2009年08月06日
NHK、久々に捕鯨擁護色全開のプロパガンダ番組を流す
■くじら物語|知る楽歴史眠らず (8/4 22:25-,NHK教育)
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/tue/index.html (リンク切れ)
日本捕鯨協会運営の鯨ポータル・サイトでも宣伝をしていたので、純度100%のプロパガンダ番組になるだろうとは事前に予想していたのですが、それにしても久しぶりに観た最悪の捕鯨推進洗脳番組でした。NHK、座布団全部持ってけだニャ〜。。
実際、NHK教育枠の教養番組としてあるまじき、公平性・客観性を著しく欠いた偏向ぶり。検証を一切せずに水産庁・業界の意向をそのまま垂れ流すだけで、「知る楽」ではなく「作る(のが)楽」にはなってるんでしょうが、視聴者の方は自ら勉強しないと不備を補えない、恐ろしく粗雑な作りになってしまっています。4回連載の1回目がこれでは先が思いやられますね・・・
案内役の語り手として登場した人類学者の秋道智彌教授ですが、この人物は総合地球環境学研究所の副所長や自然環境研究センター理事などの肩書きをお持ちの一方、『クジラは誰のものか』なる捕鯨=善%Iヨイショ本を著したり、全国各地の捕鯨協会関連イベントで講演をして回っているバリバリの捕鯨礼賛論者。
同番組は終始一貫して「古き良きニッポンの捕鯨文化バンザイ!」と高らかに謳い、素朴で感傷的な郷愁を煽ることを意図した作りになっていました。
形骸化した太地捕鯨を至高の伝統文化と祀り上げる姿勢は、あたかも日本が江戸時代の文化の継承を至上命題に据えた、世界に冠たる文化保存先進国であるかのようです。たかだか3分の交通渋滞を解消するためにユネスコから推奨されている貴重な歴史遺産を破壊しようとしたのは一体どこの国でしょうか? 炭鉱閉鎖で廃れた町や行政執行によりダムの底に沈んだ村など、専ら経済的理由で産業構造が転換したり存在自体がなくなった集落などには伝統が存在しなかったとでも言いたいのでしょうか? アイヌに同化政策を敷いて言語を始めとする最も根幹をなす文化を奪った歴史はどこへ消えたのでしょうか? 先住民政策において、日本は今でも反捕鯨国を含む世界の先進国の中で数段遅れているのが実情です。「文化にはあまり関心がない」とツレナイことをのたまっている“ミスター捕鯨問題2号”森下水産庁参事官であれば、番組中で案の定登場した非科学的なトンデモ鯨食害論と合わせて、「水産庁はそんなこと言ってません」と顔をしかめて否定することでありましょう。
ご存知のとおり、NHKは従軍慰安婦番組に際して「ヨロシク」という政治家の一声を受けて中立性(?)≠ノ配慮、提供者に無断で改編を行った過去があります。一方、つい最近放映された台湾植民史番組では、逆に感情的な右翼の猛反発に遭う羽目に。従軍慰安婦番組の何が問題だったといえば、別に右系論客のつまらん長たらしいコメントを入れたことではなく、重要なシーンを勝手にカットしたこと、情報を隠蔽したことです。市民裁判の判決シーンをただ淡々と流したところで、中立性には何の支障もありませんでした。にもかかわらず、「事実が視聴者に知れ渡る」影響を恐れ、肝心要の部分をバッサリ削除してしまったことで、番組そのものが骨抜きにされ、放映する意味が大きく損なわれてしまったわけです。保守層の声の大きい日本で、公共放送が政治的に中立な番組制作を心がけるのは、ある意味不可能に近い至難の技かもしれません。経営トップ人事など、政治家の介入も避けられませんし・・。
もっとも、以前筆者がNHKに座布団4枚の評価を与えた世界遺産紹介番組はたいへん優れた内容でした。メインのモチーフである史跡や野生動物そのものの映像を中心に組み立てられた、ドキュメンタリーの基本に忠実な作りになっていたからです。間接的なメッセージが含まれていたのは、現地のガイドのインタビュー映像だけ。特定のソースから発信される政治的メッセージを、中立を装いナレーションの形で一方的に代弁するような、番組自体のスタンスの偏りはありませんでした。
