2009年06月02日

はぐれマッコウ騒動の顛末/捕鯨ニッポンと対蹠的なブラジルのイルカ共存文化

◇はぐれマッコウ騒動が映し出したもの──それは迷える日本人の動物観・生命観

■あのクジラ、18日ぶり湾から外洋へ…和歌山・田辺沖 (6/1,読売)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090601-00000470-yom-soci (リンク切れ)
■<迷子クジラ>和歌山・内ノ浦湾から脱出 外洋近くに (毎日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090601-00000036-mai-soci (リンク切れ)
■迷いクジラ 外洋めざし移動 (産経)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090601-00000106-san-soci (リンク切れ)

 正直ホッとしました・・。まだ100%安心とはいきませんが。おそらく、ネコや、多くの野生動物の個体が見せる、肉体的・精神的に傷ついた(ストレスが加えられた)状態に陥ったときの行動と同じだったんだろうと思います。代謝の高い小型の動物だと命に関わりますが、クジラであれば絶食にもある程度の期間耐えられますし。
 三重大の吉岡教授は「障害物を避ける動きもあったので、自力で泳ぐことは問題ないと思う」(産経)と指摘。科学者のくせに予測がハズレっぱなしの鯨研石川創氏は、「長期間の絶食に耐えられる体力が残っていたのだろう。遊泳中に偶然、湾の出口を見つけたのではないか」(読売)などと素人の感想と変わらぬコメントでお茶を濁しています。毎年毎年国民の血税を無駄な致死的調査に注ぎ込んでいる組織の次長で、「いつ自動小銃が火を噴くんですか?」などと平気で口にする人物が、野生動物を生かすためのノウハウを持ち合わせているはずもありませんが。今回の騒動で、鯨研・日本の鯨類学者の科学者としての無能ぶりがとことん暴露されたといえます。
 同時に今回の事件は、日本人の情緒的で非合理的な動物観を私たち自身にまざまざと見せつけるものでした。山のように押し寄せる観光客、「助けてあげて」と殺到する電話……ニンゲンは感情的な動物なのですから、ある意味当然の反応でしょう。
 ですが、実は筆者個人は結構冷めた目でながめていました。野生動物の自然死は避けられないこと。計算上必然のこと(でなけりゃとんでもないことになる!)。自然の摂理として仕方のないこと。自然死が避けられない野生動物の中でも、タマちゃんやクーちゃんや今度のマッコウなどは、死亡率が高く繁殖に寄与する可能性も低いはぐれ個体、"保険の対象外"の存在。名前すら付けられないまま死にゆく無数の野生動物の個体と同じく。いや、それ以上に。
 今回のマッコウについていえば、ストランディングの過程にあるものとして、その原因究明のために健康状態等を把握するべく致死的調査の対象とする科学的必要性は、毎年耳垢と胃内容物のコレクションを積み上げるだけの調査捕鯨よりずっと高いはずでした。国際的に認められ得る、科学的に意義のある調査捕鯨の対象といえたのです。消費的に利用するにしても、’60年代後半から開発し始めた南半球のクロミンククジラと異なり、縄文時代から続く伝統的なスタイルに近い正当な利用になり得ました。
 「殺したくない」という人間らしい感情は大切にしたいと思います。しかし、科学より感情を優先する日本の大衆は、NPOや豪州政府が撮影した調査捕鯨の映像や、「殺してるのは実の親子じゃないからいいんだ」というヒステリックでトンチンカンな鯨研の言い訳に対し、心を痛める反捕鯨諸国の市民と、一体どこが違うというのでしょうか???
 自国の伝統などとは何の縁もない南極の海を自由に泳ぎまわる健康なクジラたちを毎年何百頭も殺している国にあって、たまたまテレビを付けたら映像が目に入った野生動物のみを贔屓にするのは、合理的とは到底いいがたいでしょう。釧路のクーちゃんや動物園のアイドルたちに名前を付けて騒ぎ立てたり、便乗商売を始めたり、重要な社会問題を差し置いて狩猟対象のカルガモ親子の映像をニュースで流すような、差別的な愛誤にも通じるものがあります。
 それにしても、この子には結局正式なニックネームは最後まで付かなかったね・・。釧路と違い、捕鯨業界に遠慮して損した田辺市。野生動物に対してここまであからさまな差別待遇をするのは、世界広しといえど日本だけだと思いますが・・。
 心やさしい日本の市民の皆さん。その熱情があるのなら、政府の委託事業、国庫からの補助金という形で間接的に責任のある「野生動物の命を奪う行為」に目を向けてください。自国のことだけでなく、よその国の自然の一部を侵していることにも関心を払ってください。殺す科学に特化した機関であっても、命を救うことにかけては結局何の役にも立たない鯨研に対し、「助けてあげて」と声を伝えてください。
 当の離れマッコウは、別に「日本人の動物観・生命観をあぶりだす使者」としてやってきたわけでもなく、「骨休みしようと思ったらちっこい動物の群れがえらい騒がしかったなあ・・」と思ったか、本来属する自然とつながりのない丘の獣のことなどすぐ忘れてしまうか、きっといずれかでしょうが・・・

参考リンク:
■人として正しいことか|紅海だより
http://inlinedive.seesaa.net/article/119631465.html
■捕鯨とナショナリズム──捕鯨擁護派はこんなんばっか? (拙過去記事)
http://kkneko.sblo.jp/article/28972939.html

 

◇捕鯨ニッポンとは対蹠的な地球の反対側でのヒトとイルカの理想的な共存──世界的にも稀有な異種協同文化

■ブラジル〜人と漁をするイルカ|知られざる野生 (5/31 a.m.0:30-,NHKBS-1)
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20130105-10-15692

 '06年に放映された海外放送局との合作ドキュメンタリーの再放送。
 『世界ウルルン滞在記』など日本のTV番組でも何度か取り上げられたことのある、ブラジル・ラグーナでのバンドウイルカとヒトとの協同の漁のお話。
 200年続く伝統のボラ漁は、野毛の鯨肉料理屋なんぞとは重みが格段に違いますが、それだけではありません。この伝統はイルカの側にとっても集団内の個体間で継承される後天的な文化活動であり、すなわち異種合同の伝統文化という、世界でも類稀なきわめて価値の高い文化なのです。
 古式捕鯨時代の日本の捕鯨業者は、捕殺に特化した技術で秀でていた以外、イルカ・クジラについてろくな生物学的知識がなく、クジラを魚だと思ったり、ミンククジラを種として認識できなかったりしましたが、ラグーナの漁師たちは鯨類学者顔負けの個体識別を行っています。
 ブラジルのこの漁を生物学的にみれば、異種間の利他行動であり、共利共生の一つといえるでしょう。最近流行りの言葉を使えば、戦略的互恵関係と言った方が近いけど。
 異種間の利他行動も、後天的な文化も、霊長類や鯨類に限らず動物の間で広く観察されることです。しかし、生態系における様々な種間関係や利他行動の大半は、自然選択の結果の積み重ねである生得的なもので、進化史上のトピックであるのに対し、この種間関係は生物学的には短い期間のうちに確立されたもので、異種それぞれのミーム(R・ドーキンスが提唱した非分子生物学的な遺伝情報単位)がDNAに代わる主役となっています。つまりミームの共進化の事例なのです。
 筆者はラグーナの共生型伝統漁業をUNESCOの文化遺産登録筆頭候補に推したいと思います。
 現在、この連携漁法を心得ているイルカは20頭ばかりとか。この素晴らしいヒトとイルカという2種の動物の関係が、いつまでも存続することを願わずにはいられません。

posted by カメクジラネコ at 00:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 自然科学系
この記事へのコメント
はじめまして。
田辺市の住民や職員の願いや心労が通じたんだろうと思い、正直ホッとしています。
前にHISTORYCHANNELで見た血の海の中での追い込み漁は見るに耐えないものがあり、イルカをクジラと称して捌き売っていた時代があり、和歌山県人としてやるせないものがありました。
僕も野生のキツネを飼ってたので、マッコウ君が自然に帰れるだけの余力があったんだなと感動しました!!
Posted by Jonathan at 2009年06月02日 19:29
>Jonathanさん
コメントありがとうございますm(_ _)m 和歌山にも、野生の生きたクジラたちと新しい関係を結ぶことを選ぶという方は大勢いらっしゃいますよね。
キツネと暮らした経験があるとはなかなか強者ですニャ〜(^^; 私の知り合いにも落ちコウモリとか捨てイグアナとかいろいろ拾って育てた経験のある人がいます。野生動物って、ニンゲンが思ってる以上にたくましいとこありますもんね(^^;
Posted by ネコ at 2009年06月03日 00:55
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/29524459
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック