2009年08月19日

捕鯨と死刑のジャパネスク/NHKの捕鯨宣伝番組4

◇NHKの悪質な捕鯨推進プロパガンダ番組その4〜ますますエスカレートする偏向ぶりに『WHALE WARS』ももはや顔負け

■くじら物語#3|知る楽歴史眠らず (8/18 22:25-,NHK教育)
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/tue/index.html (リンク切れ)

 秋道氏は学者というよりただのグルメ評論家ですね。素朴なウヨガキ君たちであればやんやの喝采を送るでしょう。というより、まさに彼らナショナリストの趣向に合わせて都合の悪い史実を全部端折り、愛国心をくすぐるナレーションを散りばめた作りになっています。回を重ねる毎に自画自賛ぶりがどんどんエスカレートしていきますね・・。個人的にいちばん不快な内容だし、チェックに30分無駄にすんのが実にアホらしかった(--;;
 日本のクジラ食エセブンカの実態については、以下の拙HPの解説をご参照。

−鯨料理"トンデモ"レシピ一覧
http://www.kkneko.com/shoku.htm
−"実質ゼロ"日本人の鯨肉消費の実態
http://www.kkneko.com/shohi.htm
−日本の食文化キーワードで診断する鯨肉食
http://www.kkneko.com/bunka.htm
−日本の鯨肉食の歴史的変遷
http://www.kkneko.com/rekishi.htm
−ヤル夫で学ぶ近代捕鯨史・番外編
http://www.kkneko.com/aa1.htm

