2008年09月20日

"あの戦争"で失われた数え知れない命たち

◇イラストご紹介

 オルカさんに素敵なシャチのイラストを投稿していただきました。ペイントで描いたとは思えない出来栄えです。
 オーストラリアに留学されたまんまさんからも便りが届いています。現地の学生さんたちと捕鯨問題に関する情報交換をされたり、充実した日々を送られているようです。若い世代の人たちが、野生動物や海の環境に関心を持ち、決して視野狭窄に陥ることなく問題を捉え、自分のスキルを活かしつつ取り組んでいってもらえることこそ、筆者にとっては何よりの希望です。

■1コママンガ(拙HP)
http://www.kkneko.com/cartoon.htm


◇脱走奴隷の受難 

■ミナミコアリクイ逃げ出す (9/19,時事)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080919-00000030-jijp-soci.view-000 (リンク切れ)

 大半のヒトはもうとっくに忘れてしまったでしょうが、以前もまったく同じ"ネタ"で短命人気動物キャラになった池袋・サンシャイン水族館の天才コアリクイが再び脱走・・。一体館側は再発防止策を講じなかったのでしょうか? 管理体制がなってませんね(汗) 前回はすぐに発見されたからよかったものの、事故に遭ってなければいいのですが。それともひょっとして誘拐されてたり・・・
 海外の野生動物にとって、狭い飼育環境を一歩外に出れば、そこは気候も植生もまったく異なる"死の世界"の入口でしかありません。順応したらしたで在来生物を脅かす"エイリアン"と化すだけ。大都会にそそり立つ60階の高層ビルの上で、完全に場違いな場所をさ迷いながら、途方に暮れているコアリクイの姿が目に浮かぶようです・・・・


 

◇自民党の目算違い

■「政治責任」強調の一方で省かばい 太田農水相、ちぐはぐな説明 (9/19,産経)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080919-00000938-san-pol (リンク切れ)

 件の事故米は、老人ホームばかりか子供たちの学校給食にまで回されていたことも判明。太田農水相及び事務次官辞任・・。どうせすぐ替わるのに、今辞めてどうするんでしょう?
 吹き荒れるリーマン・AIGショックと汚染米問題で、年内の解散総選挙はひょっとしたらお流れになるかもしれませんね。世界経済の雲行きが怪しくなってきたことで、保守的な経済界が守りに入り、日米とも民主党側に不利に働きそうですが・・。もっとも、日本の民主党は自分で勝手にポカやっちゃってるし(--; このタイミングで敵失を自民に与えてどうするんだか。
 仮に総選挙せずとなった場合には、給油継続法案が自民にとっては最大の懸案に。公明にまた飴玉をしゃぶらせるか、民主から引き抜くなり分裂を煽るなりしてでも、通そうとしてくるでしょう。合併話をわざわざ打ち上げてご破産にするようじゃ、後者の不安が拭いきれませんが・・。
 廃案になった場合、新政権は「国際責任を果たせなかったのは民主党の所為だ」と大声で叫ぶ腹づもりなんでしょう。しかし、一次産品のミニマムアクセスと同じく、何が本当の国際世論なのか見極める必要があります。軍事産業や投資ファンド、アグリメジャーの利益誘導のための政策を他国に強要する米国に、媚びへつらう必要はありません。アフガンからヨーロッパ、日本に至るまでの市民の声、暴力の連鎖など何も望んでいない真の国際世論は、たとえ困難であっても、武力に頼らない世界を構築するための着実な一歩を踏み出すことです。南極の自然をヒトの手で汚さないのと同じように。
 ところで、GPの調査鯨肉横流し内部告発は、いまぶつけたほうが効果的だったんじゃないかなあと思う今日この頃。日本の農林水産行政、食品行政のあまりに杜撰な体質とリンクしていることが、海外の人々の目にもはっきりとわかったでしょうに・・・



◇"あの戦争"で失われた数え知れない命たち
 

■昭和館特別企画展「戦中・戦後をともにした動物たち」 (7/26-8/31)
http://www.showakan.go.jp/events/kikakuten/080726/index.html