それに比べると、今回のエセ教養番組はまさに対照的。紹介されたのは、反捕鯨国や国際NPOへの直接取材によって得た主張ではなく、捕鯨擁護派の都合に合わせたバーチャル反捕鯨団体のそれ。今年のIWCマデイラ総会まで議長を務めた米国ホガース氏らが指摘しているとおり、日本の沿岸捕鯨再開の主張が受け入れられないのは、内外の研究者も憂慮を表明しているミンククジラの日本海側系統群(J―ストック)問題があるから。個体数がきわめて少ないこの個体群の絶滅を回避するため、混獲等の影響を確実に防止する措置を、水産庁も捕鯨業界もまったく提示しないことが最大の理由です。
番組では、種の多様性の維持や包括的な南極圏サンクチュアリの意義、調査捕鯨の対象であるクロミンククジラが深刻な影響を被るとみられる地球温暖化問題などにも、まったく触れずじまい。野生動物保護・生態系保護の文脈では欠かせない議論をすっ飛ばして、問題をすべて歪曲化・矮小化したのです。そして、捕鯨業界サイドの用意した紋切り型の単純な主張へと見事にすり替えられてしまったわけです。
「捕鯨国の主張=絶滅の恐れのない一部のクジラのみ捕鯨を認める」 V.S. 「反捕鯨国の主張=クジラは絶滅に瀕しているorクジラは知的でカワイイ」という。
挙げ句には、解体したクジラの胃袋の中の魚を映し、「クジラの食べる魚は人間の3倍」という映像とはまったく無関係なナレーションを重ね合わせるなど、自民党のTV討論番組出演用フリップも顔負けの姑息な演出まで。ディレクターの質の違いも響いているのでしょう。
ここで番組で触れられた解説について、細かくチェックしてみることにしましょう。
まず、太地の不漁及び「背美流れ」の事故について、番組では「すべて」米国の古式捕鯨に相当する帆船式捕鯨の所為に押し付けていました。これは明白に史実に反します。番組では甲南女子大教授の森田勝昭氏のコメントがあり、続いて帆船式捕鯨の「重点的な操業海域」が時代によって移行していたことを指す図が提示されました。ところが、古式捕鯨と帆船式捕鯨のそれぞれの年代毎の捕獲数の推移など具体的な数字は一切示されませんでした。森田氏は日韓の捕鯨活動に関する比較文化論的研究をテーマとし、秋道氏同様『鯨と捕鯨の文化史』というヨイショ本も執筆されています。
格好ばかりで中味がデタラメな歴史講座番組に代わり、ここで太地の古式捕鯨を中心に日本の捕鯨史を振り返ってみましょう。以下に引用するのは、筆者が捕鯨史のバイブルとしている高橋俊男氏の『日本の捕鯨』。高橋氏のレポートは日本の捕鯨史料を網羅的に調査・分析されたもので、特に日本の古式捕鯨に関して詳細なデータが揃っています。81年に発表され、94年にはグリーンピース・ジャパンが印刷物として発行。高橋氏自身は双方の感情論から距離を置く中立の立場。それでも、番組中での森田氏、秋道氏ら捕鯨擁護派最右翼の適当な主張に対する反証には十分な資料です。
まず、メルヴィルの『白鯨』をお読みの方はご承知と思いますが、米国等による帆船式捕鯨の主要な捕獲対象はマッコウクジラであり、日本の古式捕鯨の捕獲対象だったヒゲクジラではありませんでした。鯨油生産量で比較すると、ヒゲクジラ油はマッコウ油の4分の1から5分の1。途中まで帆走しても、最後はひたすら手漕ぎボートで追っかけるため、同じヒゲクジラの中でも泳速の最も遅いホッキョククジラやセミクジラが中心。一方、追い込み型の日本の網取式捕鯨はザトウクジラがメインで、世界のどの地域よりもいち早くイワシクジラ、ナガスクジラ、シロナガスクジラなど泳速の速い鯨種をも獲物にしていました。最も沿岸を好む鈍足のコククジラやセミクジラは、日本の古式捕鯨“業者”が自ら採算がとれなくなるほど乱獲して生息数を減らしたため、発祥地の三河や三浦、尾鷲など各地で捕鯨自体があっという間に衰微・途絶に追いやられました。紀州や九州などの生き残り組は、網取式の考案という技術革新で捕獲対象をザトウに乗り換え、切り抜けたわけです。米国等が漁場を移る際に、資源状態を図る目安にしていたのはあくまでマッコウ。対する日本は、主要ターゲットがザトウ。かち合ってなどいませんでした。
