◇反反捕鯨のつくり方
■戦争はつくられる|爆笑問題のニッポンの教養 (10/27,NHK)
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20091027.html
今回はなかなか面白かったです。田母神教信者から反反捕鯨ウヨガキ君までアッチよりのヒトたち、同レベルの愛(捕)鯨ナショナリスト・NHKディレクター谷口雅一氏や秋道智彌氏などが番組を見ていたら激昂して、例の台湾併合ドキュメンタリーと同じように苦情が殺到しかねないかも・・・
アルカイダにはKAMIKAZE特攻のお手本を、同じくアメリカに対しても対テロ掃討というこじつけ的な戦争の口実のモデルを提供した捕鯨ニッポン。筆者は、たまたま歴史のめぐり合わせで日本が先行しただけ(民族の性向も含め)で、人類共通の課題だと思ってますが・・。
番組の最後で、「“次の戦争”に突き動かすものは何か?」というきわどい議論にまでたどりつきましたが、「CO2・25%削減の恨み」以上の現実感があり、ルサンチマンが表面にまで顕在化しているネタが、実はあるんですけどね・・。
近代日本史がご専門の東大・加藤陽子教授に、捕鯨問題という素材を料理してもらったら、さぞかし興味深い結論が導き出されるだろニャ〜と思います。
「反反捕鯨がどうやってつくられるか」その内幕が知りたい方は、同じ東大の大久保研究員の論説をご参照。
−目からウロコ?の捕鯨問題|東京大学 NEDO特別部門ブログ
http://ut-ecoene-blog.blogspot.com/2009/10/iwc-iwc-iwc-iwc43-88iwc-43.html
−やる夫で学ぶ近代捕鯨史4 (拙HP)
http://www.kkneko.com/aa4.htm
◇民話が語る古式捕鯨の真実
猫玉さんから以下の情報を提供いただきました(多謝m(_ _)m)
1977年から78年の「まんが日本絵巻」に「壮絶!!白鯨の復しゅう くじらとり与五郎」という話がありました。
大背美流れのアニメ化だと思ったら下記アドレスの話のアニメ化でした。
■長崎県の民話・第三話:くじら長者(西彼杵郡)
http://www2.ocn.ne.jp/~i-talk/minwa3-3.htm
大変興味深いお話ですので、以下に転載させていただきます(背景着色部分。赤字強調筆者)
むかし、大村に深沢儀太夫勝清(ふかざわぎだゆうかつきよ)という、クジラ捕りの名人が住んでいました。 勝清はくじらで大もうけをして、野岳湖(のだけこ)を造ったことで知られています。
勝清の孫(まご)、与五郎(よごろう)はおじいさんから大変かわいがられて育ちました。 与五郎は、おじいさんゆずりの心の大きな人で、そろってくじら捕りの名人でした。
与五郎は、いつも、
「クジラが沢山捕れるよか方法はなかじゃろか」 と考えていました。
ある日のこと、クモの巣に一匹のこがね虫がかかった様子を見た与五郎。
「これじゃ、クジラを網(あみ)で捕るのじゃ」と、さっそく大きくて、じょうぶな網を作りました。
くじらを網で捕る方法は大成功。 毎年、数百頭のクジラが生け捕られました。 与五郎はたちまち日本の長者番付にのるほどの大金持ちになり、りっぱな鯨御殿(くじらごてん)を建てました。
それから後のある夜、一頭の親くじらが与五郎のまくらもとに現われて、
「与五郎どの、わたしは子もちのクジラです。 かわいい子を生むために、どうかお助けください」と、涙ながらに頼みました。
しかしよく日、与五郎は、子もちのクジラを捕らない様に伝えるのをうっかり忘れてしまいました。
夕方、子もちクジラと子鯨が浜にあげられました。 それを見て昨夜の夢を思い出した与五郎はたいそう悲しみました。
それからというもの、プッツリと鯨が捕れなくなり、浜はすっかりさびれてしまいました。 あれほど栄えた鯨御殿も荒れはてて、与五郎は六十歳でこの世を去りました。
そして、子孫(しそん)に不幸が続いたそうです。
さて、解説にいきましょう。
日本で組織的な古式捕鯨が行われるようになっておよそ一世紀後、飛躍的に効率を上げる網取式という捕獲法が考案されました。その発祥地に関しては2説あり、1つがこの民話に基づく九州・大村の深沢儀太夫考案説。そして、もう一つは「The Cove」で今まさに渦中にあるあの太地の和田角衛門頼治考案説です。
言い伝えの中身は似たようなもんで、クモの巣にかかった虫が大村ではコガネムシ、太地ではセミになってるというだけ・・。他の歴史文献によれば、貞享元年(1684)に深沢氏が太地に見学に行ったとも、それ以前の寛文年間(1661〜)から始めていたともいわれています。どっちが本家か、決着は着いていません。「でんちゅう銛」という銛は深沢儀太夫が発明したものがその後太地に伝わったともされ、相互に技術交流があったのは確かでしょう。
深沢儀太夫は寛永2年(1625)に鯨組を組織、大村を中心に壱岐・生月・五島・江の浦など各地に進出、当時の西海地方最大の捕鯨事業者にのし上がり、巨万の富を築きました。下掲リンク先の資料でも上記の民話同様、「年間数百頭の鯨を捕り、大金持ちとなる」とありますが、これではセミクジラやザトウクジラの個体群が耐えきれるはずもありませんね・・。そして実際、深沢組は寛政(1789〜)初期に廃業しています。これは米国の帆船式捕鯨が日本近海に本格的に進出してくる以前のこと。日本最大の捕鯨漁場となった西海では、各藩がこぞって捕鯨操業に乗り出したため、漁場をめぐる係争まで起こり、幕府が調停に乗り出す始末。
太地・和田組が無謀な操業による大背美流れの大惨事で歴史の幕を閉じたのは、それから約90年後の1788年のこと。では、太地と大村の間の“時差”を生み出したものは何だったのでしょうか?
東京国立博物館所蔵の絵巻などの史料からも、太地でもやはり積極的に子持ちのクジラを捕獲していた事実は明らかで、両鯨組の体質に特段の差があったとはいえないでしょう。背美流れの遭難自体、自然のキャパシティを無視した無謀な操業強硬が原因だったのですから。両者を分けたのは単なる運だったのでしょうか?
太平洋側のルートを回遊する捕獲対象鯨種個体群に対する、太地を含む紀州沿岸や土佐の鯨組による捕獲圧より、各藩の鯨組がひしめき合い過密状態だった西海捕鯨による、日本海側のルートを回遊する個体群の資源量に対する捕獲圧のほうが、より過大だったことは、おそらく間違いないと思われます。地勢と競合度の差が表れたということですね。それも一種の運ということになるのかもしれませんが。遅かれ早かれ、日本の古式捕鯨が自滅の運命をたどった事実に変わりはないのですし・・
明治以降のノルウェー式近代捕鯨事業者の乱立と、その乱獲によるあっという間の資源枯渇と自滅もすさまじいものがありましたが、すでに古式時代からこういう乱獲体質が捕鯨業者には染み付いていたということ。三浦浄心の『慶長見聞集』には、無謀な乱獲が祟ってあっという間に途絶した三浦地方のケースが記されていますが、高々400年の間、この乱獲体質というブンカだけが脈々と引き継がれてきたという見方もできるでしょう。大手捕鯨会社による南氷洋での大乱獲に砲手・船員を送り出す形で加担した太地でも、そして科学の名のもとに日本国民の血税が投じられてきたはずの調査鯨肉横流しでも、鯨御殿を建ててきた連中なのですから・・・
国民の受信料でえげつない偏向番組を制作したNHK谷口殿&史実を客観的に分析する能力が著しく欠如し人類学者からグルメ評論家に変貌してしまった秋道殿。せいぜい勉強しなおしてください。
参考資料:
『熊野の太地・鯨に挑む町』(熊野太地裏捕鯨史編纂委員会)
『日本の捕鯨』(高橋俊男)
−近世日本における捕鯨漁場の地域的集中の形成過程 (末田智樹・中部大学)
http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/file/14930/40_4_049_072.pdf
−捕鯨の先駆者・深沢儀太夫
http://www.trakomnavi.com/gidayuu.htm
−セミ流れの経緯について(太地・ブルーム姉妹都市騒動関連) (拙過去記事)
http://kkneko.sblo.jp/article/31722747.html
−NHK、久々に捕鯨擁護色全開のプロパガンダ番組を流す (〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/31093158.html
◇いただいたお便りご紹介
旧大洋漁業をはじめとする捕鯨再開派はシーシェパード等を 『環境テロリスト』と呼んでいるが、貴様らのとこの 大洋漁業も子会社が『食品テロ』起こしてるではないか!その上 自分たちも被害者だと開き直って仕入先に11億損害賠償払えだと? さらにこのようなことをしておきながら捕鯨再開など ふざけるにもほどがある! 反捕鯨団体諸君、こいつらは徹底的にたたけ!!
「神港魚類社長退任へ ウナギ産地偽装事件で引責」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001854441.shtml
「偽装ウナギ 神港魚類が損害賠償請求 東京地裁」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002147923.shtml
<神港魚類と同じマルハニチロ傘下の(主要)荷受一覧>
・神港魚類株式会社(兵庫県神戸市)
http://www.maruha-shinko.co.jp/uodas/sengyo.html
・大京魚類株式会社(京都府京都市)
http://www.maruha-daikyo.co.jp/sosiki.html
・大都魚類株式会社(東京都中央区)
http://www.daitogyorui.co.jp/jp/about/about_info.html
・大東魚類株式会社(愛知県名古屋市)
http://www.nagoya-daitoh.co.jp/
(地獄大使さん)
コメントありがとうございます。また掲載が遅れたことお詫びいたします。業務用アドレスの開示等はさすがにうちではできかねますので、多少編集させていただきました。
損害賠償請求に至っては盗人猛々しいの一語に尽きますが、企業らしい行動ではあるでしょうね。。自社社員が関わっていながら風評被害の責任までおっかぶせようとしてますが、こんな主張が通るのであれば、むしろ日本の司法がガタガタになっている証ということかもしれません。
おっしゃることはいろいろごもっともですが、NGO(筆者は無関係)は自分たちの仕事だけで手一杯なので、掲示板等にコメントするだけでは動いてくれません。主体的に取り組む人のお手伝いなら、ほんのちょびっとはできるかもしれませんが。うまいやり方を考えていきましょう。
まあ、昔の人のやった事だから仕方ない気はしますが、それが資源枯渇の反省という形ではなく、怨念にこじつけて残るあたりが(大背美流れも禁忌を冒したから壊滅したという話だしなあ)なんと言っていいのやら。
何故、この話をアニメ化したんだろう・・・。DVD出てるらしいんだけど・・・。
どもども。同じTBSの「まんが日本昔ばなし」の方は有名ですけど、こっちは知りませんでした。この回はどんなだったかちょっと観てみたいですね。
古式捕鯨自体をたたいても意味ないんですけど、「日本の捕鯨は古式時代からずぅーっと善玉なんだ」とデタラメを吹聴されるのにはホント困ってしまいます・・・