2018年03月07日

デマ屋と化した竜田揚げ映画監督、シーシェパードに代わって独り相撲・その3

◇デマ屋と化したトンデモ竜田揚げ映画「ビハインド・ザ・コーヴ」八木監督、シーシェパードに代わって独り相撲・その3

 シリーズ3回目。筆者としてもこんなに引っ張らされるとは思いませんでしたけど。
 検証するのはデイリー新潮オンラインの以下の記事。

■反捕鯨の本拠地で「ビハインド・ザ・コーヴ」が最優秀監督賞をもらったワケ
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/03010700/

 記事の日付は2/27になっていますが、URLを見てもわかるとおり、実際には3/1に掲載されたもの。
 正確に言うと、まったく同じタイトル・内容の記事が2日前の2/27午前中にいったん公開されたのですが、なぜか午後には削除されていたのです。それが以下のURL。リンクを開けば「お探しのページが見つかりません。」との表記。


 ちなみに、ヤフー掲載版は上書きされているものの、ライブドア版はデイリー新潮自身のサイトと同様、削除したページとは別のページを新たにアップ。
 筆者は当初、八木氏のコメントが捕鯨サークル的に見てもあまりにヤバすぎる内容だったため、待ったがかかったのではないかと勘繰りましたが、修正もなく再掲されたところを見ると、どうやらデマを放置する気のようですね・・。
 さっそくツッコミに入りましょう。前回同様、Y:が八木氏本人のコメント引用。

英国といえば、国際捕鯨委員会(IWC)の事務局がある反捕鯨の拠点である。(引用)

 この記事を書いた新潮編集者は救いようのない阿呆ですな。八木氏にインプットされたのであれば、救いようのない阿呆は八木氏本人ですが。
 IWCは国際条約に基づき設立された機関であり、同委員会自体は完全に中立です。議長と副議長は捕鯨賛成・反対両派から交互に選ばれる形。現在の議長は日本の森下丈二氏。必ず与党から議長が選出される日本の国会よりよっぽど公平。
 新潮のアホ表現をユネスコの下部審査機関イコモスに当てはめてみましょうか。ネトウヨ風に。

フランスといえば、従軍慰安婦資料の登録を促したイコモスの事務局がある反日の拠点である。

 阿呆です。
 まあ、捕鯨に反対する多くのNGOがあり、市民の多くも反対しており、そもそも英国政府自身が明確な反捕鯨の立場なのは確かに事実ですが。
 冒頭から要らんこと書いて記事のレベルを思いっきり下げる、これが《新潮クオリティという理解でいいんですかね。
 その他の問題点については、以下のとおり週刊新潮WEB取材班に対して質問状を送りました。

■デイリー新潮掲載記事『反捕鯨の本拠地で「ビハインド・ザ・コーヴ」が最優秀監督賞をもらったワケ』への質問状
http://www.kkneko.com/shincho.htm

 重複になりますが、以下に解説します。

Y:「(ザ・コーヴ上映の)その4年後にはオーストラリアから、日本の調査捕鯨は商業捕鯨の隠れ蓑だとして国際司法裁判所(ICJ)に訴えられて、日本に見直しを求めました(編注:その1年後、ICJが示した調査目的の捕鯨が許される条件を満たしているとして、日本は調査捕鯨を再開)。」(引用)

 間違い。事実を指摘すると、オーストラリアがICJに提訴したのは「4年後」ではなく2010年のことで、同政府は数年かけて法的な検討・準備を重ねており、「ザ・コーヴ」の上映とはまったく無関係です。うろ覚えをしたり顔で吹聴しちゃういつもながらのデマ屋ぶり。事実を確認して編注を加えることをしなかった新潮編集部もメディアとしてお粗末ですが。
 また、八木氏の主語をごまかす曖昧な表現は「オーストラリアが見直しを求めたが、ICJの示した条件は満たしており(違法性がなかったので)再開した」とも受け取られかねないものですが、そのような趣旨であれば、やはりまったく事実に反します。
 ICJは2014年3月の判決の中で、日本の調査捕鯨(JARPAII)が国際捕鯨取締条約第8条に定める合法的な調査捕鯨に該当しないこと、同条約附表第10項(d)(e)及び第7条(b)に違反し国際法を破ったとはっきりと認定しています。また、「発給された捕獲許可が科学研究目的であるかは、当該発給国の認識のみに委ねることはできない」(判決文パラグラフ21)、「サンプル数は調査目的に照らして合理的でなければならない」(同22)とも判示しています。同22は、JARPAIIのサンプル数の鯨種毎の相違を日本側が科学的合理的に説明できず、「美味い刺身の安定供給」(〜本川水産庁長官(当時)の国会答弁)による恣意的な設定だったと認定されたことに基づきます(ICJ判決文パラグラフ211及び197)。
 日本政府はJARPAIIを国際法違反とするICJの判決を受け入れており、1年半後に開始された新南極海調査捕鯨(NEWREP-A)は違法なJARPAIIとは別というのが、あくまで日本政府自身の建前です。もちろん建前だ≠ネんて日本政府自身は言いませんけどね。
 JARPAIIは国際条約上の調査捕鯨ではなかったため、そもそも「再開」ではありません。調査捕鯨に該当しないJARPAII同様の違法捕鯨を「再開」したという批判は厳然として存在しますが。
 編注の部分は当然ながら新潮編集部の文責になりますが、これでは「国際条約違反の捕鯨を再開した」という趣旨にも、「もともと違法でなかった調査捕鯨を再開した」という、ICJ判決を認めない趣旨にも受け取れ、どちらであれきわめて問題の大きな表現です。また、「ICJが示した調査目的の捕鯨が許される条件」とは、具体的に何を指しているのか、ICJが提示した条件の「すべて」なのか、それとも「一部」なのかも読者には判然としません。少なくとも、「すべて」でないのは明白な事実なのですが。
 ICJが示した条件の中には、上掲した判決文パラグラフ21「発給された捕獲許可が科学研究目的であるかは、当該発給国の認識のみに委ねることはできない」も含まれています。新潮編集部の脚注の表現はこの条件をも満たしたと受け取られかねないもので、実に悪辣なミスリード。一部さえ満たせば国際条約違反に該当しないと新潮編集部が考えているのであれば、新潮社も遵法精神の非常に希薄な企業といわざるを得ませんが。

アカデミー賞では受賞には至らなかったが、監督の挑戦は続いた。昨年(17年)8月25日から、映画はNetflixを通じて23カ国語版が海外189カ国に配信されるようになった。日本映画としては非常に珍しいケースだ。配信3日後には、シーシェパードの創立者ポール・ワトソンは、日本の調査捕鯨への攻撃を一時中止すると表明した。さらに太地町へ人員を送ることも難航し中止を表明した。そこに今回は、反捕鯨デモの最大拠点ともいえる英国の映画祭での受賞も加わったのだ。(引用)

 これまたビックリ仰天の記述。まるで、配信からたった3日で同映画のシンパによる抗議活動が全世界で巻き起こり、シーシェパードを追い込んだかのよう。何よりSSCSの連中自身が寝耳に水でしょう。
 SSCS、ワトソン本人の発表にもあるとおり、背景にあるのは日本鯨類研究所との米国での法廷闘争、日本側の妨害対策、昨年日本で施行された法律(に対する誤解)であり、同映画の配信にこじつけるのは牽強付会もいいところです。もし、シーシェパードの活動方針を変更させた主因が同映画にあるという具体的な根拠があるのなら、新潮編集部は具体的に明示するのがスジというもの。配信開始翌日、ヨーロッパのどこそこの都市で云千人が参加する「竜田揚げ万歳デモ」が起こったとか。

Y:「また、一般的に言われていることとは逆に、西洋人も油だけでなく生活用品に鯨の髭を使用していたことを紹介しており共感を呼んでいます」(引用)

