2014年11月08日

倭人にねじ伏せられたアイヌの豊かなクジラ文化

 今回はアイヌの捕鯨について徹底的に検証してみたいと思います。といっても、現在もなお続いている太地や南極海での捕鯨と異なる視点で。主なソースは以下。
@アイヌ民族クジラ利用文化の足跡をたどる(岩崎,'02)|北海学園大学人文論集21
http://hokuga.hgu.jp/dspace/handle/123456789/1351
Aアイヌの捕鯨文化(児島,'10)|神奈川大学
http://icfcs.kanagawa-u.ac.jp/publication/ovubsq00000012h5-att/report_02_008.pdf
Bアイヌの鯨類認識と捕獲鯨種(宇仁,'12)|北海道民族学#8
http://www.h6.dion.ne.jp/~unisan/files/ainu_whaling.pdf

 北海学園大学の文化人類学者・岩崎・グッドマン・まさみ氏は、以前当ブログで取り上げたNHKのトンデモ番組に登場した秋道氏との共著や、鯨研通信への寄稿もあったり、沿岸捕鯨の文化の側面を強調する仕事をなさってきた、立ち位置としては捕鯨推進側の方。一方、児島恭子氏は札幌学院大学のアイヌ研究者の方。宇仁氏は東京農大の博物館学芸員の方。
 今回の視点で検証する分には、岩崎氏のも含め、ニュートラルな資料と受け止めることができるでしょう。(以下、引用は@ABとします。強調は筆者)
 これらの文献からは、アイヌやニヴフの人々を含むオホーツク圏の先住民が、海獣と非常に豊かな関わりを持っていたことがわかります。
 トリカブトの毒を用いた噴火湾での捕鯨は有名ですが、離頭銛のほか弓矢も使われたようですし、地域によって利用の形態にも幅がありました。

 しかし、上掲の文献にも示されているとおり、アイヌの捕鯨に関する史料は曖昧で断片的なものしかありません。
 伝統文化が口承で受け継がれたこともありますが、もうひとつ、大きな理由があります。
 それは言うまでもなく倭人(和人)の影響
 江戸時代の松前藩による搾取と抑圧、明治に入ってからの同化圧力(まさに文化と価値観の押し付け!)。そして倭人の近代捕鯨会社による資源の収奪。
 倭人に妨げられることなく残ってさえいたら、今私たちがそれを目にすることが出来たはずですからね。
 アラスカのイヌイットや、ロシアのチュコト族、デンマークの自治領グリーンランドの先住民の生存捕鯨が、国際社会に受け入れられているように。(ちなみに、グリーンランド捕鯨に関してIWCで揉めてるのは、流通形態が他の地域とさして変わらなくなった一方でザトウの捕獲枠増を求めていることが理由)
 倭人に虐げられ、衰退させられたが故に、伝統産業そのものに加え、それを受け継ぐために必要な言葉までも奪われたが故に、現在(いま)の所作として語り継ぐのではなく、過去形の形で一部の年配者の記憶の片隅に留められるにすぎなくなってしまったのです。

 具体的にどのようにしてアイヌの捕鯨が倭人の手で潰されていったか、それは上掲の資料からもつぶさに読み取れます。

クジラが松前藩の重要な産物として流通するようになると、寄りクジラの権利を規制する掟が布達され、アイヌの人々は寄りクジラを発見した場合に待ち奉行所に報告する義務が課せられるようになったと記されている。つまりこれまでのようにアイヌの人々がクジラを利用することは処罰の対象となり、アイヌ民族のクジラ利用は幕府に管理されるようになっていくのである。(〜@P119)

さらにこの地域の場所請負制度はアイヌの労働力搾取に大きく偏り、その結果アイヌの人々は生業を失い、漁労や狩猟の自主性を失っていくこととなった。(〜@P120)

クジラは解体後にその3分の1は上納され、発見者であるアイヌには3分の1が渡されると記録されている。(〜@P120)
↑つまり3分の2は倭人に取られるってこと・・。これは安政4年(1857年)の紋別の2頭の寄りクジラの例。

アイヌ捕鯨の終わりを決定的にしたのは明治4年(1871年)の毒を用いた狩猟の禁止である。この禁止令によりクマ猟やシカ猟と同様に、アイヌの人々が巨大なクジラを得るために、最も効果的な方法であったトリカブト毒を失った。(〜@P120)
↑実は、明治初期にガンガン乱獲してあっという間にエゾシカを絶滅寸前に追いやったのも入植した倭人。そのために敷かれた保護措置でアイヌが割を食ったわけです。ただ、おそらく被支配民に抵抗のための厄介なツールを与えないという裏の動機もあったでしょうね・・

この当時すでにアイヌは寄りクジラを利用する権利を失っており、クジラが浜に上がると、その地域の漁業権を持っている漁業者が優先的にクジラを得る権利を主張し、伝統的なアイヌの権利は認められなかった。(〜@P125)

 このとおり、アイヌの人々のかけがえのない伝統文化を強圧的に、強引に変質させたのは、倭人に他なりません。
 そのこと自体は、白人とイヌイット、アボリジニ、マオリ、ハワイ先住民など多くの少数民族との関係についてもいえることでしょう。
 ただし、先進各国の中でも、少数民族を抑圧した加害の歴史を正しく教えることをせず、権利回復の動きが遅れているのが、世界に捕鯨文化を声高に叫び、人種差別の被害者だとことあるごとに訴える捕鯨ニッポンだといわざるを得ません。
 何しろ、「アイヌなんていない」妄想に憑かれたトンデモなヒトが札幌で市議を務めてしまえるという、惨憺たる有様ですからね・・。

 反反捕鯨論者が口を開く度に唱える「日本の捕鯨9千年!」(中国4千年じゃないけど・・)の代名詞。
 しかし、縄文時代の海獣類の利用とつながり得るのはアイヌの捕鯨(例の秋道氏も述べているとおり)。倭人の捕鯨ではありません。
 化石での大量出土といっても、例えば能登の真脇遺跡から出土した小型鯨類の骨は、集落が存続した4千年の期間で3百体弱程度。縄文時代のそれが、偶発的・散発的な寄りクジラの利用であったことは疑いの余地がありません。石器等での捕獲があったとしても、岸に近づいたものを仕留める、文字どおり寄りクジラ+αの利用。
 寄りクジラで利用できるのは集落で年数頭、10頭も上がれば“大漁”。
 つまり、その形態は後世のアイヌの捕鯨にこそ連なるものであれ、技術革新を重ね、組織的に鯨組単位で年間数十ないし数百頭も捕獲し、莫大な収益を上げて藩の財政にも大きく貢献した、銅鉱に匹敵する一大産業と呼ばれるほどきわめて商業的色彩の濃かった倭人の捕鯨とは、超えがたい断絶があるのです。
 ついでにいえば、古式捕鯨に用いられた技術は中国をルーツにするという説もあり。
 積極的か消極的かという点は主観的、相対的な指標にすぎませんが、アイヌの捕鯨は古今東西の人類によるクジラの利用の中でも、きわめて抑制の効いた、最もクジラに対して優しい(というよりフェアな)捕鯨だったということができるでしょう。
 何より大きな違いは、文化としての継承性、連続性です。
 そして捕鯨の性格。つまり、文化の本質そのもの。

この頃(昭和の終りから平成)のアイヌの人々の記憶には、積極的に海に出て行く捕鯨の話は出てこない。しかし寄りクジラを利用した数々の体験が記録されている。(〜@P113)

(「雄武町の歴史」の)著者はアイヌの先人たちの捕鯨と寄りクジラに関して、非常な危険を伴う捕鯨は地形的に恵まれた地域でのみ行われたと考えるのが自然であろうと述べている。(〜@P114)

寄り鯨は以前に比べて少なくなったことが書かれているが、減産は困るからといって積極的に捕鯨をしたという記録は今のところ見つからない。(〜AP116)
↑そう・・アイヌはまさに太地とは正反対だったわけです。自然に対する向き合い方が。

