2008年12月24日

赤カブとハタハタとアジアゾウとクジラ/捕鯨ニッポンの凶気

◇赤カブとクジラ

 松本の方から赤カブを送っていただきました。漬物にする前の味見だけで、手が止まらなくなってしまうほど美味。玄米ご飯と一緒にいただくことを想像するだけでも、涎が出てしまいそうですニャ〜。地元では3キロ380円、既製の市場流通品ではあり得ない安さで、しかも安心安全といいことづくめ。
 セロトニンを分泌するのに、動物の死体に頼る必要などありません。同じ赤い縁取りでも、南極産の野生動物の死体とは、生産にかかる環境負荷も比べものになりません。
 聞くところによると、正しい(美味しい)赤カブの栽培法にはコツがあり、産地の山の斜面でないとダメなんだとか。耕作地に植える際には、生産者の方が火を入れる前に「早く逃げれーっ!」と大声をあげて虫や小動物を追い払うそうです。
 「供養碑さえ建てればいいんだ!」「他のものも殺しているんだから、もっと殺して何が悪い!」と、世界に恥ずべき飽食・廃食の限りを尽くしながら開き直るセイサンシャ≠ニはあまりに対照的。
 犠牲を少なくするために具体的に何をすべきか──と心を砕くことによって、食に関わる人々は、一次産業を持続可能たらしめてきたのです。それこそが、古来から伝わる≪本物の生産者≫の知恵であり、命に対する優しさではなかったのでしょうか? 現代の捕鯨ニッポンが失ってしまった、本当の≪日本人の心≫なのではないでしょうか?


 

◇ハタハタとクジラ

■廃棄物処理法違反:ハタハタ大量に投棄 男2人、食べきれず山中に (12/19,毎日青森版)
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20081219ddlk02040030000c.html (リンク切れ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081219-00000012-maiall-soci (リンク切れ)
■ハタハタ豊漁喜び…市場価格は底値状態 (12/6,産経)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081206-00000014-san-l05 (リンク切れ)

 160kgのハタハタを山中に埋めた疑いで、廃棄物処理法違反で摘発される事件が発生。秋田名物のハタハタ、今年は豊漁でそれが今回の山への大量廃棄事件につながったようです。
 一時激減したハタハタに関しては、秋田・山形の漁協が'92年から3年間自主的にモラトリアムを実行したり、漁期設定や杉の葉の産卵床を用いた効率的な集魚法を禁止するなど、厳格な資源管理措置をとったことで知られていました。営利優先と国策企業としての傲慢さ故に、自発的モラトリアムを実施する能力を最後まで示し得なかった捕鯨業者など足元にも及ばぬ、沿岸漁民の心意気を見せてもらったはずなんですけどね・・。捨てたのは当事者ではなく、譲ってもらった友人ということですけど・・。
 ハタハタでの同法容疑は初と報じられていますが、他の魚介類、そして他ならぬクジラでも同様の事件は起きています。太地は以前、クジラの骨や頭などをずっと投棄していたことが発覚しました。共同船舶は、前身である大手捕鯨会社から、洋上投棄の"伝統"をしっかり受け継いでいますが、こちらは監督官・水産庁・警察とぐるみで摘発には至っていません。
 農業でも、豊作時にキャベツをブルドーザーで潰す光景がニュースで流されたりします。誰もが「なんて罰当たりな、もったいないことをするんだろう!?」と思うようなことが、日本では平気で行われているのです。それでも、赤字だと言われれば、「じゃあ、仕方ないか・・」と、誰もが目をつぶってしまいます。命よりカネが優先の社会・捕鯨ニッポンでは、「背に腹は替えられぬ」という論理が罷り通ってしまうのが現実。
 それならば、「命を絶対に粗末にしないのです」などという嘘八百を、世界に向かって声高に叫ぶのは、やめたほうがよくないですか? みっともないだけですよ・・・
 播種から収穫までの期間が長いため、リスクマネジメントが困難な農業に比べた場合、漁業のほうが豊漁期の漁獲努力の調整はつけやすいはずでしょう。燃料費だって無駄にせずに済みますし。オリンピック方式で早い者勝ち、獲った者勝ちの世界だからこそ、豊漁時でもブレーキが利かず獲れるだけ獲ってしまい、しかも儲けにならないという事態が生じるのでは。日本も早急にIQ/ITQ制に移行し、魚にツケを負わせず賢くやりくりする漁業へ転換するべきでしょう。水産庁が看板だけ掲げている流通構造改革を、大胆かつ早急に進めてもらうことも不可欠ですが。
 ブルドーザーに"轢かれる"キャベツや、底引網でかかってもその場で海に投げ捨てられる未利用魚種、そして農協・漁協が建てるハコモノの都合に合わせて弾かれる"規格外の命"は、統計に表れる1千万ないし2千万トンに上る廃棄食物(家庭・サービス産業から出る残飯中心の大雑把な推計)の中には含まれていません。考えるだけで背筋が寒くなりますね・・。

