■ネズミの一種“デグー”を訓練して道具機能を理解させることに成功(理研)
http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2008/080326/index.html
動物通に言わせると、デグーを飼ってる人なら誰でも「できてトーゼン」と思うだろう、とのこと。
「サーカスで芸を教え込むようなケースとは異なり」って、それは単に"動機"が違うだけの話です。理研も知っててやったんでしょうけど・・。
論文の数をこなしてナンボの世界で、実績を上げるためにネタを探すのが科学者という動物の"習性"ということになるでしょうか。
「脳の認知機能の解明に役立つ」っていうのは、要するに解剖して調べるわけですね。脳実験に使いやすいのは猫だという話もありましたが、最も手ごろで扱いやすい実験動物として、やはりネズミの右に出るものはないんでしょう。で、思考や認知の能力があるヒトを実験に使うと倫理的に問題だから、思考や認知の能力があるネズミを使えばよい、と・・。
動物の差別が大嫌いらしい捕鯨擁護論者が、目を剥いて激怒しそうなロンリですねぇ。一方、「頭が悪いネズミだけ殺すのは差別だから、頭の良いネズミも殺そう」という言い方をするなら、捕鯨擁護者の唱えるロンリそっくりに化けますし。。
動物の1個体がまったく正反対のロンリを使い分けるとき、脳の電気的・生化学的な働きが一体どうなっているのか、知りたい気もします。やっぱりベーコン化しているのかしら?
ヒトとネズミが違うことを前提にするのであれば、この手の実験はネズミの知能を解明するのに役立っても、ヒトの知能を解明するのには何の役にも立たないわけです。もし違わないのであれば、倫理的な待遇の差別を正当化するため、万物の霊長らしくない身勝手なロンリを振りかざしていることになりますな。
ネズミに考える能力があるとわかったのなら、その時点で「ネズミを実験に使うのは減らしていきましょう」「動物実験の倫理基準をもっと厳しくしましょう」という方向へ向かうのが、"ヒトの道"なのと違いますか?
生物の備える機構としては、"考える脳"を持たせたほうが融通の利かない遺伝子のスイッチを延々と組み合わせていくよりずっと安上がりで合理的だといわれています。(『動物は何を考えているか』D.R.グリフィン著、どうぶつ社)
ニンゲンが考える脳の仕組みを備えているのは、ニンゲンが「動物だから」です。
他動物の心を覗けないのも、他ニンの心を覗けないのも、たいした違いはありません。他ニンの心がわかるのも、他動物の心がわかるのも、同じように大差ありません。
デグーの親を務めるニンゲンにとって、"こども"の心はたとえ素朴であったとしても、何を考えているか、嘘か本音かさっぱり読めない赤の他ニンに比べれば、近い"距離"にあるといえるでしょう。
最近、若者や少年の引き起こす事件、あるいは自殺が相次いでいますね。1つ事件が発生すると、同種の事件の扱いに対するマスコミ側のプライオリティが変わるので、あたかも連鎖的に起きているかのように見えるという問題もありますけど・・。いずれにしても、ニンゲンってのはやっぱり社会性哺乳類なんだなあと、つくづく思います。
卒業式直後の自殺──教師に怒られた理由というのが、「大好きな学校」という台本の台詞を本番で「大嫌いな学校」と口にして、大人の用意した式典の筋書きをぶち壊したから、とのこと。嫌いなものを好きと無理やり言えと? 「嘘をつけ」と? 筆者の小学生の頃は、教育の現場もさすがにそこまでひどくはなかったように思うのですが・・・
こどもの心をこんなふうに傷つけるのは、"ヒトの道"としていかがなものでしょうか──?