 児島氏は以下のように指摘しています。

人間の行為としては与えられた鯨の利用と捕りに行くことは別のことである。(〜AP117)

 ここで、倭人とアイヌの捕鯨に関する、非常に象徴的な、そしてあまりにも対照的な記述を紹介しましょう。

(安房で捕鯨を始めた「関東における捕鯨の祖」醍醐家7代目定継が北海道で捕鯨業開始を試みた記録)
蝦夷人の突棒捕鯨の幼稚さに比べて、ずっと進歩した洋式捕鯨の実施を見る日があれば、この地においてのこの事業は驚くほどの成果をえるものと、定継は自ら心を励ました。(〜@P121)

北海道の海にはクジラが多いがアイヌはカムイと呼んでそれを捕獲しないが、シャチなどに追われたクジラが浜にあがると、それを食料としたり、油をとった(『蝦夷土産』安政4年)(〜@P121)

クジラをまず捕るという気で捕るということはあまりない。(白老、アイヌ古老)
沖ではレプンカムイは獲物を横取りされたと思っているのか知れないけどキーキーと泣いて海上をポンポン跳ねていた(寄りクジラの状況 白老、アイヌ古老)(〜@P124)

(クジラ送りの様子)
祈りの言葉はレプンカムイに対して大しては大きなフンベをくれた事の感謝の後、このように祝って送るのでまた来てくれることを願う祈りをする。ハシナウカムイにはフンベの魂が無事に帰ることができるように祈る。(〜@P133)

 フロンティアのつもりでやってきて、目がこぉんな具合(¥v¥)になった倭人と、何世代もそこで暮らしてきたアイヌの人々のクジラ観の差が、如実に表れているといえるでしょう。西洋の捕鯨の収奪的性格を、文明の進歩≠ニいう感覚でうらやむ目でしか見ていなかったことも。
 《カムイ》でもある動物と目線が等しいアイヌに対し、当時から動物を《カネになる資源》としか考えていなかった倭人の、なんという途方もない差。
 アイヌの人々にとって、森の生態系の頂点シマフクロウとヒグマ、そして海の生態系の頂点シャチは、特別なカムイとして一目置かれていますが、表現が微笑ましいですよね・・。クジラ送りではシャチとクジラだけでなくキツネの神(ハシナウカムイ)にも祈りを捧げます。「海の幸は他の動物たちと分け合うものだ」という感覚があればこそでしょう。@P138の「寄りクジラの踊り」には、スカベンジャーとして自然界に欠かせない役割を果たしているカラスも登場します。

 ちなみに、ノコルフンベはアイヌ語でミンククジラを指す呼称。実は和名のコイワシクジラは近代に入って命名されたもので、古式捕鯨時代の倭人はこの種を認識できていませんでした。クジラに限らず花鳥風月の感覚で自然・野生動物を大雑把にしか把握せず、クジラの尾鰭の縦横も判然としないヘタレ絵を描いてたくらいですから・・
 また、アイヌ語にはミンクを指すと見られる呼称が複数あり模様(B)。捕獲時の体長や体色等の違いを反映したのでしょうが、年齢や体色の個体差だけでなく、JとOの区別もついてたかも? あるいはひょっとしたら、明治期に激増した倭人のノルウェー式捕鯨船の乱獲の所為で現在は絶滅してしまった亜種・個体群があったのかもしれませんね・・
 AP119では、「シマフクロウが人間のためにシャチに寄りクジラを頼む神謡」が紹介されています。

シャチが鯨を送り届けてこそ人間が得られるのであって、人間が直接鯨を獲るのが常態であればこれらの口承の物語の内容は成り立たない。(〜AP119)
つまり、鯨を人間に恵むのはシャチであり、シャチへの崇拝が捕鯨文化に作用しているのである。(〜AP120)

