2009年06月29日

南極捕鯨を正当化(?)する原罪論を説法するカルト教祖と化してしまった雁屋哲氏

◇IWCマデイラ・ニュースクリッピングおまけ

■交渉崩壊の瀬戸際に−IWC総会 (6/28,世界日報)
http://www.worldtimes.co.jp/today/kokunai/090628-3.html


ただ、反捕鯨国側も決して一枚岩ではない。反捕鯨の米国代表でもあったホガース氏は、後任議長の選任後にBBC放送に対し、「モラトリアム(商業捕鯨の一時停止措置)がなければ、むしろ殺されたクジラの数は少なかったのではないか」と発言、原則的に捕獲数を自由に決められる調査捕鯨をこのままにするよりも、商業捕鯨を管理した方が得策だとの考えを示唆しており、反捕鯨国側に現実的な解決策を探る動きが広がる可能性もある。(引用)

 27日の時事通信発の報道のようです。今回の一連の時事報道は多少フィルターがかかった感があり、今回も大本営発表に沿った内容。ただし、引用した3段落目の「反対派も一部に合意期待」は、記者に誤解があると思われ、上の段落から読み進めてしまうとミスリードを招くかもしれません。それが上記ホガース議長のBBSによるインタビューのコメントなのですが……皆さん、どういう意味かわかりますよね?
 「日本が好き勝手に捕獲枠を設定して増産が可能な調査捕鯨こそが問題だ」というのがホガース議長の認識です。そこから妥協案が生まれたわけです。「反捕鯨国側に現実的な解決策を探る動きが広がる可能性もある」という部分の“現実的な解決策”、NZ代表が目指す“山頂”、マキエラ新議長言うところの“共通認識”とは、日本と豪州双方を歩み寄らせ、調査捕鯨のフェイドアウトと引き換えに日本の沿岸商業捕鯨を認めるという、慶大谷口氏なども主張してきた真の双方“痛み分け”、最も現実的な落としどころに他ならないということです。
 時事の記者さんがそこんところを勘違いしてなければいいんですけどね・・

 

◇南極捕鯨を正当化(?)する原罪論を説法するカルト教祖と化してしまった雁屋哲氏

 前回、当ブログでも取り上げたSSの新船投入のニュースについて、日本の著名な文化人のお一方もご自身のブログで噛みつかれました・・・(以下、背景着色部分引用)

■ますます募る、反捕鯨カルトの狂気|雁屋哲の美味しんぼ日記
http://kariyatetsu.com/nikki/1124.php

 びっくりしたのは、シドニーモーニングヘラルド紙の掲載写真を、外部リンクではなく自前サーバー上にそのままコピーしてしまっていること。。一体雁屋氏はSMH社に対して許可を得たのでしょうか? ご自身もクリエーターのはずですが、著作権に関する感覚が疑われます(--;
 SSがウォーター・キャノンを搭載したのは、「目には目を!」とばかり日本の捕鯨船団側が3億円もの国民の税金を使って音響兵器LRADを搭載したからでしょう。まさに軍拡競争
 「LRADは人体に害はない」という言い訳は、目に入れば失明の恐れもある酪酸を「ただの腐ったバターにすぎない」
というSSの屁理屈と何ら変わりません。転落すれば1分もたずに凍死しかねない南極の氷の海の上で、ゴムボート上の人間に対して感覚を麻痺させる凶器を発射するのは、捕鯨関係者が少なくともシーシェパードと同じくらい人命を軽視している何よりの証拠です。調査団長の中には、同乗した海上保安庁職員に対して「いつ自動小銃が火を吹くんですか?」などと平気で口にするヒトもいるくらいですしね・・。
 実際に、これまでの操業では、SSの妨害活動とはまったく無関係に、痛ましい重機事故や火災、船員転落事故(ライフボート着用義務を徹底しなかった共同船舶の労務管理の責任が問われる)、出港直前の船内での謎の自殺など、多くの人命が失われてきました。そして、そのことについて水産庁・鯨研・共同船舶は、事業に税金を拠出している国民に対し、まるで説明責任を果たそうとしません。


>この作戦に「ワルツィング・マチルダ」と付けるのを許し、片眼の眼帯のカンガルーをシンボルに使うのを許すといからには、オーストラリア人もシー・シェパードの行為を全面的に応援していると見える。


 まったくナンセンス。表現の自由が認められる民主主義国家なんだから、シンボルに何を使おうがSSの勝手であり、オーストラリア国民は何の関係もないでしょうに。そんなこと言ったら、自治体の裁判員制度広報に使われたセンスの疑われるユルキャラマスコットなんかは、各県民一同支持してるってことになるんですか?(--;; オージーの皆さんがすべてSSを応援しているわけではないのは、日本人が全員捕鯨サークルを応援してなどいないのと同じこと。もっとも、NZ出身の新造船船長と同じく「裏庭で捕鯨をするなんて許せない」という感覚を共有される方も少なくはないかもしれませんが。


