2013年05月02日

生体販売考

 税金で作られたガス室に送られ殺処分される犬猫。外来生物として厄介者扱いされるエキゾチック・アニマル。どちらも動物の生体販売が根源に。


 環境問題、消費者問題の文脈では、汚染物質や廃棄物の発生あるいは製品の欠陥などの事態が発生した場合、誰が責任を取るのか(具体的にはコスト負担)が問われます。行政・メーカー・販売店が応分の負担をし、コストは製造原価に上乗せされるのが公正な社会。

 犬猫の場合、本来なら車の「運転技術を有する者」に相当するのが「福祉に配慮し、終生飼養する能力を有する者」であるべき。そうなっていないから、適正飼養者も動物嫌いも含めた納税者全員でコストを払わされ続ける、バランスの悪い歪んだ社会に。


 悪いのは飼い主? いえ、能力がないまま保有できてしまう社会の方です。


 交通事故の過失責任を運転者に負わせられるのは、事故を起こさないのが前提だから。私達の社会は、動物を遺棄しないこと、適正飼養の能力を有することを所有の条件にしていません。飼養能力がなくても購入でき、尻拭いも行政がしてくれる形になっています。

 本来であれば、生体の販売価格に、飼養能力の取得・審査にかかるコストを上乗せする仕組みが必要。繁殖制限のコストも同じく。
 消費者が家計の中から動物に割ける金額は自ずと限られてきます。生体をシェルター経由にする分、ドッグライフ・キャットライフの充実のために必要なヒトと犬の教習にその予算を振り向ける──一般家庭が自然にそうした選択ができるようになれば、どれほど素晴らしいことでしょう。


 残念ながら、今は生体販売を中心に、すべての歯車が回っています。


 行政と市民はひたすら尻拭いだけをさせられ続けています。社会が負担を率先して引き受けてくれるので、市場が存在し続けるのです。マスコミは、攻撃しやすい標的、顔のない相手である「心無い飼い主」をスケープゴートにして終わり。だから、いつまでも平気で続けられるのです。


 生体展示が効果的な集客機能を発揮し、複合ビジネスが回っています。生体販売ありきの総合ペットショップのイメージが市民に刷り込まれ、郊外のショッピングモールにも花屋や自転車屋の感覚で生体販売店が必ず並んでいます。ありふれた休日に、ごく普通の家族連れが訪れ、一定の割合で「出会い」が演出されます。そのうちの何割かは、固定客としてその店の商品・サービスを購入することで、長期的・継続的な利益をもたらします。
 ハイリスク・ハイリターンの生体販売との組み合わせが、ビジネスとして相性がいいわけです。


 これではいつまでたってもなくなりません。


 しかし、すべての元凶が生体販売にあったとしても、一足飛びになくすことはできません。市場と業態があれば、どうにも割が合わなくなるまで存続させようとする力学が働きます。そして、日本は行政に対して業界団体の圧力がきわめて有効に働く国です・・

 一定の投資がなされ、従業員も食べさせ続けなければいけません。一方的に圧力をかけるだけでは、返って強い抵抗に遭います。とある産業が好例ですが・・


 あれだけ多くの市民の関心が集まったはずなのに、動愛法の改正があまりにも無残な体たらくに終わったのは、政治の力学を正しく理解した運動になっていなかったからです。

 環境省を責めるだけでも始まりません。理解のある担当職員もいました。しかし、途中から雲行きが怪しくなっていきましたね・・・
 鞭だけで、飴がなかったからです。「人間」対「人間」の話で、鞭だけで結果が出ることは決してありません。ときには悲劇を招くこともあります。


 1兆円規模に達するといわれるペット関連産業ですが、食、医療・保険・介護福祉、娯楽、教育に相当する、多岐にまたがる事業が展開されています。トリミングや躾け教室、喫茶店など幅広いサービス産業、フードからアメニティ関連、ホビーに該当する商品、動物病院まで。今はそれらがほぼすべて、生体販売を中心に回っています。


 ガラス越しの出会いに惹かれてしまう「フツウのヒト」と、ツイッターで譲渡情報を毎日流し続ける「トクシュなヒト」が、まったく噛み合っていません。まるで別世界の住人のように。残念ながら、本当に前者の方が圧倒的に多いのです・・


 今日のシェルター、遺棄犬猫譲渡活動は、生体部門以外のペットビジネスから距離を置きすぎています。生体販売に依存しないビジネスモデルを積極的に支援する、そのような試みが十分に行われているとはいえません。