 八木監督オリジナルのきわめてユニークなコメント。
 文章そのままに解釈すると、「西洋人も油だけでなく生活用品に鯨のひげを使用していた」ことが、「一般的に言われていること」とは逆≠セという趣旨ですね。
 ということは、「西洋人は油だけ使用していた(生活用品には使用していなかった)」という言説が一般に流布していると八木氏はおっしゃっているわけです。米、英、オーストラリア等の国で。
 いや〜〜、初耳ですねえ。2年前からのめり込んだという八木氏と違い、筆者は長年捕鯨問題に関わってきましたが、それらの国々でそんなビックリ言説が一般的≠セなんて話は一度も耳にしたことがありません。
 まず、それらの国々には太地の町立博物館にも引けを取らない、中世・近代の捕鯨に関する史料を展示した立派なミュージアムがあり、庶民に負の側面を含む正しい西洋捕鯨史を伝えていますし、一般教養をお持ちの方であれば、それらの博物館に行ってなくてもコルセットやピアノの弦等にクジラの鬚が使われていたくらいのことは普通に知っていますよ。
 西洋諸国で生活用品に使われていたことと、日本の現代の調査捕鯨の是非に、一体全体何の関係があるのでしょう?
 はたして、いわゆる鯨体完全利用神話が八木氏の念頭にあり、いつものごとく明後日の方向に話が飛躍してしまったのかどうかは定かではありません。
 しかし、いずれにしても、捕鯨サークル当事者(和歌山県・仁坂知事を含む)がデマを積極的に発信し続けたが故に「(日本人と違って)西洋人は油だけ使用していた」という一般的に言われていること≠ェ日本では£闥してしまっているのは事実です。八木氏の映画は、その日本で一般的になってしまったデマを拡散する役割しか果たしていませんが。

■「油目的で肉を捨てていた西洋と異なり、日本はクジラを余すところなく完全利用してきた」って本当?
https://togetter.com/li/1012491

 「この映画を観て初めて知った! 共感した!」という人は、八木氏の脳内にしかいないか(思いきり勘違いしただけ)、八木氏と同水準の奇特な方が1人、2人いただけに違いないと、筆者は確信します。

Y:「鯨を日本人が食として利用、海外では軍事としての利用など、“残虐性”についても真逆であったこと」(引用)

 ここも注目に値するコメント。
 八木氏は動物福祉における残虐性≠フ新たな定義をデイリー新潮上で提唱しました。

 「食として利用」=残虐でない  「軍事として利用」=残虐

 捕獲方法、保管方法、飼育環境、屠殺方法、致死時間、社会行動学知見や生理学的データ等、今日の動物福祉において熟慮勘案されるべき要素をばっさり切り落とす、恐るべき動物フクシ基準。
 いわゆる先進国のほぼすべて、アジア・南米を含む他の多くの国々においても、もはや動物福祉(アニマルウェルフェア)の概念を抜きに動物の取り扱いを語ることはできません。法規制の中身には国によって細かい差異があるものの、基本概念はグローバルスタンダードとしてすでに確立されています。その特徴は、動物福祉後進国・日本において見られがちな感情的な愛護≠ナはなく、科学的指針に基づくアプローチであることです。ちなみに、学問としての生命倫理・環境倫理の中で議論され、またラディカルなNGOが唱えるアニマルライト(動物の権利)は、動物福祉とは別物。
 対象は実験動物、産業動物(畜産)、愛玩動物、野生動物(狩猟・駆除)、展示動物(動物園・水族館)であり、追い込み猟経由のイルカ調達を禁止したWAZA(世界動物園水族館協会)の倫理規約もこの流れに沿ったもの。ユネスコや国連食糧農業機関(FAO)、世界動物保健機関(IEO)等国際機関にも取り入れられています。
 もちろん、その動物福祉後進国の日本においても、動物愛護関連の法規は先進国(特に英国)のそれをお手本にする形で制定され、他の先進国に近づこうと改良≠重ねている段階。八木氏や新潮編集部に言わせれば改悪≠ノなりそうですが。

■5つの自由を知っていますか?|環境省ツイッター式アカウント
https://twitter.com/kankyo_jpn/status/907893415731273728
■アニマルウェルフェアについて|農林水産省
http://www.maff.go.jp/j/chikusan/sinko/animal_welfare.html
■アニマルウェルフェア(動物福祉)―日本の状況 
http://www.hopeforanimals.org/animal-welfare/311/
■小泉進次郎が憂慮した東京五輪のおもてなし
http://toyokeizai.net/articles/-/197890

 従来から環境省所管の「動物の愛護及び管理に関する法律」の下に「産業動物の飼養及び保管に関する基準」という法律より弱く基準の不明瞭な(言い換えれば諸外国より遅れた)ガイドラインはあったのですが、最近になって農水省が「アニマルウエルフェアの考え方に対応した飼養管理指針」と銘打ったガイドラインを掲示しています。実はこれ、2年後に控えた東京オリンピック前に急慮打ち出されたもの。
 そう、FTA(自由貿易協定)の締結やオリンピックの開催も、動物福祉を避けて通ることはできないのです。何しろ、動物愛護議員連盟の国会議員に日本の畜産業における動物福祉の現状は「中国やフィリピンより劣っている」とまで指摘されるほど。
 動物福祉そのものに無知無頓着な市井の反反捕鯨派の主張とは裏腹に、およそ大抵の生き物の取り扱いにおいて日本は他の先進国の水準に達していないのが実情なのです。巷の反反捕鯨が「じゃあ、こっちはどうなんだ」とギャーギャーうるさい家畜の取り扱いにおいても。
 そして、他の先進国に比べて甘い指針さえ存在しない鯨類は、まさにウシやブタ未満≠フ扱いを受けているのです。日本においては。
 捕鯨に関しては、ノルウェーでは銛を撃たれてから死ぬまでに(致死時間)5時間以上かかったケースが報告されてますし、即死率が半分でしかないことも海外では問題視されています。太地は2008年になってようやく屠殺法にフェロー諸島から脊椎切断法を導入したものの、動物福祉とまったく無関係に残虐性を独自解釈し、「海が真っ赤に染まる(=残虐)ところを見られたくない」という理由で致死時間を引き延ばす形に改変されました。追い込み猟の捕獲方法や水族館の飼育展示への批判も、すべて動物福祉の観点で鯨類の特性を科学的に評価したうえでのこと。
 では、世界に類を見ない八木氏の新定義≠ノ基づき日本の動物福祉政策を抜本的に変更した場合、一体どういうことになるでしょう?

 「軍事利用しないこと。後はすべて却下」

 「5つの自由」「1つの自由」のみに。

 1.軍事利用されない自由

 動物実験の「3R」「1R」に。

 1.軍事利用しないこと(Refusal for Military Use)

 鯨類の扱いに目をつぶれば国内でも国会議員を含めて決して少なくない動物福祉推進派は、みんな目が点になるでしょう。海外旅行客は激減、当て込んでいたレストランは閑古鳥、FTAもオリンピックもご破算に。
 もっとも、八木氏は他の動物の取り扱いは別にどうでもよく、「ともかくクジラだけは私の定義≠採用してくれ!」と言いたいのかもしれませんが。
 クジラだけはサベツしてくれ、と。
 八木氏の「海外では軍事としての利用」とは、主に米ロによる軍用イルカのことを指しているのでしょう。
 確かに、軍事利用は間違いなく、米軍自身が主張するあくまで平和のための掃海目的だとしても、用途云々抜きに動物福祉≠フ観点から問題があり、特に水族館飼育とは並列で議論される余地があります。殺人兵士説はゴシップネタとして無視するとしても。これはまた軍用・警察用に使われるイヌやアシカ等他種の動物とも共通する課題です。
 もっとも、反対運動を続けてきたWDCによれば、米海軍は2012年、掃海用のイルカ訓練プログラムを5年後を目処に終了する予定だと発表したとのこと。


 残念ながら、米海軍のこの約束は守られていません。ハワイ連邦地裁によるソナー使用禁止判決が最高裁で覆った件も、ジュゴンの保全を省みない沖縄の辺野古基地移設にしても、世界中から反対の声があがっても一朝一夕に変わらないのは、ヒトの命を軽んじる組織としての特性故でしょう。日本と海外とを問わず。
 「はたして本当に兵器・基地・軍隊・戦争の犠牲は必要なのか?」という命題は、ヒトの倫理としてもっと真剣に考えられるべきことですが。日本と海外とを問わず。
 ともあれ、八木氏の主張には大きな矛盾が2つあります。
 第一に、日本でも動物の軍事利用は行われています。

■防衛医科大学校は回答なしだが、翌日作成のファイルをこっそりup
http://animals-peace.net/experiments/ndmc-animalresearch.html
■レーザー誘起衝撃波を用いたマウス爆傷モデル
http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/meeting/kyumei/sonota/pdf/05/007.pdf

 八木氏の主張が「日本だけが動物を食用にし、海外では動物を軍用にしている。だから、日本より海外の方が残虐だ」という趣旨なら、単純に間違い
 「他の動物はどうでもいいが、鯨類を軍事利用することだけは残虐であり、よって日本より海外の方が残虐だ」という趣旨なら、非論理的なクジラ差別主義者兼排外主義者という以外の説明はつきません。
 少なくとも軍用イルカを禁止する法規制は日本にはなく、今のところ実績がないというだけの話ですが。
 もう一つ、もっと重大な致命的矛盾は、太地町の組合自身が鯨類の軍事利用に直接関与しているということです。