森田氏は、日本に訪れていた米国捕鯨船を200〜300隻とコメント。『日本の捕鯨』のアメリカ式捕鯨の項から数字を引くと、米国の捕鯨船数は1842年で652隻、1846年で735隻。つまり、森田氏の指摘が正しければ、全世界に散らばっていた米国捕鯨船のうち日本近海まで遠征していたのは最盛期でもせいぜい3分の1程度。1835年から1860年までの米国捕鯨のヒゲクジラ油生産量は年間4300トン。これはホッキョククジラなどを含めた全世界の数字。セミクジラの鯨油の歩留りを1頭当り10〜20トンとすれば、米国捕鯨がごく短い間日本近海で操業・捕獲していたヒゲクジラの数は、年間おおよそ70頭からせいぜい百数十頭程度ということになります。
一方、日本の古式捕鯨では一体どれだけのクジラが捕獲されていたのでしょうか? 番組中でも出たとおり、年間捕獲数は40頭程度、多い年には同じ和歌山県の太地と古座を合わせて170頭も捕獲されています。最も詳細な記録があるのは肥前生月の益富組ですが、1725年〜1861年の間に21,746頭、年間平均では約160頭、最大で200頭を越えるクジラを捕獲していました。現在の和歌山、高知、長崎、佐賀、福岡、山口の各県に鯨組が乱立し、それぞれが年間少なくとも数十頭規模の捕獲を行っていたわけです。シーボルトの『江戸参府紀行』にも、日本では250〜300頭のクジラを捕獲しているとの記述がありますが、これは益富組など数字の明らかな九州の大所の一部の情報をもとにしているとみられます。高橋氏は全国の主要な捕鯨地における最盛期の捕獲数を年間800頭以上と推定していますが、妥当な線でしょう。これは前述した米国式捕鯨による日本近海での捕獲数の5〜10倍の数字。
それらの鯨組による捕獲は、日本近海に生息・回遊する各鯨種の同じ個体群に対して、継続的にダメージを与え続けてきたわけです。繁殖率の低いセミクジラや(ニシ)コククジラの個体群の当時の個体数を仮に数万頭程度とすれば、場合によっては再生産率を上回る深刻な打撃となったでしょう。ザトウを主体としながら1頭当りの生産高の大きなセミクジラをなお追い詰め続けるという、近代商業捕鯨の管理制度だったBWU制(シロナガス換算)の重大な欠陥と同様の問題も生じていました。
19世紀初頭の古式時代末期になって、日本近海に進出してきた米国の帆船式捕鯨は、確かに太平洋西部に生息するクジラたちに打撃を与えました。しかし、日本の古式捕鯨が与えた影響は明らかにそれを上回るものでした。日本の過剰捕獲によって既にキャパシティオーバー状態にあるところに、米国がいわば追い討ちをかけたというのが正しい見方でしょう。
日本の古式捕鯨は「製鉄に匹敵する江戸期最大規模のマニュファクチュア」と謳われるように、きわめて商業的色彩の濃い大規模な産業でした。益富組の収益はトータルで328億350万両。単純に1両=50万円で換算すると1京6400兆円・・・・。平戸藩が課した税金は年7万5千両(同じく375億円)。まさに巨大企業並ですね・・。莫大な利益を生み出す鯨組を、各藩は直轄事業とするなど手厚く庇護して特権を与えたわけです。もっとも、設備投資も当時から半端ではなかったはずですが。そのような性格を帯びた大掛かりな捕鯨産業が、組織的に始められてからわずか100年足らずでコククジラ・セミクジラの資源減少を招いて網取式に転向し、それから200年でまったくスタイルの異なる舶来モノのノルウェー式近代捕鯨に置換されたわけです。明治期に始められた近代捕鯨は、ロシア捕鯨に触発された資本家の事業であり、その意味で、佐賀の小川島など最後まで残っていた日本の古式捕鯨に引導を渡したのは、アメリカではなく日本自身であることも否定しようのない事実です。