>シー・シェパードはオーストラリアのシンボルと考えて良いのだろうか。国際的にそれはまずいと思うのだが。


 南極での調査捕鯨が日本のシンボルだと考えている右系言論人やネトウヨ君たちはたくさんいそうですし、下関や永田町で政治家の先生方が出席するパーティーじゃ、皆さん「国家のシンボルを守れ」とばかり気勢を上げていらっしゃいますが、国際的にそれはかなりマズイでしょう。元外務省副報道官の谷口慶大特別招聘教授も、豪紙上や国内オピニオン誌上で「国益を損ね真の友人を失う」非合理な捕鯨推進への固執に対して苦言を呈したとおり。


>調査捕鯨船の乗組員の命がこのように公然と脅かされているのに、日本政府は何をしているのか。


 前述したとおり、実際にこれまで何人もの乗組員の命を奪ってきたのはSSなどではなく、高いリスクを冒して身近な自然とはかけ離れた南極まで遠征する大型捕鯨事業にほかなりません。日本政府は一体何をやっているんでしょうか?


>自衛艦の派遣自体が憲法違反なのであれば、水産庁の艦船を派遣して、調査捕鯨船を守るべきだ。


 ・・・・。なんか、捕鯨船の身代わりになって“攻撃”を受ける船を水産庁が出せ、とおっしゃっているようです。水産庁がうなずくとも思えませんが・・・


>外国から、英文で送って下さる方もおられるが、日本人の書いているブログには、日本語で書き込むくらいの礼儀をわきまえて下さいね。


 ・・・・。外国であるオーストラリアに移り住んで、外国の社会資本の世話になっているはずの雁屋氏ですから、英語でのコミュニケーションに何の問題もないと皆さん思われただけなのでは? まあ、ブログの日本語が読める方は、本人がそう言っているんだから日本語で送ってあげればいいでしょう・・
 続いて、全9条に及ぶかなりぶったまげた彼の“教理”が展開されます。


>したがって、人間は自分の命を支えるためには、どんなものでも食べることを許される。食べていけないのは、人間だけだが、それも、特別の場合には許されることがある。
>自分たちが殺したわけではない。事故で亡くなった人間の体は、ただの物体だ。このような非常の場合には、自分たちが生き残るためには食べることも許されるのだ。

 雁屋氏は「反捕鯨カルトに頭がいかれてしまっている人間」という表現を使っていますが、筆者には“原罪”がどうしたこうしたといった非日常的な表現が散りばめられた彼の主張こそ、カルトじみた宗教的教義に映ります。煎じ詰めれば、ニンゲンが生きるために命を奪うのは“原罪”なんだから、「いくらでも好き放題殺していいんだ」という結論のようです。
 “罪”というものを、一体雁屋氏はどのように考えているのでしょう? 罪には“罰”が伴うはずですが、罰に相当するものについては何の示唆もありません。しかし、それでは結果として「命をいくら奪ったって罪はない」というのとまったく同じことでしょう。この場合、おそらく国語的・文学的には“業”という表現の方が、彼が抱いているであろうイメージには相応しいのだろうと思いますが・・。
 筆者はベジタリアンですが、自分が無罪だと思ったことはありませんし、そう思っているベジタリアンにもお目にかかったことなどありません。私たちはただ、端的な事実として犠牲にしている命が少ないというだけです。自分がいま食べているものがどういう命だったかについて、何も頓着しない現代の日本人の多くは、そもそも“罪”の自覚すらない人が大半でしょう。


>人間は命有るものを食べなければ一日も生きて行けない。


 イスラムのラマダン始め、世界中の多くの人たちが、命・あるいはそれを奪わなければならない罪と真摯に向き合う時間として、断食の習慣があります。そうやって無駄に命を奪っていないかどうか絶えず自分自身に問いかけ、己を戒めているわけです。筆者は家族が亡くなって喪に服するときなど3日断食をやりますし、5年ほど前にも20日間断食をやった経験があります(事前の準備を入念にしなかったので胃腸をだいぶ傷めてしまいましたが・・)。雁屋氏がこのような非科学的な主張をするのは、おそらく彼が一度も断食をした経験がないことを意味するのでしょう。してなくたって、「1日や2日飯抜いたって死にやしない」ってのがフツーの人の感覚だと思うけど・・。一度は話のネタに実体験して、「美味しんぼ」のミスター山岡にも“究極体験”をやらせてみりゃいいんじゃないの?