 連携できているのは一握りの動物病院くらいで、しかもこれは本来の蛇口対策ではないうえ、背景に別の理由もあるわけですが・・・


 行政に規制を働きかけるのと並行して、ペット関連産業全体を生体中心から、金で買ったのではない本物の家族との生活を充実させるための、継続的なサービス・商品中心の事業へとシフトさせていく。徐々に。ビジネスとして健全に成立し得る形で。切り離し、取り込む。

 そうした取り組みがなされなければ、いつまでも抵抗勢力、敵対勢力のままで、規制はなかなか先へと進みません。


 現状の日本においては、動物と一緒に暮らすことに対する敷居があまりにも低すぎます。しかし、敷居が高すぎても「ヒいてしまう」だけです。

 一般の人々の意識を高めることも大事ですが、活動家と呼ばれる人たちは、ある程度寛容でなくてはなりません。高い理念・目標を掲げるとしても、ときには現実的な妥協・譲歩も必要です。結果を出すためには。


 運動にまつわる近寄りがたい印象や遺棄・譲渡のマイナスイメージを打ち消し、企業を立てて知恵も借り、既存の生体販売以上の安心感を持ってもらえるようにする、そうした戦略も必要になってくるはずです。


 「殺処分をなくそう」──わかりやすく、強烈なメッセージです。


 ところが、この手のメッセージそのものがうまく取り込まれ、すり替えられてしまいました。マスコミに。行政に。当の生体販売業界にまで。
 責任の所在、「蛇口がどこにあるか」を明確に示さなかったから。


 TV業界は未だに、コロコロした明らかに八週齢未満とわかる仔犬・仔猫のカワイサを前面に押し出し、「適正飼養の必要性と負担の現実」をなんら訴えることなく、無邪気な人々の心を擽り、購入を煽り続けています。
 それでいて、遺棄・殺処分問題を取り上げるニュース報道では、すべて飼い主の責任"どまり"で終わってしまうのです。感傷的に。情緒的に。

 商魂たくましいドジョウ狙い映画とかも出てきたり・・
 蛇口の問題、「能力がないまま保有できてしまう社会」の責任についてはぼかしたまま。

 電力会社じゃないけれど、スポンサー強しということでしょう・・


 筆者個人は、「家族を金で売り買いするなんて冗談じゃない、理解不能」という立場です。

 しかし、1兆円の1割、1千億円以上の金が動く、そういう世界が相手なのです。

 今行われているのは、蛇口が開きっぱなしのまま、水を汲み出す作業。
 一種の静脈産業として、負担だけ押し付けられ、片棒を担がされているに等しいとさえいえます。
 だからといって、蛇口をバールでぶっ壊そうとしても、ますます大量に水が溢れるだけです。

 締められる環境を整え、自ら締めてもらう以外、道はないのです。


 悪いのは生体販売です。しかし、悪者にするだけでは解決できません。

 知恵を絞りましょう。ヒトが万物の霊長なら。
◇◇◇


 この記事はどこに載せるかも悩ましかったのですが・・


 とある産業とはもちろん、捕鯨のことですけどね。。

 根っこはみな共通しています。
 太地の将来をめぐる議論から、南極プロレス、WWの活用まで。
 マスコミを使った巧みなPR戦術に対し、市民側が有効な対抗手段を打てていないのも同じ。
 ウナギにマグロ、原発、沖縄・・・・
 モラトリアムは急ぎすぎました。きわめてマズイやり方でした。乱獲を食い止めるのには遅すぎたのも事実ですが、それでもなお時期尚早でした。


 日本の捕鯨産業はもうほんっとにどうしようもないです。
 イルカ飼育水族館も。
 生体販売と同じように。
 しかし、それぞれの産業の従事者に罪はありません。
 そして、どうしようもなかったとしても、やはり即時全廃はナンセンスです。
 捕鯨も。生体販売も。

 筋を通し、はっきりと批判することと同時に、現実を見据えて着地点を探ること。

 原発や開発問題は、手遅れになるラインが設定されてはいますけど、それでも暴力的・超法規的手段に訴えることは許されません。
 それ以外の問題は、あくまで地道にソフトランディングを目指すべきなのです。



 まあ・・折り合いを付ける能力が誰よりも欠如してるのはお坊ちゃま首相だし、参院選で日本がハードランディングしそうな気配だけど・・・・・

posted by カメクジラネコ at 03:48| Comment(0) | TrackBack(0) | クジラ以外
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