「背美流れ」の大惨事を引き起こしたのは、業者の判断ミス・自己責任であり、米国の所為に押し付けるのはお門違いというもの。米国進出を不漁の一因として結び付ける洞察力が、当時の太地の和田組にあったかどうかは定かでありません。ひとつはっきりといえるのは、伝統的な狩猟・漁労者であれば自ずと備わっているところの自然に対する自制心、ワイズ・ユース/サステイナブル・ユースに不可欠な条件である業態の自己管理能力が、彼らにはまるっきりゼロだったということです。米国の影響があろうがなかろうが、「数が少なくなっていたクジラの資源を回復させるために捕獲を控える」といった持続的利用の基本原則を遵守する発想が欠片もなかったわけです。
もちろんそれは、財政的にも業態として存続が不可能だったからでしょう。川尻浦の18世紀から19世紀にかけての年次統計を見ても、クジラの個体数減少に対し、自ら枠を嵌めて捕獲を減らす努力はまったくうかがえません。捕獲数が減ったところは単に自滅しました。つまり、捕鯨産業は近代以前の段階から既にサステイナブルな産業でなどなかったのです。
太地で網取式捕鯨が行われた期間はたったの200年ぽっちにすぎません。数千年の時をかけて知識を蓄積し、収穫が乏しい期間も自然に合わせ野生動物に対して無理強いをしなかったからこそ、永らえてきた先住民の伝統的狩猟採集とは、まるで似ても似つかぬものだったのです。そして、「無理な出漁」をオカシイとも何とも思わない太地関係者、捕鯨関係者、応援団の感覚は、伝統や持続的利用の観念からおよそかけ離れたものだといえます。余談になりますが、日本の古式捕鯨はオリジナルではなくルーツは中国だったとする説もあります。
番組には業界関係者と縁故のある太地の教育長が出演し、米国に対して「棚に上げて」という表現を使っていました。まったくもって不適切な表現です。史実を一方の視点からのみ解釈したうえで、すべてを米国と日本という国家の属性に還元して捉えようとする、秋道氏や教育長らの一種の“怨恨のこもった言いがかり”(=逆恨み)は、国粋主義者以外にはまったく通用しません。
米国捕鯨が行われていた19世紀以前、現在のような海洋資源の利用に関する国際ルールはありませんでした。日本の捕鯨関係者は米国に対し、「誰(何)」に対する責任を「どうやって」取らせるつもりなのでしょうか? そんなことを言い始めたら、太平洋戦争の惨禍を反省して軍隊の所持を放棄し平和国家の道を歩んだ日本は、アジア諸国をはじめ世界中から「棚に上げた」と未来永劫攻められ続けることになるでしょう。
当然ながら、当時の捕鯨業者と現在の米国政府、市民、環境保護団体との間には何の関係もありません。それでも、彼らはまさに責任をまっとうしているといえるでしょう。米国はクジラ以外を含む野生動物を追い詰めた過去を真剣に反省し、世界でも先進的な海洋生物保護のための法律や施策を整備したり、無責任な日本の調査捕鯨に対して、親密な同盟国であるにもかかわらず強く反対する立場を貫いています。立派なものです(まだ十分でないという方もいるでしょうが・・)。
そう、何より許せないのは、番組では太地を始めとする日本の捕鯨産業の責任が何もかもすべて「棚に上げ」られていたことです。
過去に商業捕鯨に参入した世界中のどの国よりも反省の姿勢が何一つうかがえず、いけしゃあしゃあと「棚上げ」しているのは捕鯨ニッポンです。明治期に開始された近代捕鯨では、初年度の1899年の15頭から、1907年にあっという間に1784頭へと膨れ上がりました。乱獲と供給過剰で業者は潰れ、合併によって後の大手捕鯨会社の前身となります。太地に次々と御殿を建てた南氷洋捕鯨従業者たちは、企業の尖兵としてシロナガスクジラなど大型鯨類を次々と絶滅寸前へと追い込みました。秋道殿、太地教育長殿、「棚に上げて」いるのは一体誰ですか???