■軍事用として注目の太地町イルカ 露、ウクライナ等に輸出(週刊ポスト, '14/9/5)
http://www.news-postseven.com/archives/20140829_272949.html

 1989年とだいぶ遡りますが、太地は米軍向けにもハナゴンドウ2頭を輸出したことがあります。つまり、日本・太地は、敵にも味方にも兵士を売る傭兵国家に相当する位置づけでした。
 少なくとも米国が今後太地から再度イルカを購入する可能性はなさそうです。となると、太地の組合は国家にとって長年仮想敵国とされてきたロシアを相手に商売をする死の商人≠ニいっても過言ではないでしょう。
 もっとも、北方領土をめぐって紛争関係にある敵国といっても、こと捕鯨に関しては日本とロシアは密接に結び付いたお友達の関係。なんといっても、かつては「大洋漁業ロシア事業部」と言われるほどのお得意先。両国とも最後まで母船式商業捕鯨を続け、乱獲と悪質な規制違反の限りを尽くした戦後の二大捕鯨大国なのです。ロシアは今では商業捕鯨から撤退し、チュコト半島での先住民生存捕鯨のみ行っていますが、律儀にも日本の捕鯨を支持し続けてくれてますし、日本側も便宜を図り、オーストラリアが領有権を主張する南極海サンクチュアリを傲然と侵襲しても、日本自身が領有を主張する北方領土周辺では非科学的に調査捕鯨を控えるくらいですから。
 八木氏の動物フクシ新定義≠ヘ以下の形に修正を余儀なくされそうです。

 「動物を軍事利用することを残虐≠ニいう。ただし、捕獲した動物を軍事利用する相手に売るだけなら残虐≠ニはいわない」

 支離滅裂の一語に尽きますね。
 こうした主張は、国内の一握りの狂信的な反反捕鯨シンパにはウケるでしょうが、海外の目にはただ非常識としか映らないでしょう。
 八木氏はどうやら動物福祉に関する議論は入り口に立つことさえ拒絶している印象があります。「動物福祉とは何か」をまず一から学ぶという姿勢がまったく見受けられないのです。

感情的にならずに、客観的な証拠を出せば、納得せざるを得なかったのだ。(引用)

 受賞理由は「ともかく情熱的だったから」だったのでは? 感情的にならずに情熱が伝わるもんなんですかねえ。同じ部門にエントリーされた他のどの作品の監督より八木氏が激情を迸らせていたから、審査員もそれにアテられて賞を獲れたのではないかと筆者には思えるのですが・・
 納得したのは救いようのない阿呆の新潮編集部だけでしょう。
 これまで見てきたとおり、八木氏の主張はおよそ「客観的な証拠」を欠いたものばかりですが、中でも最後のコメントがその最たるもの。

Y:「反捕鯨活動家は、豊富にいる鯨が絶滅種であるように、うまくキャンペーンを繰り広げている。むしろ鯨を過剰に保護しすぎたために、鯨のエサであるオキアミや小魚が減って、生態系が崩れてきています」(引用)

 捕鯨問題ウォッチャーには鯨体完全利用神話と並んで耳タコの都市伝説、それがトンデモクジラ食害論です。
 「豊富にいる鯨が絶滅種であるように」という主張には、野生動物問題全般に対する八木氏の無知が露呈しています。ミナミイワトビペンギンは生息数250万羽、キタオットセイは129万頭、ともにIUCNレッドリストでは3世代減少率に基づき絶滅危惧種(VU:危急種)に指定されています。IUCNでさらに絶滅危惧度の高いEN:絶滅危惧IB類となったニホンウナギは、あえて個体数を算出するなら810万尾。絶滅の恐れがあるかどうかは、個体数の推移や生息環境の悪化等の要因を考慮に入れ、あくまで予防原則に基づき判定されるもので、数のみでは判断できません。
 クロミンククジラはまだ個体数推定の議論に決着がついていない2008年に判定を受けたため、IUCNレッドリスト上ではDD(情報不足)となっていますが、約10年ほどの期間に72万頭から51.5万頭へと激減したことで合意されたため、ガイドラインに従って判定するなら、最も絶滅危惧度の高いCR:絶滅危惧IA類が適用されてもおかしくありません。気候変動の影響を特に受けやすい種であることもWWF等NGOや研究者から指摘されています。
 八木氏はきっと、「豊富にいる各野生生物種が絶滅種であるように、IUCNやWWFはじめ世界中のすべての野生生物保護団体と研究者がうまくキャンペーンを繰り広げている」と言うのでしょう。あるいは、クジラ以外はどうでもいいか。
 「鯨を過剰に保護しすぎた」という主張も真っ赤な嘘。パンダやコアラをはじめ、陸上(淡水域含む)の野生生物種の場合、環境を復元した保護区の設立や増殖事業など、積極的な保護対策を択ることが比較的容易です。しかし、鯨類は増殖・リリースのハードルがきわめて高く(大型種は事実上不可能)、生息環境も汚染や開発の影響を取り除くことが困難です。結局、「保護対象種」「保護区」として名づける以上のことは何もできず、せいぜい獲らない≠フが関の山。保護が求められる他のどの野生生物種と比べても、「過剰に保護されている」どころか「圧倒的に過少な保護しかできていない」のが事実なのです。
 耳タコのトンデモ食害論、「鯨を過剰に保護しすぎた→生態系が崩れた」証明する学術論文は1本も存在しません。サークル自身が掲げる唯一の客観的なショウコ≠ヘただ捕食量をざっくり推定しただけの大隅論文ですが、トータルの摂餌量も単位体重当り摂餌量も鯨類以外の種の方が多いことがわかっています。
 最後の八木氏のコメントで八木氏がぶち上げた食害論等の仮説がトンデモなく間違っていることについては、以下で一次ソースを含め客観的な証拠≠挙げているのでご参照。

■間引き必要説の大ウソ
http://www.kkneko.com/mabiki.htm
■クジラたちを脅かす海の環境破壊
http://www.kkneko.com/osen.htm
■持続的利用原理主義すらデタラメだった!
http://www.kkneko.com/sus.htm
■徹底検証! 水産庁海洋生物レッドリスト
http://kkneko.sblo.jp/article/181313159.html
http://www.kkneko.com/kikaku.htm
■びっくり仰天、都合の悪い事実に蓋をする非科学的な水産庁広報資料
http://kkneko.sblo.jp/article/176346053.html
■嘘つきデタラメ捕鯨協会
http://kkneko.sblo.jp/article/103173111.html
■トンデモクジラ食害論を斬る!(リンク集)
http://kkneko.sblo.jp/article/29976279.html

:「今後の目標は、不条理に制限されているIWCやワシントン条約から鯨を外して、自由貿易を可能にすることです」(引用)

 こちらも注目ポイント。「自由貿易」だそうです。
 動物福祉に関しても、野生生物保全に関しても、八木氏は本当に次から次へと物議を醸してくれるものです。国内では避けられがちな捕鯨問題について、両分野にかかわる人々に危機意識を持ってもらうには好都合かもしれませんが・・。
 まず事実を指摘すると、昨年開かれたCITES(ワシントン条約)常設委員会において、日本の調査捕鯨による北西太平洋イワシクジラの海上からの持込問題が議論され、国内メディアでも報じられました。そこで、日本がこれまで多額の水産ODAと引き換えに捕鯨支持を取り付けていたアフリカ諸国も含め、日本が集中的に批判を浴びる形になりました。
 八木氏は「不条理に制限されている」と主張していますが、同問題はそもそも日本政府自身による特殊な留保条件に対し、CITESの正規の規定を他のすべての対象種と同等に適用しただけのことであり、従前から国際法学者によって指摘されながら日本政府の圧力によって先送りされてきたにすぎません。
 CITESにおいて鯨だけが「不条理に制限」されているとの主張は、報道されている事実や背景、条約の趣旨について何一つ知ろうとしない不勉強な人物の妄言にすぎません。「外して自由貿易を」に至っては、「鯨類は野生生物とみなすな」「鯨のみを差別的に扱え」という主張と同義であり、あまりに常軌を逸しています。
 また、IWC(国際捕鯨委員会)から「鯨類を外せ」とは、IWC並びに国際捕鯨取締条約そのものの否定に他ならず、これもナンセンスの一語に尽きます(脱退論であれば以前から存在しますが)。
 こんな暴論を平気で載せてしまっていいのでしょうかね、新潮編集部は? まあ、救いようのない阿呆メディア、煽るだけ煽って購読数を稼げればいい劣悪タブロイド誌らしいといえばらしいのでしょうが。
 こんなネタもありますし。奇しくも同じ映画の話題ながら、「ビハインド・ザ・コーヴ」とは騒ぎ立て方≠ェ対照的。とはいえ、実に新潮らしいですね。

