2009年05月31日

いのちを大切にする捕鯨賛成派???

 近々鯨研のオトモダチ新聞に負けないスクープを発表予定ですので、しばしお待ちを・・
 
 ある水産研究者の方と大変有意義な意見交換を行うことができました。尊大ぶった高級官僚森下参事官や鯨研関係者とは大違いで、一市民の疑問にも懇切丁寧にお答えいただける大変真摯でひたむきな方で、まさに生物学者の鏡。直接クジラの研究にタッチしているわけではなく、中立に近い穏健な捕鯨容認派の位置付けなのですが、お話をうかがっていると、やはり日本の水産研究・水産行政の抱える問題点が浮き彫りになってきます。
 以前、アホウドリの聟島引越し作戦について、金を出さない水産庁、金を持たない環境省に代わり米国の財布から予算を出してもらった話を取り上げました(それでも調査捕鯨への毎年の補助金よりは低い)。しかし、地道な混獲防止のための取り組みを行い、米国など海外から高い評価を受けている日本の水産研究者の方も確かにいらっしゃるのです。魚種交代の研究などについてもそうですが、世界から評価されている質の高い地道な研究に国内では日が当たらず、国民の目に留まることもなかなかない一方、調査捕鯨のようなマガイモノのガラクタ研究があたかも唯一無二の崇高な科学であるかのように持てはやされている現状は、水産学にとっても漁業にとっても不幸なことと言わざるを得ません。
 

◇クジラ関連ニュース・クリッピング

■仙台湾のクジラ 「若者」ぞろい (5/28,読売宮城版)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20090528-OYT8T00161.htm (リンク切れ)

 前回の沿岸調査捕鯨に関する報道追加。記事タイトルがヘンですね・・

■「鯨は野毛」 30店集結 (5/29,朝日神奈川版)
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000000905290005 (リンク切れ)

 捕鯨ヨイショ市長中田氏のいる横浜は、飽食のいま、戦後食糧難にあえいだ日本を救ってくれたアメリカや南極のクジラに対して微塵の恩義も感じていないようですね。


国内の鯨肉の生産量はピークだった1962年の22万トンから、07年は4千トン(水産庁)まで減少(引用)

 なぜ記者は、よりによってシロナガス・ナガスを追い詰めた乱獲時代の数字を掲げたのでしょうか? 「あの懐かしいヤリタイ放題の無軌道捕鯨を取り戻したい」といっているのでしょうか? 実に恐ろしいことです。
 最近、少なくとも外向けにはひたすら反省を口にしてきたはずの捕鯨サークルが、ここへ来て事実に真っ向から反する「日本の捕鯨性善説」を国内各地の講演会などで盛んに打ち出しており、理解に苦しむばかりです。ますます北朝鮮そっくりになってきたニャ〜・・・

 

◇いのちを大切にする捕鯨賛成派???