ストックホルム会議で商業捕鯨モラトリアムが採択された経緯については、別所で述べているとおりですが、野生動物保護(国際取引規制)を目的とするワシントン条約の枠組み作りが進められる流れの中で、クジラ/捕鯨を特例扱いしなかったというだけのこと。遅すぎたのは確かですが、鯨油市場がなくなったことは理由になりません。ま、捕鯨協会がPRコンサルタントに委託してでっち上げたベトナム戦争陰謀説を番組中で唱えなかったのは、まだNHKの賢明な判断だったといえるかもしれません。秋道氏自身がさすがにマズイと判断したのか、氏がねじ込もうとしたけど局側が制止したのか、その辺りの経緯は不明ですが・・。
太地の沿岸捕鯨業者については、日本の世論が捕鯨賛成よりにシフトするうえで絶大な役割を果たした、かのウェールズ出身在日ナチュラリスト作家C・W・ニコル氏の目の前で、きわめて悪質な規制違反をしていたことが、氏自身の告白で発覚しています。調査研究の進んでいない多種のイルカやゴンドウを、種内の遺伝的多様性損失につながる生態学的に最悪な漁法である追い込み漁によって捕殺し、その数もモラトリアム後に腹いせとばかり激増しました。海中に頭骨などを不法に投棄して海上保安庁に摘発を受けたことも。
古式捕鯨時代、南氷洋捕鯨時代、現在を通じ、野生動物と関わる古今東西の文化の中で最も節操のない文化の象徴が日本の捕鯨産業であり、それをまさしく代表するのが太地という町です。サステイナブル・ユース/ワイズ・ユースの対極にある「困ったブンカ」を、政・官・業界関係筋に煽てられて海外にまで臆面もなくアピールしちゃっている町。イルカの多食で住民の間に起きている深刻な健康被害に関する情報を隠したり、そんな危険な重金属まみれのイルカ肉をよりによって発育期のこどもたちの給食にまで出そうとするとんでもない町。「単にクジラを殺し続ける行為」のみの存続をアイデンティティと勘違いしてしまった悲しい町。死亡率が異常に高い水族館でカワイイイルカのショーを目玉に観光客を呼び寄せ、自己矛盾に苛まれる町。それが太地という町です。もちろん、太地町関係者のすべてがそうなのではなく、現状の問題点をはっきりと認識・憂慮されている町民の方々もいらっしゃるわけですが。
国際会議の場で、国策調査捕鯨を援護して自らの伝統性を貶める支離滅裂なメッセージを発信するくらいなら、非持続的な致死的消費から存続可能な新しい道へと歴史を変える一歩を踏み出し、生きた身近な野生動物としてのクジラと関わり続けるというオルタナティブがあるはず。その方が、伝統性の欠片もないノルウェー式の近代技術でもって、はるか南極の野生動物を独占的に捕殺利用する、形ばかりの傲慢な唯我独尊ブンカなどより、はるかに伝統文化としての正当性がありますし、技術と経験の有効活用、地域経済の再生・発展にも資するでしょうに。ネオコン議員や右傾オピニオン、水産ODA利権業界、市井のネトウヨ君らにすっかり乗せられ煽てられ、当のクジラたちがいま日本の海でどのような状況に置かれているのか、彼らにはまったく見えなくなってしまっているのです。
ニシコククジラはかつて瀬戸内海を繁殖場にしていたと推測されています。かつて大西洋に生息していたコククジラもニンゲンが絶滅させたことが疑われていますが、太平洋西岸のニシコククジラを壊滅状態に追いやった有力候補は日本の古式捕鯨とそれに続くノルウェー式捕鯨以外にありません。太平洋東岸のコククジラが米国やメキシコの手厚い保護政策によって順調に回復に向かっているのに対し、日本近海のニシコククジラは混獲の脅威と水産庁の怠慢によって未だに絶滅の淵を彷徨っています。セミクジラもニシコククジラも、鯨研が南極のクロミンククジラへの致死的調査に異常に固執するため正確な個体数の数字ははっきりしませんが、下手をすれば北西太平洋では数十頭程度しかいないのではないかとみられています。きっとそれは、反省する米国等反捕鯨国と、「棚上げ」し続ける捕鯨ニッポンとの違いを、海の自然が鏡のようにくっきりと映し出しているのでしょう。