 古老の口で語られた「キーキー泣くレプンカムイ」の表現には、彼らの価値観が明瞭に表されています。
 クジラは「まず第一にシャチの獲物」であり、ニンゲンはその「お裾分け」をいただいているにすぎない──
 獲物が減ってもなお自分の獲り分を強引に確保しようとすれば、気高きレプンカムイが飢えることになります。アイヌの人々は、それを自らに許すことなど認めなかったに違いありません。
 それこそは、野生動物と対等に向き合ってきた先住民の知恵にして哲学、自らの存立を支えてきた基盤となる自然の真の持続的利用=サステイナブル・ユースの手本といえるのではないでしょうか。

 補足すると、直接的な規制による抑圧のみならず、横取りする形で奪ったのも倭人といえます。
 鯨種のうちでも北海道方面のアイヌの利用が多かったのはミンククジラとみられます。江戸時代以前には、種名がないことからもわかるように、本州以南の倭人の捕鯨の対象ではありませんでした。古式捕鯨の主要な対象鯨種であるセミやザトウに比べ、泳速が速く、餌場が近かった北海道ほど岸に寄らず、噴気も見分けがつきにくかったのが理由でしょう。ゼロではなかったでしょうが・・
 ただし、ノルウェー式捕鯨が導入されてからは、ミンク船と呼ばれる小型捕鯨船によって日本海を中心に大量に捕獲されるようになりました。
 西洋から押し寄せていた帆船捕鯨は、主要なターゲットがマッコウで、セミもボチボチ獲りましたが、鯨油も乏しくすばしこいミンクは当然対象外。競合の形でアイヌの捕鯨を衰退させたのも、やはり倭人の捕鯨だったことは間違いありません。

 ひとつはっきり言えることがあります。アイヌの捕鯨は、たかだか2、3百年ぽっちの間にめまぐるしく様態を変え、そのたびに収奪的性格を濃くしていった倭人の捕鯨とは、根底から異なるのです。
 対照的な倭人の捕鯨にまつわる伝承をここで再度紹介しましょう。(詳細解説は下掲リンク)

−長崎県の民話・第三話:くじら長者(西彼杵郡)
http://www2.ocn.ne.jp/~i-talk/minwa3-3.htm

 ある日のこと、クモの巣に一匹のこがね虫がかかった様子を見た与五郎。
 「これじゃ、クジラを網(あみ)で捕るのじゃ」と、さっそく大きくて、じょうぶな網を作りました。
 くじらを網で捕る方法は大成功。 毎年、数百頭のクジラが生け捕られました。 与五郎はたちまち日本の長者番付にのるほどの大金持ちになり、りっぱな鯨御殿(くじらごてん)を建てました。
 それから後のある夜、一頭の親くじらが与五郎のまくらもとに現われて、
  「与五郎どの、わたしは子もちのクジラです。 かわいい子を生むために、どうかお助けください」と、涙ながらに頼みました。
 しかしよく日、与五郎は、子もちのクジラを捕らない様に伝えるのをうっかり忘れてしまいました。
 夕方、子もちクジラと子鯨が浜にあげられました。 それを見て昨夜の夢を思い出した与五郎はたいそう悲しみました。
 それからというもの、プッツリと鯨が捕れなくなり、浜はすっかりさびれてしまいました。 あれほど栄えた鯨御殿も荒れはてて、与五郎は六十歳でこの世を去りました。
 そして、子孫(しそん)に不幸が続いたそうです。(引用)

 古式捕鯨の商業的性格の詳細については、下掲の秋道氏主演のNHK捕鯨擁護プロパガンダ番組の批判記事をご参照。
 アイヌ捕鯨と古式捕鯨との間には、かくも埋めがたい差がありました。
 しかし、その江戸期の古式捕鯨も、明治期以降の事業家によるノルウェー式捕鯨の乱獲体質とは比べ物になりません。
 古式捕鯨に引導を渡したのも、さらに桁違いに捕獲数を急増させて資源枯渇を招いた近代捕鯨そのもの。
 北海道や全国各地に棲む陸上の野生動物も、サステイナブル・ユースの感覚とは無縁な倭人の所為で、同時期に憂き目にあったわけですが・・
 それはクジラ観の違いにも明白に見て取れます。
 まずこれが、曲がりなりにも人間らしさを保っていた古式捕鯨時代。