 つい先日「自分に都合の悪い情報なんて知りたくないし、こんなとこもう来ないニャー!」と書き込んでいったヒトがいましたが、当ブログは公共のゴミ捨て場ではありません・・。自分のハンドルに「いのちを大切にする」なんて自慢げに付け、「他人にケチをつけられた」といって目を向く神経は筆者には理解しかねます。後ろめたいことでもあるのならいざ知らず、本人の生き方の問題なのだから、他人の物差しなど気にしなければよいことです。他にも、“クジラの季節”が近いせいか、“他所の庭”を“自分の庭”と勘違いしている輩が“海のゴキブリ”の形容を用いたくなるほど増殖して、あちらこちらでご迷惑をおかけしている様子・・・
 呆れたネーミングセンスの持ち主が相変わらず多い捕鯨シンパではありますが、以下は特定の方のお話ではありません。
 「いのちを大切にしたい」と思っている方はそれこそたくさんいて、世界人口においても、日本の人口においても、多数派であろう・・と思います。その感情を「とても大事だ」とお考えの方も、やはり多数派であろうと思います。多くの方々は、身の回りでできるほんのささやかなこと、自らのライフスタイルを見直すこと、その次のステップとして社会や行政に働きかけることを、心がけていらっしゃるはずです。結果を出すためには、実効性とともにある程度の持続性が要求されます。ですから、皆さんは自身の職業やスキル、人によっては財力を活用することと合わせ、まず最も関心の持てる対象を選択するでしょう
 戦争に関心のある人は戦争をなくすために、核に関心のある人は核をなくすために、死刑に関心のある人は死刑をなくすために、貧困や飢餓の問題に関心のある人はそれらをなくすために、一体何をなすべきかを考え、行動します。
 パレスチナの問題、アフガニスタンの問題、ミャンマーの問題、スーダンの問題、ソマリアの問題。薬害や医療事故の問題、在日外国人の人権の問題、派遣労働者の問題、アイヌなど先住民の権利の問題、差別の問題。etc.etc.
 環境問題もまた然り。熱帯林伐採の問題、砂漠化の問題、サンゴ礁の破壊の問題、ダムや高速をはじめ無駄な公共事業の問題、原子力の問題、有害廃棄物の問題、地球温暖化、稀少野生動物の国際取引の問題、乱獲や密漁の問題。etc.etc.
 動物の問題もまた然り。自治体による犬猫の殺処分数を減らしたい人、動物実験の縮小と代替技術への転換を図りたい人、動物園のエンリッチメント対策を推進したい人、非致死的な防除策を普及させて有害鳥獣駆除件数を減らしたい人、菜食を日本に広めたい人。イヌを助けたい人、ネコを助けたい人、イヌワシを助けたい人、ウミガメを助けたい人、イルカを助けたい人、カンガルーを助けたい人、ウシを助けたい人、ゴリラを助けたい人、パンダを助けたい人、コアラを助けたい人、ペンギンを助けたい人。etc.etc.
 それぞれのテーマに対して、結果を引き出すためにどのような効果的な具体的アプローチがあるのか、誰もが真剣に考え、試行錯誤しながら前へ進もうとしています。それが、「いのちを大切にする人たち」です。
 もちろん、バイタリティに応じて複数のジャンルにまたがって精力的に活動する方も、中にはいらっしゃるでしょう。逆に、関心の薄い問題に対して手(頭)が回らないのも、ニンゲンなのだから当たり前。「他の問題にタッチしていない」などという非難をするヒトが、一体どこにいるのでしょうか?
 パレスチナの問題に携わる人を、「なぜ北朝鮮の問題に取り組まないのか!」と責めますか? 在日外国人の問題に取り組む人に、「同和問題を取り上げないならやめろ!」と言いますか? 熱帯林の問題をテーマにしている人に、「核を廃絶するまではそっちをやれ!」と要求しますか? パンダの保護を手がける人に、「コアラも同時にやらないのは差別だ!」と罵りますか?
 「いのちを大切にしたい」と思っている人たちの前に、立ちはだかるヒトたちがいます。
 およそすべての問題にわたって、利害のある抵抗勢力が存在します。それも当たり前のこと。
 彼らの多くには、非常にわかりやすい共通の特徴が存在します。常に後ろ向きだということです。
 彼らは現実的なオルタナティブを決して提示しません。「アッチの方が問題だ! だからコッチにはかまわないでくれ!!」とひたすら訴え続けるのみです。
 最も華々しい成功を収めた抵抗勢力のお手本こそは、スポンサーの捕鯨協会に委託された優秀な広告屋さん梅崎義人氏がプロデュースした反・反捕鯨プロパガンダに他なりません。先日取り上げたIWC政府代表団代表中前氏がセンター長を務める水産総合研究センターの「捕鯨はエコ」主張などもその典型。