 前回「共同性」「社会保障」「エコロジー精神」を唐突に捕鯨ニッポンに固有の美徳にしてしまった秋道氏&NHKのロンリ跳躍は、今回も如何なく発揮されていました。
 鯨肉食が全国の食文化などではなく一部地域に限られたものにすぎないことは水産庁も認めるところ。江戸時代の長崎でミンククジラやクロミンククジラが食べられていたわけではありません。ゼラチンで作ったコピーベーコンと同じこと。
 地場の豊かな海を潰して食文化の根幹を破壊した責任は、1.明治以降日本の資本家が海外の真似をして始めた近代捕鯨業、2.江戸時代資源管理の知識がゼロだった大規模な商業目的の鯨組、3.遠征してきた米国等の帆船捕鯨業者の順。要するに、責任の大半は日本の捕鯨産業自身にあります。とっくの昔に自分たちの手でぶっ壊して、形骸化し名前だけの代物になってしまったにもかかわらず、捕鯨協会のPRコンサルタントがうまい具合にキャッチコピーに仕立て上げただけのこと。彼らの主張は、日本人は縄文時代に帰ってドングリを主食にしろと吠えているようなもの。よりによって、先住民アイヌの文化や歴史的街並・景観を、大半が反捕鯨国である他の先進国とは比べ物にならないほど蔑ろにしてきた国が、ブンカを盾に南極の自然を独占的に収奪する権利を世界に向かって堂々と要求してるんですから、まったくふてぶてしいにもほどがあります。
 最も卑劣なすり替えは、現在の鯨肉消費・需給が「最盛期の5分の1に減った」というナレーション。最盛期ってのは1960年代前半ってとこですね。米GHQの許可を得て敗戦後の食糧難の下で緊急避難的に再開された南氷洋商業捕鯨でしたが、食糧生産が軌道に乗るや鯨肉は国民にそっぽを向かれたため、大手水産各社は魚肉ソーセージ市場への切り替えという突破口を切り開いて激しい競争を展開、結果としてシロナガスクジラやナガスクジラを絶滅寸前にまで追い詰めたわけです。
 NHKナレーターも秋道氏もインタビューで登場した業界関係者も、過去の責任に一言も言及せず反省の態度がまるでうかがえません総選挙に望む自民党もさすがにここまでひどくはないでしょう。というより、野生動物の絶滅なんて知ったこっちゃないと競って捕りまくった無軌道な“黄金時代”未練たらたらのご様子。古式捕鯨・江戸期の鯨肉食文化と100%何の関係もない乱獲時代の近代商業捕鯨に、そんなにまでして逆戻りたいのでしょうか? 実にたいしたエゴロジー精神です。
 「余すところなく利用してきた」との耳タコの主張も、現代の捕鯨ニッポンが唱えるのはあまりに滑稽。戦前から現在の調査捕鯨、太地に至るまで、大量の鯨体が洋上投棄されてきたのが事実です。ついでにいえば、汚染のひどい腎臓等は地元も含めて今じゃ産業廃棄物。そもそも、コンビニから結婚式場から一般家庭から生産現場の農家や漁師から、合わせて年間2000万トンという、年間500万人の第三世界のこどもたちが栄養失調で亡くなっている時代に世界の食糧援助の総量を上回る凄まじい量の食べ物を捨て、世界中のどこの国よりも命を粗末にしているモッタイナイことしまくり国家に、一体どうしてそんなことを口にする資格があるでしょうか。
 結局、ここまで無知な制作者・企画者が、無知な視聴者に向かってその厚顔無知ぶりをさらけ出し、無知日本全国に増殖させているわけです。NHKが事実を知りつつわざと隠す姑息な真似をした可能性もありますが・・。南極捕鯨の実態を追ったTVドキュメンタリー『WHALE WARS』を、鯨研やウヨガキ君たちは「シーシェパードのヤラセだ!」と非難していますが、公共放送の歴史講座の名を借りた狡猾な洗脳番組に比べれば、まだカワイイものでしょう。
 一点、インタビューに答えた生月の博物館の研究員だけは正しいことを言っていました。捕鯨が行われていた集落は地理的条件がいずれも厳しく、作物を生産する場所もなければ、食糧を他の地方から運搬してくるのも困難でした。鯨肉食文化は食べ(ラレ)ナイ文化、捨テ(ラレ)ナイ文化と一体不可分のものだったのです。
 フードマイレージで先進国ダントツの飽食大国ニッポンにおける鯨肉食ブンカとやらは、都合のいい部分だけをつまみ食いする、偽善に満ち満ちた真っ赤な偽物。文化的アイデンティティの本質を見失ってしまった悲しい国民性を象徴するとはいえるでしょうが・・。地産地消の原則に立ち返り、食以外も含めた江戸時代の風俗・生活にすべて戻して、西洋からコピーしてきた物質的豊かさを返上し、食べるものも当時の本草紙等史料に記載された食材や調理法にすべて忠実に従うというのであれば、少なくともスジは通っていますがね。
 番組では極めつけとして、殺したクジラの過去帳や胎児の供養塚が登場。「豊かさに対する感謝」という関係者による虫のいい解釈は非合理なデタラメ。生産量のはるかに多い、つまり“豊かな恵み”をもたらす他の生きもの(農作物・漁獲物)では、クジラに対するような特殊な儀式・風習はありません。大和魂を失っていない生粋の日本人なら、薄々わかるはずですがねぇ・・。
 正解を言いましょう。過去帳に一頭一頭の戒名まで書き込んだり、坊さんを呼んで念仏を唱えたり、塚を建てて胎児を埋葬した合理的な理由はただ一つ。後ろめたさ疚しさからです。
 実は捕鯨論争は、江戸時代の日本国内ですでに繰り広げられていました。三浦浄心は『慶長見聞集』で痛烈な批判を展開しています。今の反反捕鯨論者に似た反論もありました。当時の日本人は生態学・生物学の正しい知識をたいして持ち合わせてはいませんでしたが、クジラがニンゲンに近い哺乳類に類すること、そしてその肉も仏教的な禁忌から口にすることを戒められる獣の肉に近いことだけは感じていました。腹を裂いて胎児が出てくれば、そりゃ気づくでしょう。居たたまれない思いを抱くでしょう。それが証拠に、胎児は“有効活用”することなく、くるんで丁重に葬り、墓碑を建てたわけです。
 もう一つのまぎれもない証拠は、古式捕鯨地と無関係に全国の沿岸各地に存在する寄りクジラ、流れクジラの供養碑。利用しなくてさえ建てられたわけですね。おそらく、当時のそれらの各地の人たちも、クジラが獣の一種であると認識していて、自分たちに近い魂があると感じたんでしょう。だから弔ってやろうとしたわけです。世間からの批判に加え、当時の日本人としては当たり前に持つところの感情、自分たちの所業に対する後ろ暗い思いがあったからこそ、魚や鳥、虫などとはまったく異なり、クジラだけに対してそのような特殊な扱いをしたのです。「どうか成仏してくださいまし」と。が当たらないようにと。情緒的なセンチメンタリズムは、現代の日本人の血にも脈々と流れているみたいですけどね・・・
 失われた殺サ(セ)ナイ文化。重要な文化であり日本人の精神の基調であったところの禁忌が深く人々の心に根ざしていたのも、いまや遠い過去の話。陸の獣は有害鳥獣のレッテルを張られ、供養碑もなしに年間何万頭も殺され、フランス料理の食材として産業的に加工される始末。自治体に持ち込まれ税金で殺処分される犬や猫たちは年間30万頭を越え、これまた反捕鯨国では例を見ない異常な数字飽食・廃食・食品偽装が罷り通る捕鯨ニッポン。