>どんな植物を食べるか、どんな動物を食べるか、それは、その人間の住む環境とその人間の趣向によって決まることであり、一切の禁忌はない。


 後半の様々な文化圏の自己規範的禁忌への言及と180度矛盾しますが・・。ただ、1箇所はいいことを言っていますね。これこそ自然のサステイナブルユースにおける最重要原則であり、伝統の礎となるべきもの。南極の自然に暮らす野生動物たちと日本人とは、まったく何の縁もありません。南極海のクロミンククジラの資源開発はたかだか40年前に始まったことであり、それをもって伝統文化とするのは日本人にとっては片腹痛い話。


>鯨も、マグロ、鮭、鱈、鰯、などと変わりはない。鱈を解体するところを見て残酷と思わず、鯨を解体するところを見て残酷と思うのは、偏見である。


 ここに並べるのに適切なのは、イヌ、ネコ、ウマ、ウシ、カンガルー、ゴリラ、チンパンジー、ヒトなどですけどね・・。残酷に感じるかどうかは個人の感性の問題であって、思おうと思うまいと他人が「偏見だ」などと文句を言う筋合いではないでしょう。いずれにしろ、「残酷感」と「科学的な規制」は別問題。日本を含む各国で動物福祉の観点(あるいはヒトの福祉の観点)から残酷な行為を規制する各種の法律があるわけです。まあ、「捕鯨カルトに頭がいかれてしまっている人間には」こうしたエシックス上の議論は通用しないでしょうけど・・・


>日本では長い間、仏教の影響か四本脚の動物は食べてはいけないとされていた。(明治以降、許可されるようになったが)


 日本は慎ましく伝統を守り通しているよその多くの文化圏と異なり、明治期以降中身が似ても似つかないものになった捕鯨ブンカなどよりはるかに大切な伝統を、自分からうっちゃらかしてしまったわけです。そんな国が伝統を掲げて資本家が始めたノルウェー式捕鯨の成れの果てにすぎない国策調査捕鯨を、伝統文化として世界と南極の自然に強引に押し付けようとするのは、おこがましいにもほどがあります。


>自分たちの宗教の禁忌は、自分たちの宗教の信者の間でだけで守ればよいことで、他者に強要するべきではない、と言うのは世界の常識である。


 欲望や利便性を優先して自分たちの禁忌を金繰り捨ててしまった国のニンゲンならではの主張というところでしょうか。実は、日本の捕鯨推進派は「絶滅に瀕していない野生動物は守ってはナラナイ」いう不可解な禁忌を、自国の沿岸だけならいざ知らず、オーストラリアの近海を回遊する野生動物にまでむりやり強要しています。まったくもって世界の常識に外れることです。


>日本が計画している捕鯨は、科学的に鯨の生態を調べた上で行うから、鯨の数を減らしたり、ましてや絶滅に追い込んだりすることはない。持続的に継続可能な漁業の一つとして行うのである。これがいけないというのなら、全ての漁業は禁止すべきである。


 上段の過去の国際競争による乱獲で日本の果たした責任はきわめて重いものがあります。そして、調査捕鯨に形を変えた実質商業捕鯨の継続によって、良識ある沿岸漁業者のように回復期間中のモラトリアムを実施する能力がないことを日本の捕鯨業界は示しました。クロミンククジラの冬季の生態や地球温暖化の影響など多くの未解明な部分があるにもかかわらず、強硬しているのが調査捕鯨。捕鯨サークルは「調べながらやっているんです」と言い訳するでしょうが、「生態を調べた上で」行うのではなく、調べがついてないのにやっちゃっているのが実情です。
 また、絶滅に瀕していないが漁獲対象になっていない海産動物、そもそも名前すらろくにわかっていないにもかかわらず調査捕鯨のように研究予算を付けてもらえない海産動物は、日本近海にウジャウジャいます。イケナイ・イケナクナイ以前に実際にともかく利用していないわけで、網にかかった非利用魚種の多くがそのまま海に捨てられたりもしているのです。無理やり「合わせる」必要など何もありません。後述する膨大な食料廃棄の問題とも直結しますが。「イケナイと言われたらすべて禁止しナケレバナラナイ」という結論は実にナンセンスであり、論理性の欠片もないただの言葉遊びにすぎません。
 そして、トドメがトンデモ食害論。