嘗て鯨をとりしが子鯨、母鯨にそうて上となり下となりて其の情態甚だ親しく、既に母鯨の斃る頃も、頑是なき児の母の死骸にとり付きて、乳を飲む様にも見えたり、よって屡々これを取除かんとすれども遂に離れず、拠無く子・母共殺すに至る。いかなるものもその様を見てはその肉を食うに忍びず、此処に葬りて墓を建て供養せり、定めてこの墓の鯨もザトウなるべし。(引用)

−鯨文化:鯨を弔った鯨墓・鯨塚など
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/kujirahaka.html

 古式捕鯨時代はまだ、命を奪うことへの畏れ、疚しさを完全には失っていなかったということですね・・。自民党の族議員のセンセイは、世界に供養の話を広めたいとかおっしゃってましたが、ご自身がまず日本人のクジラ観の多様さを一から勉強し直す必要がありそうです。。
 続いて、大手捕鯨会社による戦後南氷洋捕鯨の大乱獲期。監督官を務めた日本の鯨類学の第一人者の体験談。

※ 乳腺にミルクがあり、泌乳していたことを示す。しかし、この場合は、乳腺は退縮中で、泌乳活動を終えつつあるとみなして、仔連れ鯨捕獲の違反の疑いがあるのを目こぼしした。このようなことは日本の捕鯨では普通のことであり、会社や行政からも目こぼしを期待されたが、研究者にとっては耐えがたいことでもあったので、後には研究者は監督官を兼任しないケースが増えた。(補注)
(中略)大きな白の二頭連だと思ったら、小さい三分の二位のが小さい息をまぜて居る。船の連中は、あれは長須が混って居るので、子連れでは無いと言ふ。雌の肥り方。噴気。背鰭。背色等長須の様でもあり、子供の様でもある。しかし、私より実際に目の肥えた連中であり、しかも、監督官の面前で禁令を破って見せる様な事もあるまいと、その侭追尾させる。始めは小さいのが後からついて泳いで居たが、敵(捕鯨船)に追ひかけられたと気がついてからは、小さいのを前にして大きな白が後から揃って泳いで行く。そして、大体の場合♂が敵に近い方に居て♀を守ってやって居る。此の前第三文丸に乗った時は二頭連(夫婦)は一回も見なかったのだが、今日はどうも二頭連ばかりでその中の一頭をやっつけるのは可哀そうだ。しかし可哀想がってばかり居ては漁は出来ないし、当方が可哀想になる、早く帰れる為に犠牲になってくれよと祈ってやまぬ。そして今日の親子(?)の愛情又は夫婦の愛情を見せられては、それを打ち壊して自分の利益にのみ汲々として居る人間達。捕鯨業が嫌になった。母船では感ぜられない嫌な気分だ。遂に追尾成功。♂鯨はあへない最後をとげてしまった。それは大きな、♂にしては全く稀な程大きな85,6 feetもある奴ではあったが、それをやっつけた時、そして私に自らの功を話に来た時の、砲手の喜色満面ニタリとして残忍な笑ひを忘れる事は出来ない。私が、それと全く反対の気持ちで居るのも知らないで。それでもまあ♂で良かった。あれが♀であり、あの小さいのが、長須では無くて、子供だったら。小さいのは育たないかも知れない。此の点が国際協定のやかましく言ふ所であり、鯨を如何に可愛がるかと言ふ点だ。♂が自分が倒れても♀と子を守らうと言ふ精神、次代に示す♂の愛情は生物界いづれも変わらないだらう。犠牲になった♂の冥福を祈り、その犠牲によってのがれ得た♀の、そして小さき者の幸福を祈るや切。引用〜『南極行の記』(北泉社)

 ・・・そして行き着くところまで行き着いた、非人間的な調査捕鯨がこれ。。。

注5.「親子」と豪州政府が報道した鯨は、実際には単に捕獲された2個体の体長に差があっただけである。(〜鯨研プレスリリース)

