2008年06月08日

アイヌの捕鯨

■アイヌ国会決議:懇談会参加めぐり、駆け引き (6/7,毎日北海道版)
http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20080607hog00m010005000c.html (リンク切れ)
http://blog.goo.ne.jp/ainunews/e/dfc5c42b0e5d7f8fe5c7298372b9539b 

 日本政府は、アイヌを先住民族と認めることをやっと"一応"公式に表明しました。昨年からの国際先住民年は既に第二次であり、21世紀に入ってからというあまりに遅すぎる決断といえますが、なおも灰色の部分が残っているようです。土地や漁業権の返還問題が絡むため、先住民の"国際的な定義"とは必ずしも同じでない」との言い回しを使っているのです。他の先進国だって、"先住民以外の民族"の不利益を承知の上で、なお固有の権利を認めているわけですから、日本の特殊事情(都合が悪くなると必ず持ち出されるフレーズですけども・・)などという言い訳が世界に通用するはずもありません。「すべての国民が平等」という建前を、まるで差別というものが存在したことがない国であるかの如く、差別を受けていた人たちに対する言い訳に使うのも理解に苦しみます。
 この件に関して、どこぞの新聞はカナダのイヌイットの捕鯨をなぜか引き合いに出しました。それでいて、「先住民の定義は"世界標準"に合わせる必要などなく、国の定義で仕方ないのだ」という結論にどうやら持っていきたかったらしく、文章としてのつながりをまったく欠き、結局何が言いたいんだかさっぱりわからない壊説°L事になっちゃってますけど・・。
 ただ、筆者としては、日本ではアイヌの人たちこそ「クジラを殺す」資格を持つ最も優先順位の高い、というより唯一の人たちなのではないかと思っています。もちろん、現実には彼ら自身の捕鯨は既に失われて久しく、技術的な問題など大きな壁が立ちはだかってはいますが・・。
 アイヌの人たちは、和人がクジラを利用し始めるはるか以前から、噴火湾などでトリカブトの毒と銛や弓矢を用いた伝統的な捕鯨を行っていました。捕鯨関係者は縄文時代の遺物を根拠に「日本の捕鯨の歴史は9千年」などと声高らかに謳っていますが、文化的な結びつきという観点からいえば、実際のところはニッポン(和人)ではなくアイヌの人たちの捕鯨に近いものだったといえます。和人による小規模な商業捕鯨が始まるのは、時代をはるかに下った室町時代末期の話です。しかも、すでにこの古式捕鯨の段階で、技術革新や規模拡大に伴う過剰捕獲の域にまで達しており、セミクジラやニシコククジラは絶滅寸前に追いやられ、三河地方で始まった最初の突取式捕鯨などは勝手に自滅してしまったのです。
 太地はまったく信用できないけれど(一昨日の記事参照)、アイヌの人たちなら、ばまだしも自然に対する節度を守ることができるのではないか……という気はします。少なくとも、西洋発の技術を好きなだけ取り入れ、どんどん外洋に進出して、果ては最後の砦だった南極の海まで荒らしまくり、捕獲数のごまかしや鯨体投棄を平気でやってのけた日本の捕鯨業者とは──中身はすっかり変質していながら、ただひたすらクジラを殺し続け、食べ続ける行為のみを指して、まるで何物にも換えられない崇高な文化であるかのように嘯く彼らの擁護者たちとは、およそ比べ物になりません。
 日本政府はアイヌのヒトたちから土地を奪い、口承中心の彼らからアイヌ語という文化の最も肝心な要素を奪いました。彼らが失ったものはあまりに大きく、取り戻すには大変な時間と労力を要するでしょう(収奪した側にまだその気もないようですし・・)。これで一体、どの面下げて捕鯨文化を世界に向かって叫べるというのでしょうか?
 保守系マスコミも政府も、重たい課題はとりあえず置いておいて、「アイヌの文化と歴史を日本国民が理解することが大事だ」と結論づけています。筆者はとりあえず、明治以降の社会的な差別と迫害に加え、江戸時代初期に起こった「シャクシャインの戦い」を全教科書の必修キーワードにすることを勧めたいと思います(一部の教科書では既に掲載されていますが)。皆さんは"アイヌ算"という言葉をご存知でしょうか? アイヌの人たちと交易していた当時の松前藩の商人たちは、サケを始めとする交易品を計数する際に「はじめ」だの「おわり」だの「まんなか」だのと言って数字をごまかしていたのです。捕鯨会社じゃありませんけど・・。アイヌの人たちは数の数え方がわからなかったわけではなく、対等のはずの交易相手をこうもあからさまに騙すことのできる神経が理解できなかったのでしょう。シャクシャインの乱のときの"シャモ"の手口を見ると、内紛をあおったり、和解を装って酒を飲ませて暗殺したりと、よくぞまあここまで卑劣で姑息な真似を次から次へとできたもんだと、和人の子孫としては甚だ情けなくなってきます。ネット右翼は豪州白人のアボリジニ迫害を何かと揶揄しますが、単純に比較すると狡猾さで日本人のほうが勝ってしまいそうで、筆者としては怖くなります。まあ、世界のどこでも、たまたま歴史の歯車の回り具合で支配的な立場に立った人たちと、虐げられた人たちとの関係というのは、およそこういうものなのかもしれませんが・・。
 「そんなの過ぎた過去だ」というヒトもいるでしょう(捕鯨9千年の歴史よりはずっと新しいはずですが・・)。しかし、アイヌの人たちは純朴すぎて今なお和人にだまされ続けているのかもしれません。今度の先住民の定義の話ではなく。何しろ彼らは、釧路などで文化的にまったく縁のない和人の近代捕鯨を擁護するプロパガンダのお先棒を担がされているのですから。本物の文化と偽物のブンカの違いに、早く気づいて欲しいものです。


参考リンク:
■釧路市水産業対策協議会|釧路とクジラ 

http://www.suisan-kushiro.com/whale.html
■日本の鯨肉食の歴史的変遷(拙HP)
http://www.kkneko.com/rekishi.htm

追記:イヨマンテの件
posted by カメクジラネコ at 01:48| Comment(4) | TrackBack(1) | 社会科学系