鴨シーアクションに参加された皆さん、熱い中ビーチクリーンアップまでお疲れ様でした。
今日はNHK深海ザメ特集ですね。深海の脆弱な生態系についても、当の深海サメの生態についても不明なまま、海の自然に無関心な消費者に美容・健康サプリを提供すべく、歯止めのない乱獲が進んでいる状況に、警鐘を鳴らすきっかけになればいいのですが・・・
◇ICJクジラ裁判報道マスコミランキング・2
■春秋 (7/18,日経)
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO57468590Y3A710C1MM8000/
こういう風習は日本中にあった。苦心して捕獲した鯨をあますところなく利用し、その恵みに感謝して霊をとむらったのだ。鯨塚は東北から九州まで広く分布、なかには戒名をつけてもらった鯨もいるという。かくも高い精神性を伴ってきたのが日本の捕鯨文化なのだが、感情的な反捕鯨運動の前に立場はますます厳しい。
(中略)
国際的なルールのもとでの行為をやめさせようとは提訴自体に異文化への不寛容がにじむ。ICJは敢然と退けてほしいけれど、判事の過半数は反捕鯨国の出身でもあり予断を許さない。
遠い海まで出かけて捕るよりも沿岸捕鯨の復活に力を、という声もあって問題は複雑だ。しかし世論があまり盛り上がらないのは、鯨を食べる機会がめっきり減ったせいでもあろう。狂信的な団体の妨害もあって捕獲が減り、鯨食がますます廃れていく仕儀だ。鯨塚を築いた先人たちの思いを、どうしたら引き継げようか。(引用)
■捕鯨文化を守りたいが【私説・論説室から】 (7/24,東京)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2013072402000163.html
国際条約では商業捕鯨は三十年近く凍結されたままだが、生息数や生態を分析する調査捕鯨は種類、頭数を制限して認めている。だが、オーストラリア政府が提訴して「科学を装った商業捕鯨にすぎない」と全面禁止を求めた。日本政府は「種の保存に考慮しながら持続可能な捕鯨をしている」と反論し、全くの平行線だった。
(中略)
捕獲数など厳格な条件を付けたうえでこれまで通り調査捕鯨を認めてほしいが、先住民による伝統猟も含め捕鯨実施国は六、七カ国だけ。国際社会では逆風が強い。(引用)
前回のブログ記事後に掲載されたマスコミ報道をチェックします。といっても、情報としては何の価値もない小論説記事ですが。原発推進の日経、批判の東京とも、クジラ裁判コラムは同水準のトホホなガラクタ。
まずは日経から。記者のいう「高い精神性」の裏事情を説明しましょう。それにしても、自分で言っててよく恥ずかしくないものですね・・・
ポイントは2点。鯨塚の詳細については参考リンクをご参照。
@捕鯨と無関係な鯨塚のほうが多かった。
A動機もさまざまだが、供養した一番の理由は仏教徒としての「後ろめたさの解消」
これらの鯨塚は(古式)捕鯨業者が建てたものばかりではありません。全国的には、流れ鯨、寄り鯨に由来するもののほうがずっと多いのです。捕鯨ではなく「拾鯨」。
日本の多くの漁民にとって、クジラは魚を追い込んでくれる海の神、恵比寿でした。
そして、飽食の現代日本とはまったく異なる時代状況も背景にありました。多くは飢餓や貧困から救ってくれたことへの感謝なのです。
三崎地方では「流れ鯨を拾った船元の家は栄えた例がない」との言い伝えがあり、西浜延命地蔵の鯨塚は祟りを恐れて建てられたとされます(「日本漁民史」)。
三崎の鯨塚については同地方で行われた捕鯨業者が建てたとの説もありますが、建立時期が天保なので間違い。相模湾には戦国末期に突取の技術が導入され、業態としての捕鯨も行われたのですが、乱獲が祟ってあっという間に自滅に陥ったのです(「慶長見聞集」)。
中には浦安のように、「高い精神性」どころか割としょうもない理由もあります。何しろ中世日本では銅鉱に次ぐ一大マニファクチャー、金にはなりましたからね・・
さらに、京都の在胎鯨子塔の碑文が示すとおり、「食べ(ることができ)なかった」ケースまであるのです。