参考リンク:
■勝川俊雄公式サイト
http://katukawa.com/
 

◇無垢な賢い仔ゾウと、血まみれの狡賢いサルたち

■星の子“モーシャ”〜世界初 義足をつけたゾウ (12/22 22:00-,NHK)
http://www.nhk-jn.co.jp/wp/program/details/disp_j.asp?a=00&s=0&c=200812221432 (リンク切れ)
http://www.nhk.or.jp/archives/premium/past/201208-4.html

 タイのNPO「アジアゾウの友」の病院で保護されている、地雷で前足先を失った仔ゾウ。親子に見せたい良質のドキュメンタリーでした。
 地雷被害はカンボジアの方かと思ったら、今まさに軍政と反政府勢力の対立が続くミャンマー国境の方だったのですね。永井氏の事件を思い出しますが、ヒトの命を奪う国では、やはりヒト以外の動物も傷つけられるのです。
 タイのアジアゾウの個体数はおよそ5千頭と、非常に心もとない数字で、半数以上が飼育下にあります。野生ゾウの生息状況がタイに比べても掴めていないミャンマーのゾウたちにとっては、人口急増と密漁は深刻な脅威になっていることでしょう。
 筆者が気になったのは2点。
 まず、安楽死について。体重の負荷が大きなゾウの場合、立てなくなると厳しいため、さすがにやむを得ませんね。ゾウが相手だと、ニンゲンを何十人も殺せる量の麻酔薬が要りそうですが。そうはいっても、モーシャの世話をしているイラストのうまい獣医さんには、安楽死に慣れないでほしいもの・・。
 もう一点は鉤を使った躾。背中に乗ったまま頭に無数の引っかき傷を負わせ、「指図に従わないとこうなる」と身体に覚えさせるというものなのですが……涙を流して泣いていました。皮の厚い大型動物は鈍感だと平気でムチをふるったりする鈍感なヒトたち≠烽「ますが、ゾウはとても繊細な動物です。本当に痛いのに、辛いのに違いありません。
 ここはまだ獣医がいるにしても、民間のゾウ使いが同じ躾の仕方をしているとすれば、感染症も心配。彼らの大半が、「痛い目に遭わせなきゃダメなんだ」という頑強な思い込みから、スパルタ式を採用しているようですが・・。あれほどお利口で茶目っ気たっぷりの子なのに、これではニンゲンに対する不信感を植え付けるだけです。実際、躾の済んだ後でも、言うことを聞くこともあれば聞かないときもあり、結局本人(ゾウ)が自分の意思で判断するのですから。
 「ゾウ使いは最後はゾウに殺される」という逸話もありますが、ゾウは一度覚えたことを決して忘れないことで有名。こんな間違った伝統≠ヘやめるべきです。といっても、殺す伝統≠ノ比べればまだはるかにマシですけどね・・。
 森に帰された母親ゾウとの別れ、自身と同じく地雷被害に遭ったおばさんゾウとの交流のシーンは感動的でした。きっと、ニンゲンには聞き取れない低周波で会話を交わしていたんでしょうね。成長期に巨体を支える義足を度々調整するのは、コスト面も含めて大変でしょうが、できる限り長生きしてほしいと願わずにはいられません。
 それにしても……わざと水道の蛇口を捻ってニンゲンをからかう天真爛漫な仔ゾウの賢さに比べると、ニンゲンとはなんと愚かな動物なのでしょう。
 地雷や、銃や、核や、殺すしか能のない馬鹿げたシロモノをいくら生み出せても、命を一から生み出すことも、奪われた命を生き返らせることも、護ることさえできやしないのです。ゾウたちの足を奪うことはできても、代わりに、本物の足の不完全な代用にしかならない義足を用意することが精一杯。傷ついた心も、身体も、決して元通りに癒すことなどできはしないのです。
 一体、そんなニンゲンのどこが賢いというのでしょう? 結果に対して何も責任を果たせない知恵浅はかな動物が、ゾウや、イヌや、ネコや、クジラに比べて尊厳に値するなどと、誰に言えるでしょう? 命を奪う力を誇示するばかりの醜い動物が、どうして万物の霊長などと偉ぶることができるでしょう?
 あなたはそう思いませんか──?