>もう一つ問題がある。鯨の数は最近増えすぎて世界の漁業に打撃を与えている。増えすぎた鯨が多くの魚介類を食べてしまうのである。


 雁屋氏の主張は、捕鯨賛成派によるこの手の主張の中でも最も素朴な極論に分類されるでしょう。非科学的な食害論に根拠がないことは既にタイム誌の論文などで多くの研究者に否定されていて、これまでも市民ブロガーの皆さんが説明してくださっているとおり。何しろ、捕鯨問題の国際交渉を担当する森下参事官が「一部のホットスポットでの曖昧な可能性」でしかないことを認められているわけです。クジラはただの野生動物にすぎません。乱獲やその他の産業活動によって海洋生態系の多様性を損ね、豊かさを奪うのはニンゲンだけです。こうした非科学的な擬人化はごめんこうむりたいもの。「増えすぎた」という用語自体も科学と離れた主観的な表現であり、「一部の個体群では乱獲のダメージから回復する途上にあると考えられる」という程度のもの。
 雁屋氏の捕鯨ネタブログは以前にもスポーツ新聞に取り上げられましたが、さすがに爆発的人気を得たコミック原作者として名前が通っているだけあって、発言には絶大な影響力があります。まさしく捕鯨擁護教のカリスマ教祖。重大な責任をきちんと自覚して、しっかり勉強してもらわないと。以下の1番目のトピックで紹介しているのでぜひチェックしていただきたいものです。

−捕鯨問題総ざらい!!! (拙ブログ)
http://kkneko.sblo.jp/article/29976279.html


>魚を余り食べない国の人間には何でもないことだろうが、魚を食事の柱としている我々アジアの国の人間にとっては死活問題である。


アジアでも非アジアでも、魚をよく食べる国もあればほとんど食べない国もあります・・・


>人と鯨のどちらが大事か、よく考えて貰いたい。


 多くの水産学者・関係者がしっかり自覚し、指摘しているとおり、日本の漁業対象種の多くが資源枯渇状態にあるのは過剰な漁獲努力と有効な規制のできない水産行政の無策、そして抑制の効かない消費市場が原因に他なりません。まともな水産物の認証制度がなく旧態依然としたオリンピック方式を変えずにいる日本の水産資源管理は、経営体質の問題も含め、捕鯨国ノルウェーやアイスランドだけでなく反捕鯨国のオーストラリアやニュージーランドと比べてさえ劣っています。持続的利用を掲げる漁業国・消費国グループのリーダーに最も似つかわしくない国こそ捕鯨ニッポンなのです。
 内外の科学者が警告しているとおり、野生動物と共存できない非持続的な乱獲漁業はニンゲン、特に将来の世代のためになりません。そして、魚と漁業にとってのもう一つの大きな脅威は、クジラなどではなく地球温暖化です。残念ながら、日本政府の打ち出す地球温暖化防止策は、捕鯨問題にも取り組んでいる各国際環境NGOの批判に耐えるものではありません。
 問題を単純化してすり替え、ただの野生動物にすぎないクジラのせいにする主張は、漁業の実態と取り巻く環境、将来を無視したものであり、水産業にとってまったく無益です。それこそ、捕鯨カルトの戯言でしかありません。

 

 雁屋哲殿。日本の年間食糧廃棄量は環境省の推計で1900万トンに上ります。推計に含まれていない部分もあり、実際にはさらに多いでしょう。食べられている量の4分の1は捨てられている計算です。これは人口1人当りで世界最悪の数字であり、世界の年間食糧援助総量の3倍にも相当します。世界で最も命を粗末にしている国なのです。飽食・廃食に加え、水産食品会社の食品偽装が横行し未だ後を絶たない偽装大国でもあります。それが日本のすさんだ食の真の姿です。世界で唯一その飽食国家日本のみが、南極の海に棲む野生動物を毎年何百頭も殺し、都市の高級嗜好品として消費しているのです。あなたの唱える宗教臭のプンプンする「原罪論」は、「どうせ罪なんだからいくらでも殺してかまわない」という食と命に対する無思慮な風潮とぴったりリンクしているように、私には思えます。それは、未だに栄養失調で亡くなる児童が年間500万人にも上るとされるアフリカをはじめとする第三世界の国の人たちに対して顔向けできない、恥ずかしい事態だとは思いませんか? 一体、南極の自然に暮らす野生動物に関心を持つ世界中の人々に対して、世界最悪の飽食国家による「原罪論」が説得力を持つと思われるのでしょうか?
 雁屋哲殿。あなたがお住まいのオーストラリア市民の反対の声を押し切り、日本が独断的に調査の名の下に捕殺しているクロミンククジラは、オーストラリア沿岸のグレートバリアリーフ周辺を回遊する、オーストラリア国民の皆さんにとってかけがえのない財産です。もし、季節の度に我々日本人の目を楽しませてくれるハクチョウなどの多くの渡り鳥たちが、日本の200海里上空を出た途端、地球の裏側からやってきた国によって酒のツマミにするために次々に撃ち殺されていったとしたら、一体みんなどのように感じるでしょうか? 「絶滅に瀕している種以外はどうぞドンドン殺してください」とあなたはおっしゃるのですか? 日本国民の多数はそれとは逆の反応を示されるだろうと、私は思います。国境を越えて移動する野生動物の保護管理を国際的に協力して行うための国際条約(130カ国あまりが既に批准)に、日本は未だ加盟しておりません。

 あなたは漫画原作者として豊かな想像力をお持ちのはずなのに、相手の国の痛みや悲しみに思いを致す、自分たちの身に置き換えて考えるということができないのでしょうか? 日本と違い教育環境の行き届いたオーストラリアの国・人々に大恩を受けているはずのあなたが、彼らに代わって声を伝えるどころか、相手の声に何も耳を傾けることなく“カルト”などと決め付け、非難するのですか? それは恩を仇で返すというものではないのですか?
 雁屋哲殿。ネットの掲示板に集う年若い愛国主義者たちにチヤホヤされれば、あなたは満足なのですか? 二つの国の人々の対立を煽り立てて、それで満足なのですか? いや、違うはずです。
 二つの国をよく知り、多くの人々に声を轟かせることのできるあなたがやるべきことは、そんな無益でくだらないことではありますまい。有り余る食べ物を無駄に捨てながら地球の裏側のはるか南極の自然まで収奪し、オーストラリアを始めとする南半球の国の人々をこれ以上悲しませるような真似はするなと、母国に住む同胞に向けて訴えるべきなのでは? そして、オーストラリアの人々に向かっては、日本の沿岸の自然をどうするかは日本人が主体となって決めることであり、外から口出しすべきじゃないと、釘を刺すべきでしょう。二つの国の橋渡しをすることこそ、あなたにしかできない使命ではないのですか?

参考リンク:
−山岡さん、クトゥルーを究極のメニューに加える 「激闘鯨合戦」より ('07/12/4,トンデモ鯨食害論)
http://ameblo.jp/puneko/theme5-10004669027.html#main
−どうしてそこまで自信過剰なのか ('08/12/28,3500-13-12-2-1)
http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-60.html
−手塚治虫氏と雁屋哲氏 (拙ブログ)
http://kkneko.sblo.jp/article/26550741.html

posted by カメクジラネコ at 01:56| Comment(17) | TrackBack(0) | 社会科学系
この記事へのコメント
ご無沙汰しております。

私も、雁谷氏の文章には、いたるところに疑問や怒りや情けなさを感じる次第であります。人間は人間以外何を食べても良い。食べてはいけない人間でさえも許されることがある.......。このくだり... 何なんでしょうか?これこそ危険なカルトの発想ではないですか。

カンガルーのマークのこともこじつけてますが、それなら、日本の運送会社にもカンガルーをマークにしているところありますよね? それって、オーストラリアの国が認めてる??? 権利とか、法律的なことは良くわかりませんが、あくまでも、オーストラリア政府としては、危険な行為を海上でしてはいけないとSSには促しているわけですし、こうやって、変な方向にこじつける人がいて、しかも、著名人で、そのオーストラリアに住んでいるってことで、彼の言うことを鵜呑みにし、賛同してしまう人が出てしまう方が、よっぽど国際的に問題かと私は思います。
Posted by Y at 2009年06月29日 13:59
>Yさん
>日本の運送会社にもカンガルーをマークにしているところありますよね? それって、オーストラリアの国が認めてる??? 
かなり失笑ものですよねぇ・・。あのブログの内容が英訳されて紹介されたりしたら、それこそとんでもない物議を醸して日本の立場がさらに悪くなるだけな気がします。クジラたちにとっちゃ返ってプラスなのかもしれないけど。。
シーシェパードも雁屋氏レベルの捕鯨シンパもどっちもどっちですねぇ。
Posted by ネコ at 2009年06月30日 00:44
>カメクジラネコ氏
あまり揚げ足をとらない方がいいですよ。

>絶滅に瀕している種以外はどうぞドンドン殺してください
とは言ってないと思いますよ。ちょっと話が飛躍しすぎですね。原罪というくらいですから、生きる為に必要な生命なら殺すのは仕方ないという解釈が正しいと思います。だからその命に感謝して「いただきます」と言うのではないでしょうか?
>端的な事実として犠牲にしている命が少ないというだけです
生きる為に必要なエネルギー、栄養素はベジタリアンだろうと変わらないはず。つまり動物と同じくらいの植物=命を召し上がっているのではないですか?
>ここに並べるのに適切なのは、イヌ、ネコ、ウマ、ウシ、カンガルー、ゴリラ、チンパンジー、ヒトなどですけどね・
ここは普段、一般的に食べられているお魚と同じということを強調している部分なので、犬猫と引き合いに出すのは、違うと思いますよ。要は命に格差はないということが言いたかったのでしょう。