嘗て鯨をとりしが子鯨、母鯨にそうて上となり下となりて其の情態甚だ親しく、既に母鯨の斃る頃も、頑是なき児の母の死骸にとり付きて、乳を飲む様にも見えたり、よって屡々これを取除かんとすれども遂に離れず、拠無く子・母共殺すに至る。いかなるものもその様を見てはその肉を食うに忍びず、此処に葬りて墓を建て供養せり、定めてこの墓の鯨もザトウなるべし。(引用〜参考リンク1番目)
日本が現在南極と北西太平洋で行っている調査捕鯨は、ランダムサンプリングということで未成熟の仔クジラをたくさん殺しています。
日経記者殿は、日本人のどれほど「高い精神性」を備えていたか、一から勉強し直すべきでしょう。その精神が現代においてかくも失われてしまった理由についても。
日本で鯨肉消費が一気に増大したのは戦後、敗戦国へのアメリカの配慮のおかげです。クジラにとっては災難でしたが。もともと一部地方のハレの日の食材、食べる機会がふんだんにあること自体、真の伝統食文化に逆行する異常なこと。もっと減らしてナンボ。
「鯨塚を築いた先人たち」が、この日経記者のような手合いが日本人の伝統と精神を捻じ曲げていることを知ったら、さぞかし嘆くことでしょう。
続いて東京新聞のコラム。署名があるだけ日経よりマシですが、書いてあることはグチャグチャ。
山本勇二氏は論説室"専門"編集委員とのことですが、ひょっとしてこんなろくでもないコラムばっかり書いてるんでしょうか・・
まず、商業捕鯨の凍結(モラトリアム)は条約の条文ではなく付表の修正によるもの。日本が調査捕鯨の根拠としている国際捕鯨取締条約(ICRW)8条には、「生息数や生態を分析する」「種類、頭数を制限して」などとは一言も書かれていません。もしあったら、オーストラリア(AUS)は120%快勝できたでしょう。前回の朝日記事の解説でも触れたことですが。
管理のために最も重要な情報である生息数を調べるのは、非致死の目視調査。調査捕鯨に時間と手間を取られるせいで、調査の精度が落ちています。生態の調査については、毎年850殺し続ける必要など何もなく、これも優先順位のはるかに高い調査がなおざりにされているせいで、満足に活用することさえできない有様。
「捕獲数など厳格な条件を付けたうえでこれまで通り調査捕鯨を認めてほしいが」という表現は、日本語として成立していない二律背反。日本の主張は「厳格な条件を付けるな!」、「これまでの調査捕鯨」は事実上の無規制捕鯨に他なりません。
残念ながら、今回のICJ訴訟の背景・経緯についても、口頭弁論の内容そのものについても、山本編集委員が何も勉強しないままこのコラムを書いたことがわかります。
論説中二番目の段落の「すべて利用」「感謝の気持ち」云々については、日経と同様、外に対してアピールできちゃうこと自体恥ずかしい話。公平を期せば、口論の相手になった米国記者も彼と同水準かもしれないけど・・
マスコミの皆さん。別に賛成でもかまわないけど、とにかくもっと勉強して!!(--;;
参考リンク:
−鯨文化:鯨を弔った鯨墓・鯨塚など
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/kujirahaka.html
−東京湾岸内・外の鯨塚
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/haka-toukyou.html
−ほんの穏やかな意見ですが|其蜩庵井蛙坊
http://blog.goo.ne.jp/matonn-8/e/57f281e29aabbf635deb911274d54fde
−三浦浄心の「慶長見聞集」〜やる夫で学ぶ近代捕鯨史番外編・1
http://www.kkneko.com/aa1.htm
−日本人がクジラを供養した理由〜NHKの捕鯨宣伝番組4(拙ブログ過去記事)
http://kkneko.sblo.jp/article/31422606.html
−日本の日本のマスコミによる捕鯨報道は素人レベル(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/18740030.html
◇捜査中・・・