 
 

◇捕鯨ニッポンの凶気

■凶気の矛先=bNEWS23拡大スペシャル (12/23 23:00-,TBS)
http://www.tbs.co.jp/news23/

 今年最後の特集は“日本のいま”。凶悪犯罪から派遣解雇問題まで、うまい具合に1時間の枠でまとめたものです。もっとも、取り上げられると予想した事務次官襲撃事件には触れられませんでしたが。
 KYなローゼン首相は、今年の漢字を報道陣に尋ねられ、"国"ではなく"自分"にとってと勘違いして「気」なんてのたまったもんだから、ますます支持率を下げたようですが、実際に選ばれた「変」より、「凶」あるいは「禍」の方が似つかわしいのではないかと思えます。「禍」は来年? そうならないように祈りたいものですが・・。
 今の日本を覆うこの殺伐とした空気は、一体どこからきているのでしょうか? ひとつには、「空気を読む」より「相手の気持ちを感じ取る」リアルなコミュニケーションと異なり、剥き出しの敵意をぶつけて顧みないマナー無用のインターネット/2ch的バーチャル・コミュニケーションが、リアルな世界まで侵出してきたことが大きな要因のように思えます。
 そして、番組を見ていて受けたもうひとつの印象があります。ニンゲンの動物性の歪みが最も先鋭化した形で現れた場所こそ、他ならぬ日本なのではないか。本来の社会性哺乳類としての"伝統的"な社会関係が崩れてしまい、以前にも述べたように、あたかも社会性昆虫の超個体のような"無機的な群れ"になってしまったのではないか──ということ。ここでいう個体=個人に対する超個体とは、もちろん国家や企業のことですが。途中で天敵に襲われるなどして何匹脱落しようが、おかまいなしに行軍を続け、行く手を川が阻めば、死体を連ねた橋の上を渡っていく……。犯罪や事故に遭って命を脅かされている被害者に向けて、ケータイカメラのレンズを向ける光景は、あまりに非哺乳類的に感じます。子供のケータイを取り上げる以前に、やるべきことがあるのかもしれませんね・・。死刑肯定や非正規雇用労働者の自己責任論も、お役ご免になった働きアリや発育不全の幼虫を食糧に回したり、巣穴の外にほっぽりだすかのような、寒々しさを覚えます。

 やっぱり、ゾウやクジラやイヌやネコのほうが、ニンゲンよりよっぽどマシなのではありませんか? 子供たちにそう嘆かれる前に、大人がこの国の歪みを矯正しなければ。
 誰かに矛先を向けたくなるご時世、自分たちのことをすっかり棚にあげ、シーシェパードやグリーンピースなどの国際NPO、アメリカやオーストラリアなどの国、コーカソイドの人たち、そして野生動物であるクジラに、ルサンチマンの矛先を向けてきた捕鯨推進論者は、今日の捕鯨ニッポンの悲惨な現状を予言する存在だったのかもしれませんね──
posted by カメクジラネコ at 03:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会科学系
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