■黒く塗りつぶされた週刊新潮の広告
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/03/01/111947

 たとえ売らんかなの新潮がOKだとしても、これは前回で取り上げた「抜け道」と同じく、狂信者の妄言の一言で片付けられる話ではありません。
 なぜといって、外務省は新年度予算でこのガラクタ映画の海外上映に予算を付けてしまったからです
 公的支援をしている人物の口から、政府の公式見解とかけ離れた、日本の信用を一層貶める主張が飛び出すのを放置するのは、外務省として決して許されるべきことではありません。以下は筆者が外務省に送った質問状。

■外務省の来年度の捕鯨関係予算および在英大使館広報、公的支援を受けた広報映画の監督による発言と日本政府の外交方針の整合性について
http://www.kkneko.com/mofa.htm

 DVDがアマゾンで売れていると当人も新潮編集部も強調していますが、そのアマゾンにはこんな感想も寄せられています。クオリティの低さには当初から捕鯨賛成派の間でさえ懸念の声がありましたが。
 
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RKRW6MCEBCFYR/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B072QDGTF2
確かに意義ある作品ではあるが、画質、音声、共にランクダウンしたくなるレベルだった。ブツ切りの映像が入れ替わり立ち替わり流され途中で眠くなってしまった。製作者の労苦を考えると残念でならない。ちなみに私は、音声がキンキンして嫌だったのでTVのTREBLEを下げて視聴しました。製作者のサポートができる技術者が出てくることに期待したい。(引用)

 映画制作に携わるクリエーターの方たちをリスペクトする者としては、こんなお粗末な代物を映画と呼ぶこと自体に抵抗を感じてしまうのですけどね。ましてや、スクリーンにかけたり、賞を与えるなど、映画界の名折れではないかと思えてしまうのですが。
 それにしても、これでアカデミー賞を本気で受賞できる気でいたのだからあきれてしまいます。「ハーブ&ドロシー」で多数の映画賞を受賞した実績のある佐々木氏ならいざ知らず。その彼女の方は「アカデミー賞狙う」なんて欲の皮の突っ張った発言はなかったはず。身の程を弁える奥ゆかしさこそ日本人の美徳≠セと思うのですがね・・
 実は、英国のほんの一握りの人たちには好評価を得たらしい「ビハインド・ザ・コーヴ」、日本のある町ではすこぶる評判が悪いとのこと。

https://twitter.com/kumatarouguma/status/897180834116927489
COVEについて面白いのは、以前太地町役場にはなしをききにいったとき(私は移動手段の関係でその場にいなかったのだけど)反捕鯨のCOVEはすごく綺麗に自分たちの伝統をとれていて、それに対しアンチCOVEの方が太地町擁護なのに画像があまりよくない、おすすめできないといわれたはなし(引用)
https://twitter.com/taijinankimeioh/status/965807165226102784
この映画、ただ日本人が鯨の竜田揚げを食べられなくなるという映画だと聞いてますが違うんですか。(引用)

 そう・・肝腎要の太地町。上掲のとおり、役場で「おすすめできない」と言われるほど。筆者は複数筋から同様の話を耳にしています。道の駅等でももう一つの映画「おクジラさま」の方は積極的にPRしているのに対し、「ビハインド・ザ・コーヴ」のパンフ等は置いていないとのこと。
 関係者が撮影までは応じているのですから、筆者が推測するに、その後何か≠ったんでしょうけどね。「『ザ・コーヴ』よりよくない」という映画の品質もさることながら、感情的、情熱的に何か不興を買うようなことをやらかしたのではないかと。
 「表コーヴ」の方は日本発の2本の映画(3本目のフィクションも制作中とのことですが)に触発され、続編が企画されているとのこと。

■反捕鯨映画、続編を計画 「ザ・コーヴ」太地町のイルカ漁批判
http://www.sankei.com/west/news/180204/wst1802040010-n1.html
 続編は、現地で活動家らが撮影した映像が用いられる可能性がある。(引用)

 この分だと、プロレスの舞台は南極海から銀幕に移行しそうですね。ただ、たとえ「ザ・コーヴ2」に太地町の映像が使われることがあっても、上掲の有様では「ビハインド・ザ・コーヴ2」は太地の関係者の協力を得ることは難しいのではないでしょうか。少なくとも、映像はブツ切り、音質はキンキンの素人レベルのものしか作れない御仁ではなく、感情を爆発させもせず、映画のクオリティ面でも申し分なく信頼できる佐々木監督のほうにお願いしたいと思っているのでは。
 竜田揚げ監督には、竜田揚げ以外の映画は作れないとも思いますけど。人種差別撤廃提案ネタとか、「ビハインド・ザ・ヤスクニ」とかなら市場も見込めると考えるかしら?
 筆者としては、沖縄や広島、福島、諫早を舞台にした映画を、むしろ佐々木監督にこそ作ってほしいところ。
 もうこれ以上デマ映画合戦を繰り返すのはやめて、客観的な証拠のみに基づき国際法できっちり蹴りをつけるのが、誰にとっても最善の道だと筆者は考えます。

   ◇   ◇   ◇

 ただ今客観的な評価に資する「徹底検証! 水産庁海洋生物レッドリスト」レポート前半総論部分の英訳を進めています。日本語版(リンク上掲)の拡散もよろしくm(_ _)m
posted by カメクジラネコ at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会科学系

2018年03月04日

デマ屋と化した竜田揚げ映画監督、シーシェパードに代わって独り相撲・その2/真に中立な意見とは・その2


◇デマ屋と化したトンデモ竜田揚げ映画「ビハインド・ザ・コーヴ」八木監督、シーシェパードに代わって独り相撲・その2

前回の続き。
 映画「ビハインド・ザ・コーヴ」監督の八木景子氏は、これまでもかなりぶっ飛んだデマを映画のプロモーション・メディアインタビューを通じて拡散してきました。主なものは前回の記事末のリンクまとめ・拙過去記事で取り上げています。
 八木氏の発信するデマは大きく3つに大別されます。ひとつが、「ベトナム戦争陰謀論」をはじめとする、捕鯨サークル当事者から仕入れた情報を単に垂れ流しているだけのもの。ただし、別に何人も間に挟んだ伝言ゲームというわけでもないのに、エントロピーが急速に増大して一次情報からだいぶ離れてしまうのが氏の発信の特徴。ベトナム戦争陰謀論に関しては、米公文書館まで出向き、独自に情報を入手して手柄を立てようとは思ったんでしょうが、結局絵≠撮っただけで手ぶらで帰ってきておしまい。
 次に、外野の反反捕鯨ネトウヨから吹き込まれたと見られるもの。京大シンポジウムでの「韓国の方が日本よりクジラを殺している」といった嫌韓右翼へのアピールを狙った発言や、人種差別撤廃提案ネタなど。
 最後に、八木氏のオリジナル。同じ京大シンポジウムでよりによって韓国の方に対して偉そうに言っちゃった「韓国はIWC不参加」発言(純度100%のデマ)や、映画上映時のトークイベントでの動物福祉全般に関するかなーりぶっ飛んだ見識など。
 これまでの諸々の発言については、前回の記事末にまとめたリンクをご参照。
 上記のポイントを押えつつ、今回と次回の2回に分け、2本のメディア上の八木氏の発言を取り上げることにしましょう。

 まず、2月26日月曜にOAされたアベマプライムの特集から。
 要約テキスト版は下掲リンク。それにしても拡散しましたね・・


 アベマTVはいわゆるインターネット専門TV局で、免許を持った放送事業者ではありません。アベマプライムは同局の報道番組の位置づけで、以前漁業問題がテーマになったときに、情報を市民に向けてこまめに発信してくれる水産学者の東京海洋大学准教授・勝川俊雄氏や築地仲卸でシースマート代表理事を務める生田與克氏も出演されています。昨年7月放送時は以下の水産庁のヤラセ問題がネタに。解説はこちらもお馴染みの国際政治学者、早大客員準教授・真田康弘氏。

■激震!やらせ発言≠ェ発覚、国際会議を操作する水産庁のモラル|Wedge
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10164

 硬派なニュース番組の路線を貫いていればまあよかったんでしょうが・・担当者の力量差によってムラが激しいのか(それを言ったら正規の放送局も同じですけど)、一言で言えば今回のはお下劣バラエティ
 あるいは、報道で比較するなら、露骨な沖縄ヘイトデマを流したことが問題視され、今月にTOKYO MXでの打ち切りが決定された「ニュース女子」のレベル。
 番組前半がイバンカネタでクジラは後半の1時間でしたが、ゲストの月亭八光氏に鯨肉を無理やり食わせようとする茶番でまあ引っ張るわ引っ張るわ。
 さらに某鯨料理屋の宣伝と映画のシーンがバシバシ入り、ディベートの部分は正味10分もあったかどうか。といってもほぼ一問一答で、八木氏のデタラメコメントで締めてどんどん流す進行だったため、ある意味トンデモ映画そのものの構成に近かったといえます。
 出演者のうち、元読売のジャーナリスト・ジェイク・エーデルスタイン氏のみが反捕鯨の立場で出演。後の4人はゴチゴチの反反捕鯨。外国人訛りのエーデルスタイン氏に対する進行側の配慮がなかったことも手伝い、袋叩きの様相を帯びる有様。ずいぶん昔にやはりTVの討論番組でデーブ・スペクター氏が同様に多勢に無勢の扱いを受けていましたが。
 報道番組・討論番組といっても台本が用意されているのが常ですが、この台本を書いた奴は相当にゲスいですな。
 その点、JAZA/WAZA除名問題を取り上げたテレビ愛知の激論!コロシアムは、用意された資料映像とテロップに一定の先入観・偏見が見られたものの、出演者の構成や進行の点で公平性への配慮もあり、まだマシだったといえます。

■激論!コロシアム【イルカが消えるだけじゃない!?日本を追い込む"やっかいなニュース"の真相!】(2015.6.13放送)
https://togetter.com/li/834969

 先に、リンク記事中の内容とは前後しますが、八木氏以外のゲストの方へのツッコミから。

 マグロ漁師の経験もあるリディラバ代表の安部敏樹も「日本の文化は、油、骨、皮までちゃんと使って、しっかりサスティナブルに消費していこうという考え方。クジラの頭数が増えてきたのであれば、商業捕鯨にして良いはず。"それなら捕っていいよね"と国際社会に言ってもらえるまで、水産庁も含め日本はしっかりコミュニケーションしなきゃいけない」と指摘する。(引用)

 おそらく、ウォッチャーの皆さんは「ああ、こいつもか・・」とため息をつかれたことでしょう。
まず、「日本の文化=サスティナブルに消費」という、捕鯨であれ漁業であれ、史実に反する俗説を真に受けている時点でアウト。しかも非論理的で雑な主張。カタカナでかっこつけて「サスティナブル」とか言っても、「消費」にかかってる時点で水産資源管理の根本について何も理解できていない証拠。東大出が泣きますね。
 鯨体完全利用神話については以下をご参照。

■「油目的で肉を捨てていた西洋と異なり、日本はクジラを余すところなく完全利用してきた」って本当?
https://togetter.com/li/1012491

 番組では「元マグロ漁師」の肩書きがしきりに強調され、他所にはプロフィールで「マグロを素手で取る」なんて特技が紹介されてたのですが・・安部氏は30の若さで今は社会企業家。遠洋マグロで一攫千金、陸に上がってさっさと転身というサクセスストーリーが目に浮かびます。であれば、日本の水産業の非持続性と悲惨な現状についてまったく無理解なのも頷けます。
 アベマTVにはぜひ次は「マグロ」をテーマに、今回と同じ4:1のタッグマッチ討論の企画を組んで欲しいもの。他の出演者は勝川氏、生田氏、真田氏、環境ジャーナリストの第一人者である共同通信記者・井田徹治氏で。でもって、安部氏に素朴な持論をぶってボッコボコにのされていただきたいもの。

 もう1人のゲスト、経済評論家の上念司氏は、記事中にはありませんが、反対運動・NGO批判の流れで、ユニセフの子供利用SSCSのクジラと対比させる印象深い発言をしていました。ユニセフ(国連児童基金)が子供の人権を守ることにリソースを集中するのは当たり前すぎる話ですが、同団体に対するデマ由来のいくつかの批判と比べても、上念氏やネトウヨたちの「ユニセフが子供を利用して金集めをしている」との主張は斜め上を走っています。よっぽど日本を国際社会で孤立させたいのでしょうか? まあ、上念氏がソッチ方面の人なのはツイートだけでもよーくわかりますが。

■日本ユニセフ協会に対する不当な批判に対して応えてみる
http://blogos.com/article/173694/

 社会的立場が圧倒的に弱い児童の権利は手厚く優遇されて当然と筆者は思いますが、よもや伊武雅刀の「子供達を責めないで」を地で行く連中がいるとは、想像だにしなかったことです。女性専用車両の一件にしろ、先住民生存捕鯨に対する日本政府のいちゃもんにしろ、社会的弱者に対するやっかみは、むしろ深刻な日本社会の病理と捉えるべきでしょう。
 一応補足しておくと、欧米発の市民運動の胡散臭さ≠強調するのは、モラトリアム当時からの反反捕鯨の常套手段で、これも出所をたどれば梅崎氏に行き着くのですが(拙記事に何度となく登場する反反捕鯨広報コンサルタント・梅崎義人氏については前回記事等をご参照)。私が常々疑問に思うのは、梅崎氏は日本捕鯨協会から一体いくらのコンサルタント料を受け取ったのかということなんですけどね。某御用学者と養鰻業界じゃないけれど、捕鯨業界から感謝の印にでっかいクジラ御殿を提供してもらっていても不思議はない気がします。
 胡散臭い組織≠ェどーーしても気になるという方には、怪しさ全開の巨大組織・日本青年会議所(JC)の工作活動に目を凝らし、ぜひ資金の流れをたどるなり何なりしていただきたいもの。

■ネット工作がバレた途端に垢消し逃亡、日本青年会議所(JC)謹製の憲法改正マスコット「宇予くん」の発言をお楽しみ下さい
http://buzzap.jp/news/20180227-jaycee-net-kaiken-uyokun/

 続いて、アベマタイムズの担当者による文と八木氏のコメントの問題箇所をひとつずつチェックしていきましょう。行頭Yを付けたのが八木氏本人のコメント。強調は筆者。それ以外も内容は大体八木氏の情報提供に基づいているのでしょうが。

(「ザ・コーヴ」受賞後)日本の捕鯨やイルカ漁に対する国際世論の厳しい見方が広がり(引用)

 日本の捕鯨やイルカ漁に対する厳しい国際世論は、たかが1本の映画の影響で一朝一夕に出来上がったものではありません。商業捕鯨モラトリアムの発効も、WAZAの追い込み猟由来のイルカ調達禁止規定も、厳しい国際世論が背景にあってのことですが、まさかシホヨス氏がタイムマシンに乗ってそれらの時代の関係者に映画を観せたとでもいうのでしょうか? バカも休み休み言え、です。
 前世紀に野生生物保全を求める運動が市民権を得て国際政治に影響を及ぼしていく過程で、商業捕鯨によるクジラの乱獲が遡上に上るのは当然の成り行きでした。詳細は拙HPの解説をご参照。

■真・やる夫で学ぶ近代捕鯨史 (4)モラトリアム発効と「国際ピーアール」の陰謀
http://www.kkneko.com/aa4.htm

 そんな中、今回『ビハインド・ザ・コーヴ』を評価したのは、反捕鯨国であるイギリスだった(引用)

 いやはや、盛りましたねえ。イギリスが評価したとは。今年のIWC総会では同政府が捕鯨支持に転向、捕鯨ニッポンとしちゃ万々歳じゃないですか。
 んなわけないでしょ(--;;
 前回で詳しく解説していますが、筆者が向こうに問い合わせたところ、ロンドン国際映画製作者祭はまだ日の浅いマイナーな映画祭で、英国内でも認知度が低いとのこと。会場はクラウンプラザホテルロンドンドックランズというホテル。平日15日の午後、ホテルの一室で行われた1回の上映を観た客は、せいぜい多くて2、30人じゃないですか。八木氏本人なら、実際に映画を観た観客の数字を言えるはずですが。
 しかも、TBSや東京新聞の報道のとおり、「『ザ・コーヴ』と同じプロパガンダだ」との観客の反応もあったわけです。日本国内でさえ、原爆の描写をはじめとする一連の演出に嫌悪感を感じたり、首を傾げた観客が少なくないのですから、大半の観客の反応が好意的だったとは到底考えにくいことです。
 すなわち、人口約6,600万の英国で同映画を評価したのは、同映画祭の審査員を含むせいぜい2桁、ほんの一握りの人たちでしかなかったのが事実のはずです。同映画を酷評する捕鯨推進国・日本人の数の方が多いのは間違いありますまい。アベマTVの担当者の口を借りれば、「『ビハインド・ザ・コーヴ』をボロクソにこき下ろしたのは、捕鯨国である日本だった」と言えちゃいますね。