番組中、一度も流れなかった「反省」という言葉。水産庁の二枚舌参事官らは、IWCの場や海外メディアのインタビューなどではこっそり口にするものの、厳然たる歴史の真実を広く国民に知らしめようとはしません。試食イベントといった広報に税金をがっぽり注ぎ込んでるのに・・。そのような中、過去の日本に乱獲や規制違反の事実がまったくなかったかのように「捕鯨ニッポン性善説」を信じ込んでいる威勢のいい単純素朴なヒトたちが、インターネットの掲示板など巷にはあふれています。そして、NHK制作の今回の番組は、過ちをさらに拡散させるきわめて有害な内容に他なりませんでした。
全4回を通じて一度でも「反省」という言葉が聞かれるか否か、それは、NHKが大本営発表を旨とする北朝鮮国営テレビじみた御用マスコミかどうか、秋道氏がかつての梅崎義人氏に負けない営業熱心な捕鯨サークルのPRマンかどうか、判断する指標となるでしょう。
次回の放映までに、世界最悪の日本の食糧廃棄の実態、捕鯨と無関係に全国に建てられた鯨塚、戦前から今日の調査捕鯨に至るまで解体鯨が大量に洋上投棄されてきた事実について、皆さんもきっちり予習してきてください。ちなみに、「背美の子持ちは夢にも見るな」という唄や仔連れ捕獲を戒める逸話は、後に創作されたフィクション、太地では仔クジラを人質に母親を捕獲する卑劣な手法が積極的に行われていたことが史料からも明らかになっています。
んでもって、受信料を納めているヒトはこんな偏向番組を制作するNHKに抗議を!
関連リンク:
−スタッフ プロフィール秋道智彌 (総合地球環境学研究所HP)
http://www.chikyu.ac.jp/rihn/staff/akimichi.html
−森田 勝昭 - 専任教員紹介 (甲南女子大学HP)
https://www.konan-wu.ac.jp/staff/morita_katu.html
−美熊野政経熟
http://park.geocities.yahoo.co.jp/gl/mikumanoseikeijuku
−ヤル夫で学ぶ近代捕鯨史・番外編 (拙HP)
http://www.kkneko.com/aa1.htm
−捕鯨問題総ざらい!! (拙ブログ)
http://kkneko.sblo.jp/article/29976279.html
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調査捕ゲーについて水産庁とゲー研のカモフラージュが上手に出来ているために、彼にはその本質が見通せていないような気がします。
同じように本質が見えないママで書かれた、生態学者(陸水プランクトン専門)が最近出版した本:「自然はそんなにヤワじゃない(副題:誤解だらけの生態系」、花里孝幸、新潮選書、2009年5月の中で、クジラだけがなぜ贔屓される、という誤解だらけの文がありました。この人、見事に「クジラ食害論」に乗せられています。
水産資源調査、という言葉から出るイメージが、科学を営んでいるナイーブな学者たちには、同業者による「善」に見えていて、そこから導かれている「お話」を無批判に受け入れているような気がします。
どもども。秋道氏とご面識がおありでしたか。著作や言動からするといかにも文系な感じですが、京大動物学科出ですね。。何専攻したのかしらん。
>水産資源調査、という言葉から出るイメージが、科学を営んでいるナイーブな学者たちには、同業者による「善」に見えていて、そこから導かれている「お話」を無批判に受け入れているような気がします。
ああ・・ここは大きなポイントですね。水産庁・鯨研側が繕って見せかけているわけですが、「生物学」「水産学」における「ほげー学(日本の鯨類学)」の"特異性"を、その道やってる方たちには是非見抜いてもらいたいもんです。