2008年09月03日

日本のマスコミによる捕鯨報道は素人レベル

■「オーマイ」ニュースに幕 (8/29,読売)
http://www.yomiuri.co.jp/net/feature/20080829nt04.htm


 鳥越氏が音頭をとった韓国発の市民メディア「オーマイニュース」が、企業とのタイアップ広告記事中心に移行するとのこと・・。「自分の意見をニュースと誤解している人も多かった。事実を書くトレーニングの仕組みを作る必要があったが、うまくいかなかった」とは編集長の弁。低額でも報酬を払うのなら、質を厳選することは最低限必要だったと思いますが・・。
 そのオーマイニュース上で掲載された"捕鯨関連記事"は、かなり高い人気を博していたようですが、その中身はおよそ"記事"とは言いがたい代物でした。おそらく、投票・閲覧数のみで評価の順位が決まる仕組みと思われますが。まともな取材一つせず、捕鯨賛歌を謳い上げるだけの単なる作文。ネトウヨの日記ブログそのもの。外野のネトウヨを含め、組織力を動員すれば、高得点を得るのも簡単なんでしょうけど・・。
 「ブログとの競合が苦戦の原因」という解説もありましたが、ブログは単なる個人の日記以外の何物でもありません。一口に情報発信といっても、この二つは明確に切り分けられるべきでしょう。
 担い手がアマチュアであれプロであれ、報道は社会に伝えられるべき重みを持った「客観的な事実に関する情報」であり、だからこそ、権力その他による侵害を防ぐために「報道の自由」が設定されているのです。一方、ブログは個人による主体的な自己表現の場であり、他者の権利を侵害しない限り保障されているところの「表現の自由」の対象となるもの。カリスマブログといわれるものは、ほぼすべて、いくら面白くても主観を前面に押し出しています。
 ブロガーとしてどれほど閲覧者を惹きつけるセンスの持ち主であっても、第三者の厳しいチェック・事実確認を経なければ、"記事"は書けません。受け手の側にとっても、ブログは興味本位のネットサーフィンの対象か、共感を基準にしたコミュニケーションツールとして位置付けられるものです。一方、メディアはマスであれミニであれ、社会全般ないしは特定の分野に関する"情報源"として目的的に活用されるものです。何でもアリのブログの手法を、そのままネットメディアに持ち込めば、「自分の意見をニュースと誤解」する結果に陥るのは当然でしょう。
 現実には両者の境界は曖昧で、記事としてほぼ通用するほどの事実に基づく抑制された優れたブログと、名ばかりの粗悪な素人"記事"との逆転現象があることも否めません。しかし、伝えたい側、知りたい側の動機と、要求される水準が明確である、市民メディアの性格付けがきっちりと行われさえすれば、市民メディアとブログとは十分棲み分けが可能でしょう。
 筆者がお世話になったJANJANさんも、市民だけでなくプロのジャーナリストの方の記事も掲載するなど、運営にはいろいろ苦労されている模様。しかし、既存のマスメディアとは異なる視点での報道、そしてWeb上に億単位で存在する個人ブログとは一線を画するクオリティの点で、十分健闘しているのではないかと思います。
 拙記事が賞をいただいたことは先日お知らせしたとおり。自画自賛になっちゃいますが(汗)、実際に担当省への取材を行ったうえで、数字とその算出根拠、法律や参照事例など情報ソースを明記し、自己主張を極力抑えて問題提起の形で結んだものですので、記事としての体裁・要件を7割程度は満たしていただろうと思います。より広く皆さんに情報をお届けしたいという明確な動機があったからこそ、ブログではなく市民記事としての形を"選択"したわけです。
 既に何度も表明していますが、筆者のスタンスは明確に固まっていますので(根が皮肉屋なので逆説的表現をしばしば使っちゃいますが・・)、当ブログの記事のほうは、主観全開で思うままに書きなぐっている部分があることも否定しません。硬軟のアプローチがあっていいと思うからです。
 皆さんも、市民記者として1本くらい、徒然なる日常をしたためるブログとは別に、気合をこめた記事に挑戦してみられては如何でしょうか? そうすれば、今まで見過ごしがちだった事実≠ノ目が届くようになるでしょうし、ブログ/文章を書き続けるにあたっても改めて参考になるところがあるのではないかと思います。