日本の古式捕鯨発祥の地として知られ(引用)

 間違い。筆者は何度も口を酸っぱくして指摘しているのですが、ちっとも直りませんね。マスコミもですが。
 組織的な形態のいわゆる古式捕鯨が始まった発祥地は、太地ではなく尾州(現在の愛知県知多半島南部)。太地は尾州から技術が持ち込まれた後、網取式の手法を初めて編み出されたというのが有力な仮説。初期の突取式から網取式への転換が図られたのも、乱獲によって初期の対象種が激減したために他なりません。その後、太地で開発された効率的な捕獲法は土佐や九州北部等各地に瞬く間に拡散、乱獲に拍車をかける事態となりました。発祥地の尾州や、やはり伝播先の三崎などでは乱獲が祟って捕鯨自体が自滅しています。
 古式捕鯨史と太地が果たした役割については、下掲の拙記事と二次リンクを参照。

■哀しき虚飾の町・太地〜影≠フ部分も≪日本記憶遺産≫としてしっかり伝えよう!
http://kkneko.sblo.jp/article/175388681.html

1982年以降、大型の鯨を対象とする「商業捕鯨」が全面禁止となり(引用)

 間違い。1982年はIWC年次会議で商業捕鯨モラトリアムの決議が採択された年。実際の発効は1985年です。

町民からも「(中略)」「(中略)」と話す。(引用)

 ・・・。なんでしょうね、このグダグダな日本語は(--;; この記事を書いたWEB担当者は小学校に入り直して国語を一から勉強し直しなさい。上司なり別の担当者に記事チェックさせる作業もしていないのですね、アベマTVは。個人の日記ブログ・ツイートなら多少の粗は許されるでしょうが、これでメディアを名乗っていいんですか? 放送事業者じゃないけれど。
 これも「評価したのは英国」と同じ。太地町にだって無関心な住民もいれば、捕鯨・イルカ猟ないし三軒町長のワンマン行政を快く思っていない人だって当然いるのです。

■和歌山県太地町民の本音。
http://animalliberation.blog.fc2.com/blog-entry-122.html
■「太地町とフェロー諸島のクラクスビークの姉妹都市提携に異議」の記事
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1821814097875296&id=100001401694621
https://twitter.com/ishii_atsushi/status/921234334912192512
太地町の「正義」を描いているつもりかもしれませんが、イルカ漁に関わっていない太地町民たちはほとんどでてきません。ドキュメンタリー映画なので、そういう人たちが本当にイルカ漁を支持しているのか、支持しているのであればなぜなのか、を明らかにしてほしかったです。(引用)
(なお、上掲のツイートは別の映画「おクジラさま」に対する意見ですが、偏向の程度は「ビハインド・ザ・コーヴ」の方が数段上)

水産庁によると、イルカとは体長4メートル以下の鯨を指し、基本的には同種の生物だ。(引用)

 ・・・。このWEB担当者は国語だけでなく理科のリテラシーも小学校中学年以下ですな。いや、小学校中学年でも、理科好きの子は上の文のどこがとんでもなくおかしいかすぐわかるでしょう。小学校入り直してきなさい。まあ、質問を受けた水産庁の担当者もさすがに苦笑いするしかないでしょうね。八木氏に理解できるかどうかは心もとないけど。。
 一応正解を述べておくと、「(広義の)クジラは同じ分類群(下目)に属する種の総称で、イルカはそのうちおおよそ体長4メートル以下の種を指す。(狭義のクジラとして、イルカを除くクジラ下目の種を指す場合もある)」です。

捕鯨には、一般に食用肉に加工するなどを目的とする「商業捕鯨」、生活に必要な捕鯨としてIWC(国際捕鯨委員会)に捕獲枠を認められている「先住民生存捕鯨」などがある。(引用)

 まずは単純な間違いの指摘から。「商業捕鯨」の定義は完全な間違い。文を構成する「一般に」「食用」「肉に」「加工」のすべてが間違い。読んで字のごとく商業目的で行われる捕鯨のこと。部位がどこか、用途が食用かなど無関係。母船式捕鯨の場合は加工処理の工程の一部を担いますが、捕鯨の定義は加工ではありません。
 IWCによって定義されている「先住民生存捕鯨」は「生活に必要な捕鯨」ではありません。先住民の先住権への配慮から特別に認められた枠です。先住権を持つ先住民の伝統的なコミュニティの維持に不可欠な要素と認められることが重要です。その背景には、先住民に対する搾取と抑圧の歴史に対する反省があります。そして、先住民を迫害したのは西洋人ばかりではありません。私たち倭人もです。
 太地より圧倒的に長い歴史と持続性を備えていたのがアイヌの捕鯨。しかし、彼らは江戸時代から松前藩に不公正な搾取を受けたうえに、明治政府には強制的に捕鯨を禁止され、捕鯨に依存していた伝統的なコミュニティを破壊されました。それさえなければ、日本で先住民アイヌの伝統文化がきちんと尊重されてさえいれば、国際社会からも二つ返事で先住民捕鯨として認められていたはずなのに。
 のみならず、水産庁と組織を代表するIWCコミッショナー森下丈二氏らは、先住民の権利に対する認識の欠如を臆面もなく露呈してきました。実際のところ、先住民の権利擁護の取り組みにおいては、捕鯨への賛否を問わず先進国の中で日本ほど遅れている国はありません。詳細は以下のリンクをご参照。

■「原住民生存捕鯨」に関する日本政府の考え方について|GPJ
http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/archives/ocean/blog/30448/
■倭人にねじ伏せられたアイヌの豊かなクジラ文化
http://kkneko.sblo.jp/article/105361041.html

Y:「国際会議で"いじめ"に遭ってしまっていて」(引用)

 おやおや、まるで国連での北朝鮮代表のようなことをおっしゃる。
 しかし、北朝鮮が国連安保理でいじめ≠ノ遭うのも、日本がICJ、IWC、CITES、各地域漁業機関の会合でいじめ≠ノ遭うのも、仕方がないことです。
 国際秩序を保つために不可欠なルールを破るのが悪いのです。
 もっとも、いじめの程度でいえば、経済制裁によって国民の窮乏・餓死に至っている前者の方が、いじめで言うなら自殺につながりかねないはるかに苛烈なレベルですし、NPT(核不拡散条約)が自衛のための核保有の権利を核大国のみに認めてそれ以外の国との間に線を引く明々白々な不平等条約であるのは否定の余地がありません。
 それに比べれば、後者はそもそも公海・南極海における高度回遊性野生動物という世界共有の財産の管理の話であり、自国の主張が通らないからといって「いじめだ!」と叫ぶのはとんだお門違いというものです。
 日本が国家間の平等を最優先の大義とする国であるならば、核兵器削減・廃絶の枠組としてNPTではなく核兵器禁止条約を推し、米国にも北朝鮮にも批准を促すべきなのです。ところが、実際に日本政府がやったことといえば、差別を容認するばかりか核大国に思いっきりおもねって、国内の被爆者と核廃絶を求める世界中の市民から深い失望を買う始末。
 八木氏は核の脅威と無縁な平和な国で、核について何も知らずに育った人間なわけではありません。何しろ、唯一の被爆国(核実験の被害者は世界中にいますが)日本の国民なのです。そればかりではありません。八木氏は自作の映画の中で広島の原爆投下のシーンをわざわざはめ込んでいるのです。筆者は核兵器禁止の取り組みに対する日本政府の後ろ向きな姿勢を八木氏が批判したのをまったく聞いたことがないのですが。
 結局のところ、八木氏の主張は「国際会議でのいじめ≠根絶しよう」ではなく、ただひたすら「私は南極産竜田揚げが食べたい!」だけなのです。そのためには原爆の悲劇すら利用できてしまう、実に驚くべき人物なのです。

■Ultra double standard of Japan's diplomacy: 100% opposite in nuclear ban and "Favorite sashimi"
http://www.kkneko.com/english/nuclearban.htm
■広島・長崎より太地・下関が上、非核平和より美味い刺身≠ェ上──壊れた捕鯨ニッポン
http://kkneko.sblo.jp/article/179410385.html

Y:「日本の政治家はイエスかノーかハッキリ言えない理不尽な状況」(引用)

