2008年11月04日

歴史認識とクジラ/食といのちを見つめること・その3

 厳冬の所為で冬越しに失敗し、1つだけ生き残ったハヤトウリちゃんが急に勢いを増し、夏場のビタミン補給に果たすところの大きかったゴーヤちゃんに替わって、窓辺に張ったネットにも蔓を延ばしてきました。もうじき寒くなるのを"肌"で感じて、「早いとこ実を付けなきゃー」と思ったのかもしれませんが。五葷抜きのオリエンタル・ベジにとって、玉ネギの代用としてパスタ料理などにも大変よくマッチするハヤトウリは、実に頼もしい味方であります。

 

◇国とシンパの歴史認識の乖離

 更迭された(といっても懲戒解雇にならず税金で退職金が支払われるそうですが・・)田母神前空自幕僚長、宮崎選出で大臣を降ろされた政治家と同じく、戦後教育の所為にして、村山政権が正式に認めた侵略戦争を改めて完全否定。
 濡れ衣ってのは、「西洋列強の侵略は"侵略"だが、大東亜共栄圏の盟主ニッポンによる侵略は"侵略"に当らない」ってリクツで、だから濡れ衣を着せた相手「欧米」ってことなんでしょうねぇ・・。
 当人は紛れもない戦後世代で日本のネオコンといえますが、そんなろくでもない"作文"に最優秀賞と300万円もの賞金を出す出版社など、日本国内に厚い層があってそうした主張を支えているという現実を前に、背筋の寒くなる思いがします。ていうか、なんでまたそんな輩が、よりによって自衛隊の最高幹部の地位にまで登り詰めたのか?という大きな疑問を、いま国民の皆さんの多くが抱いていることでしょう。ドイツの方であれば、「そんな話はとてもじゃないけど信じられナイ」とあきれ返るはず。この国で一体シビリアンコントロールがまともに機能するのかと、とてつもない不安に駆られます。
 ちなみに、真珠湾攻撃は米国の罠に騙された」んだそうです。アメリカにも当然この件に関する情報は渡っているでしょう。今回の事件に限らず、自衛隊や与党にネオコンが巣食っている日本の政治の現実については、おそらく彼らもとっくに承知の上なんでしょうが・・。「国際貢献しろ、さもなきゃますます世界の信用が落ちて影響力がなくなるぞと言葉巧みに持ちかけ、その実自国の経済負担を減らすため、日本には勝手な真似をされる心配のない給油・補給・事後処理的インフラ整備や警察活動レベルの治安維持などのバックアップをやらせる、という構図が出来上がっているわけです。次期大統領がどちらになっても、日本には更なる負担が要求されることは確実と見られています。
 内外の外交・経済の専門家は、日本があくまで米国に追従することこそ、とりわけ世界不況のいま日本が世界で生き残る唯一の道だと説き、政治もまさにそのとおりに実行してきましたし、これからもし続けようとしています。しかし、米国は「最重要のパートナー」殺し文句の誉め言葉で持ち上げつつも、日本にはあくまで忠実な子分であり続けることを求め、言われたとおりのことを(負担は自前で)やってくれることのみを望むでしょう。そして、謙った気前のよい仮面の裏に、肥大した自尊心の塊のようなネオコンの素顔を隠していることを知っているが故に、いざというときに本当に頼りにするのはイギリスやオーストラリアなどで、日本は常に紐に繋いで暴発しないよう監視できる状態に置くつもりでいることでしょう。「給油継続法案を通してお手伝いできるようにしますから」と言っている組織の幹部が、自分たちのことを「罠で騙して自分たちを戦争で負かしたにっくき敵だ」と頑迷に信じ込み、平気でペラペラしゃべっているというのに、真のパートナーとして信じられるわけがないでしょうに。人権・民主化の点で問題を抱えていても、日本に侵略された側の国である中国のほうが、まだ胸襟を開けるとさえ思われているのでは?
 日本の自尊心は、へいこらして尻尾を振りながら内心で「いつか負かされた相手を見返してやる」とウジウジくすぶることではなく、対等の友人として「力による解決がすべてではない。他の道もある」と諌めることによってこそ高められ、また世界の尊敬も得られるのではないでしょうか?
 国の公の表明と、事実上の軍隊である自衛隊の中枢にいたニンゲンの認識がまさに正反対だったというのは、黒を白と言い含める捕鯨ニッポンならではの特徴であり、世界の他の国でここまで表裏の開きがあるのは、日本以外でいえば北朝鮮くらいかもしれません。
 IWCの舞台で、日本の水産庁は、自国の捕鯨産業を含む近代捕鯨の乱獲の歴史を認め、シロナガスクジラの厳密な保護の必要性に同意し、IWCの管理下での"新しい捕鯨"を標榜しています。たまに公共放送NHKのやるドキュメンタリー番組なども、日本の商業捕鯨による乱獲の歴史を正しく伝え、"新しい捕鯨"との違いを強調する内容でした。
 しかし、インターネット上で検索してリストに出てくる捕鯨擁護派のブログの大多数は、歴史を完全否定して捕鯨ニッポンを単純素朴に絶賛しています。乱獲はアメリカなどアングロサクソンの捕鯨国によるものだと。日本の捕鯨は"善"であり"正義"であると。あたかも、「侵略したのは西洋列強で、日本は解放したのだ」と嘯くかの如く。
 