■遠洋調査捕鯨は地球にやさしくない・日新丸船団、CO2を4万tは排出か?
http://janjan.voicejapan.org/living/0807/0807090629/1.php

 さて、読売記事中のオーマイニュース編集長のコメント「自分の意見をニュースと誤解──」の下りを読み返していて、筆者はあることに気づきました。これは市民記者だけに限った話じゃないんじゃないか、と……。
 ジャーナリストを目指して新聞社に入社したはいいものの、何年もの下積み修行の末、記者デビューは味も素っ気もないベタ記事の事件報道──というのがお定まりのパターン。かっこいい(?)社説や長文の論説を書けるのは、年配の論説委員やベテランのみ。ある程度年季を積めば、ちょっとしたコラム記事を書く順番が回ってくるでしょう。ところが、その内容はといえば、日頃の欲求不満の所為か、気合ばかりが空回りし、読者には支離滅裂なものが大多数・・。確かに、社会のエリートたるプロのジャーナリストへの道のりは決して平坦ではないでしょう。
 そんな若手・中堅記者たちが「やっと書きたいことが書ける」とばかり、息抜きに筆をとるコラムで、捕鯨問題は格好の題材とされる傾向があるようです。今年もGPJの職員逮捕、IWC開催期間、SS逮捕状請求と、地方紙を含めた各紙で"言いたい放題"のコラムが散見されました。捕鯨モラトリアムからこの方、IWCの開かれる5、6月前後を中心に毎年のように繰り返されてきた、定番のいわば年中行事のようなもの。これらの中身は、みな判を押したように似たり寄ったりの主張ばかりで、品質の点でいえば市井の個人ブログとまったく差がありません。媒体が権威あるマスコミであるというだけの理由で、多くの読者の目に入り、それなりの重み付けを与えられて引用されたりしてしまうのですが・・。
 市民が「自分の意見をニュースと誤解」するのは、やむを得ない面もあるでしょう。編集者が留意すればいいことです。しかし、職業人たるプロのジャーナリストが、「自分の意見をニュースと誤解」するのは、あっていいことではありません。にもかかわらず、何故か日本のマスコミでは、事が捕鯨問題となると「我を忘れてしまう」傾向があるようです。若手から大ベテランのはずの論説主幹クラスまでが、報道機関としての使命をうっちゃらかし、文化論や陰謀論を大仰に振りかざすのですから。
 というわけで、マスコミ発でありながら2chレベルの風説の域にも達しないトンデモコラムの一つをご紹介。

■ホンネで迫る!!ブラインド・インタビュー えっ、5年後“捕鯨解禁”!?「かわいそう」は後付けロジック (8/29,NSJ日本証券新聞)
http://www.nsjournal.jp/column/detail.php?id=108027&dt=2008-08-29 (リンク切れ)

 ・・・・。ブラインド・インタビューとはまあずいぶんご都合主義的な企画ですな。記者の署名すら見当たらず。業界関係者A、B、Cとあるけれど、本当にインタビューなんてやったのでしょうか? たまたま飲み屋で同席した飲み友達(ABC)と鯨を肴に「アングロサクソンはけしからん!」と勝手に盛り上がってただけなのでは?? 飲み代・鯨肉料理代は会社の持ち出しで・・。
 それにしても、見事に根拠のないゴシップ記事で、こりゃ証券業界紙というよりスポーツ新聞ですな。なんていったら、日刊ゲンダイに対して失礼かも。このレベルの記事が日本では珍しくないのが何より頭の痛いところです。このヒトたちに言わせれば、「アラスカの先住民捕鯨は米国の捕鯨技術確保の手段」で、日本のメタボ健診まで陰謀らしい。開いた口が塞がりません。冗談にしてもちっとも笑えませんが、真面目にこんなコラムを書いているのだとすれば、笑い事ではすみません。
 陰謀説に関する具体的な反論については、米国の公文書まで詳細に調べられた研究者の方のきちんとした資料がありますので、リンク先をぜひご一読ください。

■米国捕鯨政策の転換
http://www.research.kobe-u.ac.jp/gsics-publication/jics/sanada_14-3.pdf


 もう一つの例は、拙HPのメディア報道ランキングで毎日のラマレラ記事とともに取り上げた、読売夕刊2面(8/27〜9/1)の連載捕鯨ヨイショ記事。目新しいところなど一つもない記事を、IWCから2ヵ月もたった今のタイミングで掲載したのは、SS報道とのタイアップ効果を狙ったものとしか考えられません。