 これもまったく事実に反します。日本の政治家はモラトリアム当時から、一貫して、捕鯨推進の立場を明確にしてきました。特に自民党は捕鯨業界と密接に癒着した数十人の族議員連盟を抱え、調査を騙る脱法商業捕鯨を継続させ、多額の税金投入を決定してきたのです。永田町の議員の過半数が態度を明確にできない状態だったら、美味い刺身*@が共謀罪国会の最中に超特急で成立するはずがありません。族議員の何人かはこれまでIWC年次会議にも出席したり、あるいは発展途上国に出向いて援助と引き換えにIWC加盟と日本の捕鯨支持を取り付けるなど、率先して働いてきました。まあ、国際会議には業界の連中も同行してるんだから、現地で「自分はイエスかノーかはっきり言えません」なんて口にしたら、それこそ怒られちゃいますわな。2014年の国際司法裁判所(ICJ)による調査違法判決直後には、二階俊博議員(現党幹事長)をはじめとする族議員が鯨肉カレーを頬張りながら気勢を上げたことが、海外メディアでも報じられています。
 八木氏の理不尽な発言は、もはや無知・無理解というレベルではありません。捕鯨支持の内野も外野もみな知っていることについて、まるで正反対の主張を唱えているのですから。
 ただ、このぶっ飛び発言は、捕鯨サークル(鯨研・共同船舶・水産庁)だったら絶対認められない、八木氏オリジナルの持論あってのものかもしれません。

日本が行なっている「調査捕鯨」は 、頭数、年齢分布、食性などの調査が建前だ。(引用)
:「仕方なく抜け道として調査捕鯨を行っている」(引用)

 さあ、ここはきわめて重要なポイントです。
 まず担当者の間違い、調査捕鯨の説明の補足から。生息数の調査は、日本周辺の小型鯨類も含め、目視で行われます。調査「捕鯨」は必要なし。食性の調査は、調査捕鯨による胃内容物調査ではごく限定された断片的情報しか得られず、他の野生動物で普及している非致死的な代替手法の方が優れています。サンプルの年齢組成情報の収集は、日本が掲げる調査捕鯨の正当性の根拠の中で議論の余地がある唯一のものですが、現行の管理方式において不可欠≠ネものではありません。管理方式を改良・補完する手法はいくらでも考えられる中、特定のパラメータの経年変化を特定の精度で求めることだけが解だとする水産庁・御用鯨類学者の主張は、事実に反しています。ひとつ言えることは、年齢組成の変化を調べることを主目的とする経年大量致死調査事業が行われているのは、あらゆる大型野生動物の中で日本の調査捕鯨の対象種となっているクジラのみです(漁業の場合は漁業が主≠ナ漁獲物のデータが資源管理に役立てられる)。まさにサベツそのもの。
 で、問題のキーワード、「建前」「抜け道」
 これは日本の国際法違反を公然と認める発言です。
 記事中の担当者による「調査捕鯨」の説明は、少なくとも国際捕鯨取締条約(ICRW)第8条に基づく「合法的な£イ査捕鯨」の定義ではない、ということです。もちろん、「建前≠ナいいよ」なんて条文には一言も書いてやしません。
 アベマTVの担当者は、わざわざ聞くまでもないイルカとクジラの違いについて水産庁に問い合わせておきながら、肝腎の調査捕鯨の説明については何も尋ねなかったわけです。水産庁なら「あれは建前≠ナすか? 抜け道≠ナすか?」と問われたら、断固として否定するはずですから。本当に間抜けな担当者ですね。。
 では、当事者の捕鯨サークル・日本政府の見解とは相容れない八木氏オリジナルの持論とは何でしょうか?
 八木氏の一連の発言が示唆するのは、「私が決めた正義>>法」という非常識極まりない個人的信念。
 「商業捕鯨は再開しても全然おかしくない」(引用〜Y)んだ、悪いのは国際条約の方なんだ。だから、商業捕鯨はやっていいんだ、と。それがいつのまにか、調査捕鯨なんて建前の看板を下ろして今から堂々と商業捕鯨を名乗ればいいではないか、にまで昇段してしまったのではないでしょうか。もう既成事実なのだから、条約の方を捻じ曲げて、モラトリアム条項を破棄しろと。つまり、八木氏のいう「イエスかノーかはっきりしない」とは、「ノー(商業捕鯨ではなく調査捕鯨だという建前)」ではなく「イエス(これは商業捕鯨だぞ。正義は国際法ではなく我々にある!)」とストレートに叫んでほしいという、氏の願望の現われのように見受けられるのです。国会議員試写会などでさんざんちやほやされたものだから、政治家も官僚も同調してくれると本気で信じていそうですが。
 平然と「抜け道」発言をしてしまう辺り、八木氏は遵法精神の非常に希薄な人物に見えてしまいます。いやはや、シーシェパードも真っ青。
 というより、「ワトソンだって犯罪者なのに逮捕されないじゃないか!」「シホヨスだって立入禁止の場所に入ったじゃないか!」という憤怒が、八木氏をしてここまでの狂気に駆り立てたのでしょうけど。
 違法なことをされたんだから、こっちだって国際条約の抜け道を探るぐらい当然のことじゃないか──と。
 「映画には映画を」「嘲笑には嘲笑を」「サベツにはサベツを」「嘘には嘘を」「違法行為には違法行為を」「原爆投下には南極海捕鯨を」──。
 「目には目を」「やられたらやり返せ」
 不満の捌け口を求めるネトウヨたちの賛同が集まるワケです。
 このうち、「サベツにはサベツを」という八木氏の狂信は、次に取り上げるデイリー新潮記事の末尾のコメントの中に明瞭に示されています。次回で解説しますが。
 さて、日本政府は中国・ロシア・韓国との領土紛争を念頭に、国際法を遵守する姿勢を国際社会に対して前面に打ち出しています。政府関係者が堂々と「国際法は破っていいんだ!」なんて口が裂けても言えるはずがありません。鯨研と共同船舶はただの事業者として粛々と畏まるのみ。
 もっとも、日本捕鯨協会は、過激で支離滅裂な主張を振りまく竜田揚げジャンヌダルクを広告塔として精一杯利用しようと考えているかもしれませんが。そう、まさにデマ屋として価値のある存在だと。
 確かに、日本の調査捕鯨はICJ判決後に始まった南北の新調査捕鯨NEWREP-A/NPも、国際司法の場で審判を受ければ違法と判定されるのは議論を待たないでしょう。イワシクジラ持込のCITES違反も然り。
 そうはいっても、日本政府の公式の立場はあくまで合法=B調査捕鯨そのものから国連管轄権受諾宣言の書き換えまで、あの手この手を駆使しながらも、ギリギリのところで国際司法上の手続を踏まえる(ふりをする)ところまでは譲らなかったわけです。一線を越えたことを認めたうえで「建前で何が悪い」とふんぞり返る真似まではしませんでした。今までのところは。
 官僚の中で唯一うっかりポロッと本音を漏らしてしまったのが、本川一善元農水事務次官(国会発言当時は水産庁長官)でした。彼のポカのおかげで日本のICJ敗訴が決定付けられたわけですが。霞ヶ関のエリートに二の轍を踏みたがる者がいるとは考えにくいことです。
 しかし・・一方で、「ビハインド・ザ・コーヴ」には海外上映に外務省予算が新年度から付くことが決まっています。
 もし、公的な支援を受けている人物に公の場での説明とは異なる本音を代弁させているとすれば、日本政府は二枚舌の謗りを免れないでしょう。たかが美味い刺身≠ナ国際ルールを無視する国に、中国や北朝鮮を非難する資格はありません。逆に、たかが美味い刺身≠ナ国際法を蔑ろにすることが本当に出来てしまう国であれば、一体何をしでかすかわかったもんじゃないと、
 その意味で、八木氏の発言は狂信者の妄言として片付けるだけではすまないものです。
 一方で、「中立派」だったり「捕鯨擁護派」だったりクルクルと忙しい八木氏らしく、最後に「『違法なんだ』(中略)という誤った情報が」(引用)とも述べています。アベマタイムズ記事中では端折られていますが、番組中では八木氏は非常に問題のある発言されていました(全部問題っちゃ問題なのですが)。というのも、ICJからは単に見直しを求められただけで、数を減らしたことでICJに応えた=Aだから違法ではないという趣旨に受け止められるものでした。
 もちろん、これは事実に著しく反します。日本の調査捕鯨(JARPAII)はICJにより国際法違反であるとはっきりと認定されたわけですが、ICJに見直しを求められ、それに問題なく対応して違法性を解消できたのであれば、国連管轄権受諾宣言を書き直してICJへの再提訴を封じる必要などまったくありません。しかし、日本がやったのは、新調査捕鯨に対する国際司法判断を回避する策を講じることだったのです。国際法学者・神戸大教授は次のように批判しています。

明らかに南極海での調査捕鯨の再開は国際法的に危うい、少なくともICJに持って行かれるのはいやだ、というメッセージです。「法の支配」を標榜する日本としてはいかがなものでしょうか。(引用)

 八木氏の言い草は、まるで単に捕獲数が多すぎたのがICJによる違法性の判断の根拠であったかのようですが、実際の判決内容はまったく異なります。鯨種毎のサンプル数の相違(具体的にはクロミンククジラとナガスクジラ及びザトウクジラ)を日本側が科学的合理的に説明できなかったのみならず、日本側証人として法廷に立ったノルウェーの鯨類学者・オスロ大名誉教授ラルス・ワロー氏も日本側の不合理性に同意したからです。判決当時、一部の捕鯨推進派からは「数が少なすぎたから違法だというなら、増やせばいいじゃないか」という意見も飛び出していました。実は、当の八木氏もプロモーションの中で「おかしい」という発言をしていたんですがね・・。もうすっかり忘れてしまったんでしょう。
 判決の詳細については以下をご参照。

■ICJ敗訴の決め手は水産庁長官の自爆発言──国際裁判史上に汚名を刻み込まれた捕鯨ニッポン
http://kkneko.sblo.jp/article/92944419.html

 実際、NEWREP-Aは捕獲数を333頭に減らしただけで、ICJの指摘に応えるどころか、クロミンク1種に絞って数を減らしたため、不合理性が一段と増したことになります。だからこそ、日本側は国連管轄権受諾宣言書き換えによる逃げの一手に出ざるを得なかったわけです。
 NEWREP-A/NPにしろ、イワシクジラ持込にしろ、国際条約のICRWやCITESに違反する可能性が濃厚ながら、国際司法による判断がまだ下されていないというだけ。この点については次回もさらに取り上げますが。
 八木氏曰く「誤った情報」のうち、水銀問題については筆者個人は正直関心がありません(本人の意思によらず児童が学校給食等で無理やり食わされる場合を除いて)。厚労省が「妊婦は2ヶ月に1度以上食べないこと」と通達を出すほど水銀濃度が高かろうと、フェロー諸島で疫学研究により母親のゴンドウクジラ摂食による水銀暴露と小児の神経症状への影響の相関が報告されようと、住民の毛髪から全国平均の40倍の水銀が検出されて国水研が調査に乗り出したものの全町民ではなく希望者のみだったため疫学的な影響評価が出来ずじまいであろうと、食べたいんだという奴は自己責任で好きにすればいいことです。捕鯨の是非と「食っていいか悪いか問題」はまったくリンクしないのですから。
 気になるという方は、上掲した激コロまとめ中のリンクをご参照。
 というわけで、残りの「誤った情報」について。

Y:「農産物にも税金が投入されているのに、なぜ捕鯨だけ突くのかという、アンバランスさもある」(引用)

 まずこの発言からわかるのは、農産物への補助金がどのようなものか八木氏が何も勉強しておらず、日本の農業政策に恐ろしく無知であることです。本当に「竜田揚げ食いたい」だけで後は頭空っぽなのですね、この御仁は・・。
 稲作農家への補助金は減反(生産調整)や飼料米への転換に応じて支給されるもの、つまり、地産地消・主食の米の生産維持という、きわめて重要な日本の食文化に貢献するのをやめた¥鼾に金が払われる仕組み。しかも、今年度からは減反廃止、さらにTPP参加により一部の重要品目を除き関税も撤廃されます。コメも輸入枠が設けられたうえ、経団連と輸出国の圧力に屈するのは時間の問題。農業者は優勝劣敗の苛烈な国際競争にさらされながら、自助努力で対応を余儀なくされることになります。
 ここで、来年度農水予算(概算決定)をもとに、雑穀生産と捕鯨のケースを比較してみましょう。
 雑穀生産農家には、環境保全型農業直接支払交付金の名目で10a当り3,000円が支給されます。雑穀の生産農家戸数は全国で9,947戸、作付面積は8,367ha(2015年)。先の交付金を1戸当りに換算すると2万5千円程度。この他自治体毎の産地交付金等を合わせても、せいぜいその倍程度。地方自治体の税金投入を含めるとしたら、太地町は捕鯨・イルカ猟関連にさまざまな名目で税金を使っているわけですけど。
 これに対し、捕鯨対策予算は年間約51億円。鯨研・共同船舶・沿岸捕鯨会社の就業者数3百数十名で割れば、使われる国の税金は関係者1世帯当り実に約1,400万円。事業者単位で見れば、沿岸捕鯨事業者各1億円、共同船舶と鯨研の2者で45億円ということになりますが。比較にもなりません。
 高々400年の歴史しかない、ローカルな余禄≠ナしかない古式捕鯨の鯨肉生産とは異なり、雑穀は古来から日本人の9割の人口を支えてきた主食でした。伝統食としては南極産美味い刺身≠謔闊ウ倒的に格上。しかし、採算性と過疎、それに対する行政の無策によって生産量は激減、この百年で栽培面積は千分の1以下にまで減少しました。伝統よりカネを優先する日本の農業政策故に。
 そして漁業。真田氏、勝川氏はじめ漁業問題に詳しい専門家が再三にわたって述べていることですが、捕鯨対策予算は水産資源管理・調査事業のためのトータルの予算を上回っているのです。全国の漁業者を置き去りにして、海面漁業生産の1%に満たない一握りの特定事業者のために、莫大な税金が使われているのです。これほどアンバランスなことはありません。
 八木氏が「他の水産物」と言わず「農産物」と言ったのは、その点を誤魔化す意図もあったのでしょうが。
 他の一次産業と捕鯨との間に厳然として存在する待遇格差、雑穀や漁業の現状については、以下の資料もご参照。上掲の数字について確認したい方は、農水省の予算・センサス関連の資料をチェックしてください。

■美味い刺身*@は廃止を!
http://www.kkneko.com/sasimi/p01.htm

 今回はこの辺で。次回は一度削除されながら復活したデイリー新潮トンデモ記事について解説します。


◇本当に中立な日本人の捕鯨に対する意見・その2

 これも前回の続き。2009年にWEDGEに掲載された慶応大学大学院教授・谷口智彦氏の卓見を再度ご紹介。前回ご紹介した市民・研究者の方々の意見同様、谷口氏は日本の捕鯨文化そのものについてははっきり肯定の立場です。にもかかわらず、元外務官僚としてあくまで日本の広義国益の観点から、冷静にこの問題を分析しておられます。
 以下、同記事の一部を引用させていただきます。多額の税金を注ぎ込まなければ成立しない経済的な不合理性については、谷口氏の指摘した時点よりさらに拡大しましたが、下掲は今日まで続く日本の捕鯨政策の膠着ぶりを的確に言い当てています。やはり八木氏に爪の垢を煎じて飲ませたいもの。

 このように、捕鯨に託した日本の国益とは、経済面を見る限り既にあまりに小さい。これが、議論の出発点に来るべき認識である。我が国が守ろうとしているのは、何か経済とは別の価値だと考えるほかない。
 日本側の姿勢は長年のうち固着を重ね、容易な転換を許さない。
 捕鯨関係者を突き動かしてやまぬ思いとは、反捕鯨勢力との格闘を続けるうち身についた「大義は我にあり」とする信念であり、正論を譲るまいとする正義の感情である。
 「正しいものは正しい」ゆえに、妥協の余地はない。非妥協的姿勢を貫くことそれ自体が価値であり、その保全は国益だと、そう言わんとしているかに聞こえることすらある。
 この状態で、関係者は自ら進んで旗を下ろせない。経済学で言うサンク・コスト(埋没費用)の投下残高がかさみ過ぎ、方針を変えるスイッチング・コストが禁止的に高止まりした状態だと見立てればよい。
 下から内発的に膠着を破るのが困難な場合は、政治が外発的に、トップダウンで状況を動かすのを期待したい。が一般に利害当事者の票田が小さい場合、政治家の大勢はあまり関心を払わぬ中で、「声の大きい少数派」が影響力を奮いやすい。民主主義の逆説だが、この傾向は捕鯨をめぐる政治過程に当てはまる。
 似た構図がマスコミにある。捕鯨への一般的無関心を映して普段は何も書かず、国際会議の対立や、日本に対する攻撃といった派手な話だけ記事にしがちだ。政治家も世論もいつしか「熱く」なり、国益をめぐる冷静な検討は省みられない。(引用)

■メディアが伝えぬ日本捕鯨の内幕─税を投じて友人をなくす
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/721
posted by カメクジラネコ at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会科学系