 たまたま九段下を訪れて夏休み中の企画展示を見た方から、パンフレットをもらいました。近代の日本人の動物観、そして国家が動物たちをどのような存在としてあしらわれてきたかが一望できる内容。そして、「戦後復興期の動物たち」の中の1項目に、「日本人とクジラ」の文字が・・。
 展示の中でクジラだけが他の動物と違う特異な扱いを受けていました。何のことはない、食糧難の最中における学校給食の光景や、鯨肉が配給される様子を伝える、新聞社の写真数点が展示されていただけなのですが。
 ちなみに、同じ戦後の食糧事情のコーナーには「ララ山羊」も。"ララ物資"(戦後日本への食糧等の調達を担った国際機関による援助物資)の一環として、米国の使節団からヤギが各地の農家に贈られたのですが、その後あっという間に姿を消したそうです。要するに、とっとと食われちゃったみたいで・・。小笠原で勝手に繁殖したように、ヤギは雑草でも何でも育つたくましい家畜で、乳を搾ってチーズにでもすりゃ持続的な食糧自給に一役買えたはずなのに・・。もちろん、戦前からもヤギは飼われていましたから、日本人がそのことを知らなかったはずはないのですが、精神的なゆとりがまったくなかったんでしょうねぇ・・。
 戦後の混乱の時代、日本は現在の中東やアフリカの紛争・飢餓地域にも匹敵する悲惨な状況にありました。政府による正規の配給に頼っていては餓死するばかり、という窮状から国民を救ってくれたのは、他でもないクジラたちです。日本人として、筆者はいくら感謝してもしきれないほどの多大なを、クジラたちに対して感じます。
 そして、飢餓は遠い過去の時代の出来事となり、体験者にとっては思い出したくもないおぼろな記憶、戦後生まれの世代にとっては古ぼけた報道写真で知る情報のみで飢えの苦しみというものが体感として伝わってこない"他人事"にすぎなくなりました。今や日本は、世界中のグルメをかき集めては毎年2千万トンもの大量の食物を廃棄する世界でも稀に見る飽食の国となっています。それにも関わらず、大恩のある南極のクジラたちを今なお追い詰めようとしているのは、義理も人情も、恥も外聞も掻き捨てる愚行の極みであり、筆者は日本人として深く深くじ入るばかりです。この国が自国の食文化が徹底的に破壊し尽くし、子供たちの給食にまで農薬の混入した米を平気で回すような食品偽装大国と化してしまったのは、おそらくクジラたちへの忘恩の報いに他ならないでしょう。
 戦前・戦中、そして戦後初期の動物たちの日本における取り扱いは、実に痛ましいものでした。企画展の実物資料の一つに一千万頭突破ヲ期ス」というポスターがあります。一体何のことだかわかりますか?
 国に供出され、殺された動物たちのことです・・・・。犬、馬、鳩、兎、エトセトラエトセトラ。
 駅前で半野良化してウロウロしてただけのハチ忠君奉公の教材に仕立て、銅像まで建てて祀りあげたかと思いきや、金属が足りネといって回収して溶かしてしまう、その辺りの感覚はカルガモやタマちゃんフィーバーに通じるものがありそうですね。
 2年ほど前に放映された終戦記念日の特集アニメを観て、今まで戦争に関心のなかったイマドキの子供たちもきっと戦慄を覚えたことでしょう。犬たちは、ニンゲンの若者たちと同様強制的に国に引っ立てられました。日の丸に贈られて出征するコロ(といってもシェパード・・)の写真がありますが、軍用犬はほんの一握り、ほとんどの犬たちは殺されて肉と皮にされたのです。
 「小国民みんなで飼はう軍用兎」のポスターも。これも肉と皮用。世話をする子供たちも"国の部品"というわけですね。今は高価な馬たちも農耕場から競走馬まで供出させられ、一部の軍用馬以外は食用に、そして血清用に血を抜かれて殺されたりしました。ゾウやライオンを始めとする動物園の飼育動物たちが主にを用いて殺された経緯は、童話などで広く知られているとおりです。
 多くの人たちが内心感じたであろう、家族を奪われる辛い心情が書かれた、読むだけで胸の痛む手紙もあります。が、新聞のコラムでは「飼犬も食べものがないので最近では次第に気が荒み、中には狂犬になるものも多いのです」などという非科学的な表現に続き、「この際小さな愛情を棄て、進んでお国に捧げようじゃありませんか、犬死といひますが犬の皮は飛行服に、その肉は食肉にもふりむけられるのです」との某航空研究所長の談話も(1944/11/11,朝日)"家族"の犠牲を求めることが当たり前の時代だったということですね・・。
 中国や朝鮮半島、そして東南アジア各地で日本軍によって殺された人たち、東京始め各地の空襲や長崎広島の原爆の犠牲になった人たち、国家の道具として戦わされ命を落とした若者たち、太平洋戦争の犠牲者は合わせて2千万人(うち日本人3百万人)に上るといわれますが、一千万頭というおよそ気の遠くなるほどの膨大な命もまた"あの戦争"によって奪われたのだという歴史上の真実から、私たち日本人は決して目を逸らすわけにはいかないでしょう。
 捕鯨擁護派の人たちはしばしば、「日本人は昔からクジラを大切にしてきた」と、あたかも西洋の白人に比べて日本人の動物観・自然観が優れているかのように唱えてきました。しかし、よくよく見ると彼らが主張しているのは単に塚を立てて供養したというだけのことにすぎません。それは裏返せば「供養さえすれば、どれだけの数殺そうが、どれほど惨たらしい殺し方をしようがかまわない」という、殺しを正当化するだけの免罪符でしかありません。無駄なく利用したという主張についても、特に明治以降の近代捕鯨に入ってからは今日の沿岸捕鯨、調査捕鯨に至るまで偽りであることがはっきりしています。
 確かに、かつての日本は動物に比較的やさしい国でした。牛や馬たちは農耕用の"働き手"としてとても大切にされていました。今のインドや東南アジア、あるいはヨーロッパでも一部の都市で見られるように、犬や猫は街中を自然に闊歩していました。狩猟については猟銃の所持が厳しく制限されていたため、マタギといっても中世後期に環境の厳しい一部の村落で半農半猟の生活形態が見られただけのようです。漁業の生産と消費もほとんど地場に限られ、現代のような漁業資源の逼迫を招くほどの乱獲はなかったと考えられます。
 施政者としては世界でも例のない動物愛護派、五代将軍徳川綱吉による<生類憐れみの令>は、間違いなく仏教に基づく日本的な動物愛護思想そのものです。鯨類学者の大隈氏などは"振り子学説(?)"で"動物愛誤"の例として引き合いにしてますし、以前の教科書ではさんざんに書かれていた時期もありますが、最近では当時のパラダイムシフトとして見直されつつあります。まあ、当時もあることないこと揶揄していた人々がいて、その辺は今のネトウヨさんとずいぶんそっくりなところも見受けられますが・・。もちろん、綱吉の過ちは動物を愛護しすぎたことではなく、仏教思想上も輪廻の輪に入る動物の一種であるところのヒトの権利を保護しなかったことで、それは前後の時代にも共通する封建社会の抱える重大問題だったわけです。
 また、江戸時代の僧侶の中には、「クジラは獣だし、今の捕鯨のやり方は残酷で仏の道に反する」と、まるで今の捕鯨反対運動の先駆けの如き主張をしていたヒトもいたほどです。詳細は下掲2番目のリンク先をご参照。
 ところが……日本人は、本来持っていた動物の命に対する畏れと敬いの気持ちを、明治以降に始まった近代化とともにすっかり忘れ去ってしまいました。少なくとも、それは鯨塚のように完全に形骸化してしまったのです。その結果が如実に表れているのが、今回の昭和館の企画展示が示す動物たちの処遇に他なりません。
 戦争の犠牲にされた一千万頭といえば、現在ペットとして飼育されている犬猫の数と大体同じくらい(ニンゲンの子供の数より多くなりましたね・・)。もっとも、最近ようやく30万頭台になってきたとはいえ、年間数十万頭もの犬猫が行政によって殺処分され続けており、トータルではこれまでに一千万頭を軽く越えているはず。しかも、これらは国の徴収ではなく、国民自らが愛護センターという呼び名の殺処分施設に持ち込み、税金で処理させているものです。調査捕鯨によってこの20年間に殺されたクジラたちも1万頭に上りますし・・。要するに、戦前・戦中の荒んだ時代に特有と思われがちな動物の大量殺戮は、平和になったはずの日本で今なお繰り広げられ続けているのです。

■日本の食文化キーワードで診断する鯨肉食
http://www.kkneko.com/bunka.htm#6
■やる夫で学ぶ近代捕鯨史・番外編
http://www.kkneko.com/aa1.htm

posted by カメクジラネコ at 01:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会科学系
この記事へのコメント
イワシの子供みたいな名前の事務次官ですが、水産庁のところから昇進して「農水省のトップ」になったばかりでしたね。事務次官は大臣よりも偉いのです。

辞めても生活に困らないだけのお手当てがあるでしょう。天下りの方もほとぼりが冷めてから。カミサンのおねだりで塀の中に落っこちた別の省の事務次官さんたちよりはましな老後を送ってもらいましょうか。
Posted by beachmollusc at 2008年09月20日 08:33
>beachmolluscさん
罷免じゃないんだから何も困りませんよね(--;
農水省に限らず霞ヶ関のキャリア官僚の世界は世俗と完全に切り離された"異文化圏"で、感覚が全然違いますもんねぇ。東西の価値観の衝突云々よりこっちのほうがよっぽど越えがたい"壁"なんじゃないでしょうか。。
Posted by ネコ at 2008年09月21日 01:22
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