■明日へ・クジラと生きる
http://allatanys.jp/D004/ (リンク切れ)
http://www.kkneko.com/media.htm#3

 連載1回「昔砲手、今は案内人」、土佐でウォッチングを手がける元砲手長岡氏の談話が紹介されていますが、彼のコメントはいつもの調子。捕鯨擁護論に組み込まれがちですが、結果を見れば、生きたままの野生動物の有効活用が地元に根付き日本人にも受け入られていること、そして過去は過去として"共存"に経験を活かすことが日本において十分可能であることを示す事例に他なりません。
 連載2回「"タレ弁当"知ってますか」は和田浦のツチクジラ漁。あえて解体を売りにしている外房捕鯨は、何故かメディアに引っ張りだこ。「残酷で何が悪い」という主張がウケているようですが、"共感"というより後ろめたさを誤魔化す免罪符を与えられた気になるからなんでしょうね。記事中では、沿岸捕鯨と共同船舶の国策捕鯨との確執には一切触れずじまい。供給量を限ることができず、普及に躍起になるようなブンカに、伝統としての価値などありません。都合のいいときだけ歴史や伝統を担ぎ出そうと、所詮はただの食習慣。南房総を含め、あまりにも変質してしまった食のあり方を見直すことなく、殺す文化だけ正当化しようとしても説得力はなし。
 連載3回「ヒゲ生かす 職人の心意気」は何度も何度も聞かされ耳タコの文楽人形の話。アラスカのホッキョククジラのヒゲを譲渡されて何年分もストックがあるはずですし、代替素材の開発を頭越しに否定するのは技術立国日本らしくないですな。そのうえピアノは文化じゃないと言いたいようです。日本・西洋を含めた伝統文化を総点検し、社会的・政治的・経済的・環境的要因により素材を転換したものがどれだけあるか、文化そのものが抹消された例がどれだけあるか、検証しないのは卑怯ですね。南極の自然に拠りかかる無責任なブンカであれば、むしろ積極的に潰すべきでしょう。
 連載4回「1世紀の伝統守る戦い」は鮎川の捕鯨を紹介。たかが百年の企業活動を称して伝統とはびっくりです。日本は百年前と同じ状態で化石化した国だとでも言いたいのでしょうか? 百年の間に1つの企業も潰さなかった厳格な社会主義国家だったんでしょうか? その1世紀前の沿岸商業捕鯨はまさしく乱獲し放題の無法状態で、あっという間に資源枯渇を招いたのですが、その歴史的事実にまったく触れないようではお話になりません。「調査捕鯨のおかげで人件費を回収」という関係者の証言は、国内の捕鯨批判派の読みが的中していたことを裏付けるもの。
 この読売記事は、関係者に聞いた話をそのまま垂れ流すだけで、記者は背景を探るための情報収集を何もしていないことがわかります。市民メディアのほうがマスメディアより格上であることを証明するようなものですね。
 連載5回「多様な好みに歴史の名残」は長崎の市場。日本人に限らず食の嗜好がどれだけクルクルと変化するものか、食の文化史を概観すれば、誰の目にも明白でしょう。ミンククジラとクロミンククジラを分けないのは、日本にクロミンククジラを食べる伝統がなかったことを突っ込まれたくない所為でしょうか。例の如く「ほとんど無駄なく利用できる」との記述がありますが、洋上投棄についても、重金属が蓄積するため廃棄が推奨されている腎臓・肝臓についても、まったく触れずじまい。
 最後には担当した編集委員藤野氏自身がウネを試食。料理屋で供されるウネ肉の出所や入荷量の帳尻について調査しようとは思いもしなかったのでしょうか? 取材先で舌鼓を打って感想を述べるなど、グルメ雑誌の二流ライターの仕事でしょ。個人の主観的な郷愁コメントなんかより、国の委託で補助も出ている科学名目の事業でありながら、商業時代の慣行で高級ウネ肉が共同船舶社員に現物給与の形で"分配"されていたこと(横領・横流しの疑いもある)を伝えるべきだったのではないですか? あなたが本物のジャーナリストなら。

posted by カメクジラネコ at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会科学系
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