人の良心の問題です。
 ワトソンの失言を「ざまあみろ」と思ってここぞとばかり攻撃して愉悦に浸っている反反捕鯨論者が山ほどいたとしても、それがこのアホどもの人間性の問題にすぎないのと同じこと。
 筆者の目には、「天災の前では高度な文明を発達させたニンゲンといえど無力な存在だ」という嘆きの詩というふうにも受け取れます。
 日本の反反捕鯨論者でも、SSCS支持者でもない、捕鯨問題に関して特定の意見を持たない世界中のニュートラルな人たちにこの詩の感想を尋ねれば、おそらく7、8割方筆者と同じ答えが返ってくるだろうと思いますけどね。
 繰り返しますが、本人がどう思っているかは、本人しかわからないことです。しかるべき立場の人物が、しかるべき場で発言した「言葉そのもの」ではなく、含むところのある他人が「言葉」の裏を勝手に勘繰ってあれこれ議論するのはナンセンスです。
 「この詩は『東北大震災は天罰だ、自業自得だ、ざまあみろ』と言いたいに違いない!」との主張は、そういった主張をしているヒトたちの純粋な主観です。自分の物差しで他人の内面を決め付けることしかできない、一部の狂信的な反反捕鯨論者たちの。
 詩というのは得てしてそういうものです。作者の意図をそっくり受け取る必要もありませんし、読者が想像をたくましくするのも自由ですけどね・・
 無神経だと思うヒトはいるでしょう。特に実際に被害に遭われた方は。
 しかし、文字どおりの天罰発言が、記者会見の席上ではっきりと「天罰」の二文字を明言する形で、ニュースで聞くだけの外国人と異なる日本の首都の首長の口からあったとするならば、話はまったく違ってきます。
 それも、表現力、想像力ともに日本で最も磨かれた人物であっていい、言葉・日本語の使い方が誰よりも洗練されているはずの、それが可能であって当然の、日本の売れっ子作家であったとするならば。
 石原氏の天罰発言がいかに#災者のみならず日本人全体を傷つけるものだったかについては、松永氏のブログ記事で詳細かつ適切に論じられているので、そちらをお読みいただくことにしましょう。
 ポール・ワトソンの無神経さの程度は、明らかに日本人・政治家・作家であるところの石原慎太郎元都知事には遠くはるかに及びません。
 当事者とそうでない者の感覚の違いというのは、「国籍によらず」共通です。
 ワトソンの詩について取り上げた日本のマスコミは産経のみ(記者は佐々木氏)。本人と日本の狂信的な反反捕鯨論者たちがネットでは広めましたが。
 一方、石原発言は各マスコミにそれなりに大きく取り上げられました。ネットでも。こちらでは支持者層もいましたけど。。
 「天罰発言」そのものをもしパロディとして取り入れるとするなら、ニュートラルな表現者/メディアであれば、対象は石原元都知事にしかなり得ないでしょう。まあ、両方知っていれば、石原とワトソンを9:1くらいでミックスした登場人物を作るのもアリでしょうけど。
 「予告犯」作者の筒井氏と、集英社の「ジャンプ改」筒井氏担当編集者は、石原発言に関する報道を知らないほど、新聞・テレビ・インターネットから隔絶された環境にいたのでしょうか? でもって、ワトソンだけはファンでフェイスブックで友達申請でもしてた??
 ありえませんわな。耳をまったくふさいでいたら、この作品自体成立しなかったでしょう。いくら中身がボロボロのガラクタだろうと。
 つまり、筒井氏はとんでもない色眼鏡の持ち主なのです。
 石原の天罰発言は、筒井氏の脳を右から左へとすり抜けていったのです。
 『予告犯』作者筒井氏(及びこの作品中の登場人物たち)が許せないのは、「津波は天罰」と発言した外国人のみなのです。
 ほかに何か理由がある? 別に他の属性でもいいんだけどさ。いずれにしろ、石原はスルーでOKなんだよね、この筒井という作家、集英社という出版社は。
 実在の事件・団体・個人を読者の大多数が特定できるほど、あまりにも具体的にすぎる内容を、ここまで偏った形で取り上げるのは、作者・掲載誌・出版社の思想・信条の反映と受け止める以外ないでしょう。
 あるいは、石原をパロディにして名誉毀損で訴えられるのは怖いけど、ワトソンなら集英社及び筒井氏を訴えることはまず考えられないから、いくらでもネタにしてしまえるという判断が、作者と編集者/編集長の間にあったのでしょうか?
 だとすれば、卑屈な意気地なしの謗りは免れないでしょう。
 ちなみに、威力業務妨害で指名手配を受けているワトソンは、日本に上陸した日本の警察によって逮捕される可能性が高いわけですが、海外で彼を逮捕する義務が生じるのは、日本との間で犯罪人引渡し条約を締結している米国と韓国だけなんですよね。
 フランス等でもこの「予告犯」は同国語版が刊行されているということですが、そちらでワトソンが集英社・筒井氏に対して、ほぼ特定できる形で勝手に犯罪被害者にさせられ、団体・個人を名誉を傷つけられたと訴えたら、その国の名誉毀損罪に該当する罪で刑事・民事告訴に至る可能性もゼロではないでしょうね。日本では『石に泳ぐ魚』の判例もありますし。

 さて、この漫画の内容の稚拙さについても指摘しておきましょうか。一応個人の感想としてですが。
 日本の警察のサイバー担当部署が手も足も出ないほど優れた一流のハッカーなら、黴の生えた誰もが知ってるチャチなツールを使ったり、ネカフェを踏み台になんかしないよね・・。すぐ足がつきます。
 莫大の予算と人員をかけ、ネカフェのチェーンまで特定しながら、指名手配のポスターで気づいた一般人に犯人を逃がされるシチュエーションもあり得ません。店舗の前で最初から£」ってるでしょうに。アホかいな。
 ジャンルとしては警察漫画なんでしょうが、警視庁を恐ろしく無能な存在として書いているに等しいです。現実味がまったくありません。被害者の相談を受けて「捕鯨文化論」をぶつ警察官もいないけどね・・
 当然ながら、登場する被災者は凶悪犯罪者を匿った犯人隠避の罪で問われなければなりません。この作品は、被災者の感情を前面に押し出す形で作中のモチーフとして利用したうえ、被災者を凶悪なリンチ殺人犯の共犯者として扱った漫画なのです。
 さて、シーガーディアンなる架空の反捕鯨団体に対して行ったのは、脅迫とPCの乗っ取り、さらし。
 これ、脅迫罪、不正アクセス防止法違反、名誉毀損罪、威力業務妨害罪等に該当するでしょう。シーガーディアン及びボブ・パーカーに対する。
 犯行が行われた状況によっては、出身のカナダなり団体本部のある国で同罪に該当する罪が適用されます。ここで仮に米国とすると、米国の司法当局が捜査に着手し、IPCOを通じて日本の捜査当局に協力の要請があることになります。日本の警察は「へい、かしこまりやした」と米国の指示通りに粛々と犯人を逮捕し、米国に送致することになるでしょう。それでおしまい。


 この作品の最悪の部分は反反捕鯨ネタではありません。
 前述のとおり、筆者はSSCSがボロクソに叩かれたところで別にどうでもいいですし。
 その問題点については、この作品を読んだすべての読者、そして人権・死刑問題、あるいはテロ問題に取り組んでいる人々に対して、強い警鐘を鳴らす必要を切実に感じます。こんなガラクタ漫画が日本で読まれているという状況に対し。
 実は、この作品の最終回について、筆者はある予想を立てていたのです。
 まあ、1割くらいは認めてやってもいいかなあという感覚で。
 主人公のシンブンシが、自らの手で人を殺めたことに対する罪悪感に苛まれ、自滅するというパターンを。
 初回で、この主人公らは、凄惨なリンチ殺人を実行しました。自分自身があたかも法の執行者であるかのように振る舞ったのです。
 相手は日雇、外国人労働者をこき使っていた工事現場監督。労基関係の法規はいくつか破ったでしょう。ただ、この人物は病死した外国人労働者の死体を遺棄させようとしただけです。
 日本に低賃金労働者を提供しているアジアの国の格差、元請と下請の関係、この国における外国人の人権問題、様々な社会的背景があったはずなのです。
 彼がそうした人物になったのは、生まれつきでも、100%彼個人の責任でもないはずなのです。それは司法の場においては考慮されること。
 何より、ステレオタイプの悪役、単細胞の読者には殺してもすっきり溜飲が下るようなキャラとして描かれている、間違いなくニンゲンでありながら人間味が感じられないこの現場監督にも、生い立ちがあり、妻や子供、家族がいたでしょう。
 そのことに気づき、自分が人の命を奪ったことに対する罪悪感が日増しに大きくなっていき──まともなニンゲンであればそれは当たり前の心理のはずですが──計画犯罪の遂行に支障を来し、あるいは自ら罪を償おうとする衝動に駆られる。
 そういうパターンの展開を、ほんのちょっぴりは期待≠オていたのです。
 悪い奴に相応しい最期だったなとか、悪人だからって自分で決め付けて殺したり制裁したら、やっぱり自分に跳ね返るもんだよなとか、ありきたりではあるけど、読者が人間性・常識の枠からはみ出ない薬≠ニしての価値を、ほんのわずかであっても示してくれるだろうと。
 最低限、そのくらいの尻拭いはしてくれるのだろうと。漫画表現者として。プロのクリエーターとして。大手出版社として。

 見事に裏切られました。
 最終回、この主人公は正義の行いの末殉死するという展開でした。
 罪を憎むはずの警察官からも、あたかも高潔な人物であるかのように悼まれます
 日本は一応先進国の中で数少ない、死刑容認国です。しかし、人を殺していいことになっているのは国だけです。一応。
 警察のニンゲンが、好感≠抱いてどうすんの??
 身勝手で独善的な正義≠フ感覚に酔い痴れ、よってたかって凶悪残忍な人殺しを行ったリンチ殺人犯が、この作品では正義の殉教者として最後の最後まで美化されたままで終わってしまったのです。
 心の底から驚きました。震えが走りました。
 逆に「感動した」という感想があるともまったく思えないけど。もしそんな読者がいたとしたら、本当に世も末だよ・・・
 SSCSあるいは架空のシーガーディアンとも異なる、正真正銘のテロリスト。日本の法律上のテロの定義は前回の記事で紹介したとおりですが。
 正義≠フためには人殺しさえ自らに許してしまう。狂った犯罪者。まさにカルト集団。
 フィクションの中だけのお話なら、まだ笑って済ませられたかもしれません。
 残念ながら、戦前の日本の軍国主義、現代でもサリン事件を引き起こしたカルトや一部のイスラム過激派が示すとおり、自分たちの定義した正義≠フ名の下にヒトの命を奪ってしまう狂信者たちは現実に存在するわけですが。

 前回の批判でも述べましたが、別にいいんですよ? どれほどくだらない漫画を描き、世に問おうと。
 ただし、くだらない漫画は、どうしようもないガラクタだ、クズ漫画だとさんざんに叩かれ、さっぱり売れずに終わるのが健全な社会というものです。ニッチ市場くらいはつかめるかもしれませんが。
 もし、この漫画が売れているとしたら、それは日本の社会がまさに末期症状を呈していることを意味しているといえるでしょう。
 恐ろしいことです。
 想像力の欠如。
 想像力の欠如した作家と、想像力の欠如した編集者・出版社と、想像力の欠如した読者によるコラボレーション。
 悪人がなぜ悪人になったのか、なぜ罪が引き起こされたのか、その背景に思いをめぐらせる想像力が欠如したまま、悪に死という制裁を加えることを単純に善≠ニし、正義≠ニし、クライマックスではその正義≠フ執行者を殉教させて偶像化してしまう。
 それが、ブラックな不条理ギャグ漫画としてでもなく、社会派漫画として社会に受け入れられてしまう。まさに社会の不条理。

 実に恐ろしい。
 集英社、少年ジャンプは「はだしのゲン」を出せたところなのにね。一年で打ち切りとはいえ。
 ざっとネットを見回しても、まともな批判がろくに見当たらないのが、余計怖いんですよね・・
 筆者としては、若い世代がこの『予告犯』を正しく読んで≠ュれることをひたすら願うばかりです──



◇口直しに「銀の匙」!

http://www.shogakukan.co.jp/pr/ginsaji/

 さすがは本物のエンターテイナー荒川弘氏。
 正真正銘の社会派漫画として、常識に真っ向から挑む作品。
 豚丼のエピソード、殺しの正当化が命の授業≠セと勘違いしてる大人たちと違い、主人公はあくまで答えを出さず悩み続けます。読者に、子供たち自らの意思にその答えを託します。
 これこそが本物の表現者。
 まあ、動物福祉的にはかなーり問題のあるばんえい競馬のヨイショなど、パーフェクトじゃありませんが。
 8巻p82、p83、ストレートですが、活動家や市民団体がどんなに頑張って、口を酸っぱくして説教しようとしたところで、やはりここまでたくさんの人の胸に染みこむメッセージにはなりません。
 この酪農家の借金の構図、背景を簡潔明瞭に説明しましょう。
 日本の一次産業が、農家・漁師を借金漬けで首が回らなくするスタイルを取るようになってしまったのは、命より金を優先せざるを得なくなったのは、JAと全漁連の所為です。
 そして、霞ヶ関と自民党の所為です。
 その背後で蠢いているのは米国。
 日本の一次産業をすっかり駄目にしてしまったのは彼らです。
 ついでに、カニで一攫千金を狙うヒトが増えれば、カニの資源が細るだけ・・

参考リンク:
−捕鯨カルチャーDB(拙HP)
http://www.kkneko.com/culturedb.htm
−コントロール下にあるのは言論とメディア(拙過去記事)
http://kkneko.sblo.jp/article/75670669.html
−本日は捕鯨問題からちょっぴり離れてオタクな話題・・・(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/33169420.html
−命の授業関連ツイート
http://twilog.org/kamekujiraneko/date-130305

posted by カメクジラネコ at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会科学系
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