という感じで言い出したらキリがないですね。
反捕鯨の意見とはその程度のものとしか見れなくなってしまうので注意してください。
Posted by neko at 2009年07月02日 13:50
>nekoさん
記事の中身にきちんと目を通されましたか?
日本の年間食糧廃棄量は世界最悪なのですよ。「生きる為に必要」でない生命まで山ほど殺しているのです。口先ばかり「感謝さえすればいい」と言って。その飽食大国だけなんですよ、南極まで押しかけて野生動物を殺しているのは。感謝なんかしなくて結構。肝心なのは「実際に命を粗末にしないこと」です。
>栄養素はベジタリアンだろうと変わらないはず
食物連鎖のピラミッドがなぜ下辺の大きい三角形なのかわかりますか? ベジ系のサイトを探すなどして、「代謝」「迂回生産」という用語について勉強してみてください。とりわけ莫大な人口を抱える今では、「なるべく」食物連鎖の下位に位置する食物を摂取した方が地球にかける負担が少ないというのが「原則」です。もちろん、植物ならなんでもOKというほど単純な話ではありませんが。キーワードは「なるべく」です。ちなみに私は条件付で沿岸捕鯨は認めてもよいという立場です。
>一般的に食べられているお魚と同じ
クジラは魚ではありません。非科学的です。命に格差がないのに、なんで犬猫を引合いにしたらいけないのですか? 何か「都合が悪い」ことでもあるのですか?
という感じで、言い出したらキリがありません。「反反捕鯨とはその程度のもの」と世界に受け取られるだけです。
私やYさん、オージーの皆さんからすれば、日本の捕鯨に対する批判の声に対して、トンチンカンな宗教じみた揚げ足を取っているのは雁屋氏に代表される反反捕鯨論者の方としか映らないんですがね・・
あと、nekoというハンドルは紛らわしいのでご遠慮ください。ご自身でHPやブログをお持ちで既に使用しているのであれば話は別ですが、その場合はURL等を明示してください。
Posted by ネコ at 2009年07月03日 01:50
旧nekoです。
HP、ブログを持っていないので失礼します。
いろいろとご意見ありがとうございました。
本当にキリなくなりますね(笑)
私も正しい手順で生態系に影響ない程度に捕鯨を行う分には賛成という考えです。食料廃棄については、捕鯨以上に世界で日本で取り組まなければいけないですね。
確かに飽食の時代ですから命を粗末にしないということは大切だと思います。
食物連鎖がピラミッドということも知っています。では全てベジになった場合逆三角形になる可能性はありますか?そんな単純ではないかと思いますが(非科学的ですみません)、人間は雑食動物ですので、動物も植物も適量摂取することが三角形の形を崩さないことになるのではないのでしょうか?人間がこれほど増えたことは不自然かと思いますが、自然が一番だと思いましたので。別に肉だけ食べていればいいということではなくバランスですよね。なんか言い方が違うだけで、近い意見ではと、勝手に思っています。
別に犬猫を引き合いにだすことが不都合ではなく、一般的により多く狩られているものと何がちがうのかということですので、別に犬猫だからと言って特に問題はないですよ。
私は反捕鯨のご意見についてはいろいろと調べている内にここへたどりついたのですが、反反捕鯨もどっちもどっちですね。意見が飛躍しすぎてるような建設的な意見交換ができていないように見えます。
暴力ではなく、平和的に解決して欲しいですね。
Posted by B.B at 2009年07月03日 08:13
>B.Bさん

ご意見ありがとうございます。(いつものことですが)私の説明が少々不親切でしたm(_ _)m
原則として、食物連鎖の上位の捕食者になるほど再生産力は低く、個体数は幾何級数的に少なくなります。下位の生物の再生産力を超える捕食量/個体数を保つことは不可能なのですから。生態学の原則から外れて乱獲−>対象種の絶滅・激減&自滅というパターンを辿ったニンゲンの産業活動の典型が商業捕鯨に他ならないわけです。ニンゲンが高次捕食者になるためには、個体数を抑制しなければなりません。逆に、莫大な人口を支えるとすれば、なるべく下位の捕食者(ぶっちゃけ草食)に留まることが地球に過度の負担をかけない「現実的」な道ということになるでしょう。ベジ人口比率が先進国中でも最低クラスの日本でこんなこと言うと極論と捉えられかねませんが・・(汗 一応お断りしておきますが、「ベジ論」と野生動物保護・海洋生態系保護の観点はまた別ですので。
国際捕鯨委員会の場での実際の議論は、雁屋哲氏v.s.シーシェパードとはもちろん一線を画するものです。捕鯨に対する批判の主張を広くお知りになりたければ、WWFJ(世界自然保護基金)、グリーンピース・ジャパン、IKAN(イルカ・クジラ・アクションネットワーク)といった市民団体がありますので、そちらのホームページもぜひのぞいてみてください。私は結論は「現実派」ですが、ややラディカルなスタンスでして、私個人が運営しているHP・ブログ上の主張とこれらのNPOとは直接の関係はありません(ときに批判したり、応援したりしています・・)。また、国内で捕鯨推進に異を唱えている市民の皆さんの個人ブログのリンク集もありますので、ご参考まで。