環境保護団体などが指摘する"史実"や密輸・規制違反などの様々な事実に対しても、まるで戦争の被害者、犠牲者の遺族の人々の声に耳を傾けることを頑として拒否するように、頭ごなしに否定して目をつぶります。それに代わる具体的なデータを自分で探して示すことさえせずに。先日、例外的な大変面白い"消極的捕鯨賛成派"を発見したので、別途取り上げたいと思いますが。
 まさしく前幕僚長と同レベルの、中国、朝鮮、アジア各国、そして沖縄であった出来事を丸ごと否定する歴史認識を、同じブログ内で公然と掲げるブロガーも少なくありません。ネットその他で非常に声の大きな日本のネオコン・超保守主義層は、ほぼそのまま反・反捕鯨層に重なるといっても過言ではないでしょう。
 水産庁は日本の国民に対して正しい捕鯨史の周知徹底を図ろうとはせず、過った歴史認識を吹聴して回るネット右翼を黙認し、外向きと内向きの顔を微妙に変える不誠実な姿勢をとっています。村山談話を公式見解とする日本政府が、大臣になった途端に"観測気球"を挙げたがる議員が後を絶たない与党のもと、自衛隊のトップにネオコンを任命するという大いなる矛盾を抱えているように。このことは、国際社会がしっかりと把握しておくことがあるでしょう。


 