 石油業界、原子力業界、塩素系化学工業界、熱帯木材貿易商社、アグリ・遺伝子操作メジャー等々、全ての業界にとって、「市民運動から“身を守る”ためのガイド」を提供してくれた、反・反捕鯨運動マニュアルは実にありがたい存在です。地球温暖化対策に後ろ向きな日本の産業界全体にとっても、大いに参考となったことでしょう。
 そうしたプロパガンダがわかりやすい標的を示すことで、自身の針路や社会に対する漠然とした不安・不満を抱えた若者を中心に、ネガティブなエネルギーを注ぎ込む層を生み出したわけです。
 世界でも人口1人当りで最悪の1900万トン(一部の推計のみなので実数としてはさらに多い)という途方もない食糧を廃棄している飽食の国が、公海・南極上の世界共有の財産である自然・野生動物を現実問題としてただ一国のみ捕殺利用しているという事実。しかし、どういうわけか彼らは戦慄も驚愕も覚えず、馬耳東風で聞き流すことができるヒトたち。むしろ、税金を投入して行っているそうした国策事業を、まるで海外で対戦するオリンピック競技の日本チームであるかの如く、声を張り上げて応援するヒトたち。実効性のある対案を何一つ示さずに、世界に対して結果をもって証明してみせることをせずに、"現実"を一切直視しようとせずに、そのうえに胡坐をかいたまま、「いのちを大切にするために日本は南極で捕鯨し続けるのだ! 外国の連中に文句を言われる筋合いはない!」と、臆面もなく大声で叫んでいるヒトたち。
 そんなヘリクツが世界に対して通用すると本気で信じているとすれば、あまりにもおめでたいことです。
 日本の主張を世界に信用してもらえる、受け入れてもらえる条件はただ一つ、単純明快なことです。
 日本が「いのちを大切にする国」になることです。世界のどの国よりも。
 そのときに初めて、「ああ、なるほど・・日本は捕鯨をしているけど、実は世界でもいちばんいのちを大切にしている国だったのか。じゃあ、彼らの言うことにも一理あるかもしれないな・・」と認めてもらうことができるでしょう。
 しかし、現状では、「世界中のどこの国よりもモッタイナイことをしている国が、よくもまあ・・」と鼻であしらわれるだけです。むしろ、「世界で最もいのちを粗末にしている飽食の国だからこそ、南極の野生動物までも追い詰めているのではないのか」と、さらなる非難を浴びることでしょう。
 日本は調査捕鯨名目で実質的な商業捕鯨を存続させ、モラトリアムを遵守する能力をついに世界に示すことができませんでした。そうやって野生動物を貪り続けながら、同時に世界最悪の食糧廃棄・食品偽装国家になってしまったのです。これは単に事実にすぎません。
 日本の内情を知っている筆者や市民ブロガーの皆さんと異なり、世界にはその事実がまだあまり知られていないが故に、アフリカの開発途上国もあっさりだまされ、先進国も日本に対してやんわりとしか批判していないわけです。それは、日本人の1人としてあまりにも恥ずかしく、悲しいことですが……
 よい方に合わせることは何一つ考えず、悪い方へ悪い方へと合わせようとする、そんなミットモナイ国になるのは願い下げです。どうせなら、犬や猫も、家畜も、野生動物も、そしてニンゲンも、殺さないことにかけて世界ナンバーワンの国でありたいもの。「差別だ」といって際限なく命を奪うより、「命を大切にすること」にかけてオーストラリアやアメリカなどに対して胸を張れる、世界をリードする国になりたいもの。
「畜産を減らせないなら捕鯨を続けさせろ」
「捕鯨を止められないなら畜産に文句を言うな」
「カンガルーを殺しているのと同じようにクジラを殺さないのは差別だ」
「クジラを殺しているのと同じようにカンガルーやウシやイヌやネコやニホンザルやゴリラやヒトを殺さないのは差別だ」
「イルカ・クジラをたくさん殺している鯨研は田辺の迷いマッコウをただちに捕殺すべき」
「レッドデータブックに名前の載っていない生物はビョウドウに皆殺しにしよう」
「いや、ビョウドウは何より重要なジンルイの基本原則だから、やっぱり絶滅に瀕した動物も同じように殺そう」
「自治体が税金で収容して殺処分している以上、すべての犬や猫の個体を1匹残らず殺さないとリンリ的に不公平だ」
 ──そういった殺しの拡大路線こそ、筆者が最も嫌悪する敵です。
 それはまさに、
「戦争でヒトが死んでるのと一緒なんだから、死刑をやめなくたって別にいいじゃないか」
「どうせ国が死刑をしているんだから、戦争でヒトを殺して何が悪い?」
「温暖化を止められないのだから、もっと廃棄物を撒き散らしちゃえ」
「アメリカが核を持ってるんだから、北朝鮮やイランや日本にもビョウドウに核を持たせてやろう」
 ・・といった、戦慄すべき発想とシンクロするものだからです。