http://www.kkneko.com/framel2.htm

以下のリンクもぜひご活用ください。

http://kkneko.sblo.jp/article/29976279.html
Posted by ネコ at 2009年07月04日 00:58
雁屋氏のブログから来ました。

捕鯨反対派も賛成派も滑稽です。
絶対に理解し合えるはず無いのにお互い揚げ足をとって無駄に罵り合っている気がします。残念です。

僕は捕鯨反対です。他国の反感を買ってまで鯨を捕るのが日本人として恥ずかしいと思うからです。

しかし、雁屋氏の言っていることも分かります。
なぜ捕鯨反対の人たちは自分の考えを押し付けようとするんでしょうか?

「生態系に影響のない範囲なら鯨を捕ってもいいじゃないか」と雁屋氏は言ってますが、それを裏付ける確かなデータがあるなら、僕は鯨を捕ってもかまわないと思います。個人的な意見では。
僕は猫好きですが、猫を食べる文化があったとしても僕は「可哀想だからすぐに止めろ!」とはいいません。他国の文化を自分の価値観で否定することが、独りよがりで恥ずかしいと思うからです。
猫が絶滅しそうなら黙ってませんが、絶滅しない確かなデータがあるなら、気分はよくないですが猫を食べることに文句は言いません。
猫を可愛いと感じるのは僕の価値観です。猫をおぞましいと思う人もいるでしょう。地球のことを考えて菜食したり電気を使わなかったりする人もいるでしょうし、菜食するけど電気は使う人もいるでしょう。現実的に地球のことを考えて自ら命を絶つ人もいるかもわかりません。
したい人はすればいいと思います。
自分の意見を押し付けて、従わない人を批判したり差別する人間は独善的で愚かだと思います。

僕が思うに、捕鯨問題の平和的解決はもうありえないと思います。意見が違うんだからどちらかが妥協するしかないんです。冷静に相手の意見を聞かず、相手の粗探しをして論破に躍起になっているこんな状況になったらもう収まりがつきません。妥協することになった相手からずっと恨まれることになるのは間違いありません。
そして、捕鯨問題に関係ない人までも国単位で括られて恨まれることになるのです。

なぜ鯨でこんなことになってしまうのか?
現実的に言わせて貰うと、無駄な金と時間と労力を捕鯨問題に使っているなら、その無駄な金と時間と労力で植林でもすればいいのにと思います。
Posted by モモ at 2009年07月06日 02:46
>モモさん
雁屋氏に対する意見は雁屋氏に対して言ってくださいな。うちにコメントを書く場合は、記事をちゃんと読んだうえで具体的な感想を書いてちょうだいよと。
南極の自然や世界に対して自分達の価値観を強引に押し付けているのは日本の方だよ。
「捕鯨反対派」にしちゃ、言ってることがほとんど反反捕鯨論者と同じだと思わない? 「他国の反感を買ってまで鯨を捕るのが日本人として恥ずかしい」というのは結論で書くべきことなんじゃないかな?
>絶対に理解し合えるはず無いのに
>捕鯨問題の平和的解決はもうありえないと思います
>捕鯨問題に関係ない人までも国単位で括られて恨まれることになるのです
悲しいこと言うねぇ・・。もし君の言うとおりなら、ニンゲンはクジラやネコたちよりよっぽどダメな動物だと思わない?(^^;
Posted by ネコ at 2009年07月07日 01:24
結局反対派も賛成派もこれが事実だ!といって数字はだすけどソースや論文は示さないんですね。
妄想披露合戦でしかない。
Posted by なまここ at 2009年07月07日 02:31
本文で
>SSがウォーター・キャノンを搭載したのは、「目には目を!」とばかり日本の捕鯨船団側が3億円もの国民の税金を使って音響兵器LRADを搭載したからでしょう。まさに軍拡競争。
とあり、SSがウォーター・キャノンを搭載したのは、あたかも日本側の軍備拡張のせいように書いてます。しかし、もともと日本側がLRAD搭載したのは自衛目的であって、大元の原因は以前武力を用いて抗議してきたSS側にあるのではないでしょうか。それなのに日本側だけに非があるように書くのは、公平でないと思います。
Posted by ぐるぐる at 2009年07月07日 21:52
>ぐるぐるさん
記事にも書いてあるとおり、私はケンカ両成敗の立場ですよ。日本人は税金使って自分たちの国がやってることに責任を負うべきだと思うけど。

>なまここさん
ソースや論文は出している人も出してない人もどちら側にもいます。雁屋氏がブログで主張している内容は確かに何の根拠もないけど・・。もっとも、一般の人が個人的な意見を述べるのは、それはそれで別にかまわないんじゃないですか。
Posted by ネコ at 2009年07月09日 00:22
最近は「サステイナビリティ」とか「生物多様性」が話題になるのに、捕鯨というと「文化摩擦」だの「伝統」だので思考停止になってしまうのは何故でしょうか。
イルカ漁についても反イルカ漁団体の活動を理由に実態を明らかにしないようですが、自分たちの行動に透明性を確保できないようではイルカ漁の正当性も表明できないような気がします。
日本の調査捕鯨についていえば、調査とは名ばかりで、政府の補助金確保が目的かとも思えます。
Posted by あおやま@岐阜県 at 2009年10月24日 17:59
>あおやまさん
コメントありがとうございます。
まさに「思考停止」ですよね・・。他の環境問題とのあまりに大きな落差は本当に理解に苦しみます。結び付けたくないヒトたちがメディアを利用して仕向けてるんでしょうけど。
太地のイルカ漁も、国策調査捕鯨も、透明性が著しく欠如しているという点では、非常に似通っていますね。
Posted by ネコ at 2009年10月25日 01:33
コメントさせていただきます。
雁屋哲氏の言うことがすべて正しいとは思いませんが、

>人間は命有るものを食べなければ一日も生きて行けない。

は正しいと思いますよ。
3日断食とかおっしゃってますが、それは雁屋哲氏の言う『命あるもの』を食べて蓄えた栄養が体内にあるからでしょう?
それに、単純に考えて他国の人間に『鯨を食うな』といわれる筋合いはないでしょう。
もちろん、絶滅の危機とかだったら話は別ですが。
Posted by taka at 2010年01月07日 01:21
>takaさん
断食についての予備知識がゼロですね。。3日分ため食いして断食なんてする人はいません。特に長期断食は時間をかけて減食しないと不可能ですよ。
いずれにしろ、「鯨を食うな」という主張は当ブログもオーストラリアの方々(の多く)もしておりません。拙HPと他の記事もご参照。
Posted by ネコ at 2010年01月08日 01:19
こんにちは、はじめまして。捕鯨問題について調べていて、こちらのブログを拝見しました。
この問題について、インターネット等での議論がどんどんこじれていくのを見ていて大変胸が痛みます。

私には、鯨料理を「おふくろの味」として懐かしむ友人、知人がいるので(和歌山の人です)、鯨肉がまったく食卓にのぼらないというのも、悲しい事だなと思います。
その人のおばあさんが心をこめて作ってくださった鯨料理を頂いたこともありました。

しかしクジラに対して友愛を感じる人にも共感します。
雄大で美しい、「勇魚」の和名にぴったりな姿。
一緒に泳いで(これはクジラでなくイルカですが)自閉症の子に笑顔が戻った、という話も聞いたことがあります。
自分もいつか一緒に泳いで見たい、見てみたいなと思います。

この問題について互いに反感が膨れ上がり、ジャップだ、オージーだと互いに口汚く罵り合う始末…。
どこでどう解決し合えばいいのか…。

個人的には、地元の人々によってイノシシ猟のように一定期間で獲る量を定め、調査はその獲ったクジラからすればいいのになぁ、と思います。

でも、SSだけは同調出来ないですね…。
暴力的で、却って彼らの行動が反捕鯨主義の人へ反感を強めてしまっている気がします。
グリーンピースから追い出されたのも頷けます。
Posted by ちびた at 2010年01月09日 07:57
>ちびたさん
おっしゃりたいことはよくわかります。
>個人的には、地元の人々によってイノシシ猟のように一定期間で獲る量を定め、調査はその獲ったクジラからすればいいのになぁ、と思います。
これはなかなか妙案だと思いますよ。常識的な方なら誰でも同意するでしょう。問題は、水産庁が拒んでいることなんですけどね・・
SSの件については、当ブログの最新記事とリンクもぜひご参照ください。
Posted by ネコ at 2010年01月10日 01:03
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