 スリップウェイを挙がる未成熟と成熟個体の写真が報道され、国際的な非難を浴びるや、当の鯨研は涼しい顔でこんなことを言ってのけました。古の鯨捕りが耳にしたら、伝統の後継者を名乗る子孫の仏の罰を恐れぬ所業に、悲嘆のあまり卒倒したことでしょうね・・
 実際のところ、調査捕鯨の捕獲対象の半数は未成熟個体だったのですが。
 江戸時代の鯨捕りの抱えた激しい内心の葛藤など、もはやどこ吹く風。

 アイヌの捕鯨、江戸時代の古式捕鯨、明治期に輸入されたノルウェー式近代捕鯨、そして現代の、科学の美名を騙りながら「美味いミンク刺身の安定供給のため」(〜本川水産庁長官)に行われている調査捕鯨を、同じ捕鯨文化としてひとくくりにすることは、絶対に許されることではありません。

 アイヌの人々にとって、クジラはレプンカムイ(シャチ)からの授かりものでした。
 大陸渡来人の血とともに、アイヌ・琉球と同じ縄文人の血も引く倭人も、自然の恵みに対する感謝の気持ちはあったでしょう。
 しかし、現代人の口にする「感謝」や「供養」は、もはや正当化のための空々しい言い訳以外の何物でもありません。
 昔は、水害から救ってもらったお礼にウナギを口にするのを戒める、そんな地方もありました。
 いまや、絶滅危惧種に指定されてさえ、乱獲に、欲望にまともに歯止めをかけることすらできない有様。
 便利さや潔癖症の感覚と引き換えに、世界の食料援助の総量を上回る膨大な食糧を捨てている、人口当りで最悪の飽食大国。
 水産庁の担当者は「国産」と平気で嘯きますが、南極産鯨肉は、日本人が自然から授かった恵みではありません。
 地球の裏側の自然から強奪してきたものです。
 ICJ(国際司法裁判所)できっぱり認定されたとおり、捕鯨ニッポンは盗人国家なのです。
 大量の重油を燃やして地球の反対側にまで押しかけ、奪ってきているのです。
 公海・南極海とEEZ内という違いだけで、中国の宝石サンゴ密漁船と何ら違いはありません。
 しかも公海といっても、日本が批准を拒み続けているボン条約の観点からは、渡り鳥と同様に国際的に保護されるべき対象なのです。
 そして、当事者には罪を犯した自覚が欠片もなく、国際社会に対して懺悔し、ペナルティを引き受けるどころか、国庫補助金を増額させ、ますます手厚い庇護に浴するばかり。零細沿岸漁業者の苦境も差し置いて。

 アイヌに対する倭人による差別の構造は、今に至るまで引き継がれています。
 アイヌの人々は、和人(アイヌ以外の日本人)によって土地も言葉も奪われ、ずっと迫害の対象となってきました。現在でも、国はアイヌを先住民族として公式に認めていません。2008年には、前年に国連で先住民族の権利に関する宣言が採択されたのを踏まえ、アイヌを先住民族とみなすよう求める国会決議がなされましたが、日本政府自身は先住民という言葉の定義の問題に終始して明言を避けています。
 さらに、2014年には自民党所属札幌市議(当時)の金子快之氏が「アイヌはもういない」と宣言して物議を醸しました。これはもはや、食文化どころかアイデンティティとしての文化そのものを否定する発言にほかなりません。
 この元議員のみならず、日本人全般に他の民族、他の国の文化に対して無頓着なところが果たしてないといえるでしょうか? 半世紀前にアジア諸国の人々を同化≠オようとしたことも未だに反省していない人が大勢います。それなのに、南極の野生を貪ることを世界に向かって文化≠セと大声で叫んでいるのは、何とも奇異に感じられます。
 そして、そのサベツ意識がきわめて露骨な形で現れているのが、捕鯨問題に他なりません。

「我々はいつも首尾一貫しているとは言えない。誰でも全ての点で完全であることは出来ない。それがたまたまアイヌの問題でそれが起こったのだ。」(森下氏のコメント)