 

◇定義不能な捕鯨賛成派・・・

 巨大SNS・MIXI内には、水産庁の森下参事官が知れば存在を外からひた隠しにしたがるような、最も素朴な捕鯨礼賛信仰を抱くヒトたちのコミュニティがいくつかあります。そこには、トピックに鯨肉料理写真を貼りまくったうえで「韓国は嫌いだが犬肉食だけは応援する」なんて平気で書き込んだり、反捕鯨国オーストラリアで災害があると狂喜して人の道に外れた日記を記すヒトたちが入り浸っています。
 ワンクリックで済む話なのに、なぜかリンク先のソースをまったく見たがらない、要するに自分たちに都合の悪い真実からは目を背けたがるという特徴も。ともかく外の世界に目を向けず殻に閉じこもり、内輪でつるんでワイワイ盛り上がっているのが好きなタイプ・・。
 「イヌもクジラもどんどん殺そう」というヒトたちをいのちを大切にする捕鯨賛成派≠ニやらがまったく糾弾しないのも不可解な話ですが・・。
 こういうヒトたちがいる限り、日本は世界ナンバーワンの飽食・廃食大国の座を他国に譲ることはないでしょう。もっとも、筆者とは水と油で入り混じる余地がまったくないとはいえ、彼らはある意味正直ではあり、その分「いのちを大切にする」と嘯く連中よりはまだマシかもしれません。
 
 もっとも、苦痛を与えることを是とする異常な動物福祉の定義を世界に押し付けるために膨大な熱情を注ぐ、正真正銘の狂人に比べれば、後ろめたさを動機とする「いのちを大切にしたいけどできなくて捻じ曲がってしまった捕鯨賛成派」でさえ、まだマシといえますが・・・

◇そして現実を直視する捕鯨批判派

■捕鯨批判ブログ集
http://www.kkneko.com/framel2.htm

 捕鯨批判ブログ集の登録件数(個人)が150件を突破しました。皆様に感謝m(_ _)m 筆者がチェックできていないものもまだまだ多数あると思いますが。皆様からのご報告(自薦・他薦可)お待ちしております。
 捕鯨批判派には様々な属性があり、「どこまで認めるか」についてもスタンスに幅があることは、以前お伝えしたとおりです。
 筆者自身は他のNPOなどとは異なるラディカルな主張も展開してきましたが、一方で現実志向でもあります。ヒトが死ぬ戦争すらこの世界からなくせないのに、クジラが1頭も死なない世界を目指すなんて、ユートピズム的発想は持ち合わせていません。アイヌの捕鯨は容認(自分たちの本物の伝統と、西欧から持ち込んだ資本家によるシャモの捕鯨とを混同しないで欲しいと願っていますが・・)。沿岸捕鯨についても条件付で認めていいと思っています。ただし、J−ストックと呼ばれる、生息数の少ない日本海側を回遊する個体群への影響については、国内の自然保護団体が憂慮するのも道理であり、現行の政府側の要求には大幅な修正が必要でしょうが。米国や豪州が今後歩み寄りを一切拒否するようなら、南極のクジラたちを犠牲にして現状維持を図る「逆予定調和路線」だと批判せざるを得ないでしょう。また、SSや日本の捕鯨船団の暴力行為、日本のODAによる票買い行為は手法として反対であり、「目には目を」とばかり正当化する(買収工作は日本の専売特許ですけど・・)捕鯨ニッポンと同じ真似を、反捕鯨国や世界の市民にして欲しくはありません。沿岸捕鯨をゼロにしたいなら、たとえ時間がかかっても、日本人が主体となって日本の中で非消費的利用の場などを通じて地道に世論を啓蒙し続ける以外にないでしょう。
 何度かブログ等でお伝えしたとおり、筆者は上に掲げた問題にひととおり関心があり、真性の草食動物でもあります。いのちを大切にする捕鯨賛成派の主張にかなうよう、当の彼らよりはるかに貢献しているはずなんですけどね・・。ただし、個人の価値観・ライフスタイルを他人に押し付けるつもりも、ひけらかすつもりも毛頭ありません。そもそも自慢になんてならないことです。筆者は無神論者ながら日本的な生命観の持ち主なので、米であろうと何だろうと命を奪うことは罪であり業であると思っています。殺しを正当化したり、開き直ったりすることを自分に許したくはありません。死ぬまで罪悪感と向き合い続けます(長生きする予定はありませんが・・)。
 現実派の筆者は、南極海からの段階的撤退というソフトランディング案に同調してくれれば、鯨肉を食べる方たちとも協調することに躊躇はありません。何よりも大切なのは、私たちの社会がどのような方向性を選ぶかということだからです。
 今日より明日、ニンゲンという動物が万物の霊長を自称しても恥ずかしくない存在へと、ほんの一歩でも近づきますように。

posted by カメクジラネコ at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会科学系
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