 秋道殿、おたくはまたしても「日本人の生きものに対する精神性」などと飛躍した主張を展開されましたが、これが世界で唯一南極の自然まで貪る捕鯨ニッポンの真実ですよ。
 「日本人は命を奪ったものを慈しむ」。NHKのナレーターは、そんな異常な恐ろしい台詞を口にしました。なんですか、ネクロフォビアですか???
 NHK&秋道殿、あんたたちと一緒にしないでくださいよ。昔の鯨取りだって迷惑でしょうが。そんなものは、ただのカルトじみた宗教です。捕鯨以外の文脈では洋の東西と無関係に議論されているところの、バイオエシックスの一環としての動物福祉とは似て非なるものです。捕鯨関係者以外のニンゲンは、現に生きている命を慈しみます。科学技術文明を築き上げた万物の霊長に相応しく、犠牲を減らす努力をしていくのが、社会の倫理です。
 自らを何一つ律しようせず、過去を何一つ反省しようとせず(国際会議では水産庁が外向けにこっそりボソボソと口にするだけで・・)、「供養しているんだから殺して何が悪い」と世界に向けて豪語する。乱獲や無益な殺生にお墨付きを与えようと開き直る。そんな醜い特性を勝手に日本人全体のものとして拡張されるのは、まっぴらごめんです。

 

◇捕鯨と死刑のジャパネスク

■犬と日常と絞首刑 (6/17)

 IWCの年次会議がマデイラで開かれているころ、作家の辺見庸氏のオピニオンが朝日新聞紙上に掲載されていました。たいへん示唆に富む内容ですので、以下に一部を引用紹介させていただきます(着色部分引用。赤字強調筆者)。

 (前略)死刑制度とは、おもえらく天皇制同様に、この国のなにげない日常と世間の一木一草、はては人びとの神経細胞のすみずみにまで実によく融けいり、永く深くなじんでいるジャパネスクな文化でもある。(中略)
 死刑は共同体、宗教、戦争の起源ともどこかで通底する、こういってよければ、人類史上普遍的≠ネ行事だったのだ。人の世のこうした否定しがたい暗部から、今さしあたり強引に演繹できることが二つある。一つは、だからこそ、日本や中国や北朝鮮やイランなどの死刑制度には、共同体の理に根差した永きにわたる人類史的知恵と根拠がある、という考え方。もう一つは、だからこそ、日本や中国や北朝鮮やイランの死刑制度は、原始共同体と本質的には大差ない野蛮性をあらわに残すものなのであり、早急になんとしても克服しなければならないという思想。(中略)
 にしても不思議でならないことがある。ファッション、グルメ、音楽、文学、絵画、旅、エコロジー、現代思想、建築などあらゆる分野にわたり、滑稽なほどに欧州趣味の日本という国の人びとは、いざ国内で凶悪犯罪がおきるや突如バタンと戸でもたてるように自閉してこの国にしかありえない、いわば非言語系の感情的な閉域=世間にたてこもってしまう。あげく「犯人を極刑に!」という世間の声がマスコミ(とくにテレビ)報道と相乗しつつ勢いをいやまし、考える個人はそれに恐れをなして口をつぐむかちぢこまってしまうのである。(中略)
 EUの標榜する右のような理念が、かくも永きにわたる人類的習慣への無謀な「反逆」なのか、それともあるべき共同体の理想にのっとった英明な「革命」なのか、EUはいったいどうやってこの理念を実現しえたのか──せめていま一度なぞってみる価値はある。EUには移民政策などで救いがたい偽善のあることを私は知っている。だが、死刑存置派、死刑反対派、無関心派の別なく、死刑廃絶のことばをみずからの心底に静かにかさねて、しばし黙考してみることは、死刑にかかわる自己像を知るためにもけっしてむだではない。(後略)


 いくつかの言葉を置き換えるだけで(「IWCを脱退せよ!」とか)、そっくりそのまま適用できますね・・。2chやYahooなどのBBSに入り浸ったり他人のブログを自分の庭と勘違いしているウヨガキ君らは、小学校中学年クラスの国語・算数もできないおバカな子たちだから首を傾げるだろうけど、死刑存置論と同じくらい過激な原理主義的主張を唱えている人類学者秋道智彌氏や水産庁審議官森下丈ニ氏らには、筆者の言わんとすることはわかるでしょう。もし朝日を読んでいたとしても、知らんぷりを決め込むだろけどニャ。。

posted by カメクジラネコ at 03:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会科学系
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