−米国紙がみた調査捕鯨とアイヌ|無党派日本人の本音
http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/e/a863ac35990df463fce164c7633863d5
−Japan's whaling logic doesn't cut two ways (LATimes,2007/11/24)
 現IWC日本政府代表・国際水産資源研究所所長・森下丈二氏が、海外メディアの質問に対して正直に言い放った超無神経発言
 捕鯨でのみ奇妙奇天烈なジゾクテキリヨウ原理主義の完全適用を世界に要求する森下氏は、日本でのアイヌに対するダブスタをして「たまたま起こった」の一言で済ませているわけです。
 なるほど、これが自民党の族議員に「基礎」(?)をレクチャーし、外野の反反捕鯨層にも「ネ申」と奉られるMr.捕鯨問題の国際感覚、人権感覚というわけです。
 NHKニュースウォッチ9での英国とガボンに対する「トロイの木馬」発言といい・・。
 政府代表の立場でクジラ食害都市伝説を否定したのは、彼の唯一評価できる面でしたが、肝腎の族議員に「基礎」を教えないんじゃ話にならないよね(--;;
 「調査捕鯨はオゾンホール発見に匹敵する科学的偉業」だとか抜かすくらいは、まだ“お笑い鯨人”のレベルで済むでしょう。
 しかし、この発言は笑い事で済まされるものではありません。
 他の先進国だったら、“国の恥”と認識されて、国際交渉担当から外されて当然でしょう。
 レプンカムイやコタンコロカムイに比べ、なんと情けないネ申≠烽「たものです・・・・

 仮にもし、アイヌの捕鯨がIWCで申請されたら?
 公海母船式捕鯨を護る盾として使われる、黒に近いグレーとしか認識されていない倭人の捕鯨会社の沿岸捕鯨と違い、反捕鯨国も異を唱えることなどしないでしょう。
 米国のイヌイットやオーストラリアのトレス海峡諸島民と、日本の先住民アイヌとの間に線を引く理由は、彼らには何一つないのですから。
 唯一警戒されるとすれば、「倭人の捕鯨のカモフラージュにならないか?」の一点だけでしょうね。

 従来から表明しているとおり、筆者はアイヌをはじめとする先住民の捕鯨・狩猟・漁労に反対するつもりはありません。
 一番大きな理由は、筆者自身が、彼らから多くの者を奪ってきた加害者である倭人の一員だからです。
 およそあらゆる動物・自然搾取産業にとって効果的な防波堤の機能を提供してきた反反捕鯨プロパガンダのご神体、日本の公海調査捕鯨に終止符が打たれたとき、環境保護・動物愛護/福祉の市民運動のうちクジラに(相当無駄に!)注がれてきたエネルギーは、それを必要としている方面に振り向けられるべきですし、そうなることでしょう。
 倭人や白人の動物や自然に対する振る舞いを、その知恵を引き継いできた先住民の人たちに恥じないレベルにまで導くことに。

参考:
−「縄文からの関わり」の裏◆文化的不連続と持続性のなさ(拙ブログ)
http://kkneko.sblo.jp/article/72247285.html
−太地の捕鯨は中国産!? 捕鯨史の真相(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/18025105.html
−民話が語る古式捕鯨の真実(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/33259698.html
−NHK、久々に捕鯨擁護色全開のプロパガンダ番組を流す(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/31093158.html
−鯨塚の真相(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/71443019.html
−捕鯨の町・太地は原発推進電力会社にそっくり(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/78450287.html
−二人の鯨類学者/西脇氏(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/18205506.html
−驚き呆れる捕鯨官僚の超問題発言(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/30322511.html
−捕鯨問題総ざらい!!! 16. 伝統のアイヌ捕鯨は別だよ!(〃)
http://kkneko.sblo.jp/article/29976279.html
−非科学的な動物"愛誤"団体──その名は「鯨研」 〜仔クジラ殺しを伏せる鯨研発プレスリリースの読み方〜
http://www.kkneko.com/icr.htm
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