◇食といのちを見つめること・その3〜ブタの命を真正面から見据える

(前回の続き・・)
 筆者は、『ブタがいた教室』のモデルとなった「子供たちに世話をさせた動物を無理やり食べさせる」という、一部で食育のモデルとばかり賞賛されているやり方が、虫酸が走るほどでっっっっっきれえです。
 欺瞞であり、偽善です。まさに愛誤
 そして何より、こどもたちの心を深く、深く、傷つけます
 映画では、先生がこどもたちの意見を最大限尊重しているかのように受け取られるのでしょう。原作あるいは"事実"とも微妙に異なるはずですが。いずれにせよ、立案・企画を教師が全部やって、何もかもお膳立てしたものを、小学生(それも常日頃教師の指導に強く従うことを要請される日本の!)のこどもが、賛成多数で否決するとでも? いきなり「ブタを飼おう」と言い出した子が出てきて、勝手にさせたら、それを食べるか食べないか論争が起こり、教師はその間"ノータッチ"だった、というならまだわかりますがね。
 あえていうまでもないでしょう。残念ながら、こどもは大人に誘導されやすいのです
 そして、既にネットなどでも一部指摘されているとおり、屠殺されるところまで責任を持って目に焼き付けさせないのは、やはり卑怯。間違いなく真実を隠すことなのだから。ピーちゃんがどうのようにして殺されるのか、詳細な事実を言葉で伝えることさえしてないんでしょうに。食肉処理場に送るだけで。
 ま、無理ですけどね。"残酷"だってだけの話じゃないのですよ。日本に厳然として残っている、間違いなく存在していながら存在そのものを覆い隠してしまっている、最も陰湿で根の深い差別である同和問題と切っても切り離せないので。筆者はもうかなり以前のことですが、品川の処理場に単独取材を敢行したことがあります。しかし、名の知れたニコル氏と違い、この問題≠口実に見学させてもらうことができませんでした。
 日本で市場に出回っている豚肉の多くは工場畜産のもので、幸せなピーちゃんのようにこどもたちと社会関係を築いた子では、ありません。"ピーちゃんの肉"以外で、このこどもたちの口に入る豚の肉は、薄暗く狭い檻の中で糞尿に塗れて過ごした、工場で生産される"原料"でしかないのです。この子たちが教室に通っていた間も。学校を卒業してからも。ずっと。
 そして、日本の外食・流通産業や家庭から、年間2千万トンという目のくらむほど膨大な量が廃棄されている食糧廃棄物の中にも、当然豚肉が含まれています。
 「自分で食べる命を見つめさせ責任を持たせよう」? 1頭だけですか。たったの。それとも、欧米の過激なアニマルライト活動家以上の激しさでもって、日本のすべてのブタの福祉を、少なくともピーちゃんと同じレベルにまで向上させるのに全力を尽くさせるつもりですか? 子供たちに?? ま、それならスジは通っているのかもしれませんね。PTAがなんて言うか知りませんが・・。
 それとも、「他のブタは殺しているのに、ピーちゃんを殺さないのは差別だから」と言いたいの?
 既にピーちゃんを学校で飼うことを決めた時点で、子供たちと触れ合わせた時点で、明確な差別なのに?
 そんな≪同じラインに合わせることを至上命題とするビョウドウ絶対主義≫に立つのなら、最初から飼わせるのなんてやめさせたら?
 あるいは、どうせ差別なんだから、殺すのをやめてピーちゃんには最後まで寿命をまっとうしてもらったってよかったじゃん。何がいけないの? 生かすことが。
 結局、口先だけの「感謝」で終わり。何も現実は変わらず。子供たちは真実を知らないまま。
 なお悪いことに、虚構の"ドラマ"を見せられて、これが真実なのだと思い込まされてしまった。
 こどもたちに公平公正であるべき? 確かに。そして、明らかに公正ではなかった。あり得なかった。
 ここで仮に、食肉場に送らない選択が通ったとしましょう。「殺して食べる派」には、不満が残ったかもしれません。「食べたかったのに食べそこなったじゃんか」とブツブツ言う子も、中にはいたかもしれません。そうでないことを筆者は望みますが。
 けれど、傷つく子はただの1人も出ないはず。泣く子はただの1人もいなかったはず。食べるほうに賛成しちゃったけど、実はピーちゃんが助かったことで「内心ホッとした」と思う子は、かなりの割合でいただろうけど。
 それに対して、多数決という"力"で、かなうことのない"力"で、無慈悲な"現実"、圧倒的な"壁"を前に、「殺される」という決定が下され、幼いこどもの心の奥に、深い、深い、無力感、悔しさ、いま目の前にいる命と本当にもう二度と会えなくなるのだという耐えがたい絶望と"痛み"を刻み込んだ子もいたのではないですか!?
 それは公平で、公正なことですか!?
 世界中で何億というたくさんのヒトが、殺さない選択をしているという、やはりまごうかたない事実も、単なる事実としてさえ伝えることをせず、「仕方のないことなのだ」と結論への道筋をオトナが用意するのも、やはり卑怯な手口といわざるをえません。
 捕鯨擁護教師の呆れた洗脳教育(リンク参照)の例もありましたが・・。
 「命をいただく」というフレーズだけはなんだか流行ってるみたいですが、みんな口先ばっかりで、クジラにしろ他の動物にしろ、動物としてフェアに対峙することを、少なくとも日本人は誰1人してはいません。このような学校での"食育"をしていいのは、する資格があるのは、すべての家畜が、一般の農家やあるいは家庭で、簡単に捨てられる"工場の製品"ではなく、ピーちゃんと同じようにまっとうな命として扱われている国と民だけです。
 ともかく! 子供たちに『ブタがいた教室』を観せるのであれば、『いのちの食べ方』も必ずセットで観せましょう。上映館は少ないですが、まだやっています。あるいは『ベイブ』でも観せたほうがよっぽどマシだニャ〜。

関連リンク:
■学校教育とクジラ(拙HP)
http://www.kkneko.com/edu.htm
■『いのちの食べかた』
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
■『ベイブ』
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=28622
■『ブタがいた教室』
http://www.butaita.jp/ (リンク切れ)


 
 ちょっと身内の手術やら、風邪で熱出したりしたもんで、いろいろバタバタしており、しばらくクジラに直接関係するネタから遠ざかっておりますが、次回は直球の捕鯨関連記事にしたいと思います。硬派記事のほうは行き違いもあり止まってますが、今月10日前後に入手予定の情報を合わせ、いずれかの媒体でお届けしたいと思っておりますm(_ _)m
 
posted by カメクジラネコ at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会科学系
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/22376510
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック