2008年06月05日

シロナガスとミンクのPTSD

■ゾウはなぜ殺し屋になったのか|地球ドラマチック (6/4,NHK教育)
http://www.nhk.or.jp/dramatic/backnumber/133.html
 

 アフリカゾウが、サイやウシ、そしてヒトまでも殺している──もちろん食用にするため≠ナはなく。衝撃的な事実を追い、英国のTV局が2007年に制作したドキュメンタリー。
 ヒト殺しについてはしばしば聞く話だし、「殺されても文句は言えない」面も多々あると思うのですが、対象がサイやウシとなると、やはりショックを隠せません。ニンゲン以外の動物がそんな殺しのための殺し≠するでしょうか? 一体なぜ??
 その疑問は、番組の中で次第に明らかにされていきます。場所はケニア、南ア、ウガンダ。南アの国立公園では"下主人(象)"が若い単独雄であるのに対し、ケニアでは雌が家畜のウシを襲う"集団暴行"。'90年代頃から突然起こりだしたとはいえ、それぞれの殺"獣"事件の間には一見何の関連性も見受けられません。が、次第に一つのキーワードが浮かび上がっていきます。それはゾウたちの受けたPTSD=心の傷
 ウガンダでは、独裁政権時代に象牙目的の軍による大量虐殺が。ケニアでは、国立公園からの排除に反発した一部のマサイの人たちがゾウを殺すデモンストレーションを。そして、南アの"問題児"たちは、よそで母親を殺して引き離したうえ、無理やり連れてこられた仔ゾウだったのです。
 アフリカゾウは非常に高い社会性を持つ哺乳類です。性成熟まで長い期間を要し、その間に群れの中で社会生活への適応の仕方を学んでいきます。彼らはニンゲンの耳には聞こえない低周波を使って常に交信しており、少なくとも数十以上の言語を持つことがわかっています。
 繁殖率がとても低いため、母親はこどもを目に入れても痛くないほどに手塩にかけて育てます。子供を奪われた母親が逆上したのがケニアのウシ殺しのケース。リーダー格の雌が、群れのメンバーに"復讐"を呼びかけた可能性もあるかも・・。
 一方、群れの虐殺をかろうじて生き延びた孤児が、深刻なPTSDによって(攻撃を受けていない)"ヒト殺し"に及んだのがウガンダのケース。嗅覚と聴覚、及びその記憶保持力がニンゲンと比べて並外れたゾウのこと、ニンゲンのちょっとした臭いが鮮明なフラッシュバックを引き起こしてしまったのでしょう。
 もちろん、ゾウはよっぽど防衛の必要に迫られない限り、他の動物を殺したりしません。思わず殺害に及んだ後、目の前に転がっている死体を見て、戸惑いのあまり埋葬行動に出てしまったのでしょう。ゾウはおそらくニンゲン以外で最も"死"というものを理解している動物ですから。
 最後の南アのケースは、ニンゲン側の暴力的・偶発的な殺害とは少々質が異なるだけに、返って多くの示唆に富んでいます。当事者の雄には明らかなホルモン異常が見られたため、筆者は最初食草や水の汚染などを疑ってしまったのですが、これも実は成長期の社会性の欠如によるものだったのです。幼若個体が本来受けるべき群れの中での社会教育を受けられず、見知らぬ環境にほっぽり出されるということは、生理的にも明白に異常なシグナルとなって現れるほど、これらの大型の高度社会性哺乳類にとって深刻な事態なのです。
 南アが新設の国立公園によそから野生動物を移送させたのは、アパルトヘイト体制下の'70年代。当時この国では、ニンゲンが野生動物の個体数を調整してコントロールするのが当然だという考え方が主流でした。技術的な問題もあったとはいえ、社会性に十分配慮し、せめて成熟個体を含む群れの一部をそのまま一緒に移送していれば、こうした悲劇(かわいそうなのはサイもでしたが・・)は起こらなかったはずです。実際、成熟個体を何頭か同地区に移送しただけで、この問題はピタリと収まったとのこと。無法集団と化してしまった"若い連中"を、おとなが諌めて矯正できちゃうのにも驚きですが・・。ニンゲンだったら無理なんじゃないかニャ。。

 

 さて、旧い南アの野生動物管理の発想が、依然としてそのまま残っているのが日本動物の行動や生態について無知なニンゲンが、数だけ見てコントロールできるという思い上がりは、新しい時代の自然保護に相応しくない非科学的なものです。同じように多様な言語と高い社会性を持つカラスの個体数"管理"に効果を上げられない東京都が、そのいい例でしょう。
 そして何より、かつての南アと同じ愚を犯し、なおも改めることができずにいるのが日本の捕鯨業界と鯨類学界に他なりません。MSYに基づく水産資源管理の発想を、繁殖率の低い社会性哺乳類であるクジラに無理やり当てはめようとしたことが、シロナガスを始めとする大型鯨類の激減を招き、未だに回復が思わしくない主因といえます。ミンクの間引き"リロン"は、多様な種間関係とフレキシビリティを無視していて生態学的にも根拠がないうえ、アフリカゾウで見られたような社会的要因をまったく考慮していません。日本の鯨類学者は、回復を妨げている要因を多面的かつ徹底的に洗い出すという、科学者として当たり前の課題設定を一切行わず、業態存続に都合のいい"口実の提供"のみにしがみついています。であれば、彼らは間引きの結果(南極海生態系にさらなる混乱をもたらすだけでしょうが)に対して一切責任をとらないでしょうし、それによって科学の威厳が貶められても「我関せず」と知らんぷりを決め込むに違いありません。
 社会性の問題でいえば、現行の日本の調査捕鯨で特異的なのが、大量の雌と未成熟個体の捕殺です。乳飲み子を失った雌、あるいは社会教育を受ける前に親を失った幼若個体に、行動特性の変化や社会的不適応、ストレスによる病気の発生などからくる死亡率の上昇が見られるかどうか、まともな動物学者であれば注意を払って然るべきです。ヒゲクジラ類はハクジラ類に比べて社会性は低いと考えられていますが、社会性は種特異的なもので類縁種でさえ大きく異なるケースがあります。日本の鯨類学界は致死的調査に異常な執着を示すばかりで、クロミンククジラの社会性に対してまともな関心を払おうとはしません。野生動物の個体数管理の"落とし穴"に気づいていない──いや、気づかないふりをし続けているのです。

posted by カメクジラネコ at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然科学系